04 奮闘(下)
プレリミナルカードの第四試合は、横嶋選手の登場である。
相手はレベッカ選手やレッカー選手と同門の、アディソンMMAの所属選手となる。巾木選手の対戦相手と同じく新進気鋭の若いファイターで、こちらはストライカーであるとのことであった。
「さあ、ギガント陣営の巻き返しにも期待したいところだな。ウォームアップは……まだちと早いか」
「押忍。二試合連続、一ラウンド決着でしたからね」
そうして勝利を収めたのは、グヴェンドリン選手とヌール選手の同門選手である。敗れてしまった巾木選手の分まで、横嶋選手に期待をかけたいところであった。
横嶋選手はグラップラーだが、立ち技の手腕にも長けている。なんというか、相手の不意を突くのが巧みであるようなのだ。それは寝技の攻防にも見られる傾向であり、横嶋選手の人を食った性格が反映されているのかもしれなかった。
「この娘さんも態度は浮ついているが、地力は確かだからな。前回いいところがなかった分、気合も十分だろう」
立松はそんな風に評していたが、いざ試合が開始されると風向きが変わってきた。
横嶋選手の稽古を手伝っていた面々は、同じ違和感にとらわれたことだろう。この中で関与していないのは、寝技限定であったユーリと鞠山選手、そして体格が見合わなかった高橋選手のみであった。
「あれ……相手は、クラウチングのスタイルって話じゃなかったか?」
「そうッスねー。サキさんもスパーではクラウチングでってお願いされてたけど、お断りしてたッスよねー」
そのように答える蝉川日和と瓜子は、普段通りのクラウチングで横嶋選手を相手取っていた。相手選手はごく真っ当なMMAのストライカーで、クラウチングのスタイルであると聞き及んでいたのだ。
然して、現在の相手選手が見せているのは背筋を真っ直ぐのばしたアップライトのスタイルである。
立松は「ううん」と悩ましげな声をあげた。
「巾木さんの相手は、インファイターからアウトファイターに鞍替えしてたし……そこはかとなく、嫌な予感がするぜ」
立松の予感は、的中した。相手選手は構えが異なるばかりでなく、鋭い蹴り技を多用してきたのである。これも、パンチ主体とされていた事前情報とまったく異なる様相であった。
「もしかしたら、レッカーのエイキョウなんじゃないかなー?」
ジョンはのんびりとした調子で、そのように意見した。
レッカー選手は瓜子に敗れた後、正式にアディソンMMAの所属になったという話であったのだ。正式な時期は不明であるが、最長であれば半年にも及ぶのだった。
「ああ、確かにこいつは、ムエタイっぽい動きだな。畜生め、そうと知れていれば、ジョンだってお役に立てたのにな」
「ウン。でも、テのウチをカクすのは、ショウブのジョウドウだからねー」
それはジョンの言う通りであるし、そうでなくとも選手というのは日々成長しているのだ。相手が新たなスタイルを身につけたからと言って、文句を言える筋合いではなかった。
それにしても、パンチャーと目されていた相手が蹴り技を多用してくるのは、インファイターからアウトファイターへの転向に匹敵する相違であろう。横嶋選手は涼しい顔を保持しながら、明らかにやりにくそうな挙動を見せていた。
背丈も相手がわずかにまさっているため、蹴りの間合いでは分が悪い。しかも相手は体格でまさる、シンガポールの選手だ。横嶋選手も打撃技のディフェンス能力は高かったが、ガードの上からでもダメージは溜まっていくはずであった。
横嶋選手もいいタイミングで蹴り技を返すが、ちょっと迫力に欠けている。基本のフィジカルが違う上に、横嶋選手の蹴り技はおおよそ牽制のための武器であるのだ。グラップラーである彼女は、寝技に持ち込むために立ち技のスタイルを組み上げている感が強かった。
「どうにか、リズムを取り返したいところだな。なんとか距離を潰して、組み合いに持ち込むべきだろう」
「へん。そんなことは、相手だって百も承知だろーがな。もともとストライカーで、しかもあのムエタイ女の世話になったんなら、余計にディフェンスを磨きぬいてるだろーよ」
それでもやはり、活路は組み技と寝技しかないようである。
強引に距離を潰した横嶋選手は、相手の胴体にくらいついてフェンスに押し込もうとした。
しかし相手選手は力強く横嶋選手の突進を受け止めて、その場に根を生やしてしまう。
そして両手を横嶋選手の首筋に回して、首相撲に捕らえようとした。
「ま、こう来るわな。フィジカルで負けてたら、押し返すのも簡単じゃねーぞ」
横嶋選手は相手選手を突き放して、いったん逃げようとした。
その瞬間、相手の右肘が弧を描く。
離れ際の、肘打ちだ。
ムエタイでは常套手段であり、近代MMAでも大いに活用されている。
ただし現在の横嶋選手は、そちらの対策に時間を割いておらず――そのためか、こめかみにクリーンヒットされることになった。
横嶋選手はほとんど小走りで、距離を取る。
そうしてすぐさまファイティングポーズを取ったため、瓜子は胸を撫でおろしたが――レフェリーが『タイムストップ!』と割り込んだ。
「あーあ。まんまと、割られちまったな」
横嶋選手のこめかみから滴った血が、マットにまで落ちていた。
リングドクターが招聘されて、横嶋選手の明るく染められた髪をまさぐる。そうして長い時間をかけることなく、レフェリーが試合終了の合図を示した。
ドクターストップにより、相手選手のKO勝利である。
こんなにも速やかにドクターストップがかけられたということは、傷が骨膜にまで達していたのだろう。かくも、肘打ちというのは危険な技であるのだった。
「今度は、元気な内に試合を止められちまったか。また悔しさがつのりそうなところだな」
前回は出会い頭の跳び膝蹴り、今回は流血によるドクターストップ――勝敗の重みに変わりはないが、やはり悔しさの度合いは変わってきそうなところであった。
「これでギガント陣営の通算戦績は、どっちも二勝二敗だわね。いよいよ崖っぷちだわよ」
「ああ。だけどこっちも、余所様の心配をしてるヒマはないからな。じっくり熱を入れていくぞ」
瓜子も「押忍」と気持ちを切り替えて、腰を上げることにした。
これで日本人選手は連敗となってしまったが、連勝であったとしても瓜子たちのやることに変わりはない。瓜子の出番は、もう四試合後に迫っていた。
ただし、メインカードの開始時刻は午後の七時と定められているため、この後の試合がどのような展開になろうとも、それより早い出番になることはない。しっかり時間を逆算して、適切に身体を温める必要があった。
そんな中、第五試合はランズ選手とイーハン選手の一戦である。
ウォームアップに励むかたわらで、瓜子もランズ選手の勇姿を見守らせてもらうことにした。
ランズ選手は、グラップラーである。相手の打撃技は頑丈な肉体で受け止めて、組み合いから寝技に持ち込むのが彼女の本領であった。
そんなランズ選手は、バンタム級としても格段に体格がいい。逆に言うと、そういう体格であったからこそ、現在のファイトスタイルに落ち着いたのだろう。骨太で肉厚なランズ選手は打たれ強い反面、敏捷性と機動性に難があったのだった。
対するイーハン選手は、完成されたオールラウンダーである。
立ち技にも組み技にも寝技にも隙はなく、パワーもスピードもテクニックも兼ね備えている。突出したストロングポイントもウイークポイントも見当たらない、よく言えば万能型、悪く言えば無個性なファイトスタイルであった。
「ただ個性が薄い分、どんなスタイルでも小器用にこなすんだわよ。それがレベッカとの、大きな違いだわね」
レベッカ選手は小器用なわけではなく、ひとつのスタイルを強烈に突き通すタイプであるのだ。どちらが上という話ではないが、とりあえずイーハン選手も昨年レベッカ選手の王座に挑戦して敗れた身であった。
「だからイーハンはピンク頭との対戦でも、ベリーニャの指示に従ってなかなかの善戦を見せてたんだわよ。対策の練りにくい、厄介な相手だわね」
「そうッスかー。でもこのお人は、ユーリさんに負けたのはベリーニャさんのせいだってぐちぐち言ってたッスよねー」
『アクセル・ロード』では敗者にインタビューをするという過酷なシステムであったため、イーハン選手はその場でコーチ役のベリーニャ選手に対する憤懣をぶちまけていたのだ。そのさまは、蝉川日和も瓜子と一緒にメイの部屋で見届けていた。
「どこにも隙のないイーハンの唯一の穴は、そのメンタルだわね。粘り強いランズだったら、きっとつけ入る隙があるだわよ」
「うんうん。ランズさんには頑張ってほしいッスねー。あたしも、めいっぱい応援するッスよー」
「応援の前に、選手の面倒だろ。お前さんも、こっちの陣営なんだからよ」
「そ、そうでした! な、何をお手伝いしたらいいッスか?」
慌てふためく蝉川日和に、瓜子は「いえ」と笑顔を返した。
「今はまだ、蝉川さんにお願いする仕事も見当たりません。よかったら、自分の分まで応援をお願いします」
「す、すみません。ホントに何でも、申しつけてほしいッス」
そんな和やかな言葉を交わしている間に、試合開始のブザーが鳴らされた。
フェンス際まで下がっていた両名が、あらためてケージの中央で相対する。やはりこうして向き合うと、ランズ選手のほうが半回りほど大きく見えた。
それでも半回りで済んでいるのは、イーハン選手もシンガポールの選手として相応の体格を有しているためである。頭が小さくて手足が長い、実にしなやかなシルエットであった。
それに彼女は、俳優のように見目が整っている。それで実力もともなっているのだから、さぞかし人気も高いのだろう。『アクセル・ロード』でシンガポール陣営の主役のように扱われていたのも、納得の話であった。
ただし彼女は『アクセル・ロード』から帰参したのち、レベッカ選手とエイミー選手に敗れている。また、彼女はユーリとの対戦で膝靭帯を痛めていたため、帰国後の復帰も遅かったのだ。あとは中堅選手との調整試合で二勝していたが、まだトップファイターを相手に勝利を飾ることはできていなかった。
(今回は、イーハン選手に花を持たせるためのマッチメイクなんだろうって、ユニオンMMAの人たちも言ってたもんな)
しかし彼らは怒るのではなく、奮起していた。格上の選手とやりあうのは、こちらにとっても大金星を狙う大きなチャンスであるのだ。質実なランズ選手も、ずっと静かに闘志を燃やしていたものであった。
イーハン選手は沖選手に圧勝して、ランズ選手は魅々香選手に敗北していたが、もうそんな二年も前の試合は参考にならないことだろう。沖選手と魅々香選手の力関係が逆転したように、ランズ選手も今こそ番付をくつがえすときであった。
ランズ選手はしっかりとガードを固めて、ぐいぐいと前進していく。
イーハン選手は今にも微笑をこぼしそうな悠然たる面持ちで、華麗なステップワークを披露した。
『アクセル・ロード』に招聘される前にも、両者は対戦している。その試合ではイーハン選手が巧みなステップワークでランズ選手を翻弄して、的確なカウンターでダメージを与えつつ、危なげのない判定勝利をものにしていたのだ。
よって、ランズ選手も同じ轍は踏むまいと決意している。
その第一段階として、ランズ選手は足払いのようなローキックを繰り出した。
慌てて前足を上げたイーハン選手は、後ろ足だけで後方に跳びすさる。
そして、探るような視線をランズ選手に突きつけた。ランズ選手がこうまで力のこもったローを出すのは、滅多にない話であったのだ。
ランズ選手は、立ち技の武器を増やすことを思案していた。それで最初に選ばれたのが、この軌道の低いローであったのだ。
ランズ選手はいささか鈍重であるので、ミドルやハイを当てるのは難しい。ローならこれまでも牽制に使っていたし、低い軌道にすれば相手のバランスを崩すのにも適しているという、そんな考えのもとに選出されたわけであった。
しかしイーハン選手はすぐに余裕の表情を取り戻すと、これまで以上に軽快なステップワークを見せた。
ランズ選手が本気でローを狙ってくるなら、うまくさばいてカウンターを返してやろう――という考えであるのだろうか。
そうだとすれば、ランズ選手の狙い通りであった。
「お、サウスポーに変えやがったな」
と、ユーリの陣営であるためにのんびりくつろいでいるサキが、そんなつぶやきをこぼした。
小器用なイーハン選手は、スイッチもお手の物である。そして現在はサウスポーのまま、ステップワークを見せていた。
「あ、イーハンってお人はユーリさんに左膝をぶっ壊されたから、左足を蹴られたくないだろうって見込みだったんスよねー。ランズさんの、狙い通りじゃないッスか」
「うにゃあ。あまり大きな声でユーリのフトクを公言しないでいただきたいのですぅ」
ユーリの悲嘆はともかくとして、ここでもランズ選手の思惑が当たった。どれだけ小器用でも、右利きのイーハン選手はオーソドックスのほうが手馴れているのだ。サウスポーでステップを踏むことにより、わずかなりともつけいる隙は広がるはずであった。
そうして愚直に前進していたランズ選手は、ここぞというタイミングで左ローを繰り出す。
イーハン選手はわずかに右足を浮かせて衝撃を逃がし、自らはカウンターの左ストレートを繰り出そうとしたが――それを完遂させる前に、秀麗な顔を苦痛に歪めた。
今回は足払い気味のローではなく、斜め上方から振りおろすオランダ流のローであったのだ。
言うまでもなく、それはジョン直伝の技であった。
打ちおろしのローは、足を浮かせても衝撃を完全に逃がすことができない。
よって、カーフキックと同じように、打つ側にも多少のリスクが生じるわけであるが――ランズ選手は骨太で、頑丈であるのだ。その頑丈さを活かすために、ランズ選手はこちらの技も習得していたのだった。
「よし、いいぞ。あたしもさんざん痛い思いをさせられたんだから、その成果を見せてもらわないとね」
高橋選手は喜色をにじませた声で、そう言った。
高橋選手は出稽古の時代から、何度となくランズ選手のスパーリングパートナーを受け持っていたのだ。なおかつ、打ちおろしのローというのは防具をつけていても相殺しきれない破壊力を有しているのだった。
予想外の痛撃を受けたイーハン選手は、余裕の表情を消して遠ざかろうとする。
ランズ選手はひたすらそれを追いかけて、牽制のパンチと牽制ならぬローを重ねた。
ローは、足払い気味の軌道と打ちおろしの軌道を使い分けている。
前者のほうが軌道が短いため、着弾の時間がずれるのである。それもイーハン選手を幻惑するひとつの要素になりえるはずであった。
なおかつイーハン選手はなるべくダメージを負わないようにという方針で、ローは受けずに回避しようとしている。
回避するには足を高々と上げるか、大きいステップで逃げるしかない。そうすればボディバランスが崩れて、テイクダウンのチャンスであった。
そうしてランズ選手はあまり多くない引き出しの中から、勝つための道筋を考案したのだ。
小器用なイーハン選手とは、まったく反対の手法であろう。それもまた、どちらが上という話でもなかったが――この試合を優勢に進めているのは、ランズ選手のほうであった。
ただしイーハン選手もやはり確かな実力者で、多少の隙を見せても致命的な事態には至らない。バランスを崩したところでタックルをくらっても、背中をつける前に起き上がって、寝技の展開には持ち込ませなかった。
しかし、イーハン選手は何ら有効な反撃をできていないし、時間が進むごとにどんどんスタミナを削られていった。
完全に、ランズ選手のペースで試合が進められている証拠である。どうやら最初に与えたローの痛撃が、イーハン選手のやわなメンタルを傷つけたようであった。
きっとイーハン選手は、劣勢になると脆いタイプであるのだろう。
それでも確かな実力を持っているために、これまでは劣勢になる機会が少なかったのだ。この弱点は、レベッカ選手とエイミー選手に連敗したことで露呈したようなものであった。
(さらにさかのぼるなら、ユーリさんとの対戦がケチのつき始めだったのかな)
しかしまた、敗北や負傷欠場をどのように受け止めるかは、選手それぞれであろう。同じ『アクセル・ロード』で敗退したエイミー選手やランズ選手はそれまで以上の活躍を見せているし――負傷欠場の観点で見れば、魅々香選手は《アトミック・ガールズ》の王者に輝いているのだ。
それに、エイミー選手やランズ選手は自分を負かした相手に敬意を表していた。エイミー選手はユーリに、ランズ選手は魅々香選手に、それぞれ強い思い入れを抱いているぐらいであったのだ。
いっぽうイーハン選手はユーリに負けた責任をコーチ役たるベリーニャ選手になすりつけていたし、今日のように試合会場でユーリと顔をあわせても見向きもしなかった。自分を負かした相手に対抗心を燃やすのは自然な話であるが、それを成長の糧にできなければ意味はないはずであった。
(……メイさんだって、あたしに負けることであんなに思い詰めることになったんだからな)
そうして試合は、最後まで同じ調子で進められていき――結果は、3対0でランズ選手の判定勝利である。
人気選手のイーハン選手が敗れたことで、会場にはブーイングが吹き荒れている。
しかし、勝利の価値に変わりはない。瓜子もウォームアップの手を止めて、ランズ選手に拍手を送ることにした。
舞台裏を知らなければ、瓜子も退屈な試合だったと判じていたかもしれない。
だけど瓜子は、ランズ選手が積み重ねてきた努力を少なからず目にしているのだ。ランズ選手の努力が実を結んだことを、心から祝福したかった。
「それじゃあ、ユーリもウォームアップだねー」
「りょーかいでありますのです!」と、ユーリはパイプ椅子から跳ね起きる。
プレリミナルカードも、ついに最後の第六試合だ。それは、ヌール選手とシンガポールのトップファイターによる一戦であった。
ユニオンMMAでは、こちらの勝者がフライ級の次期挑戦者に抜擢されるのではないかと囁かれていた。ヌール選手はこの近年でひときわ立派な戦績を築いているし、相手選手もそれに負けない活躍であったという話であったのだ。
ヌール選手も確かな実力者であるが、やはり『アクセル・ロード』で敗退したのちには《ビギニング》の王座に挑戦させられて、敗れている。『アクセル・ロード』におけるシンガポール陣営は全員が一回戦目と二回戦目で敗退してしまったため、《ビギニング》の威信を守るためにそういう措置が取られたようであるのだ。スチット氏らしい、公平かつ厳格な措置であった。
だが、王座に挑戦させられた八名は、全員敗北を喫している。
ヌール選手も、そのひとりであるのだ。そして、彼女を打ち負かしたフライ級の王者というのは、本日ブラジルの選手にリベンジマッチを挑む人物に他ならなかった。
ブラジル大会において、ヌール選手は勝利したが、王者たるその選手は敗れているのだ。
なおかつ、ヌール選手は格上の相手、王者のほうは格下の相手とマッチメイクされて、その結果であった。本日タイトルマッチに抜擢されたブラジルの選手は、ヌール選手が打ち負かした選手と同等かそれ以下の戦績を有する選手であったのだった。
それらの結果だけを見れば、ヌール選手が現在の王者に肉迫しているという証拠に成り得るだろう。
そんな話を裏付けるかのように――この日もヌール選手は柔術の素晴らしい手腕でもって、一ラウンド一本勝ちを収めたのだった。
「ヌールさんも、勝ったか。まあ、ブラジルでは手を携えた仲だし、めでたいこったな」
瓜子のウォームアップを手伝うかたわらで、立松はそう言った。
「それじゃあこっちも、次のステップだ。勢い込んで、バテるなよ?」
「押忍」と応じながら、瓜子は立松の構えたキックミットにミドルを叩き込んだ。
プレリミナルカードが終了して、会場は時間調整のためのインターバルである。
メインカードの開始まで、残りは数十分――瓜子の胸に宿された闘志は、またひっそりと熱を上昇させたようであった。




