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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
32th Bout ~Autumn of Change~
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03 奮闘(上)

 プレリミナルカードの第三試合は、グヴェンドリン選手とレッカー選手の一戦であった。

 瓜子にとっては、何より見逃せない一戦である。こんなカードが第三試合でお披露目されるなど、なんとも贅沢な話であった。


 レッカー選手は瓜子が半年前にこの会場で相手取った、ムエタイあがりのストライカーだ。その強さは、今もなお瓜子の心にくっきりと刻みつけられていた。


 そしてグヴェンドリン選手も以前にレッカー選手と対戦した経験があり、敗れている。これはグヴェンドリン選手にとっての、リベンジマッチに他ならなかった。


(確かにレッカー選手はものすごく強かったし、あたしにとってもやりづらい相手だった。でも、グヴェンドリン選手だったら……どこかに、勝機があるはずだ)


 瓜子にとってレッカー選手が難敵であったのは、同じストライカー同士であったためである。

 なおかつレッカー選手はかつてのムエタイ世界王者であり、瓜子よりも立派な戦績を築いていたのだ。瓜子にとって、自分を上回る立ち技の実績を持つMMAファイターと対戦するのは、初めての体験であったのだった。


 いっぽうグヴェンドリン選手は、どこに出しても恥ずかしくないオールラウンダーだ。

 組み技と寝技に関しては確実にグヴェンドリン選手が上回っているのだから、勝機はそこにあるはずであった。


(でも、相手だってそんなことは先刻承知だし……だからこそ、前回はグヴェンドリン選手を負かすことができたんだもんな)


 レッカー選手は生粋のストライカーだが、組み技と寝技も徹底的にディフェンスを磨いている。その技量は、瓜子がお手本にしたいぐらいであった。


 ある意味、レッカー選手はストライカーとして理想的なスタイルを完成させていたのだ。

 よってこれは、理想的なストライカーと理想的なオールラウンダーの対決であるわけであった。


「さあ、いよいよ出稽古の成果を見せるときだな」


 立松も、いっそうの熱意をあらわにしている。飛行機に乗ってまで日本の出稽古におもむいたユニオンMMAの三名は、ギガント・ジムの面々よりもさらに強い思い入れが存在する相手であったのだった。


 そうして瓜子たちの熱い眼差しに見守られながら、試合は開始される。

 レッカー選手はムエタイらしいアップライト、グヴェンドリン選手はオーソドックスなクラウチングのスタイルで、それぞれ力強く前進した。


 まずはおたがいに、牽制のジャブを放つ。

 それだけで、レッカー選手の攻撃の鋭さがあらわになった。グヴェンドリン選手とは、明らかにパンチスピードが異なっているのだ。


 これをかわして組みつくのは困難であるし、たとえ組みついても相手はディフェンスに長けている。こうしてオールラウンダーとしての視点で見ると、完成されたストライカーというのは実に厄介な相手であった。


(あたしもイヴォンヌ選手に、そう思わせたいところだな)


 瓜子がそのように考えたとき、グヴェンドリン選手が前蹴りを繰り出した。

 牽制ではなくダメージを狙った、力強い攻撃だ。瓜子の試合を参考にしたグヴェンドリン選手は、積極的に蹴り技を使っていくというプランを立てていた。


 レッカー選手がグヴェンドリン選手を相手にテイクダウンを狙うことはありえないので、蹴り技で片足立ちになることも恐れない、というスタンスである。

 たとえレッカー選手がテイクダウンを仕掛けてきて、上のポジションを取られてしまっても、パウンドを落とされる前に逆転してみせる。そんな自信と覚悟をもって、グヴェンドリン選手は次々と蹴りを放っていった。


 前蹴りに関節蹴り、ハイ、ミドル、ローと、相手に的を絞らせない。

 さらには、鋭いサイドキックをも披露した。これは日本の出稽古において、サキや犬飼京菜や沙羅選手から教示された技術だ。その頃から、グヴェンドリン選手はレッカー選手への対策として蹴り技を磨いていたのだった。


 もちろん歴戦のストライカーたるレッカー選手は、それらの攻撃を危なげなくガードしている。

 ただし、蹴りの間合いが続いているのに、自らは蹴ろうとしない。相手の組みつきを恐れずに強烈な蹴りを多用するのがレッカー選手のスタイルであったが、今はグヴェンドリン選手のプレッシャーがまさっているようであった。


(グヴェンドリン選手が最後に狙ってるのは、テイクダウンだからな)


 自分が蹴りを多用することで、レッカー選手の打ち気を誘う。その中でテイクダウンのチャンスをうかがうというのが、グヴェンドリン選手の基本戦略であった。

 しかし今は想定以上にグヴェンドリン選手のプレッシャーがきいており、レッカー選手が防御一辺倒になっている。嬉しい誤算と言うべきか否か、それぐらいグヴェンドリン選手の攻撃に勢いがあったのだ。


(でも、ずっと立ち技でやりあってたら、いずれ逆転される危険がある。あっちは長丁場に強い、ムエタイあがりだからな)


 ムエタイは前半のラウンドを様子見に徹して、後半にギアを入れることが多い。そして判定勝負が多いため、最終ラウンドまで打ち合うスタミナと頑丈さを備えているのだ。それを打ち崩すには、序盤から積極的に仕掛けていくのが有効であった。


 それらをすべてわきまえているグヴェンドリン選手は、果敢に打ち込んでいく。

 蹴り技だけに頼らず、時には距離を詰めて左右のフックやアッパーも見せる。相手の首相撲をしっかり計算に入れた、隙のない攻め手だ。


 普通ならば、ストライカーが立ち技で圧倒されると焦りが生じるものであるが――レッカー選手は、沈着だ。

 これまた、ムエタイ戦士たるナックムエの強みであろう。判定勝負を有利にもっていくために、ムエタイ選手は負の感情や痛みを押し隠すことにも長けているのだった。


 いっぽうグヴェンドリン選手は、炎のごとき気迫をあらわにしている。

 どれだけスパーを重ねても、練習中にこれほどの気迫を見せることはない。試合の中だけで発揮される、グヴェンドリン選手の迫力だ。瓜子も一年ほど前には、ケージの中でその迫力にさらされた身であった。


 それでも試合は大きく動くこともなく、あっという間に三分の時間が過ぎ去って――そこでグヴェンドリン選手が、さらなるアクションを見せた。


 後ろ足で踏み込んでの、ミドルキックである。

 これもまた、ドッグ・ジムにおける出稽古で習得した技であった。


 当初はローやカーフキックを狙っていたが、ムエタイ選手は足も頑丈であるため、途中からミドルに切り替えられた。レッカー選手を相手にカーフキックを狙ったら、自分が足を痛める恐れもあったのである。


 ミドルはローよりも挙動が大きくなる分、不意を突くことが難しい。

 それでも後ろ足のステップでタイミングをずらしたグヴェンドリン選手の左ミドルは、レッカー選手の腕の下をくぐってレバーに突き刺さった。


 そして――それと同時に、レッカー選手の右ストレートが射出される。

 苦しいときこそ手を返すという、ムエタイ戦士の本能であろう。それはレバーにダメージをもらった直後とも思えない、鋭い攻撃であった。


 しかし、グヴェンドリン選手は首をねじって、それを回避した。

 さらには、右フックをお返しする。前足の左で蹴ってそのまま足を下ろしたので、間合いも十分に詰まっているのだ。


 レッカー選手は左腕を固めて、その右フックをガードした。

 そして自分も、右フックを繰り出そうとする。

 ダメージを負ったことで、レッカー選手が打ち気になったのだ。

 その精神力には、瓜子も息を呑む思いであったが――これこそが、グヴェンドリン選手の望んでいた展開である。


 グヴェンドリン選手は頭を屈めて、その右フックを頭上にやりすごした。

 そしてそのままレッカー選手の胴体に組みついて、右足を内側から引っ掛ける。

 驚くぐらいにあっさりと、テイクダウンに成功した。


 しかしレッカー選手も、ここからのエスケープが速い。

 それをわきまえているグヴェンドリン選手はすぐさま上体にのしかかって、レッカー選手の背中をマットにつけさせた。


 会場からは、歓声がわきたっている。

 レッカー選手は、背中をマットにつけることさえ滅多にないのだ。これまでに、それを成功させていたのは――瓜子が視聴した試合の中では、イヴォンヌ選手ただひとりであった。


 レッカー選手は水揚げされたマグロのようにのたうっているが、グヴェンドリン選手は重心を崩さない。

 レッカー選手がエスケープの技術を磨いてきたように、グヴェンドリン選手もポジションキープの技術を磨いてきたのだ。この際は、グヴェンドリン選手の技量がまさっていた。


 そこにはきっと、ユーリや鞠山選手との過酷なスパーも血肉になっているのだろう。

 また、レバーのダメージによって、レッカー選手も多少は力が損なわれているのかもしれない。

 何にせよ、グヴェンドリン選手がこの数ヶ月で積み上げてきた鍛練の成果が、いま実を結んでいるのだった。


「いいぞ! そのまま、決めちまえ!」


 立松が、常にないほどの声を張り上げている。

 そんな中、グヴェンドリン選手はサイドポジションからトップポジションに移行した。

 柔道で言う、上四方固め――近年のユーリのお気に入りであるポジションである。


 MMAでトップポジションを狙う人間は、それほど多くない。このポジションではパウンドを打つこともできないし、狙える関節技もごく限られているからだ。

 よって、トップポジションのディフェンスの稽古に労力を割く人間も少ない。それで数多くの選手が、ユーリに辛酸をなめさせられたのである。


 今はレッカー選手が、その辛酸を浴びていた。

 レッカー選手はがむしゃらに暴れているが、それも正しい逃げ方を熟知していない証拠であろう。グヴェンドリン選手はどっしりと重心を固めながら、右腕でレッカー選手の首を抱え込んだ。


 ユーリが得意にする、ノースサウスチョークである。

 グヴェンドリン選手はユーリとのスパーで、何度となくその技をくらっていた。


 そうしてグヴェンドリン選手は、その恨みを晴らすかのように右腕を引きしぼり――頸動脈を圧迫されたレッカー選手は、ブラックアウトする前にグヴェンドリン選手の背中をタップした。


 試合終了のブザーと大歓声が響く中、瓜子はユーリのほうに向きなおる。

 ユーリは「やったぁ」と手を叩いてから、瓜子に笑顔を向けてきた。


「今の入りは、お見事だったねぇ。グヴェンドリン選手は、ずっと頑張っていたものねぇ」


「はい。最後はほとんど、ユーリさんのおかげっすね。すごく嬉しくて、ちょっぴりだけ悔しいです」


「うにゃあ。そんなのみんな、グヴェンドリン選手が頑張った結果だよぉ」


 ユーリは照れ臭そうに頭をかき回しながら、逆の手で拳をつくって瓜子のほうに差し出してきた。

 ユーリが他者の試合で拳のタッチを求めてくるのは、珍しいことだ。それを嬉しく思いながら、瓜子はバンテージの巻かれた拳でタッチに応じた。


 モニターでは、起き上がったグヴェンドリン選手がレフェリーに右腕をあげられている。

 グヴェンドリン選手は顔も汗だくでわかりにくかったが、今日は泣いていないようだ。その代わりに、充足しきった笑みを浮かべていた。


 そして、英語による勝利者インタビューが開始される。

 その内容を、鞠山選手がざっくり通訳してくれた。


「私は日本に遠征して、数々の素晴らしい選手たちと手を合わせた。その甲斐あって、新たな力を身につけられたように思う。今日の試合で決定される新たな王者に挑むために、さらに稽古を積むつもりだ。……だそうだわよ。新たな王者という言い回しが、キモだわね」


「ああ。グヴェンドリンさんの激励に、応えてやらないとな」


 不敵に笑う立松に向かって、瓜子は「押忍」と笑顔を返す。

 かくして、グヴェンドリン選手は笑顔で花道を引き返し――瓜子たちは、この夏に果たした出稽古の喜びをあらためて分かち合うことがかなったのだった。

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