02 開会
その後は滞りなく試合前の準備が進められて、プレスマン陣営は控え室に舞い戻ることになった。
メディカルチェックにバンテージのチェックも完了させて、あとは開会を待つばかりだ。そして、着替えを済ませたユーリはずっとご満悦の表情であった。
「にゅふふ。みんなおそろいのウェア姿で、ユーリの幸せ気分は上昇するいっぽうなのですぅ」
ユーリと瓜子はこの日のために、試合衣装とウェアを新調した。人気のファッションブランド『P☆B』がデザインから製作まで受け持った、立派な品である。
なおかつウェアに関しては、セコンド陣の分まで準備されていた。しかもスポンサー契約に基づいて、すべて無料の提供である。こちらのウェアや試合衣装には『P☆B』のロゴもプリントされているため、この姿を全世界に中継されるだけで宣伝効果を望めるわけであった。
「ったく、てめーらの浮かれたセンスに人様まで巻き込むんじゃねーよ」
「だけどまあ、デザインそのものは悪くないんだわよ。さすが『P☆B』は、一般性と独自性のバランスが絶妙だわね」
と、セコンド陣の評価は人それぞれである。
こちらが発注した試合衣装とウェアは、それなり以上に華やかなデザインであるのだ。おおよそはユーリの意見が重視されていたので、それも当然の話であった。
基本のカラーリングはツートーンで、そこにファイヤーパターンを連想させるチューリップのデザインが配置されている。あとは縁取りのラインと『P☆B』およびプレスマン道場のロゴマークぐらいであるが、それだけで十分な華々しさであった。
カラーリングは、ユーリが白地にピンク、瓜子が黒地にホワイト、セコンド陣がオレンジの地にホワイトという配色になっている。サキは不満げにぼやいていたが、《アトミック・ガールズ》随一の男前と称される凛々しい容姿であるため、瓜子よりもサマになっているのではないかと思われた。
館内にはしっかり冷房がきいているため、選手もセコンド陣もジャージ素材のウェアを着込んでいる。おそろいのウェアというのは《アトミック・ガールズ》でもお馴染みであったが、この場においてはプレスマン陣営だけがおそろいの姿であるため、いっそうの一体感が期待できそうなところであった。
「お、ついに開幕だな」
立松の声に振り返ると、モニターから歓声がわきたった。ケージの中央にリングアナウンサーが進み出て、英語で何かを語り始めたのだ。
本日は《ビギニング》でも珍しい女子選手のみの興行で、しかも四大タイトルマッチである。《ビギニング》の誇る四名の王者が海外からの挑戦者を迎え撃つということで、なかなかの盛り上がりを見せているとの話であった。
「なおかつ、《ビギニング》で三連勝してるうり坊たちの人気はうなぎのぼりなんだわよ。それが、オッズにも影響してるわけだわね」
「ウン。キョウになっても、スウジはあまりカわってないみたいだねー。ウリコとユーリにキタイしてるヒトがオオいんだよー」
ブックメーカーのオッズは、瓜子とユーリがやや不利という数字で落ち着いているらしい。相手方の立派なキャリアを考えれば、光栄な話であった。
「イヴォンヌ選手もレベッカ選手も尋常でなく強いことに間違いはないが、毎回のように判定勝負だからな。派手好きな客には、物足りない部分もあるんだろう。お前さんがたは放っておいても派手な内容になっちまうんだから、今日もおもいきり暴れて風穴をあけてやれ」
「押忍。判定勝負じゃ勝ち目は薄い、ですもんね。リズムをつかんで、KO勝負にもっていってみせます」
そんな言葉を交わしている間に、モニターではプレリミナルカードに出場する十二名の選手が入場を始めていた。
横嶋選手に巾木選手、グヴェンドリン選手にランズ選手、レッカー選手にイーハン選手、そしてヌール選手――《ビギニング》の興行で、瓜子が見知っている選手がこれほどたくさん出場するのは初めてのことである。そんな彼女たちは、誰もがそれぞれの気性に相応しい面持ちで歓声と拍手を浴びていた。
そうしてすべての選手が入場したならば、スチット氏が開会の挨拶を開始する。
英語なので内容はわからないが、本日もスチット氏は堂々たるたたずまいである。そして客席にも、好意的な歓声が吹き荒れていた。
今ごろは、日本の面々もリアルタイムで配信動画を視聴しているだろうか。
フロリダで暮らすメイは、さすがに十三時間の時差であるのでまだ夢の中だろう。しかし、三時間後に予定されているメインカードは、きっと目を覚ましてからすぐに見届けてくれるはずであった。
(今日はあたしが、メイさんの期待に応えるんだ)
瓜子がひそかに奮起する中、開会セレモニーは無事に終了して、プレリミナルカードの試合が開始された。
第一試合に登場するのは、ギガント鹿児島の巾木選手だ。
対戦相手は、イヴォンヌ選手やイーハン選手と同じくプログレスMMAの選手である。トップファイターの中ではもっとも若い、新進気鋭の選手であるとのことであった。
「こいつは若いが、隙のないオールラウンダーだって話だったな。巾木さんなら、十分に相手取れるだろう」
二度にわたって合同稽古に取り組んだ間柄であるので、立松たちも巾木選手に思い入れを抱いている。巾木選手はいつも不愛想だが、そんな話は些末であるのだ。立松たちが重視しているのは、どれだけ真剣に格闘技と向き合っているかという、その一点であった。
もちろん瓜子も、基本の考えは立松たちと同様である。二週間の寝食をともにした巾木選手の勝利を、心から願っていた。
(この選手も、きっと綺麗なMMAの使い手なんだろう。巾木選手の独特のスタイルで、打ち破ってください)
そうして試合が開始されると、相手選手が思わぬ動きを見せた。
足を使って、巾木選手の周囲を回り始めたのだ。
「うん? ずいぶん想定と違う動きだな」
プレスマン陣営も巾木選手の稽古を手伝ってきたので、もちろん相手選手の特性は伝え聞いている。こちらの選手は踏み込みが鋭い、どちらかといえばインファイターに属するスタイルであるはずであった。
「だからこっちは、猪狩や蝉川を貸してやったってのにな。こんなことなら、サキや鞠山さんにもお願いするべきだったぜ」
「きっと巾木相手にインファイトは分が悪いと踏んだんだわね。まあ、巾木も逃げる相手を追いかけるのは苦手じゃないんだわよ」
鞠山選手の言う通り、巾木選手は意外に器用な選手である。そうして一発でも打撃技をヒットさせると、対象物をロックオンしたかのように有効な連打に繋げることがかなうのだ。なかなかちょっと他に例を見ない、独特のファイトスタイルであった。
巾木選手は臆した様子もなく、ずかずかと相手に近づいていく。
相手は軽妙なステップワークで逃げ惑っていたが、しばらくすると思わぬタイミングで両足タックルを仕掛けた。
一発のパンチも出さないまま、いきなりの両足タックルだ。それでも鋭い踏み込みと絶妙のタイミングであったため、巾木選手も尻もちをついてしまっていた。
それでも背中をマットにつけることなく、巾木選手は座った状態で後方に逃げていく。相手がオールラウンダーであったため、巾木選手もまんべんなく稽古を積んでいたのだ。やがて背後のフェンスまで到達すると、巾木選手はそれを支えにして身を起こすことができた。
フェンスに背中をつけた状態での、壁レスリングだ。
ここでも相手選手は妥協することなく、執拗に攻め込んできた。巾木選手の下顎を頭で圧迫しつつ、しきりにテイクダウンの仕掛けを見せていく。オールラウンダーの名に相応しい、堅実な攻め手であった。
「こうして密着してる間は、巾木さんのパンチをくらうこともない。やっぱり相手も、しっかり対策を練ってるな」
「あー。これぐらいのことは、ギガントの連中も想定してんだろ」
しばらくして、両者はブレイクを命じられた。
ケージの中央で、試合再開だ。相手選手は再びステップワークを見せて、巾木選手がそれを追いかけるという展開が繰り返された。
今度は相手選手も、下がりながらパンチを出している。
しかしいかにも牽制の動きで、まったく当たる間合いではない。巾木選手も無駄に打ち返すことはなく、ひたすら前進に注力した。
そこに今度は、前蹴りが飛ばされる。
足の裏を使った、巾木選手の前進を食い止めるための攻撃だ。
さらには、関節蹴りも繰り出される。相手はとことん、遠い間合いをキープしたいようだった。
「徹底してるな。まあ、そんな逃げ腰の攻撃は――」
立松がそのように言いかけたとき、相手選手のショートフックが小気味よく巾木選手の横っ面を叩いた。
いつの間にパンチの間合いに入ったのかと、瓜子はいくぶん混乱する。画面上の巾木選手も慌てて左フックを返したが、もう相手選手は間合いの外に逃げていた。
「こいつは、一朝一夕の動きじゃねーな。このシンガポール女は、アウトファイターに転向する気合で稽古を積んできたんじゃねーか?」
「その初っ端で、巾木さんが相手取ることになったわけか。ちっとばっかり、しんどい役割になっちまったな」
その後も試合は大きく動くことなく、第一ラウンドは終了する。
そしてそのまま、第二ラウンドから最終ラウンドにまで突入することになった。意想外なほどの、浮き沈みのない展開である。
「おいおい。こいつは、術中にはまっちまったか?」
「そうだわね。この相手選手は、アウトファイターとしてひとつの理想に肉迫しているようだわよ」
アウトファイターとしての、ひとつの理想――それは遠い間合いを保ちながら、自分の攻撃だけを当て続けるというものだろう。相手選手の攻撃はいずれも軽かったが、巾木選手は最終ラウンドに至っても一発の有効打も当てることができなかった。
巾木選手ががむしゃらに突進しても、相手選手はふわりと受け流してしまう。そうして自分は軽い攻撃をヒットさせて、いざというタイミングには両足タックル――それだけの説明で済んでしまうぐらい、変化の乏しい試合内容であった。
「……厳しいな。アウトスタイル対策の稽古をみっちり積んでいたら、もっといい勝負ができたかもしれねえが……相手選手はインファイターって触れ込みだったんだから、こればっかりはどうしようもない」
そうしてついに、試合終了のブザーが鳴らされてしまった。
客席からは、多少のブーイングが聞こえている。あまりに地味な内容に、満足できないお客も多かったのだろう。相手選手の技量は見事なものであったが、それにしても堅実に過ぎた。
判定の結果は3対0で、相手選手の勝利である。
それが宣言された際にも、地元の選手の勝利を喜ぶ歓声と退屈な試合に対するブーイングが入り混じっていた。
「巾木さんも、ダメージらしいダメージはないだろうな。……それはそれで、悔しさがつのりそうだ」
そのように語る立松こそ、悔しそうな面持ちである。
瓜子も実に、やりきれない気分であった。
「あ、お次は外国人同士の試合ッスねー」
「ターコ。ここでは、アタシらが余所もんだろーがよ」
蝉川日和とサキがそんな言葉を交わす中、第二試合に出場する選手が入場を開始する。それは、シンガポールとブラジルの選手が対戦するアトム級の一戦であった。
「あ、このブラジルの選手って、負かした相手を煽りまくってたお人ッスよねー。あたしはあんまり応援する気になれないッスねー」
「おめーが余所の選手を応援する筋合いはねーだろーがよ。セコンドはセコンドらしく、イノシシ様のご機嫌だけうかがってろや」
画面上では、ブラジルの選手が不敵な表情を見せている。この選手はブラジル大会でアディソンMMAの選手をチョークスリーパーで打ち負かし、その後に挑発的な勝利のパフォーマンスを見せていたのだ。そのふてぶてしい行動はともかくとして、一本勝ちを収めた実績を買われて今大会にも招聘されたわけであった。
そのパフォーマンスが原因であるのか、客席からは早くもブーイングがあげられている。
しかしその選手はアウェイ上等とばかりに両腕を振り上げて、客席を煽っていた。
「相手取るのは、ヌールさんと同じ道場の所属らしいな。まだトップファイター未満の実績だって話だが、こんな相手をぶつけられるってことは期待をかけられてるんだろう」
ヌール選手が所属するのは、ドージョー・テンプスフギトという柔術ルーツの小さな道場だ。三大ジムが覇権を争うシンガポールにおいて、ひっそりと実績を重ねているとのことであった。
このブラジルの選手はアディソンMMAのトップファイターを一本で下しているのだから、相当な難敵であろう。
だが――勝利したのは、テンプスフギトの選手であった。相手選手の荒っぽい打撃技を巧みに回避して、胴タックルから寝技に持ち込んで、腕ひしぎ十字固めを完成させたのだ。その流麗なる動きに、ユーリは「わぁい」と手を打ち鳴らした。
「ヌール選手も寝技がお上手だったけど、この御方も素敵だねぇ。テンプラナントカって、好いたらしい道場ですわん」
「ほー。だったらこのままシンガポールに居残って、入門しちまえよ」
「にゃっはっは。どんなに好いたらしくても、プレスマン道場にはかないませんわん」
ユーリはにこにこと笑っていたし、客席には大歓声がわきたっている。先の試合は冗長であったし、今回は地元の選手が見事な一本勝ちを収めたので、いっそう満足な心地であるのだろう。さらには、ブラジルの選手が集めていた反感も加味されているのかもしれなかった。
ともあれ――シンガポール陣営が、二連勝である。
ヌール選手の同門選手が勝利したのは喜ばしい話であるが、この後は日本陣営の巻き返しを期待したいところであったし――瓜子とユーリも、全力で勝利を目指さなくてはならなかった。




