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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
32th Bout ~Autumn of Change~
874/955

ACT.3 Four Big Title matches in Singapore 01 入場

 そうしてついに、その日がやってきた。

 十月の第一土曜日――《ビギニング》本国大会の当日である。


 昨日の前日計量と同じように、日本陣営の十六名は立派なリムジンバスで送迎される。

 もちろん車内には、昨日を上回る熱気がたちこめていた。この場にいる面々は、みんな今日という日のために二週間も前からシンガポールに滞在していたのだ。セコンド陣の気迫も、決して選手陣に劣るものではなかった。


「さあ、いよいよだねぇ。祝勝会でお酒を楽しめるように、ノーダメージの完全勝利を目指したいところだなぁ」


 横嶋選手は相変わらずの軽妙さで、そんな風に言っていた。

 減量で削げていた頬には肉と水気が戻り、鋭い刃物のような雰囲気が緩和された代わりに力感がみなぎっている。きっと順当にリカバリーすることができたのだろう。もしかしたら、今のウェイトは瓜子を上回っているぐらいであるのかもしれなかった。


 巾木選手は声をかけられることを拒むようにまぶたを閉ざし、座席でふんぞりかえっている。

 ユーリはずっと窓の外を眺めているが、ガラス面に映るその顔は普段通りにのほほんとしていた。

 瓜子や横嶋選手を含めて、誰もがいつも通りの姿である。

 ただし、誰もが普段以上の力感をたちのぼらせている。それが車内の温度を数度ばかりも上昇させているように感じられるほどであった。


 やがて会場に到着したならば、スタッフの案内で控え室へと進軍していく。

 ブラジル大会のように、アウェイという感じはしない。瓜子たちは外様の立場であったが、《ビギニング》の内部に反発するような空気はいっさい感じられなかった。


(まあ、スチットさんはシンガポールだけじゃなく、アジア全体の活性化を理念に掲げてるわけだもんな。本拠がシンガポールにあるっていうだけで、ホームもアウェイもないんだろう)


 そんな想念に耽りながら、瓜子は控え室のドアをくぐった。

 本日も個人の控え室が準備されていたが、ユーリの要望でふた組合同だ。ギガント・ジムの陣営といったんお別れすると、たちまち空気がやわらかさを増した。


「予想はしてたけど、猪狩たちは試合の本番でも相変わらずなんだね。おかげであたしも、気を張らずに済んでるよ」


 高橋選手がにこやかな面持ちで声をあげると、鞠山選手が「ふふん」と反応した。


「ここ最近の道子は、自分の試合でもゆるんだ顔を見せてるんだわよ。その脱力具合が、王座獲得にまで結びついたんだわね」


「ええ。それも猪狩を見習った結果ですよ。……おっと、今日は桃園のセコンドなんだから、そっちのメンタルを最優先に考えないとな」


 高橋選手に機先を制されたユーリは、「うにゃあ」と純白の頭をひっかき回す。そして瓜子におねだりするような眼差しを向けてきたので、心を込めて笑顔を返すことにした。


 何もかもが、普段通りの様相だ。

 たとえ海外でもこのような顔ぶれに囲まれていれば、瓜子が心を乱す理由はない。試合に対する期待と意欲だけを胸の奥に溜め込みながら、瓜子も平常心でこの時間を過ごすことができた。


「よし、それじゃあ出陣するか」


 手荷物を適当に片付けたのち、立松の号令で試合場を目指す。

 本日の会場は前回と同じく、国立競技場の一画に存在する屋内スタジアムである。収容人数一万二千名を誇るこの場所が、《ビギニング》の常打ち会場であった。


 スタジアムの中央には八角形のケージが設置されて、現在はそれを取り囲むパイプ椅子の設営が進められている。四方を取り囲む階段状のスタンド席は無人であるため、実に茫漠とした雰囲気だ。しかしそれも数時間後には、人間の熱気で埋め尽くされるわけであった。


「ミナサン、おツカれサマです」


 と、いくぶんたどたどしい挨拶の声が響きわたる。

 瓜子が振り返ると、笑顔のグヴェンドリン選手を筆頭とするユニオンMMAの陣営が立ち並んでいた。


 グヴェンドリン選手は笑顔だが、やはり全身から気合と力感をみなぎらせている。昨日はランチもご一緒したが、その後の半日でさらにひと回りも大きくなったようだ。七キロにも及ぶリカバリーも、無事に完了したようであった。


 二階級上であるエイミー選手やランズ選手は、それ以上の力感をたちのぼらせている。そして、グヴェンドリン選手以上に気迫をあらわにしていた。


(ランズ選手も、けっこう試合前には意気込むタイプなんだな)


 彼女はブラジル大会に出場していなかったため、試合の当日に居合わせるのは初めてであったのだ。普段は穏やかで物静かなランズ選手が、眉間に皺を寄せて迫力のある顔になっていた。


 プレスマン道場とユニオンMMAの面々は、申し合わせたように選手陣とセコンド陣に分かれて歓談を開始する。

 そんなさなか、ランズ選手の目が鋭く光り、眉間の皺がいっそう深くなった。

 瓜子がランズ選手の視線を追うと、しなやかなシルエットをした人影がひとりで近づいてくるところであった。


 ランズ選手と対戦する、イーハン選手である。

 すらりとした身体つきで、見目の整った女子選手――かつての『アクセル・ロード』では沖選手を下して、ユーリに敗れ去った、《ビギニング》のトップファイターだ。イーハン選手がうっすらと笑いながら英語で何かを言いたてると、グヴェンドリン選手が眉を逆立てて何かを言い返した。


 イーハン選手は美人だが、どこか人を見下しているような態度が透けて見えている。『アクセル・ロード』の時代から、瓜子たちは彼女にあまりいい印象を抱いていなかったのだ。生身で相対すると、そんな印象がいっそう強まった。


 グヴェンドリン選手の反論も意に介した様子はなく、イーハン選手はぺらぺらと喋り続けている。

 すると、無言で見守っていたエイミー選手が重々しい声で何かを語り――それと同時に、今度はイーハン選手が眉を逆立てた。


「やれやれだわね。これはライバルジムの対立じゃなく、イーハン個人の人間性に問題があるんだわよ」


 鞠山選手が訳知り顔で肩をすくめていたので、瓜子は「どういうことっすか?」と問い質した。


「イーハンがランズを小馬鹿にしたから、グヴェンが反論したんだわね。それでもイーハンが黙らないから、エイミーが泥をかぶってまで反論したんだわよ」


「泥をかぶる?」


「ランズが負け犬なら、自分に負けたお前も負け犬だ、ってな具合だわね。エイミーだって、そんな言葉は口にしたくはないはずだわよ」


 エイミー選手はきわめて質実な人柄であるのだから、当然だ。これにはさすがに、瓜子も腹を立ててしまった。


「なんか、黙ってられない気分すね。ちょっとスマホを拝借できないっすか?」


「これであんたまで猪突猛進したら、収拾がつかないだわよ。……まったく、世話の焼ける小娘どもだわね」


 そうして鞠山選手は、いきなりイーハン選手に向かって英語でまくしたてた。

 イーハン選手の顔は見る見る青ざめていき、最後にはぷいっと顔をそむけてそのまま立ち去ってしまう。

 ユニオンMMAの三名はそれぞれ嘆息をこぼして、口々に「ソーリー」と言いたてる。鞠山選手はすました顔で、「ノープロブレムだわよ」と応じた。


「すごいっすね。鞠山選手は、なんて言ってイーハン選手を黙らせたんすか?」


「べつだん、大した話じゃないんだわよ。選手だったら口じゃなく試合結果で実力を示すべしと正論を説いたまでだわね」


 その割に、イーハン選手はずいぶんな衝撃を受けていた様子である。

 瓜子がそれを不思議に思っていると、グヴェンドリン選手が『ハナコは、すごいです』と翻訳アプリで説明してくれた。


 どうやら鞠山選手は、ランズ選手とイーハン選手がそれぞれレベッカ選手に挑戦したときの試合を比較して、ランズ選手のほうが立派であったという論調にもっていったらしい。有効打の数だとか判定の結果だとかを引き合いに出して、ランズ選手の優れた点をピックアップしたようであるのだ。


「すごいっすね。鞠山選手は、ランズ選手たちの試合までそんなに細かく分析してたんすか?」


「わたいの脳内にインプットされたデータベースを引っ張り出したにすぎないだわよ。なんだったら、うり坊とピンク頭の対・大怪獣ジュニアの試合を比較検討してみせるんだわよ」


「いやあ、それは御免こうむります」


 瓜子が慌てて手を振ると、無言で傍観していた蝉川日和がにゅっと首を突き出してきた。


「でも、あのイーハンってお人より、ランズさんのほうがチャンピオンといい勝負をしてたんスねー。ランズさん、すごいじゃないッスか」


「それはひとえに、堅実性の問題だわね。レベッカと対戦したときのイーハンは悪い意味で気負っていて、普段以上にアグレッシブだったんだわよ。それでカウンターをくらいまくって、最終ラウンドはもうへろへろだっただわね」


 立て板に水といった調子で、鞠山選手はすらすらと答えた。


「いっぽうランズは果敢に前進しながら、決して防御も二の次にしなかったんだわよ。ランズは勇気と理性をあわせ持つ、立派なファイターだわね」


「そうッスねー。今日の試合も、きっと勝ってくれるッスよ」


 蝉川日和が呑気な笑顔をさらしたとき、少し離れた場所でユニオンMMAのトレーナー陣と語らっていた立松とジョンが舞い戻ってきた。


「どうした? 何か騒ぎでも起こしたんじゃないだろうな?」


「ノープロブレムだわよ。イーハンが挨拶に出向いてきたんで、それに応じただけだわよ」


「ふうん。イーハン選手も、ライバルジムの所属だからな。喧嘩を売られても、買うんじゃないぞ」


 立松が怖い顔を見せても、鞠山選手は「もちのろんだわよ」と平然と応じる。瓜子にしてみれば、心強い限りであった。


「ふん。あっちはあっちで、こってりしぼられてるみてーだなー。因果応報とは、このことだぜ」


 と、サキはぶっきらぼうに言い捨てる。

 その視線を追うと、イーハン選手がトレーナー陣と思しき男性たちに取り囲まれていた。確かに、説教でも受けているような雰囲気だ。


 そして、そのすぐかたわらにイヴォンヌ選手の姿も見える。

 イヴォンヌ選手とイーハン選手は、同じプログレスMMAの所属であるのだ。


(そうか。イヴォンヌ選手もブラジル大会で、あたしたちに話しかけてきて……同じ階級の相手と馴れあうなって、注意を受けてたよな)


 きっとプログレスMMAというのは、そういう面で厳しいジムであるのだろう。

 ただしイヴォンヌ選手は、決して瓜子に悪意を向けたりはしていなかった。まあ、だから馴れあうなと注意されたのかもしれないが、イーハン選手とは正反対の人懐こい人柄であるようなのだ。


(まあ、いざ試合になったら人柄なんて関係ないけど……尊敬できる相手だったら、それが理想だよな)


 瓜子がそのように考えていると、遠く離れたイヴォンヌ選手と目が合ったような気がした。

 そしてイヴォンヌ選手は背中側に回した右手を、瓜子のほうに振ってくる。きっとトレーナー陣に隠れながら、挨拶をしているのだ。それで瓜子も思わず口もとをほころばせながら、こっそり手を振り返すことになったのだった。

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