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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
32th Bout ~Autumn of Change~
871/955

07《アクセル・ファイト》九月大会(下)~達人と野獣~

 ギガント・ジムの両名との歓談を楽しんだのち、一行はサキと鞠山選手の部屋に舞い戻った。

 そちらでも男子選手の試合を眺めながら、歓談だ。試合は順調に進められていき、この調子であればジムのオープン時間にそれほど遅刻することもなさそうであった。


「《アクセル・ファイト》のメインイベンターともなると、世界中から注目されるんだろうね。そんな選手が短期間でもアトミックで活動してたなんて、なんだか信じられないぐらいだよ」


「アトミックでは数えるぐらいの試合しかこなしてないから、海外ではほとんど取り沙汰されていないようだわね。……ただし、『アクセル・ロード』の一件で、どこかの物体との一戦だけは注目されてるんだわよ」


 かつての『アクセル・ロード』では、ユーリのプロフィール紹介でベリーニャ選手との試合模様が流用されていたのだ。ユーリは右肘靭帯を破壊されたあげくに判定負けを喫したが、ベリーニャ選手を相手に判定までもつれこんだだけで快挙であるし――しかもベリーニャ選手は、その一戦で肋骨をへし折られたのだった。


「ベリーニャは、桃園にとっての永遠のライバルだもんな。きっと、こんなところでつまずいたりはしないさ」


 高橋選手が優しい笑顔でそのように語りかけると、ユーリもまた安らかな面持ちで「はいぃ」と答えた。

 そうして、一時間ほどが過ぎ去って――ついに、メインベントの開始である。


 テレビのボリュームを上げなおして、六名はあらためて画面を取り囲む。

 そんな中、青コーナーからガブリエラ選手が入場した。


 挑戦者のガブリエラ選手は、ブラジル出身のストライカーである。

 もともとはルタ・リーブリ系のジムに所属していたようだが、現在は北米の名門ジムに移籍したらしい。そこで組み技と寝技も磨きぬき、二年足らずで《アクセル・ファイト》のトップ戦線に躍り出たのだった。


 身長は百七十センチで、きわめて逞しい体格をしている。きっとブラジル人としても、立派な骨格をしているのだろう。肩幅は広く、胸板は厚く、手足は丸太のごとしである。いったいどれだけリカバリーしているのか、並み居るバンタム級の選手とも比較にならない逞しさであった。


 四角い顔には大きな目がぎょろぎょろと瞬いており、ちりちりの頭は蛍光色のグリーンに染めあげている。瓜子が初めて目にした際には金髪であったし、過去の試合では赤や紫に染めていたこともあったのだ。大きな鼻はあぐらをかいており、分厚い唇には不敵な笑みがたたえられて、いかにも勇猛そうな面立ちであった。


 彼女のストロングポイントは、荒々しい打撃技であったが――特筆するべきは、そのパワーとスピードであろう。彼女の突進力はかつての絶対王者アメリア選手にも引けを取らないほどであったし、しかも本領は敏捷なるステップワークであったのだ。彼女はただ突進するだけではなく、檻の中で暴れる野獣さながらに躍動しまくって、数々の相手選手をマットに沈めてきたのだった。


 いまだ二十代の前半という若年であったため、プロキャリアの戦績は十二戦のみとなる。しかしその結果は、すべてKO勝ちだ。直近の試合ではベテランのトップファイターに粘られながら、最終ラウンドまでスタミナを切らせることなく暴れまくって、最後にはKO勝利を奪取してみせたのだった。


「それでも寝技は、ベリーニャのほうが上だろう。相手の勢いをいなして、寝技に持ち込めるかどうかだろうな」


「ただ、こいつは寝技から逃げる技術も磨いてるんだわよ。元気な状態でグラウンドに持ち込んでも勝機は薄いから、スタンドで削る必要があるだわね」


 ケージに上がったガブリエラ選手が両腕を振ってアピールする姿を見守りながら、鞠山選手はそのように語った。


「ブラジルやロシアの選手は地元の荒っぽい環境に揉まれた上で、北米の名門ジムに移籍するケースが多いんだわよ。過酷なサバイバルマッチを生き抜いた原石が、北米の名門ジムで洗練されるわけだわね。このガブリエラも、その例にもれない実力者なんだわよ」


「洗練されてこの荒っぽさなんだから、すごい話だよね。でもまあ……確かにこいつには、生き物としての力強さってものを感じますよ」


 高橋選手が言う通り、ガブリエラ選手はその頑健なる肉体から野獣のごとき生命力を発散させている。もしもユーリがこんな相手と対戦することになったら、瓜子も気が気でないところであった。


(最初に見たときは、これほどの迫力は感じなかったけど……きっとあれは、オフシーズンだったからなんだろうな)


 瓜子が初めてガブリエラ選手の姿を目にしたのは、今年四月に開催された《アクセル・ファイト》ブラジル大会の放映においてのことである。その興行ではベリーニャ選手とアメリア選手のリベンジマッチとなるタイトルマッチが組まれて、大いに関心を集めていたのだ。


 そうしてベリーニャ選手が達人のごとき所作でアメリア選手を下すと、このガブリエラ選手が乱入してタイトル挑戦を宣言した。《アクセル・ファイト》はセキュリティ管理も万全なので、それは台本通りの筋書きであったのだ。ベリーニャ選手とアメリア選手のどちらが勝利しようとも、次の挑戦者はこのガブリエラ選手に決定されていたわけであった。


 つまりガブリエラ選手は、《アクセル・ファイト》の運営陣からもそれだけの期待をかけられているわけである。

 そうして過去の試合映像をすべて確認した瓜子も、運営陣の判断に心から納得したわけであった。


(ベリーニャ選手と同じぐらい、このガブリエラ選手が負ける姿は想像しにくい。このガブリエラ選手も、世界級の化け物のひとりなんだ)


 ユーリが対戦するレベッカ選手と異なり、このガブリエラ選手は力強さが満身からあふれかえっている。高橋選手の言う通り、生き物としての強靭さを感じてやまないのだ。それはある意味、宇留間千花を思い出させる強さであったのだった。


(しかもこのガブリエラ選手は、きちんとMMAの稽古を積んでいる。格闘技の技術を学んだ野獣なんて……そりゃあ、ぞっとしないよな)


 しかしそれでも瓜子はベリーニャ選手の勝利を信じていたし、願ってもいた。ユーリとの再戦がかなうまではなるべく負けてほしくないと願ってしまうのが、人情というものである。ただもちろん、瓜子はそんな感傷を抜きにしても、まだベリーニャ選手のほうが有利だと考えていた。


(寝技なら絶対に負けないっていうのは、大きなアドバンテージだ。あとは鞠山選手が言う通り、どこまでスタンドで削れるか……これは、長い試合になるかもしれないな)


 瓜子がそのように考える中、ベリーニャ選手もついに入場した。

 会場からは、ひときわ盛大な歓声が響きわたっている。かつての絶対王者アメリア選手を二度にわたって完膚なきまでに下したベリーニャ選手は、名実ともに女子選手最強の選手であったのだった。


 しかもベリーニャ選手は容姿も秀麗で、ジルベルト柔術を代表する選手のひとりでもある。実兄のジョアン選手がミドル級の絶対王者として君臨していることも、人気に拍車をかけることだろう。このように完璧なスター選手が他にいるのかと、ちょっと呆れるぐらいであった。


 そうまで大きな期待をかけられたならば、プレッシャーを感じて然りであるが――しかし、ベリーニャ選手の最大のストロングポイントは、その精神力である。三名のセコンド陣とセキュリティのスタッフを従えて花道を進むベリーニャ選手は、本日も凪の海のように静謐な面持ちであった。


 褐色の秀麗な顔に、若鹿を思わせる黒い瞳、一片の無駄肉も見当たらないしなやかな体躯――きっとベリーニャ選手は、今でも平常体重で試合に臨んでいるのだろう。その美しく引き締まった肉体は、赤星弥生子を連想させてやまなかった。


「さあ、いよいよッスねー!」


 蝉川日和がうわずった声をあげる中、選手紹介のアナウンスが始められる。

 英語であるので、瓜子には内容が聞き取れない。そしてきっと現地でも、大歓声がアナウンスをかき消しているのではないかと思われた。


 そののちに、両名はケージの中央で向かい合う。

 やはり体格は、ひと回り以上も差があった。平常体重であるベリーニャ選手に対して、ガブリエラ選手は十キロばかりもリカバリーしているのだろう。そしてさらに骨格の違いが、いっそうの体格差を生み出すのだった。


 ガブリエラ選手はライオンのような迫力で、ベリーニャ選手は若鹿のような穏やかさだ。

 自然界では鹿がライオンに立ち向かうすべはなかろうが、こちらの鹿は鋭い牙を隠し持っている。その鋭さは、ライオンの心臓にも届くはずであった。


 ルール確認を終えた両名は、正面を向いたままフェンス際に引き下がっていく。

 瓜子は最後にユーリの表情を確認してみたが、そちらは変わらず落ち着いた面持ちであった。


 そうしてついに、試合開始のホーンが鳴らされる。

 それと同時に、ガブリエラ選手は躍動した。


 真っ直ぐ突っ込むのではなく、左右にステップを踏みながら前進していく。そしてベリーニャ選手がケージの中央に到達したならば、凄まじい勢いでその周囲を回り始めた。


 まさしく、草食動物を狩ろうとする肉食獣のごとき迫力である。

 瓜子も現在は、ユニオンMMAで男子選手のステップワークに悩まされている日々であったが――それとも比較にならない力感と躍動感であった。


 しかしベリーニャ選手は静謐な面持ちのまま、相手に合わせて角度を変えている。

 背筋をのばして、両手の拳を胸のあたりにかまえた、絵に描いたように美しいアップライトの立ち姿だ。そのあまりの静けさに、瓜子は背筋を粟立たせてしまった。


 しかしガブリエラ選手もまた、ベリーニャ選手の静謐さに臆した様子もない。

 そしてガブリエラ選手は、大砲の砲弾めいた勢いでベリーニャ選手に躍りかかった。


 瓜子の目でも追いきれないほどの、敏捷さだ。

 丸太のような右腕を振りかぶったガブリエラ選手の姿が、ベリーニャ選手に重なり――そして、そのまますれ違った。

 ベリーニャ選手が、ステップワークで回避したのだろう。それもまた、瓜子の目ではとらえきれない流麗なる所作であった。


 そして――ガブリエラ選手は、そのまま前のめりに倒れ伏した。

 思わぬ流麗さで回避されて、足をもつらせてしまったのだろうか。


 だが、レフェリーは頭上で両腕を交差させた。

 試合終了のホーンが鳴らされて、大歓声が爆発する。

 そしてこちらの一室では、困惑のどよめきがわきたった。


「これで終わり? すれ違いざまに、何があったのさ?」


「カメラの角度が悪くて、何も見えなかっただわね。スロー再生を待つしかないだわよ」


 テレビの画面からは、日本のスタジオで解説していた人々の惑乱した声が聞こえている。

 そんな中、すぐさまスロー再生の映像が流された。


 ガブリエラ選手は、野獣の形相でベリーニャ選手に肉迫していく。

 その圧力におされるようにして、ベリーニャ選手の身は相手のインサイドに回り込んだ。


 そして――すれ違いざまに、ベリーニャ選手の左拳がこつんとガブリエラ選手の下顎に触れる。

 ベリーニャ選手はなんの力も加えていないように見えたが、ガブリエラ選手の頭部はゆっくりと傾いていった。


 ガブリエラ選手の突進力が、そのままカウンターの威力に転じたのだ。

 下顎を支点にして傾いたガブリエラ選手の頭の中では、脳が頭蓋骨に激突して脳震盪を起こしたのだろうと思われた。


 そうしてガブリエラ選手はのろのろと倒れ込んでいき、ベリーニャ選手はゆっくりとそちらに向きなおる。

 スロー再生でもぶれることのない、流れる水のごとき所作だ。なおかつベリーニャ選手はガブリエラ選手が起き上がることを想定して、きちんと次の展開に備えていたのだった。


「マジかよ……これじゃあ本当に、武道の達人じゃん」


 高橋選手の呆れた声が、一同の思いを代弁していた。

 あれほど前評判の高かったガブリエラ選手が、最初の一撃でKO負けを喫してしまったのである。そしてそれが偶然の産物でなかったことは、スロー再生の内容が証明していた。


 ガブリエラ選手はその身に備わった力を余すところなく発揮して、ベリーニャ選手に攻撃を叩き込もうとした。

 ベリーニャ選手はそれを回避して、カウンターの一撃で勝負をつけたのだ。横嶋選手がブラジル大会で見舞われた勢いまかせの一撃ではなく、これはベリーニャ選手が繰り出した最善の一手であったのだった。


『ベリーニャ、想像を絶する結果でした。期待の新鋭にして最強の挑戦者と称されていたガブリエラを相手に、ノーダメージの秒殺勝利です。あなたの美しい強さに、私は震えが止まりません』


 勝利者インタビューに臨むアダム氏は顔を真っ赤にしてエキサイトしていたが、通訳の言葉は冷静そのものだ。

 そして画面上では、汗ひとつかいていないベリーニャ選手が穏やかに応対した。


『恐縮です。稽古の成果を過不足なく発揮することができて、私も満足しています』


『あなたは正真正銘、地上最強の女子選手です。あなたの試合を目の前で観られたことを、私は心から光栄に思っています』


『ありがとうございます。みなさんの期待に応えられたのなら、嬉しく思います』


 そんな風に答えながら、ベリーニャ選手は自らの手でグローブを外し始めていた。

 そういう選手も珍しくはないが、ベリーニャ選手にしては無作法な行いだ。その穏やかなたたずまいとグローブを性急に外そうとする所作が、なんともミスマッチであった。


『私は偉大なる兄たちに追いつくために、これからも稽古に打ち込むつもりです。……ですが、このステージにもう私の相手はいないようです』


 その言葉が、瓜子の頭と心を大きく揺さぶった。

 そして瓜子がその意味を理解する前に、ベリーニャ選手は身を屈めて左右のグローブをマットに置く。


 アダム氏は、ぽかんとしていた。

 そちらに深く一礼してから、ベリーニャ選手はケージの出口に向かっていく。それを追いかけるセコンド陣は誰もが慌てた顔をしており、口々に何かわめきたてていた。


『こ、これはどういうことでしょう? グローブを置いて退場したということは……引退の意思表明でしょうか?』


『少なくとも、《アクセル・ファイト》からは離脱しようという考えなのでしょう。これは、とんでもないことになってしまいましたね』


 テレビの中の解説者たちがそんな声をあげると、高橋選手が「はあ?」と跳び上がった。


「ベ、ベリーニャが《アクセル・ファイト》をやめるってこと? なんで? どうしてさ? まだ《アクセル・ファイト》と契約してから、二年も経ってないじゃん!」


「……だけどまあ、もう挑戦者の候補もいないというのは、確かなことだわね。通常だったら、階級を変更して二階級制覇を目指すところだわけど……女子部門にバンタム級より上の階級は存在しないし、減量をして下の階級に挑むというのはベリーニャの信念に反してるんだわよ」


 高橋選手と鞠山選手の言葉を聞きながら、瓜子はようやく古い記憶を引っ張り出すことができた。

 もうこのステージに、戦うべき相手はいない――それは四年ほど前、ベリーニャ選手が《スラッシュ》を離脱した際に口にしていたコメントであったのだった。


(それじゃあ本当に、ベリーニャ選手は――)


 瓜子は心も定まらないまま、かたわらのユーリを振り返る。

 ユーリは――何も変わらぬ穏やかな面持ちで、モニターのほうを見つめていた。


(もしかしたら、ベリーニャ選手は……《ビギニング》に乗り込むつもりなのかもしれない)


 そんな想念に見舞われた瓜子は、ひとり背筋を震わせることに相成ったのだった。

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