06《アクセル・ファイト》九月大会(中)~感想戦~
「よう。なかなか、ひやひやさせられたな」
しばらくしてこちらの部屋にやってきた立松が、苦笑まじりにそんな言葉を告げてきた。
「このまま負けちまったら猪狩のメンタルに影響が出るんじゃないかって、俺は二重の意味でキモを冷やすことになっちまったぜ。……それじゃあメインイベントの前に、朝飯を片付けておくか」
第二試合から第六試合のメインイベントまでにはけっこうな時間があるので、その間に朝食を済ませる予定であったのだ。そして、メインイベントを見届けたのちには、すぐさまユニオンMMAに向かう手はずになっていた。
そうしてホテルに併設されたフードコートに向かうと、そこは日本人の集団で賑わっている。ギガント陣営の人々も、同じ時間に朝食を始めていたのだ。
「これはこれは、おはようございます。やっぱり考えることは、同じようですね」
ギガント鹿児島の山岡氏が、わざわざ立ち上がって挨拶をしてくれる。
立松も気安く、「おはようさん」と応じた。
「その物言いからすると、そちらさんもメイさんの試合を見届けてくれたってことかい? メイさんとは何の面識もないのに、義理堅いこったね」
「《アクセル・ファイト》と正式契約を結んだメイ選手は、我々にとっても手本にするべき存在ですからね。きっと日本では、同じ階級の連中が意欲を燃やしていることでしょう」
「アトミックの選手たちも、それは同様だろうな。……ああ、いいからお前さんたちは、食事を済ませちまいな」
瓜子たちは山岡氏に一礼して、料理を販売しているカウンターに向かった。
そうして調整期間に適したヘルシーな朝食を手に客席に舞い戻ると、テーブルのひとつから横嶋選手が「こっちこっち」と手を振ってくる。
「せっかくだから、一緒に食べようよぉ。メイさんの感想戦もしたいしさぁ」
そちらは六人掛けのテーブルで、横嶋選手と巾木選手しか座していない。そして、こちらの両名が二人だけで行動しているのは、きわめて珍しい話であった。
「それじゃあこっちは穏健派の代表として、わたいと道子がお邪魔するだわよ」
「えー? あたしって、サキさんと同じくくりなんスかー? ……あ、いやいや、つい本音が出ちゃっただけで、悪気はないんスよ」
「だったら余計にタチがわりーだろ、コラ」
サキに頭を小突かれながら、蝉川日和は隣のテーブルに腰を落ち着ける。瓜子はユーリとともに横嶋選手の側、鞠山選手と高橋選手は巾木選手の側に座することになった。
「あんたたちが仲良く輪を作ってるのは、珍しいだわね。そんなにメイメイの試合で盛り上がってたんだわよ?」
「オーストラリア出身でも、メイさんはアトミックの選手でしたからねぇ。やっぱり、スルーはできないですよぉ。……アトミックでメイさんに勝てたのは、瓜子ちゃんだけなんだよねぇ?」
さっそく水を向けられた瓜子は、玄米のリゾットをスプーンですくいながら「押忍」と答えた。
「でもメイさんは、そんなに試合数もこなしてないんすよね。運営陣も、マッチメイクで苦労してたみたいです」
「瓜子ちゃんの前に対戦した二人が、けっこうな怪我をしちゃったみたいだねぇ。でもその後は、けっこう苦戦の連続だったんじゃない?」
「その後は、イリア選手だとかオリビア選手でしたからね。自分もそのお二人には、さんざん苦しめられました」
「カポエイラ使いのイリアさんに、いまやバンタム級のオリビアさんかぁ。それは確かに、強敵だろうねぇ」
すると、ハーブティーの香りを楽しんでいた鞠山選手が眠たげな目つきで横嶋選手をねめつけた。
「やっぱりあんたは、アトミックの情勢にも通じているようだわね。ここ最近の試合しか追ってなかったら、ピエロ女の名前なんて耳にも入らないはずだわよ」
「そりゃあ瓜子ちゃんとユーリさんを輩出した団体なんですから、スルーはできないですよぉ。……ただ、今日のメイさんはちょっと危なかったねぇ。本人も不本意そうだったし、やっぱり調子を崩してたのかなぁ?」
「何かしら、集中を乱す原因があったんでしょうね。これできっと、メイさんはまた強くなると思いますよ」
瓜子とて実際の話は何もわからないので、そのように答えるしかなかった。
すでにあらかた食事を終えている横嶋選手は「ふうん」とテーブルに頬杖をつく。
「だけどまあ、これでメイさんも《アクセル・ファイト》のランカーだもんねぇ。これで瓜子ちゃんたちが《ビギニング》の王者になったら、本当にプレスマンの天下だなぁ」
「ふん。《ビギニング》ん王座は、そげん簡単なもんじゃなかじゃろ」
朝から不機嫌そうな顔をした巾木選手は、そんな風に言い捨てる。その雄々しい容姿はどこか多賀崎選手に似ているのに、内面はまったく違っているのだ。
「あげん化け物どもと同じ階級やったとが、運のつきやなあ。せいぜい日本の恥をさらさんごつ、気張っこった」
「ふうん。だったら瓜子ちゃんはもっとお肉をつけて、ユーリさんはダイエットを頑張って、二人ともフライ級に転向しちゃったらぁ?」
横嶋選手が悪戯っぽい顔つきで言いたてると、巾木選手はたちまち眉を吊り上げた。
「ね? 巾木さんも、このお二人と試合でやりあうのは御免だって心境なんでしょ? それなら、まだ勝機もあるんじゃないかなぁ」
「あんたはその場その場で、くるくる意見が転がるだわね。もっと言動に一貫性をもたせないと、信用は得られないだわよ?」
「わたしの身上は、臨機応変なんですよぉ。……それで、瓜子ちゃんはどんな気持ち?」
「はい? 自分がなんすか?」
「瓜子ちゃんに連敗してるメイさんが、《アクセル・ファイト》のランキング第八位を獲得したわけじゃん? 世界的な目線で見れば、たとえ瓜子ちゃんが《ビギニング》の王者になってもメイさんのほうが格上だっていう評価になっちゃうんじゃないかなぁ?」
そんなことかと、瓜子は笑うことになった。
「そんな評価は、どうでもいいっすよ。もちろん自分もメイさんに負けないように頑張るつもりですけど、今はメイさんが勝ったことが嬉しいだけです」
「ふうん……そんな可愛い笑顔を拝見してなかったら、わたしには本音で語ってくれないのかって疑うところだったよぉ。瓜子ちゃんの中では、上昇志向と名誉欲が切り離されてるのかなぁ?」
「どうでしょう? 自分だって大事な試合に勝てたら誇らしいって思いますけど、そんな気持ちは人と比べられないので、よくわかりません」
「あーあ。瓜子ちゃんと話してると、自分がとことんスレた人間だって自覚させられちゃうなぁ」
そんな言葉を語りつつ、横嶋選手は相変わらず笑顔である。本音と建て前の話をするのであれば、横嶋選手のほうがよっぽどわかりにくい人柄であるはずであった。
「でもまあこれで、瓜子ちゃんにも《アクセル・ファイト》のランカーを目指せる実力が備わってるって証明されたようなもんだよねぇ。ずばり、《ビギニング》で王座を獲得したあかつきには、《アクセル・ファイト》に乗り込もうって算段なのかなぁ?」
「性懲りもなく、また他人のリサーチなんだわよ?」
瓜子よりも早く鞠山選手が声をあげると、横嶋選手は悪びれた様子もなく「いえいえ」と手を振った。
「わたしと瓜子ちゃんじゃ立場が違うんですから、なんのリサーチにもならないですよぉ。これは、純然たる好奇心です。……それで、どうなのかなぁ?」
瓜子は頭をかきながら、「えーと」と言葉を探した。何せ隣にはユーリがいるのだから、軽はずみなことは言えないのだ。
「《ビギニング》で結果を出せば《アクセル・ファイト》とファイトマネーの交渉もできるだろうって話は、こっちでもあがったことがあります。でも何にせよ、そんなのは先の話っすよ。自分はこれからイヴォンヌ選手の王座に挑む身ですし……それに、《ビギニング》と専属契約を交わしたばかりの身なんですからね」
「うんうん。たとえ王者になっても、あと一年ぐらいは契約に縛られるわけだねぇ。さすがスチットさんも抜け目ないというか、まあ運営代表としては当然の判断か。王座を取るなり移籍なんて、体面が悪すぎるもんねぇ」
「でも、《フィスト》の男子選手なんかは王座獲得が世界への切符みたいな一面もありますよね。ステップアップっていう意味では、別におかしい話じゃないんじゃないですか?」
そんな風に答えたのは、瓜子ではなく高橋選手である。まだ横嶋選手とそれほど親交の深まっていない高橋選手は、丁寧な言葉づかいで接していた。
「《フィスト》と《ビギニング》では、ちょっと立場が違ってるかなぁ。現に、《ビギニング》の王者はこれまでほとんど《アクセル・ファイト》に移ったことがないからさぁ」
「それは、ファイトマネーの問題が大きいみたいですね。《ビギニング》の王者ともなると破格のファイトマネーだから、よっぽどの好待遇じゃないと《アクセル・ファイト》に移る甲斐がないって話ですよね」
「それでも、栄誉の度合いは比較にもならないだろうねぇ。《ビギニング》はどんどん勢力をのばしてるけど、やっぱり《アクセル・ファイト》っていうのは次元が違ってるからさぁ」
テーブルに頬杖をついたまま、横嶋選手は考え込むように視線をさまよわせる。ただ、そんな仕草も芝居がかって見える横嶋選手であった。
「たとえば《アクセル・ファイト》の絶対王者だったダゲスタン共和国の選手なんて、母国では英雄みたいな扱いらしいしねぇ。国で最高位の勲章を授与されて、首長補佐の地位を与えられて、色んな国の大統領と面会することになったらしいよぉ。たしか、SNSのフォロアー数もロシア領で一番って話だしねぇ」
「……猪狩はいまだに、SNSの扱い方すら知らないもんな」
冗談めかして言う高橋選手に、瓜子も「はい」と笑顔を返す。
「横嶋選手が仰る名誉っていうのがそういうお話なら、自分にはあまり関係ないかもしれません。英雄だなんて、大それた話ですしね」
「それにやっぱり、お国柄もあるんだわよ。日本人選手が《アクセル・ファイト》の王者になったところで、勲章をもらえるとは思えないだわね」
「王者じゃなくて、絶対王者ですよぉ。《ビギニング》で言ったら、イヴォンヌやレベッカがそれにあたるわけですよねぇ。《ビギニング》でどれだけのファイトマネーを積まれても、やっぱり《アクセル・ファイト》は別格だって話をしてるんです」
めげた様子もなく、横嶋選手はそのように言いつのった。
「だからまあ、わたしが何を言いたいのかというと……瓜子ちゃんが《ビギニング》を選んだことが、ちょっと意外に思えてきたんだよねぇ」
「意外っすか?」
「うん。なんとなく、瓜子ちゃんはファイトマネーよりも名誉を重んじるタイプなんじゃないかって、そんな風に思えてきたからさぁ」
瓜子は一瞬、言葉に詰まることになった。
瓜子はべつだん、名誉などを重んじていない。ただ、ファイトマネーよりも大事なものは、歴然として存在するのだ。
(あたしは《アトミック・ガールズ》の代表として、世間に力を示したい。それに……あたしなんかと世界で戦いたいっていう、メイさんの気持ちに応えたい)
瓜子が重んじているのは、そういった物事だ。
そしてそれは、《ビギニング》よりも《アクセル・ファイト》と契約したほうが早道であるということもわきまえている。それでも瓜子が《ビギニング》を選んだのは、決してファイトマネーの額ではなく――ユーリとともに選手活動を続けるためであったのだった。
(《ビギニング》で結果を出せば、《アクセル・ファイト》の運営陣も考えをあらためて、ユーリさんと契約しようって気持ちになるかもしれない。……あたしは、それを期待しているんだ)
しかしそれは、決して公言できない話である。
だから――横嶋選手は、そこに違和感を覚えたのかもしれなかった。
(……やっぱり横嶋選手って、そういう部分がすごく鋭そうだもんな)
瓜子がそんな思いを新たにしていると、横嶋選手が珍しく苦笑を浮かべた。
「なんでそんなに熱い瞳で、わたしのことを見つめてるのかなぁ? これがもしかして、ハーレムのお誘いってやつ?」
「そんな話が、横嶋選手にまで伝わってるんすか? あとでサキさんに文句を言っておきますね」
瓜子が笑うと、横嶋選手は何かをあきらめたように吐息をついた。
「もう、瓜子ちゃんにはかなわないなぁ。……まあいいや。朝からあんまり込み入った話をしても、疲れるだけだからねぇ。今日のところは、これぐらいにしておくよぉ」
「押忍。この後には、楽しい稽古も待ってますしね」
「その前に、まずはベリーニャの防衛戦だねぇ。……ずばり、みなさんはどっちが勝つと思ってるのかなぁ?」
横嶋選手のそんな問いかけに、まずは高橋選手が笑顔で答えた。
「あたしは、ベリーニャだと思ってますよ。ベリーニャを倒すには猛獣タイプが最適だって説もあるみたいだけど、あのベリーニャが新参の選手に後れを取るとは思えませんからね」
「へえ。他のみなさんも、そんな感じなのかなぁ?」
「わたいも7:3で、ベリーニャの勝ちと踏んでるだわよ。三割の不確定要素を残せるだけ、相手も大したもんだわね」
「自分も、ベリーニャ選手が勝つと思います。相手の勢いがベリーニャ選手の壁を崩したとしても、そこで終わるベリーニャ選手じゃないっすからね」
瓜子がそのように答えると、最後に残されたユーリにすべての視線が集められた。
のんびりとした顔で瓜子と同じリゾットをすすっていたユーリは、子供のようににこりと笑う。
「ユーリも、ベル様が勝つと思いますぅ。……でも、みなさんみたいにきちんとした考えはないので、ただ勝ってほしいと思ってるだけかもしれませんねぇ」
「そっか。オッズでも、ベリーニャがやや優勢ってぐらいの比率らしいけど……やっぱりまだまだ、絶対王者の座は動かないのかなぁ」
その結果が示されるのも、もう間もなくである。
前評判の高いガブリエラ選手を相手に、ベリーニャ選手はどのような試合を見せてくれるのか――瓜子も、心して見守る所存であった。




