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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
32th Bout ~Autumn of Change~
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04 充実した日々

 二日目以降も、ユニオンMMAにおける合同稽古は有意義に進められていった。

 現在はあくまで調整期間であるが、怪我をしないことと疲れを溜めないことを大前提に、可能な限りの過酷な稽古が準備されていたのだ。周囲からトレーニング・ホリックと称される瓜子とユーリにとっては、血の涙が流れるぐらいありがたい話であった。


 瓜子にとって何より有意義であったのは、やはり初日に準備されたフライ級の男子選手およびグヴェンドリン選手とのスパーリングである。瓜子が対戦するイヴォンヌ選手にもっとも体格とファイトスタイルが近いのは、その両名であったのだ。


「それでもイヴォンヌはグヴェン以上のフィジカルだし、男子選手よりも小回りがきいて反応速度にも優れている。……この言葉を通訳するのも、何度目かわからないだわね」


 鞠山選手がぼやく通り、ユニオンMMAの面々からは何度も同じ言葉を聞かされることになった。イヴォンヌ選手はもっとパワフルだ、もっと勢いがある、もっと敏捷で小回りがきく――と、そんな調子なのである。


 イヴォンヌ選手の厄介なところは、そういった特性が試合映像で確認しにくいということであった。

 映像で見るイヴォンヌ選手は、確かにパワフルかつスピーディーである。しかし、たとえばメイのように、そのフィジカルが爆発しているような感じではないのだ。時には豪快な打撃技やタックルを見せなくもないのだが、パワーやスピードよりもテクニックに秀でているという印象に落ち着くのだった。


「イヴォンヌが素早いと言っても、それは他のトップファイターと比べて0コンマ数秒の話なのだと思う。でもそのわずかな差が、彼女を化け物に仕立てている。こちらの攻撃はすべて見透かされ、あちらの攻撃は予測がつかない。あの悪夢のような時間を乗り越えない限り、イヴォンヌに勝つことはできないだろう。……だそうだわよ」


 そんな熱心な言葉を伝えてくれるのは、もちろんグヴェンドリン選手である。彼女はこの中で唯一、イヴォンヌ選手と対戦の経験があったのだ。


 しかしもちろんシンガポールのトップファイターは、のきなみイヴォンヌ選手と対戦している。瓜子がかつて対戦したレッカー選手やミンユー選手も、イヴォンヌ選手に敗れているのだ。


 グヴェンドリン選手との対戦も含めて、瓜子は何度となくそれらの試合を見返した。

 しかしやっぱり、イヴォンヌ選手の怖さが実感できずにいる。それらの試合はすべてイヴォンヌ選手の判定勝利であり、彼女が強いというよりは対戦相手が弱く見えるような内容であったのだった。


「正直に言って、グヴェンドリン選手なんかは体調が悪かったんじゃないかって思えるぐらいなんですよね」


 瓜子が鞠山選手ごしにそう伝えると、グヴェンドリン選手は表情を引き締めながら「ノー」と答えた。


「私は絶好調だったし、試合前には勝つ自信があった。イヴォンヌはまだMMAに転向して間もない時期であったので、立ち技さえしのげばこちらのものだと考えていた。でも、結果はあの通りだった。パワーでもスピードでもテクニックでもかなわない上に、こちらの攻撃はすべてすかされて、何を成すこともできなかった。以前にも告白したけれど、私はあの試合で引退を考えるほどに思い詰めることになった。……だそうだわよ」


「うーん。それじゃあ試合の主導権を握られたことで、調子を崩しちゃったんすかね?」


「そういう面も、あるのだろう思う。でも、彼女が第一ラウンドから最終ラウンドまで一定の強さであった事実に変わりはない。その機械じみた緻密さも、彼女の恐ろしさのひとつなのだと思う。……だそうだわよ」


 聞けば聞くほどに、イヴォンヌ選手というのは特異な存在であった。

 ムエタイあがりでありながら隙のないオールラウンダーで、どこにもクセのない王道MMAの使い手――そんな個性のなさが、彼女の最大の個性なのである。


 ただ瓜子は、数字の上で彼女の強さを思い知ることができた。

 彼女は試合のほとんどが時間切れの判定勝負であったが、そういった際には必ず3対0のフルマークであったのだ。

 それは彼女がすべての試合において、第一ラウンドから最終ラウンドまで優勢に立っていたという事実を示している。それは全試合KO勝利というのとはまったく異なる意味で、驚異的な記録であるはずであった。


 パワーとスピードとテクニックは言うに及ばず、スタミナやメンタルや戦略の面にも隙はない。瓜子がこれから立ち向かうのは、そういう類いの化け物であったのだ。


 そして奇異なることには、ユーリが対戦するレベッカ選手もおおよそ同じような評価であったのだった。


「イヴォンヌとレベッカは所属するジムも異なっているのに、驚くほどファイトスタイルが似通っている。それはきっと、いずれのジムにおいてもMMAで勝つための最適解が同一であるためなのだろう。普通はそこに選手個人の個性やエゴといったものが入り混じるが、イヴォンヌとレベッカは機械のような正確さで最適解の行使を貫いている。そして、それを実現するための才能を持ち、その才能を最大限に活用できるだけの稽古を積んでいるのだろうと思う。……だそうだわよ」


 そのように語っていたのは、エイミー選手である。レベッカ選手と同じ階級であるのは、エイミー選手やランズ選手であるのだ。

 そして彼女たちも、レベッカ選手に敗れている。かつて『アクセル・ロード』に抜擢された、《ビギニング》所属のバンタム級の選手――エイミー選手、ランズ選手、イーハン選手、ロレッタ選手、ルォシー選手の五名は、帰国後に立て続けにレベッカ選手の王座に挑戦させられて、そして全員が敗北を喫することになったのだった。


「あれは『アクセル・ロード』で結果を出せなかった私たちにとっての、通過儀礼だったのだろう。《ビギニング》の威信を守るためにも、必要な措置だったのだろうと思う。そして、運営陣の思惑はどうあれ、私たちは誰もレベッカにかなわなかった。文字通り、レベッカは《ビギニング》最強の選手なんだ。……だそうだわよ」


 もちろん瓜子も、それらの試合映像はすべて確認することになった。北米の大手配信サービス企業と提携した《ビギニング》の過去映像は、見放題であるのだ。それは《ビギニング》の世界進出プロジェクトの一環であったが、出場選手にも大きな恩恵をもたらしていた。


 そして、それらの試合から受けた印象は――確かに、イヴォンヌ選手と似通っていた。レベッカ選手の動きがあまりに的確かつスムーズであるために、手も足も出ない対戦相手のほうが弱く見えてしまうのだ。


 ユーリをあれだけ苦しめたエイミー選手やイーハン選手も、魅々香選手を苦しめたランズ選手も、多賀崎選手を苦しめたロレッタ選手も、沙羅選手をスタミナ切れに追い込んだルォシー選手も、レベッカ選手の前では赤子同然であったのである。


 レベッカ選手とイヴォンヌ選手が規格外であるのは、どんなタイプの相手でも同じような試合運びで打ち負かしてしまうことにあるのだろう。

 ストライカーでもグラップラーでもオールラウンダーでも、パワータイプでもスピードタイプでもテクニックタイプでも、大柄でも小柄でも、勢い重視の選手でも慎重な選手でも――いつしかアリジゴクのように自分のフィールドに引き込んで、攻め手を潰してしまうのだ。それは確かに、化け物の名に値する所業であった。


 そうして理屈の上では彼女たちの強さも明白であるのに、いざ試合模様を拝見すると、何がそんなに強いのかもわからない。彼女たちはただ成すべきことを淡々と成し遂げて、最後に判定で完全勝利をものにしてしまうのだった。


「だからやっぱりこっちとしては、自分の強みをぶつけていくしかないんだよ。猪狩は機動力と多彩な打撃技、桃園さんは打撃技の破壊力と寝技の技術だな。戦闘マシーンだか何だか知らないが、そんなものは最後に人間様に屈服するのが定番の結末だろ」


 強い意欲をあらわにしながら、立松はそんな風に言っていた。

 これはもう、タイトルマッチが決定してから何度となく繰り返されてきた言葉である。そもそも瓜子とユーリは王道と呼ぶに値しないスタイルで勝利をあげてきたので、それを貫き通すことでしか勝機はつかめないのだろうと思われた。


「猪狩は組み技を回避しながら、打撃技を叩き込む。ただし、テイクダウンを怖がってたらチャンスも生まれない。テイクダウンを取られるリスクを背負った上で、自分から積極的に攻め込んでいくんだ。それでテイクダウンを取られたら、死に物狂いで立ち上がる。それを繰り返して、相手のリズムをぶっ壊すしかない」


 それがごく早い段階から打ち立てられた、瓜子の基本戦略であった。


「いっぽう桃園さんは、荒っぽい打撃技でかき回すしかないだろう。相手が逃げるようだったら、アナ・クララ選手のときみたいにガードを固めて追いかけまくってもいい。五分の条件で組みつければ、一方的に不利ってことにはならんだろう」


 と、ユーリはブラジル大会を経たことで、基本戦略に多少の調整が加えられた。そちらで対戦したアナ・クララ選手もオールラウンダーめいたファイトスタイルでポイントゲームを仕掛けてきたため、応用の可能性を見出すことがかなったのだ。


 そしてやっぱり瓜子とユーリは、根本の部分が逆のベクトルとなっている。ストライカーである瓜子はスタンドで、グラップラーであるユーリはグラウンドで、それぞれ勝機をつかまなければならないのだ。それで似たようなタイプの対戦相手をあてがわれながら、まったく異なる戦略を授けられたわけであった。


 しかしけっきょく何にせよ、相手がオールラウンダーである以上は、こちらもまんべんなく鍛えなければならない。得意な部分ではオフェンスを、苦手な部分ではディフェンスを、それぞれ磨き抜く必要があるのだ。それが稽古にいっそうの過酷さをもたらすのだった。


(それでもこんなに頼もしいスパーリングパートナーがそろってるのは、ありがたい限りだよな)


 打撃技であればサキと巾木選手と蝉川日和、寝技であれば鞠山選手と横嶋選手とランズ選手、組み技を含むオールラウンドでは高橋選手とグヴェンドリン選手とエイミー選手――女子選手に限っても、これだけの顔ぶれなのである。そこにユニオンMMAの男子選手や各陣営のトレーナー陣まで入り乱れるのだから、本当に果てのない無間地獄のごとき過酷さであった。


 そしてもちろんプレスマン陣営も、他陣営のために力を尽くしている。そうして日数を重ねるごとに、トレーニングルームには打倒アディソン、打倒プログレスの熱気がいよいよ高まっていったのだった。


「グヴェンと対戦するレッカーはフリーの立場でアディソンの世話になってただわけど、この数ヶ月で正式な所属選手になったようだわね。おそらくうり坊に負けたことで、火がついたんだわよ」


「それはいっそう手ごわくなりそうですね。でも、グヴェンドリン選手ならリベンジできますよ」


「ハイ。ワタシ、ガンバります。ウリコ、オいつきます」


 かつてそれぞれ瓜子に敗北したグヴェンドリン選手とレッカー選手が、対戦するのだ。そしてグヴェンドリン選手はレッカー選手にも敗北した経験があるので、雪辱を晴らす絶好のチャンスであった。


 他なる女子選手たちもそれぞれ難敵を迎えているため、意欲のほどにまさり劣りはない。八名もの出場選手が同じ場で稽古を積んでいたならば、相乗効果が生まれて然りであろう。これが三度目の海外である瓜子は、これまでで最大の熱気の中で充実した稽古を積むことがかなったのだった。


 そんな中、思わぬ言葉を投げかけてきたのは――ギガント東京本部道場の会長たる人物である。


「猪狩選手と桃園選手こそ、格闘技界の歴史を変える存在だろう。今回の相手はあまりに強敵だが、どうか乗り越えて規範を示してほしい」


 瓜子がそんな言葉を聞かされたのは、過酷なスパーのわずかなインターバルのことであった。

 瓜子の隣ではスパーで取っ組み合っていたグヴェンドリン選手が水分補給をしており、あとはユニオンMMAの会長とトレーナーが英語で熱っぽく語らっている。他なる日本人の関係者は声を張り上げないと届かないぐらいの位置取りであり――だからこそ、その人物は語り始めたのかもしれなかった。


「……そんな風に言ってもらえるのは、光栄です。でも、横嶋選手たちだって、きっと結果を出してくれますよ」


「それとこれとは、関係ない。個人が歴史を動かすほどの力を発揮できる期間は、ごく限られている。そして今、その力を発揮しているのは君たちであるはずだ」


 近からぬ場所でインターバルを取っている他の選手たちのほうに目を向けたまま、ギガントの会長はそう言った。

 腕を組み、真っ直ぐ前を向いた状態で、足もとの瓜子に小声で語りかけているのだ。傍目には、瓜子たちが会話しているとも思われないはずであった。


「かつては俺も、歴史を動かしたという自負がある。そしてその直後に、今度は他者が動かす歴史のうねりに巻き込まれたんだ。そんな経験をした人間は、この世にそう多くはないと思う」


 瓜子も多少は、この人物の来歴をわきまえている。彼は格闘系プロレス団体が瓦解したのちに赤星大吾とたもとを分かち、《パルテノン》を設立して、《レッド・キング》とともに日本の格闘技ブームを活性化させたのだ。


 そしてその後、彼は《JUF》の黎明期に参戦して――ジルベルト柔術の選手に敗れたのである。

《パルテノン》のエースであった彼があえなく敗れさったため、ジルベルト柔術の強さと知名度は日本国内でも揺るぎないものになった。そうして日本の総合格闘技は衰退して、MMAという新たな存在に再生を果たしたわけである。


「イヴォンヌとレベッカに、歴史を動かすだけの力はない。つまり、君たちが敗北したならば、歴史の流れが停滞するということだ。……だからどうか、石にかじりついてでも勝ってもらいたい」


「……押忍。自分がそんな大それた存在だとは思っていませんけれど、全力を尽くすことはお約束します」


「……ああ、それでいい」


 ギガントの会長は最後まで正面を向いたまま、立ち去っていった。

 稽古の初日、瓜子がユニオンMMAの男子選手とスパーを行った際、彼は食い入るような眼差しで見守っていたように記憶しているが――そんな頃から、そんな想念を浮かべていたのだろうか。そういえば、前回の来訪時は彼も男子選手の面倒を見るのにかかりきりであったし、ブラジル大会では練習場所も別々であったので、しっかり稽古をともにするのはこれが初めてであったのだった。


(横嶋選手とは違う意味で、個性的なお人みたいだな)


 しかし何にせよ、瓜子のやるべきことに変わりはない。

 ただ――思わぬ人物から激励を受けて、瓜子の胸にはまた新たな熱が宿されたようであった。

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