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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
32th Bout ~Autumn of Change~
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03 稽古とディナー

「イヴォンヌ対策として、このスパーはきわめて有用だろう。ただし、ウリコ・イカリは尋常ならざる集中力を要求されているはずだ。調整期間に無理をすればコンディションを崩しかねないので、こちらの男子選手とのスパーは時間を決めて限定的に取り組むべきだと思う。……だそうだわよ」


 中断されたスパーを最後までやり遂げたのち、ユニオンMMAの会長はそんな言葉を告げてきた。


「それにしても、ウリコ・イカリのポテンシャルには感服した。ただし、イヴォンヌはさらに小柄で、さらに小回りがきく。こちらの男子選手の攻略は最初の一歩目に過ぎないと認識してもらいたい。この選手を攻略することで、君はようやくイヴォンヌの前に立つ資格を得るのだ。……だそうだわよ」


「押忍。肝に銘じます。外様の自分に助言をくださり、心から感謝しています」


「あんたもいいかげん、自力で意思の疎通を目指すんだわよ」


 そうして会長が身を引くと、複雑そうな面持ちをした立松が近づいてきた。


「今さらながら、ユニオンの会長さんに火をつけちまったみたいだな。こいつは、引き抜きの危険まで出てきたぜ」


「引き抜き? ユニオンMMAに移籍ってことっすか? そんなの、応じるわけないじゃないっすか」


「しかし、《ビギニング》を主戦場にするなら、シンガポールで暮らすのが一番だろうからな。それで篠江会長たちも、北米に根をおろしてるんだからよ」


「プレスマン道場がシンガポールに支部を作って、立松先生たちもみんな移ってくるっていうんなら、自分も考慮しますよ。そうじゃなきゃ、絶対に御免です」


 そうして瓜子が唇をとがらせると、立松は温かい眼差しを浮かべつつ苦笑した。


「ただの軽口に、そんなムキになることはねえだろうがよ。そういうところは、ガキのまんまだな」


「それが立松コーチの父性をくすぐるわけだわね。まったくもって、微笑ましい限りだわよ」


「う、うるせえぞ! ジョン、そっちはどうだったんだ?」


「ウン。ゼヒ、ミチコにランズのスパーリングパートナーをタノみたいってよー」


 ジョンはにこやかに笑っており、高橋選手はヘッドガードの上から頭をかいていた。


「あたしは桃園や猪狩の力になりたくて同行させてもらったんですけど……この場合、どうしたもんでしょうかね?」


「スパーリングパートナーっていっても、一日中お相手をするわけじゃないだろう。世話をかけるが、全員の面倒を見てもらいたいところだね」


「そうですか。ランズの力になれるのは、あたしも嬉しいですよ。しかも、シンガポールのトップファイターの代役を務めるわけですからね」


 ランズ選手が対戦するのは、かつてエイミー選手のライバルであったイーハン選手であるのだ。エイミー選手はこの近年でついにライバルの存在を乗り越えたそうだが、それでもイーハン選手が《ビギニング》のトップファイターであることに変わりはなかった。


「ミチコはイーハンとシンチョウがチカいし、ファイトスタイルもチカいブブンがオオいからねー。きっと、おヤクにタてるとオモうよー」


 それに関しては、出稽古の段階から取り沙汰されている話であった。それでランズ選手がトレーナー陣に頼み込み、高橋選手をスパーリングパートナーに指名してもらったのだろう。汗だくの姿で息をつきながら、ランズ選手も嬉しそうにはにかんでいた。


「猪狩選手も高橋選手も、さすがですね。……それでこちらはサキ選手や鞠山選手にご協力を願いたいのですが、如何なものでしょう?」


 山岡氏がそのように発言すると、立松は「ふふん」と鼻を鳴らした。


「具体的な要請があるなら、話をうかがうよ。実はこっちも横嶋選手にご協力を願いたかったんでね」


「ふむ? 横嶋をご指名ということは、寝技のスパーリングパートナーということでしょうか? ユーリ選手と鞠山選手がそろっていれば、不足はなさそうなところですが」


「そうでもないさ。寝技ってのは、選手ごとにクセが出るもんだからな。色んな熟練者に稽古をつけてもらったら、それだけ応用力が身につくはずさ」


「ではまずサーキットでも回して、それぞれの腕前を再確認しましょうか。……きっとユニオンの会長は、ユーリ選手たちにも度肝を抜かすことになるのでしょうね」


 そうしてようやく、本格的な稽古が開始された。

 プレスマン道場、ギガント・ジム、ユニオンMMAの女子選手が総出で取り組む、地獄のサーキットである。サキと蝉川日和は立ち技のみ、鞠山選手は寝技のみということになったが、それでも過酷さに大差はない。シンガポール陣営の三名はもちろん、巾木選手と横嶋選手も日本有数のトップファイターであったのだった。


(でも……やっぱり地力だったら、アトミックの選手だって負けてないぞ)


 目の眩むような稽古の中で、瓜子はそんな思いを新たにした。

 巾木選手はフライ級、横嶋選手はアトム級であるが、瓜子がこれまで稽古をともにしてきた《アトミック・ガールズ》のトップファイターたちと大きな差は感じない。半年ぶりのスパーでは相手のリズムがつかみにくく、瓜子はなかなかに苦労をさせられることになったが――それでも、根本の思いに変わりはなかった。


 フライ級であれば、多賀崎選手や魅々香選手やマリア選手、アトム級であれば、サキや愛音や小柴選手や大江山すみれや犬飼京菜――これだけの選手が、巾木選手や横嶋選手に引けを取らないことだろう。つまりそれは、瓜子の盟友たちが《ビギニング》に抜擢されてもおかしくはないという事実を指し示していた。


(ただもちろん、日本人選手の枠はごく限られてるんだろうし……そんな何人もの選手を引き抜いたら、今度は日本の興行が立ち行かないもんな)


 だからまずは、実績を残した選手が先頭を受け持つべきであるのだろう。

《アトミック・ガールズ》の王者であった瓜子とユーリ、《パルテノン》の現王者である巾木選手と横嶋選手――今はこの四名が試金石となって、日本人選手の実力を示しているさなかであるのだ。これは昨年の大晦日から開始された話であるので、発展するのはこれからのはずであった。


                 ◇


「……でも、瓜子ちゃんとユーリさんは、四戦目でもうタイトルマッチだもんねぇ」


 横嶋選手がそのように言い出したのは、すべての稽古を終えて夕食を囲んでいるさなかであった。

 今回もプレスマン陣営を歓迎するために、三陣営合同のディナーが開かれたのだ。場所は前回の来訪時にも利用した、屋外のバイキングレストランであった。


 瓜子たちはシンガポール陣営と旧交を温めていたのだが、いつしか横嶋選手も輪の中に加わっていたのだ。相変わらず、彼女は社交的かつ内心が読めなかった。


「もちろん、二人はそれだけの実績を築いてきたけどさ。わたしは三戦目で、大ポカをしちゃったからなぁ」


「ああ、ブラジル大会は残念でしたね。あれは、事故みたいなもんっすよ」


 横嶋選手はブラジル大会において、出会い頭の跳び膝蹴りでKO負けをくらってしまったのだ。あれは犬飼京菜のように狙いすました一撃ではなく、地元の開催で熱を高めすぎた選手の勢い余った一撃であったように思われた。


「それでも、負けは負けだからねぇ。それに、初戦なんかは様子見で格下が相手だったから、ブラジルで勝っててもタイトルマッチまでは辿り着かなかっただろうなぁ。まあ、わたしは次のチャンスをじっくり狙うだけだけどねぇ」


「ええ。同じ日本人選手として、応援してますよ。今回の試合も、頑張ってくださいね」


「そう? でも、わたしが負けたほうが、瓜子ちゃんの大事な先輩や後輩さんたちにチャンスが巡ってくるんじゃない?」


 すると、通訳のために同じテーブルについてくれていた鞠山選手が「ふん」と鼻を鳴らした。


「他人の失敗でチャンスを得ようなんて、志の低い話だわね。本当に実力があったら、他人なんて関係なくチャンスが舞い込んでくるもんだわよ」


「ふうん。鞠山さんもアトミックの王者になったから、いよいよ世界進出ですかぁ?」


「世界進出のしんどさは、このセコンド業で身にしみただわよ。多忙なわたいには、ちょいと難しいプランだわね」


「そうですかぁ。まあ《ビギニング》としても、若手の選手にチャンスをあげたいと思うかもしれませんねぇ」


 横嶋選手が朗らかな笑顔で挑発すると、鞠山選手は意に介した様子もなくにんまりと笑った。


「永遠の十五歳たるわたいは、プロファイターの最年少なんだわよ。とにかくあんたも他人の失敗なんて期待してないで、自力でチャンスをつかむことだわね」


「ええ? わたしが瓜子ちゃんたちの負けを願ってるとでも言うんですかぁ? それはさすがに、心外だなぁ」


「さりとて、《ビギニング》初の日本人王者の座を他人に先んじられるのを笑って眺めていられるほど、野心の足りていない人間だとも思えないんだわよ。だからこそ、自分の失敗が他人のチャンスになるなんていう発想も浮かぶわけだわね」


 横嶋選手を相手にすると、鞠山選手の舌鋒も鋭さを増していく。普段の灰原選手との言い合いがいかに加減されたものであるか、証明されたようなものだ。

 しかし横嶋選手も、それで音をあげるほど簡単な人間ではない。彼女はどこか芝居がかった仕草で頬杖をつき、卓上にのの字を書き始めた。


「そりゃあタイトルマッチを先取りされたら、ジェラシーぐらい感じちゃいますよぉ。でもぶっちゃけ、《ビギニング》でしんどいのはストロー級とバンタム級でしょうからねぇ。それを考えたら、羨ましいって気持ちもかすんじゃうかなぁ」


「ふふん。確かにイヴォンヌとレベッカは、アトム級やフライ級の王者ともひとつレベルが違ってるようだわね」


「でしょう? それが、ブラジルでの試合にも反映されたんでしょうしねぇ。たぶんアトム級とフライ級は、ベルトをブラジリアンに持っていかれちゃうんじゃないかなぁ」


《ビギニング》のアトム級とフライ級の王者はともにブラジル大会で敗北を喫しており、この本国大会ではベルトを懸けてリベンジマッチに挑むのだ。四階級の王者がすべて海外の選手とタイトルマッチを行うという、これはそういう一大イベントであったのだった。


「そうしたら、あんたがベアトゥリスからベルトを奪い返せばいいんだわよ。……まあ、優先順位は下がりそうなところだわね」


「そうですよぉ。ブラジルの選手に王座を取られたら、シンガポールの選手をぶつけまくるでしょうからねぇ。わたしがどれだけ実績を築いたって、順番は最後の最後ですよぉ」


 そんな風に語りながら、横嶋選手は横目で瓜子を見やってきた。


「それでストロー級とバンタム級のベルトまで日本の選手に取られちゃったら、《ビギニング》も大騒ぎだろうけど……実際のところ、勝算はあるのかなぁ?」


「押忍。もちろん結果は神のみぞ知るですけど、負けるつもりで挑んだりはしないっすよ」


「……イヴォンヌの過去の試合を見まくっても、そんな風に言えるんだぁ? まさか、あいつらの力を見誤ってないよねぇ?」


「押忍。イヴォンヌ選手やレベッカ選手は、強さがわかりにくいってお話っすよね。いつも同じ調子で試合を進めて簡単に判定勝利をあげるから、むしろ相手が弱く見えるっていう寸法でしょう?」


「うん。ひかえめに言っても、あいつらは化け物だと思うよぉ」


 そう言って、横嶋選手は内心を隠したいかのように目を細めた。


「まあ、それは瓜子ちゃんやユーリさんも同じことだけどさぁ。戦闘マシーンみたいなシンガポール陣営と、ここぞという場面で大爆発する瓜子ちゃんたちは、同じ化け物でもまったく正反対のタイプだから……何がどうなるか、さっぱり見当もつかないんだよねぇ」


「だからこそ、スチット代表もこの二人を挑戦者に指名したんだろうだわよ。ベリーニャなんかも、同じようなもんだわね」


「ベリーニャ? ああ、あっちはブラジルの怪獣娘とやりあうんでしたっけ。確かに、同じような構図ですねぇ」


 その言葉には、瓜子は首を傾げたいところであった。確かにベリーニャ選手はどんどん神がかった強さに進化しているが、イヴォンヌ選手やレベッカ選手とはまったくイメージが重ならなかったのだ。


(ベリーニャ選手は戦闘マシーンじゃなくて、まさに達人って感じだからなぁ。それに……あたしたちは、ベリーニャ選手の違う姿も見てるからな)


 ユーリと対戦した頃のベリーニャ選手は戦闘マシーンでも達人でもなく、野生の獣のように躍動していた。それでユーリと激烈な死闘を演じて――その末に、ベリーニャ選手は肋骨をへし折られ、ユーリは右腕をへし折られることになったのだ。


 さらに言うならば、ベリーニャ選手は赤星弥生子とも死闘を演じている。あれは十年以上も昔の映像であったが、やはりベリーニャ選手は赤星弥生子ともども野生の獣めいた迫力であったのだ。


 そしてベリーニャ選手は、赤星弥生子とユーリのことを特別視している。

 赤星弥生子に対しては、いまだに勝つすべが見つけられないと明言しており、ユーリに対しては――もう一度対戦したいと、年をまたいで二度も宣言していたのだ。


(だから、もしかすると……ベリーニャ選手にとっては、《アクセル・ファイト》のトップファイターすら物足りないのかもしれないな)


 何せベリーニャ選手は《アクセル・ファイト》に参戦して以来、まだ一回も有効打をもらったことすらないのだ。世界最高峰の舞台で五試合連続ノーダメージの完全勝利というのは、誰の目から見ても化け物の所業であるはずであった。


 そこで準備されたのが、今回のガブリエラ選手であったのだ。

《アクセル・ファイト》の過去映像を見返して、瓜子もその意味が理解できた。彼女は化け物というか、猛獣のごとき存在であったのだ。瓜子の中でもっともイメージが近いのは、出会ったばかりの頃のメイ――暴虐なる力で山垣選手や亜藤選手を血祭にあげた、メイ=ナイトメアであったのだった。


 あのガブリエラ選手であれば、ベリーニャ選手の本来の姿を引き出せるかもしれない。

 瓜子は内心で、そんな期待をかきたてられていた。


「まあ、日本人選手が《ビギニング》の王座についたら日本でも評判になって、MMAの認知度を上昇させてくれるだろうからねぇ。そういうメリットに目を向ければ、このジェラシーを抑えることもできるかなぁ」


 と、横嶋選手の笑いを含んだ声が、瓜子を現実に引き戻した。

 瓜子はそちらを振り返りながら、「押忍」と笑ってみせた。


「自分だって横嶋選手を応援してるんですから、横嶋選手にも応援してもらえたら嬉しく思います。シンガポールに進出した日本人選手同士、仲良くさせていただきたいところっすね」


「そんな可愛い笑顔を見せつけられたら、問答無用で応援したくなっちゃうなぁ。瓜子ちゃんの人たらしのスキルも、なかなかのもんだよねぇ」


 横嶋選手はくつくつと笑い、鞠山選手は肩をすくめた。


「どうでもいいけど、グヴェンたちが物欲しそうなお顔になってるんだわよ。まだ喋り足りないなら、いいかげん翻訳アプリを活用するべきだわね」


「ああ、すみません。せっかく歓迎会を開いてくださったのに、ほったらかしにしちゃって……ユーリさんは言葉が通じるんですから、すねる前に参加してくださいよ」


「すねてないですぅ」


 そうしてその後は翻訳アプリと鞠山選手の力でシンガポール陣営とも楽しく語らい――稽古初日の夜は、賑やかに過ぎ去っていったのだった。

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