13 決意表明
「さあ、それじゃあ閉会式だね」
小笠原選手のそんなひと言で、赤コーナー陣営の面々は試合場に向かうことになった。
プレマッチで勝利した照本菊花ともう一名のアマチュア選手、ストロー級の王座を獲得した鞠山選手、トーナメント戦を敗退したオリビア選手、決勝戦を棄権した小笠原選手、リザーブマッチに勝利した武中選手、査定試合に勝利した浅香選手、ワンマッチに勝利した香田選手――そして、エキシビションマッチに出場した瓜子とユーリという顔ぶれである。
瓜子たちが入場口の扉をくぐると、盛大な歓声に出迎えられる。
そして青コーナー陣営からも、本日の出場選手たちが入場していた。
プレマッチで敗北した二名のアマチュア選手、決勝戦で敗退した灰原選手、それぞれの準決勝戦で敗退した山垣選手、亜藤選手、ジジ選手、リザーブマッチで敗北を喫した宗田選手とサム・ウヌ選手、査定試合で敗北を喫した《フィスト》のアマチュア選手、ワンマッチに敗北した加藤選手――結果的に、青コーナー陣営は全員が黒星をつけられていた。赤コーナー陣営で敗北したのは、オリビア選手ただひとりであったのだ。
しかし陣営など関係なく、王座を獲得したのは高橋選手と鞠山選手である。
ケージの上では、勝利者インタビューを終えた高橋選手がフェンスにもたれて荒い息をついている。チャンピオンベルトを巻いた身として、座ることもままならなかったのだろう。いっぽう青田ナナはリングドクターの処置を終えて、ひとり黙然と座り込んでいた。
「おめでとう、高橋。青鬼の執念を上回ったね」
ケージに足を踏み入れるなり、まずは小笠原選手が祝福の言葉とともに握手を求める。赤コーナー陣営の過半数がそれに続き、瓜子もそのひとりであった。
「高橋選手、おめでとうございます。最初から最後まで、素晴らしい内容でした」
「ありがとさん……これも、あんたのおかげだよ……」
高橋選手は熾烈な打撃戦の痕跡が残された顔で気さくに笑いながら、自分の右肘を手の平で叩いた。瓜子直伝のバックスピンエルボーで勝利したことを述べているのだ。それは高橋選手がプレスマン道場で学んだ技のひとつに過ぎなかったが、瓜子も心から誇らしく思うことができた。
『それでは、閉会式を開始いたします! まずは、パラス=アテナの駒形代表、本日の総括をお願いいたします!』
大歓声の中、小柄な駒形代表がおずおずと進み出る。相変わらずの恐縮しきった面持ちであるが、ただその目もとには昂揚と充足の思いがにじんでいるように見受けられた。
『こ、駒形でございます。本日も出場してくださった選手の方々およびご来場いただいた皆様のおかげで、素晴らしい一夜となりました。まずはすべての方々に、熱く御礼を申し述べさせていただきたく存じます』
駒形代表のつつましい人柄も、この二年余りですっかり周知されたのだろう。客席の人々も、温かい拍手で応えてくれた。
『ほ、本日の試合結果により、バンタム級の新王者は高橋選手、ストロー級の新王者はまりりん選手に認定されました。強豪選手のひしめく各階級で確かな結果を残したお二人は、王者に相応しい存在でありましょう。これからはアトム級の王者サキ選手およびフライ級の王者魅々香選手ともども、《アトミック・ガールズ》を牽引していただきたく存じます』
そうして駒形代表が身を引くと、リングアナウンサーは嬉々とした面持ちで鞠山選手にマイクを差し出した。
『では次に、ストロー級の新王者たるまりりん選手にあらためてお言葉を頂戴いたします! まりりん選手、新たな王者として抱負などがありましたら、是非お聞かせください!』
『抱負も何も、わたいはストロー級の絶対王者として君臨するだけだわね。挑戦者の選定もひと苦労だわけど、楽しいマッチメイクを期待してるだわよ。……あんまりわたいを退屈させるようだったら、《フィスト》や《パルテノン》にでも出向いて三冠王を目指すことにするだわよ』
『三冠王! それは《アトミック・ガールズ》と《フィスト》の二冠王であった前王者、猪狩選手をも上回る偉業でありますね!』
『まあ、《パルテノン》とは選手を行き来させるご縁もなかっただわから、致し方ないだわね。でも、《アトミック・ガールズ》と《パルテノン》はそれぞれ二名ずつ《ビギニング》に女子選手を輩出してるんだわよ。ここに古豪の《フィスト》を加えた三団体が日本を代表する団体であることに疑いはないんだわよ。その三つのベルトをゲットできたら、まごうことなき日本最強ということだわね』
きっと鞠山選手は格闘技界の活性化を求めて、そのような言葉を口にしているのだろう。王座を獲得したその日にそこまで遠くを見渡せるのが、鞠山選手の凄さであった。
『《フィスト》との交流も密になってまいりましたので、《パルテノン》との交流も楽しみなところでありますね! まりりん選手、力強いお言葉をありがとうございました! ……それでは続きまして、バンタム級の新王者、高橋選手にもお願いいたします!』
高橋選手はフェンスから背中を引き剥がすようにして、よたよたと進み出た。
その姿に、また歓声がうねりをあげる。高橋選手はゆったりとした笑顔で客席を見渡してから、リングアナウンサーと向かい合った。
『高橋選手、あらためて戴冠おめでとうございます! これで天覇館東京本部道場は、フライ級の王者たる魅々香選手に続いて二本目のチャンピオンベルトを獲得したことになりますが、これは実に十年ぶりの快挙であるのです! 道場の関係者はもちろん、古くから天覇館を応援していた方々にとっても、今日という日は忘れることができないでしょうね!』
十年ぶり――たしかその時代には、天覇館東京本部道場の選手が現在で言うアトム級のベルトを所持していたのだ。そしてまだミドル級であった来栖舞ともども、創成期の王者として君臨していたのだった。
こちらのリングアナウンサーはその時代からこの職務を務めていたので、彼自身が大きな感慨に見舞われているのだろう。その熱意が伝播したかのように、会場からはさらなる歓声が飛び交ったが――高橋選手のゆったりとした笑顔に変わるところはなかった。
『温かい声援、ありがとうございます。……でも、自分の戴冠に納得がいっていない人も多いんじゃないですか? 何せ自分は二ヶ月前、そこの青田選手に負けている身ですからね』
高橋選手の思わぬ言葉に、歓声がどよめきに切り替えられる。
しかし瓜子は、何も心配せずに高橋選手の勇姿を見守ることができた。高橋選手の落ち着いた笑顔が、瓜子に安心をもたらしてくれたのだ。
『自分がバンタム級に転向してからの戦績は、四勝三敗です。青田選手とはひとつずつ星を分け合って、その前には小笠原選手とジジ選手にも負けることになりました。これで王者を名乗るのは、おこがましいと思います。少なくとも、これまで王座を担ってきた桃園選手や小笠原選手には見劣りすることでしょう』
ユーリは「あうう」と頭を抱え込んだが、小笠原選手は穏やかな笑顔で高橋選手の姿を見守っている。きっと、瓜子と同じような心持ちであるのだろう。
『でも、トーナメント戦の妙というやつで、今日は自分がこのベルトを巻くことになりました。リザーブマッチをお引き受けしたのは自分の判断なんですから、その結果から逃げるわけにはいきません。自分が王座に相応しい人間であるかどうかは、これからの結果で示していきたいと思います。まずは以前に敗北した小笠原選手とジジ選手に打ち勝って、青田選手とも五分の状態で勝ち越して……そこまでいって、やっと及第点でしょう。これまでの偉大な王者たちに顔向けできるように死力を尽くしますので、どうかよろしくお願いします』
そうして高橋選手が一礼して身を引くと、どよめいていた客席に新たな歓声が爆発した。
やはり、一度は敗退した身で優勝してしまうというのは、誰にとっても割り切れない部分が残されるのだろう。そして、もっとも割り切れないのは高橋選手本人であり――だからこそ、誰よりも早く解決の道を見出して、その行く先を指し示すことができたのだ。高橋選手の実直さと強靭さに、瓜子も心を震わせながら拍手を送ることになった。
『高橋選手、ありがとうございました! わたしも心して、過熱するバンタム級戦線の行く末を見届けさせていただきたく思います! ……では次に、前王者同士のエキシビションマッチにおいて名勝負を繰り広げた、猪狩選手にお言葉を頂戴いたします!』
高橋選手の素晴らしい決意表明の後に自分が引っ張り出されるのかと、瓜子は恐縮したいところであった。
しかしこれも、前王者としての責務であるのだろう。後に続くユーリのためにも、ここは瓜子が踏ん張らなくてはならなかった。
『押忍。あらためて、今日はご来場ありがとうございました。容赦のない先輩選手のおかげでさっきはまともに喋れませんでしたが、なんとか自分の足で歩けるぐらい回復することができました』
視界の端でまたユーリが頭を抱え込んでいるのを確認しながら、瓜子はそのように口火を切った。
『トーナメント戦は、どちらも素晴らしい内容でした。バンタム級もストロー級も強豪選手が居揃っているので、同じ顔ぶれでトーナメント戦を開いても同じ結果にはならないんじゃないかと思います。でも、そこで勝ち抜いた鞠山選手――あ、いや、まりりん選手と高橋選手は、王者に相応しい存在であるはずです。あとは高橋選手の仰る通り、今後の活躍で《アトミック・ガールズ》のベルトにいっそうの重さが与えられることを期待しています』
『猪狩選手、ありがとうございました! それでは、そんな猪狩選手を数々の寝技で苦しめたユーリ選手も、ひと言お願いいたします!』
『うにゃあ。ユーリは何も、偉そうなことなど言えないのですけれども……でもでも、今日も素敵な試合ばかりでしたぁ。これからも、《アトミック・ガールズ》の試合を楽しみにしておりますぅ』
『ユーリ選手と猪狩選手は、間もなく《ビギニング》のタイトルマッチを迎えるお立場ですよね! そちらに関しても、ひと言ずつお願いいたします!』
再びマイクを向けられて、瓜子は『えーと』と言いよどんだ。
『《ビギニング》では、《アトミック・ガールズ》の前王者として恥ずかしくない試合を目指します。イヴォンヌ選手は強敵ですので、絶対に勝つとは言えませんが……勝つために、すべての力を尽くしたいと思っています』
『わたしも心して、見守らせていただきます! それではユーリ選手も、ひと言お願いいたします!』
インタビューが苦手なユーリは、「うにゃあ」と身をよじる。
それからふいに、ぽんと手を打った。
『そういえば、まりりん選手と高橋選手にはそちらの試合のセコンドをお願いしているのですよねぇ。新王者のお二人にセコンドをお願いするなんて、なんだかキョーシュクのイタリなのですぅ』
すると、客席に大きなどよめきが広がった。
自分が何かおかしなことを言ってしまったのかと、ユーリは「うにゃにゃあ」と頭を抱え込む。しかしそれは秘密ごとでも何でもなかったので、べつだんユーリに責任はないはずであった。
(でも、そうか……あたしもそこまで、頭が回ってなかったな)
新たな王者となった二名がそろってシンガポールに出向くなど、なかなか不可思議な偶然である。
さらに言うならば、セコンドの中にはアトム級の王者たるサキも含まれているのだ。《アトミック・ガールズ》の四名の王者のうち三名までもが同じ日にセコンドを務めるなどとは、なかなかありえない話であるように思えた。
『その件についてはアタシも聞いてたのに、すっかり忘れてました。さすが桃園元チャンピオンは、機転がききますね。新たな王者になったお二人にはセコンドの業務を頑張ってもらうかたわらで、《ビギニング》の凄さを肌で感じてきてもらいたいと思います』
と、ユーリがへにょへにょしている間に、小笠原選手がさりげなく進み出た。
『なるほど! そういえば、この夏には《ビギニング》の有望な選手がプレスマン道場に集い、小笠原選手もともに汗を流していたそうですね!』
『ええ。その三人も、本当に強かったですよ。でも、桃園選手や猪狩選手は公式試合で勝利していましたし……以前の「アクセル・ロード」では、魅々香選手も勝っていました。《アトミック・ガールズ》の王者には世界で戦える力があるっていう証拠のひとつだと思います』
小笠原選手のそんな言葉に、客席の熱気の内圧が高まっているようである。小笠原選手はこういう場において決して昂らない気性であるが、その言葉には人の情念をかきたてる何かが備わっているのだ。
『きっと桃園選手や猪狩選手は十月の試合でも結果を出して、《アトミック・ガールズ》の王座にいっそうの重い意味を持たせてくれるでしょう。アタシもそれに追いつけるように、まずは高橋選手とのタイトルマッチを目指したく思います』
そんな言葉を告げられて、瓜子はますます身が引き締まる心地である。
しかしまた、それは最初から瓜子の胸に宿されていた思いであった。《アトミック・ガールズ》を卒業した瓜子とユーリは、別なる形で《アトミック・ガールズ》の支えになるのだ、と――瓜子たちはそんな思いで、世界の強豪に立ち向かっているつもりであった。




