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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
32th Bout ~Autumn of Change~
857/955

06 バンタム級・準決勝戦(中)

「今日は完敗でしたー。やっぱり、ナナは強いですねー」


 オリビア選手もまた、柳原とジョンに左右から抱えられながら控え室に戻ってきた。

 しかしその面長の顔には、充足した笑みが浮かべられている。オリビア選手はきわめて明朗な人柄であったが、こういう場面で無理に強がる人間ではないはずなので、きっと本心からの笑顔であるのだろうと思われた。


「トキコはジジに勝てますかねー。ワタシはもう大丈夫だから、試合を観てもいいですかー?」


「だったら、マットに座ったほうがいい。邑崎、頼む」


 そのように応じる柳原のほうこそ、無念でいっぱいの面持ちである。しかしオリビア選手の気持ちを考えて、ぐっとこらえているのだろう。いっぽうジョンは、穏やかな笑顔であった。


 やがてモニターの前に薄手のマットが持ち込まれて、オリビア選手はそこでクールダウンを開始する。そして愛音が気合の入った顔つきでユーリのそばに参じた。


「ここから愛音は、ユーリ様のセコンドであるのです。なんでもお申しつけていただきたいのです」


「ありがとぉ。それじゃあユーリもモニターを拝見しながら、のんびりウォームアップを始めるねぇ」


 第三試合まで終了したならば、瓜子とユーリの出番まであと三試合なのだ。瓜子もまた、セコンド不在のままウォームアップを開始することにした。


 モニターでは、小笠原選手とジジ選手が入場している。

 準決勝戦の、最後の試合だ。こちらの勝者が、バンタム級のタイトルを懸けて青田ナナと対戦するわけであった。


 無差別級から階級を落とした小笠原選手と、五十六キロ級から階級を上げたジジ選手である。それはまた、かつての無差別級のトップスリーと当時のミドル級の絶対王者の対戦という、古参のファンにとってはひとつのドリームマッチであるはずであった。


(たしかこの二人は、同じぐらいの時期に活躍し始めたんだもんな)


 小笠原選手は来栖舞と兵藤アケミの二枚看板であった無差別級に殴り込み、ジジ選手は並み居る日本人選手を蹴散らして絶対王者に成り上がった。秋代拓海が引き起こした分裂騒ぎで沈滞気味であった《アトミック・ガールズ》で鮮烈なデビューを果たしたのが、この両名であったのだ。ある意味では、中興の祖とも呼べるような存在であるはずであった。


 なおかつ、外見的にもかなりのインパクトを持つ両者である。

 小笠原選手はごく優しげな容姿をしているが百七十八センチという長身の持ち主であり、ジジ選手は全身に不気味なタトゥーを入れているのだ。そんな両者がケージの中央で向かい合うと、客席からは熱気に満ちみちた歓声が巻き起こった。


 十三センチも身長で劣っている分、ジジ選手のほうが肉厚の体格をしている。そして彼女はしなやかなボディラインであったが、骨格の頑健な白人女性だ。手足の太さや背中の厚みなどは、小笠原選手を遥かに上回っていた。


(長身を活かした戦い方をする小笠原選手と、ものすごい突進力を持つジジ選手だ。それでジジ選手は組み技や寝技も鍛え始めたから……これはやっぱり、距離の取り合いが鍵になるのかな)


 ウォームアップに励みながら、瓜子はそんな思いを胸にする。

 オリビア選手はアイシングとマッサージを受けながら、穏やかな眼差しでモニターを見守っている。オリビア選手はこの近年で、ジジ選手と引き分けた身であった。


(トーナメントの大本命はやっぱり小笠原選手なんだろうけど、バンタム級は実力が伯仲してるから誰が勝ってもおかしくない。頑張ってくださいね、小笠原選手)


 瓜子がそのように念じる中、試合開始のブザーが鳴らされる。

 小笠原選手はゆったりとしたアップライト、ジジ選手はスタンダードなクラウチングだ。そして、まずは尋常に牽制の攻撃が交換されるのも、先刻の試合と同様であった。


(いちおうこれも、ストライカーとオールラウンダーの対戦ってことになるのかな)


 ただし、小笠原選手も寝技の技術を磨いているし、ジジ選手も数年前までは生粋のストライカーであったのだ。組み技や寝技の技術に、そこまでの差はないのかもしれなかった。


 また、両名をよく知る人物も、そういった推察を立てていた。

 本日は来場していない、天覇館の鬼沢選手である。彼女は小笠原選手とジジ選手の両方と対戦の経験がある、貴重な存在であった。


「ウチも寝技はからきしやけん確かなことは言えんばってん、寝技で相手にしとうなかんなぁ小笠原んほうやな」


 小笠原選手に助言を乞われた際、鬼沢選手はそう言っていた。小笠原選手は手足が長いため、寝技でもなかなか厄介な相手であるのだ。そして小笠原選手はかつての対戦で、鬼沢選手から腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを奪取していたのだった。


 なおかつ小笠原選手は、半月にわたってシンガポールのトップファイターと稽古を積んでいる。外国人選手のパワーとテクニックに関しては、それで十分に経験を詰めたはずだ。また、ジジ選手がどれだけ稽古を積んでいたとしても、オールラウンダーとしての完成度はエイミー選手やグヴェンドリン選手のほうがまさっているはずであった。


(ジジ選手は二十代の半ばまで生粋のストライカーだったんだから、数年ていどで完璧なオールラウンダーを目指すのは難しいだろう。ただ、やっぱり……用心するべきは、規格外の突進力だろうな)


 瓜子はそのように考えたが、モニター上のジジ選手はごく穏当に試合を進めている。もちろん両者は極限まで神経を集中しているのであろうが、遠い間合いでの探り合いなので危険が生じる気配はなかった。


(いまやジジ選手も、正道MMAとラフファイトの二刀流だ。そんな両面を持つ選手は少ないから、やりづらいよな)


 瓜子がそのように考えたとき、じわりと戦況が動いた。

 小笠原選手が遠い距離から、中段と上段の蹴りを振るい始めたのだ。

 ゆったりと見える挙動であるので、おそらくジジ選手の接近を誘っているのだろう。組み技を仕掛けられても怖くないという自信のほどがうかがえた。


 いっぽうジジ選手はタトゥーだらけの顔でにやにやと笑いながら、余裕をもってステップを踏んでいる。彼女はそういう表情で、内心を隠しているのだ。オリビア選手との対戦でKO寸前に追い込まれながら笑っていた姿は、今でも瓜子の脳裏に焼きつけられていた。


 それでもなお、試合は静かに続けられていく。

 ジジ選手が頭を振って、より小刻みにステップを踏み始めたが、なかなか深く踏み込もうとはしなかった。


 そうして歓声に焦れたような響きが混じり始めた頃――また小笠原選手のほうが、アクションを起こした。じわじわと間合いを詰めながら、勢いのある拳を振るい始めたのだ。


(小笠原選手は、組みに来た相手を首相撲で捕まえる練習に時間を割いてたからな。自信をもって、前に出られるんだろう)


 このように、懇意にしている選手は内情をわきまえているため、心安らかに見守ることができる。

 それに対して不気味であるのは、ジジ選手だ。規格外の突進力を持つ選手がなかなかその手腕を見せないというのは、やはり落ち着かないものであった。


(確かにこれだと、いっそ近づいてこいって気持ちになるのかもしれない。でも、小笠原選手だったら焦ることはないだろう)


 小笠原選手はきわめて沈着な気質であるし、その背後には立松とサキが控えている。たとえあちらが格闘技ブームの全盛期を担ったハンサム・ブロイを擁していても、瓜子はまったく負けているとは考えていなかった。


 そんなブロイ氏は、フェンスの向こう側で声を張り上げている。

 普段は温厚な紳士であるが、試合中にはエキサイトする気質であるのだ。そのフランス語のアドバイスをどのように受け取っているのか、ジジ選手の表情と挙動に変わりはなかった。


 ここまでの試合がすべて一ラウンド決着であったため、ひどくのんびりしたペースであるように感じられる。

 気づけば、残り時間も二分足らずだ。両者は牽制と誘いの攻撃を出すだけで、三分以上も過ごしていた。


「準決勝までは二ラウンドしかないのに、ずいぶん呑気だな。ポイントも狙わずに、一ラウンド目を終えるつもりか?」


 と、オリビア選手の面倒を見ながら、柳原が焦れたような声をあげる。

 それに答えたのは、ジョンであった。


「ラウンドのユウセイをインショウづけるのは、サイゴのイップンでジュウブンだからねー。これはトキコもジジもすごくケイカイしてるっていうショウコなんじゃないのかなー」


「ええ、まあ、あっちだって小笠原さんの強さはわきまえてるでしょうからね。それじゃあこれは、向こうの作戦通りってことですか?」


「うん。だからトキコも、サソおうとしてるんじゃないかなー」


 遠い間合いを保ちながら、小笠原選手は長い手足でしきりに攻撃を出し続けている。踏み込みの鋭いジジ選手であれば、組みつくチャンスはいくらでもあったはずだ。

 しかし、ジジ選手は牽制の攻撃を返すばかりで、大きな動きを見せない。これはマスト判定でも、ポイントのつけようのない展開であった。


「もしかしたら、ジジもまだまだテイクダウンやネワザのショウブにジシンがないのかもねー。イマのところ、アトミックではあんまりいいケッカがデてないからさー」


「だとしたら、最後に狙うのは乱打戦ですか。それならむしろ、小笠原さんも楽でしょうね」


「そうかなー? ジジのラッシュは、そんなにアマくないとオモうけどねー」


 そんな言葉が行き交う中、ついにラウンドの終了まで残り一分となり――そこでついに、ジジ選手が動いた。

 堰を切ったような突進と、暴虐なるラッシュである。ウォームアップに意識を向けていた瓜子がぎょっとするような、突然の変貌であった。


 いきなり懐に飛び込まれた小笠原選手はガードを固めながら、何とか距離を取ろうとする。

 しかし、ジジ選手の突進力がそれを許さない。『凶拳』の異名に相応しい猛打の嵐である。かつてはユーリも、この脅威にさらされたのだった。


 ジジ選手の拳は頭にもボディにもまんべんなく飛ばされるため、小笠原選手もなかなか反撃できない。相手はテイクダウンを狙っている可能性もあるので、迂闊に膝蹴りを出すことも難しいのだ。ここは無理をせず、防御に徹するべきであるのかもしれなかった。


(一分間もラッシュを続けるのは不可能だし、そんな真似をしたら次のラウンドで自滅する。勝負は、離れ際だ)


 グローブ空手で腕を磨いた小笠原選手であれば、きっとこのままでは終わらないだろう。瓜子はそのように信じて、暴虐なる乱打のさまを見守った。


 そうして三十秒が経過すると、ようやくジジ選手が下がろうとする。

 そこで小笠原選手がふわりと踏み込んで、右フックを放った。


 踏み込みは軽やかだが、攻撃の手は鋭い。

 ジジ選手はすかさずダッキングで逃れようとしたが逃げきれず、こめかみよりやや上部をしたたかに殴られることになった。


 その拳の勢いに押された格好で、ジジ選手は後ずさっていく。

 小笠原選手はさらに追撃の左ミドルを繰り出したが、それは頑丈そうな右腕でしっかりガードされた。


 ジジ選手は遠い位置で呼吸を整え、小笠原選手は胸の前で右手の指先を振っている。当たりが強すぎて、拳が痛いぐらいであったのだろうか。馬鹿のような骨密度を持つ瓜子には、あまり経験のない話であった。


 その後はどちらも積極的に動こうとはせず、第一ラウンドは終了である。

 最後の最後まで、ジャッジ泣かせの試合模様であった。

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