ACT.1《アトミック・ガールズ》九月大会 01 入場
そうして、秋がやってきた。
九月に入ってもまだまだ残暑は厳しかったが、瓜子の認識としてはまぎれもなく秋の到来である。
さまざまなイベントにあふれかえっていた夏に対して、秋には二つの予定しか決まっていない。すなわち、《アトミック・ガールズ》の九月大会と《ビギニング》の十月大会である。
ただし、秋の終わりには『トライ・アングル』のカバーアルバムをリリースする予定があったため、九月に入るなりそちらの仕事が開始されることになった。
メインとなるのはもちろん音源のレコーディングと、そしてジャケットやライナーノーツや特典グッズにまつわる撮影の作業である。ユーリが十月初旬に《ビギニング》の試合を控えている関係から、すべて前倒しで進められることになったのだ。
なおかつユーリと瓜子は『トライ・アングル』と別枠でも、二人まとめて小さからぬ仕事を受け持つことになった。
携帯端末の開発と販売を手掛ける某大手企業のキャンペーンガールという、なかなかとてつもない大仕事である。
本来は、新しく販売される携帯端末のキャンペーンガールとしてさまざまなイベントに出演してほしいと、尋常ならざる熱意で依頼されることになったのだ。
しかしスケジュールを確認してみると、それは試合に支障が出るレベルで拘束時間の長い内容であった。それで瓜子とユーリが悩むことなくお断りすると、今度はテレビおよび動画内におけるCMとポスターのモデルだけでも――と、拝み倒されることに相成ったのだった。
「それらのすべてを許諾しても拘束されるのは三日間のみであり、夜にはトレーニングを行うことも可能です。もちろん十月に試合を控えたお二人にとっては小さからぬ負担であるのでしょうが、女子格闘技界の発展のために何とかご了承いただけませんでしょうか?」
そのような言葉を伝えてきたのは、依頼主ではなく千駄ヶ谷である。それで瓜子とユーリは早々に白旗を上げることになったわけであった。
唯一の救いは、その撮影に水着が持ち込まれなかったことであろうか。
携帯端末というのは老若男女にアピールしなければならない商品であるため、水着姿のユーリでは刺激が強すぎるのだ。それで両名はファッション誌の撮影で使われるような瀟洒な衣装および露出の少ない節度あるレースクイーンのようなコスチューム等で撮影される事態に至ったのだった。
しかし、たとえどのような姿でも、テレビのCMに出演するなどというのは羞恥の極みである。
瓜子としては、なるべく家族や友人知人の目にとまらないようにと祈るしかなかったが――こんな祈りを捧げている時点で、キャンペーンガールには不適切なのではないかと思えてならなかった。
しかしまあ、それは扱われる媒体が大きいだけで、仕事の内容としては普段通りの副業である。
瓜子たちはこれまで通り、稽古と副業の両立を目指して励むばかりであった。
そしてもう一点特筆するべきは、十月の試合を行う前から次の試合のオファーをかけられたことであろうか。
《ビギニング》は本年の大晦日も日本大会を行うために会場を抑えており、十月の試合で大きな負傷がなければ瓜子とユーリにも出場をお願いしたいと打診してきたのだった。
十月の試合は第一土曜日であるので、大晦日の出場であればおおよそ三ヶ月は空くことになる。それであちらはオファーをかけてきたのであろうし、もちろんこちらにしてみても国内で試合を行えるに越したことはなかった。あとはあちらが提示する通り、十月の試合の結果次第である。
「十月のタイトルマッチに勝てば凱旋試合、負ければ都落ちに見えかねない構図だな。相変わらず容赦のないマッチメイクだが、こっちは最高の結果を目指すだけだ」
《ビギニング》からの連絡を受けた際、立松は気合の入った面持ちでそのように称していた。
まあ何にせよ、注力するべきは十月の試合である。
そしてその前に、まずは《アトミック・ガールズ》の九月大会だ。
九月に入って二週間後にはもう開催日たる第三日曜日であったため、瓜子たちはあっという間にその日を迎えることになったのだった。
◇
「ついに、この日が来ちゃいましたね」
瓜子がそのように告げると、ユーリは心から幸せそうに「うみゅ」とうなずいた。
会場は、毎度お馴染み『ミュゼ有明』である。プレスマン道場のワゴン車から降り立って、いくぶん古びた会場の建物を見上げながら、瓜子はしみじみと感慨を噛みしめていた。
今大会の目玉は、もちろんストロー級およびバンタム級の王座決定トーナメントである。今大会ではそちらの準決勝戦と決勝戦が行われて、ついに新たな王者が誕生するのだ。
そんな中、瓜子とユーリはエキシビションマッチにお誘いされることになった。
その内容は――特別ルールによる、瓜子とユーリの対戦である。そちらのカードが発表された際には、おもにインターネットの界隈でとてつもない騒ぎが巻き起こっていたとのことであった。
「そりゃーそーでしょ! よりにもよって、うり坊とピンク頭の対戦なんてさ! 駒形ダイヒョーっていっつもオドオドしてるのに、時々とんでもないことを思いつくよねー!」
と、同じワゴン車で参上した灰原選手が不敵に笑いながら、瓜子のこめかみをぐりぐりと圧迫してきた。
「ま、きっと客席も大盛り上がりだろーけどさ! その後は、あたしがベルトを巻いてもっと盛り上げてあげるよ! 遠慮なんかいらないから、うり坊たちも好きなだけ暴れちゃいな!」
「押忍。大事な決勝戦の余興として、頑張ります」
瓜子も変に気負うことなく、そのように答えることにした。
本日は、公開スパーリングのような内容で十分であると言い渡されているのである。正直なところ、今日ほど客寄せパンダの名に相応しいマッチメイクは他にないように思われた。
ちなみにこのようなカードが組まれたのは、瓜子たちが三週間後に《ビギニング》の試合を控えているためである。
本来このような時期には、エキシビションマッチでさえ控えるべきであろう。如何なるルールであろうとも、対戦相手の行動ひとつで怪我を負うリスクが生じるのだ。エキシビションマッチのために公式試合に不安を残すことなど、絶対に許されないのだった。
そこで駒形代表が思いついたのが、この一戦である。
同門の選手であれば気心も知れているし、恥ずかしながら瓜子とユーリが親密な間柄であることは各関係者に知れ渡っている。それで公開スパーリングという形式を取れば、万が一にも危険な事態には至らないだろうという判断であった。
「特に桃園さんはスパーでも試合でも、熱くなりすぎることはないからな。それで猪狩が相手だったら、勢い余って手足をへし折ることもないだろうよ」
立松の言葉に、ユーリは「うにゃあ」とニット帽をかぶった頭を抱え込む。
「そんな恐ろしい光景を、想像させないでいただきたいのですぅ。うり坊ちゃんに怪我をさせるぐらいなら、ユーリは自決したほうがマシなのですぅ」
「悪い悪い。その調子で、おたがいの身を思いやってくれよ」
かくして一行は、会場の出入り口を目指すことになった。
ちなみに今回もプレスマン道場の門下生は公式試合に出場しないが、MMA部門のトレーナー陣と女子選手が勢ぞろいしている。今回も、出稽古でお世話をしている選手たちのセコンドを受け持つことになったのだ。
「どうもお疲れ様です。今日もよろしくお願いします」
出入り口には、小笠原選手と小柴選手とオリビア選手が待ちかまえている。出場選手たる小笠原選手とオリビア選手はゆったりとした笑顔で、セコンド役の小柴選手がもっとも張り切った顔をしていた。
「予想通り、最初は同じ陣営でしたよ。おたがい勝ち上がって、決勝戦では控え室を分けてもらいたいところですね」
「ああ。決勝戦で敵味方に分かれるなんて、なかなか普段ではないことだからな」
このたびは、小笠原選手に立松、サキ、小柴選手、オリビア選手に柳原、ジョン、愛音がセコンドとして配置されることになったのだ。両名が決勝戦まで勝ち進めば、セコンド陣のみ同門対決となるわけであった。
オリビア選手のチーフセコンドに抜擢された柳原は、小柴選手に負けないぐらい奮起している。正規コーチに就任して以来、柳原もいっそう熱心に出稽古の選手の面倒を見ていたので、今回はジョンが見守る側に回ったのだった。
「おっ! 今日は魔法老女も一緒の陣営じゃん! こっちも決勝戦で、引っ越しが必要になるかもねー!」
仲良しのケンカ相手たる鞠山選手も同じ赤コーナー陣営で、灰原選手はご満悦の様子である。
そうして一丸となって控え室を目指すと、そちらには天覇館、天覇ZERO、ドッグ・ジム、柔術道場ジャグアル、ビートルMMAという、馴染み深い面々が待ち受けていた。
「お、今日は珍しく、嬢ちゃんがセコンドかよ」
立松が気さくに笑いかけると、犬飼京菜は「ふん!」とそっぽを向いた。
「あたしは道場主なんだから、セコンドについて当然でしょ。普段は自分も出場してるから、源爺たちに任せてるだけさ」
「はぁい。憧れの犬飼さんにセコンドについてもらえて、あたしも百人力ですぅ」
「あ、あんたはいちいち余計な口を叩くんじゃないよ!」
犬飼京菜は顔を赤くして、新人門下生たる照本菊花の足を蹴っ飛ばす。本日は、こののんびりとした娘さんがひさびさにプレマッチに出場するのである。さらには大和源五郎とダニー・リーも参じていたので、アマチュア選手とは思えない豪華なセコンド陣であった。
「おんなじ陣営になれなかったのは、やっぱ赤星ぐらいかー! ま、このトーナメントだけはしかたないよねー! うり坊も、ちゃんとオリビアを応援するんだよー?」
灰原選手のそんな言葉に、瓜子は「もちろんっすよ」と応じる。
「自分だって赤星道場には頑張ってほしいと思いますけど、やっぱり青田さんは外様の立場ですからね。アトミックの王者には、アトミック生え抜きの選手がついてほしいと思ってます」
「だよねー! トッキーもオリビアも応援してるから、頑張ってよー?」
「もちろんさ。灰原さんと花さんも、同様にね」
「ふふん。立場は逆転しただわけど、わたいの辞書に油断の文字はないんだわよ」
鞠山選手の初回の対戦相手は亜藤選手であり、以前はあちらのほうが格上であったのだ。鞠山選手は一年ほど前に亜藤選手を下して、それ以外の試合でも勇躍めざましいために、このたびは赤コーナー陣営に割り振られたようであった。
しかし、舞台に上がってしまえば格など関係ない。
格上であろうが格下であろうが、外様であろうが生え抜きであろうが、強いほうが勝つだけであるのだ。おおよそ格上と見なされた赤コーナー陣営の面々は、誰もが油断とは無縁の様子で熱情をたぎらせていた。
そんな中、瓜子とユーリだけは呑気な顔をさらしている。
エキシビションマッチに出場する両名は、同じ控え室で過ごすことを許されたのだ。遥かなる昔日に瓜子とメイのエキシビションマッチが組まれた際にも、こういった措置が施されていた。
ただし、熱情や闘志とは無縁であっても、瓜子は小さからぬ感慨を噛みしめている。
たとえエキシビションマッチであろうとも、ユーリと対戦するというのは瓜子にとって大ごとであったのだ。きっと公式試合でぶつかる機会などは永遠に来ないのであろうから、なおさらであった。
(もちろん公開スパーリングなんだから、変に気負うことはないんだけど……なんか、わくわくしちゃうんだよな)
そんな風に考えながら、瓜子は十五センチばかり高い位置にあるユーリの顔を盗み見る。
するとユーリもすぐさま瓜子の視線に気づき、にこりと天使のような笑顔を返してきて――瓜子の感慨に、またとない温もりを加えてくれたのだった。




