04 意見交換
午後八時――本日の稽古を終えた一同はシャワーを浴びたのち、サキと理央の心尽くしで胃袋を満たすことになった。
キッズコースの六名も居残っていたため、食卓の場は実に華やいでいる。また、充実した稽古を積むことができた女子選手の一行も、意気は揚々であった。
「やっぱり沙羅は、大したもんだね。けっきょくアタシたちも、最後までペースをつかめなかったしさ」
鍋をつつきながらそのように発言したのは、小笠原選手である。小笠原選手もオリビア選手も高橋選手も、沙羅選手との立ち技スパーでは優位に立つことができなかったのだ。
「沙羅といい勝負ができたのは、多賀崎さんと灰原さんと……あとはやっぱり、猪狩ぐらいか。次点で、邑崎を入れてもいいかな」
「はいなのです。愛音は五分五分といった印象であったのです。沙羅選手が左肩を痛めていることを思えば、不甲斐ない限りであるのです」
「アタシらやシンガポールの人らはそれ以下だったんだから、立派なもんさ。沙羅は普段から犬飼さんを相手取ってるのに、アウトファイターが得意じゃないみたいだね」
「アウトファイターは関係あらへんわ。ウチはプロレスでデカブツとやりあう日々やから、ちょこまか動くやつに目が慣れへんねん」
沙羅選手は人を食った面持ちで、そんな風に言いたてた。
「ここ一ヶ月ばかしは、ボスとのスパーもご無沙汰やったしな。最終日には全員ぶちのめしたるから、楽しみにしときや」
「一ヶ月も? そんなにプロレスが忙しかったのかい?」
「せやせや。ドサ回りで西から北陸まで巡業してたんや。盆明けの埼玉、千葉、東京の三連戦でいちおうのフィニッシュやね」
「えーっ! そんなしょっちゅう、試合をしてんの? そんなの、カラダがもたないじゃん!」
灰原選手が仰天した様子で声をあげると、沙羅選手は「ははん」と鼻を鳴らした。
「それをもたすのが、プロレスラーやろ。MMAとは、根っこから違うとるんよ」
「なるほど。それじゃあなかなか、アトミックまで手が回らないわけだ。でも、それでどうしてあんな技術をキープできるのさ?」
高橋選手がうろんげに問いかけると、沙羅選手は肉じゃがを咀嚼してから答えた。
「どうしても何も、ウチはプロレスでも同じスタイルやからな。腕が鈍る道理はないやろ」
「同じスタイル? プロレスとMMAで、そんなの成立するのかい?」
「どうせそちらさんは、プロレスなんぞに興味あらへんのやろ? せやったら、説明するだけ時間の無駄や」
すると、手酌でビールを楽しんでいた大和源五郎も発言した。
「プロレスって言っても、色々なんだよ。俺だって、プロレスとMMAでやってることに大して変わりはなかったからな」
「そうなんですか? 別にプロレスを馬鹿にしているわけではないですけど……プロレスっていうのは、大技の応酬みたいなイメージでした」
「そいつをシュート・スタイルで跳ね返すのも、ひとつのスタイルなんだよ。ま、今どきそんな人間が生き残ってるかどうかは知らんがね」
「ここにおるやろ。腐っても、《シトラス》のチャンピオン様やで」
やはりプロレスの話題では、瓜子も理解が及ばない。
すると、隣のユーリがもじもじしながら声をあげた。
「それで、あにょう……沙羅選手はいつになったら、寝技のお稽古に参加できるのでせうか?」
「さてな。ま、むこう一週間は絶対安静やろ」
気の毒なユーリは、「がーん!」とのけぞってしまう。
それを小気味よさそうに見やりながら、沙羅選手は咽喉で笑った。
「せやけど、盆明けの試合に向けてリハビリも必要やからな。二、三日は様子を見て、判断はその後や」
「そうでしゅか……五日以内に復帰できることを切に願うユーリなのですぅ」
ユーリは沙羅選手と寝技のスパーをすることを心待ちにしていたのだ。ユーリに熱い眼差しを向けられた沙羅選手はにやにや笑いながら、「知らんがな」とやりすごした。
その間、シンガポール陣営の三名はオリビア選手やダニー・リーと英語でおしゃべりを楽しんでいる。やはり食事中に携帯端末を多用するのはお行儀が悪いので、そのように振る舞っているのだ。
そちらの無事を確かめてから、瓜子はにこやかな面持ちで食事を進めている照本菊花のほうに向きなおった。
「それにしても、照本さんも見違えましたね。正直に言って、いつ査定試合を組まれてもおかしくないぐらいだと思いますよ」
「あはは。まだMMAの試合は二回しかしてないのに、いきなりプロは無理ですよぉ」
「自分なんかは半年の稽古で、いきなりプロデビューでしたからね。少なくとも、あの頃の自分よりは基礎もできていると思います」
彼女は《アトミック・ガールズ》のプレマッチで初試合を行ったのち、《フィスト》のアマ大会にもエントリーして、どちらもKO勝利を収めることになったのだという。その実力は、瓜子も本日思い知ることがかなったのだった。
「あたしも、猪狩と同意見だね。立ち技の技術は申し分ないし、組み技や寝技も及第点だと思うよ。身体も、ずいぶんできあがってきたみたいだしさ」
多賀崎選手がそのように言葉を重ねると、照本菊花はのほほんと笑った。
「でも、多賀崎さんにはまったくかないませんでしたぁ。これじゃあプロデビューしたって、王座は目指せませんよぉ」
「そこは堅実に試合を重ねていけば、いっそう成長を見込めると思うけどね。……もしかしたら、照本さんはアマ志向なのかな?」
「いえいえぇ。プロになるならチャンピオンを目指したいと思ってますよぉ。キックをやってた頃は、完全にアマ志向でしたけど……たまたまアトミックで犬飼さんの試合を見て、血がたぎっちゃったんですよねぇ」
そんな言葉とは裏腹に、照本菊花はのんびりとした笑顔である。
「犬飼さんって、ものすごい執念で上を目指してるでしょう? だからあたしも、犬飼さんを見習いたいんですぅ。犬飼さんは、あたしの憧れですのでぇ」
「う、うるさいよ!」と、遠い席でものすごい食欲を発揮していた犬飼京菜が、顔を赤くしながらわめきたてる。照本菊花の思わぬ告白を聞かされて、瓜子は胸が熱くなってしまった。
(照本さんは、犬飼さんに憧れてたのか……そりゃあ、そういう人が出てきたって不思議はないよな)
瓜子とて、犬飼京菜の試合にはいつも胸を震わせているのだ。ユーリなどは落涙することもしょっちゅうであるのだから、同じぐらい感銘を受ける人間はこの世に数多く存在するはずであった。
「さて。それじゃあ坊主たちは、帰る時間だな」
やがて食事の後片付けまで終えたならば、大和源五郎がそのように宣言した。
六名の子供たちは横一列に整列して、「押忍!」と応じる。
「今日もご指導、ありがとうございました! またいつか、よろしくお願いします!」
「ああ。手が空いてる日は、いつでも相手してやるよ。引率のそいつが、面倒でなければな」
「うるせーなー」と、サキはぶっきらぼうに言い捨てる。この子供たちはバイト職員たるサキと理央の監督のもと、ドッグ・ジムに赴いているのだった。
「お盆休みは、園でレクリエーションがあるんでしたっけ。それじゃあ次に会えるのは、また土曜日っすね。サキさんと理央さんも、お元気で」
「おめーもうるせーよ」と瓜子の頭を小突いてから、サキはさっさと食堂を出ていく。やわらかな微笑をたたえた理央と子供たちもそれに続き、あとにはドッグ・ジムの関係者と女子選手の一行が残された。
「さて。あとは適当に意見交換して解散って話だったな。……ぶっちゃけ、うちの稽古はどうだったよ?」
マー・シーダムが準備した携帯端末の翻訳アプリを使って、大和源五郎がシンガポール陣営の三名に呼びかける。すでに意見はまとまっていたらしく、グヴェンドリン選手が代表として答えた。
『さきほどダニー・リーにもお伝えしましたが、とても充実した一日でした。キョウナ・イヌカイもシャラも、期待以上の実力でした』
「お嬢のことも、京菜でけっこうだよ。そう言ってもらえるのは、何よりだね」
『はい。シンガポールに、キョウナやシャラのような選手は見当たりません。この経験は、私たちに大きな力を与えるでしょう。稽古に招いてくれたことを、心から感謝しています。……そちらは、満足できましたか?』
「ああ、もちろんさ。世界の壁ってやつを、痛感させられたよ。きっとアトム級の選手ってのはもっと素早くて、お嬢にとっても厄介な相手なんだろうな」
『はい。アトム級のトップファイターであれば、キョウナのトリッキーな動きに対応できる選手がいるかもしれません。打たれ弱いキョウナには、さらなる戦略が必要になるでしょう。……ただし、キョウナは試合でさらにトリッキーな動きを見せるので、あくまで今日の稽古の印象です』
「まあ、そうだわな」と、大和源五郎は瓜子のほうに向きなおった。
「次の《ビギニング》では、あのベアトゥリスってのが王座に挑戦するんだよな。同じ毒蛇姐さんにやられた身としては、ちょいとばっかり差をつけられた気分だよ」
「ええ。ベアトゥリス選手はこの数年で、さらにしぶとくなった印象でした。《ビギニング》の王者になっても不思議はないって、グヴェンドリン選手たちも仰ってましたよ」
「ああ。ブラジルで揉まれると、ああいう選手ができあがるんだろうな。ま、日本でも厄介な相手には事欠かないけどよ」
大和源五郎に目を向けられた愛音は、「はいなのです!」と奮起した。
「アトミックでも、アトム級は群雄割拠なのです! ここで勝ち抜いた人間は世界で通用すると、愛音は信じているのです!」
「俺も、同感だよ。《フィスト》とのやりあいも一段落で、お次は星の奪い合いだな」
「はいなのです! 王座挑戦の権利を巡って、血で血を洗うサバイバルマッチなのです!」
「どうぞお手柔らかにな。……で、小笠原さんたちは、どうだったね?」
「もちろんアタシらも、グウェンたちと同意見ですよ。ドッグ・ジムの選手は、誰も彼も難敵ですからね。これだけ階級が違っても、スパーをするだけでいい経験になってます」
「そいつは何よりだ。明日からは、誰が来てくれるんだっけ?」
「鞠山さんと武中さんと小柴、あとはキックの蝉川ですね。立ち技限定のスパーなら、蝉川もなかなかの逸材ですよ」
「キックの試合は、もうチェックしてねえんだよな。菊花なんかは、おんなじ階級なんだろ?」
「そうですねぇ。でも、蝉川さんは《G・フォース》のアマ大会で優勝してプロデビューしたんですから、あたしなんかよりずっと格上ですよぉ」
「そうか。そいつは期待できそうだ。で、お嬢をさんざん痛めつけてくれた小柴さんまで来てくれるとは、ありがたい限りだね」
不敵な笑みをたたえる大和源五郎に、小笠原選手は穏やかな笑顔を返す。
「犬飼さんに負けた小柴のほうこそ、気合満々ですよ。まあ、おたがい熱くなりすぎないように気をつけましょう」
「ああ。それにそちらさんも、手の内を明かしすぎないようにな。どう考えたって、今のトップコンテンダーは赤鬼の娘っ子を含めたその四人なんだからよ」
その四人――犬飼京菜に愛音、小柴選手に大江山すみれである。次にサキの王座に挑むのは、きっとこの四人の誰かなのだろうと思われた。
「あとは、鞠山さんの寝技の腕は気になるところだし、武中さんってのも基本はしっかりしてるわな。これだけタイプの違う人間に集まってもらえるなんざ、ありがたい限りだよ。で、その大半は普段からプレスマンに集まってるって話なんだよな?」
「ええ。ここにいる全員と、小柴と鬼沢を加えた顔ぶれですね。鞠山さんや武中さんは、合宿の期間だけご一緒してます」
「そいつは、強くなるのが当たり前だ。まあ、俺たちは俺たちのやりかたをつらぬくつもりなんで、こんな騒ぎはこれっきりかもしれねえが……そのぶん、めいっぱい吸収させてもらうつもりだよ。そちらさんも、同じだけのもんを持ち帰れるように励んでくれや」
「ええ、そのつもりです」
小笠原選手はあくまで泰然としたたたずまいであったが、多賀崎選手や高橋選手は静かに気合をみなぎらせている。ユーリや灰原選手などは満腹になったせいで、ずいぶん眠そうな様子であったが――明日には、また同じだけの熱情で稽古に取り組むはずであった。




