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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
31th Bout ~Scorching Summer~
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02 手合わせ

「まずはひと通り、初お目見えのみなさんの腕前を拝見させてほしいところだな」


 トレーニングウェアに着替えた瓜子たちがウォームアップを完了させると、大和源五郎がそのように宣言した。


「ちょいと時間がかかっちまうけど、立ち技ではふた組ずつ、寝技ではひと組ずつ、全員分のスパーを見せてもらえるかい? それでこっちも、稽古のプランを考えるからよ」


 どうやらダニー・リーとマー・シーダムが立ち技、大和源五郎が寝技のスパーを検分するらしい。外部の女子選手は現在のところ九名のみであるので、三組ずつスパーをお披露目するのだったら大した手間ではなかった。


 まずは、小笠原選手とエイミー選手、高橋選手とグヴェンドリン選手が立ち技、ユーリとランズ選手が寝技のスパーをお披露目することにする。手余りになった瓜子と愛音とオリビア選手は、しばし見物だ。


「そういえば、サキセンパイは稽古に参加しないのです?」


「ジャリどもの面倒を見る人間も必要だろーがよ。おら、きりきり動けや」


 六名の幼子たちは嬉しそうに「押忍!」と応じつつ、サキとともにサンドバッグの吊られたスペースに引っ込んでいく。

 サキは合宿稽古から昨日の通常稽古まで参加していたので、今日はオフということにしたのだろう。左膝に爆弾を抱えるサキは、瓜子たちほど無茶がきかない身体であったのだった。


「それじゃあ、立ち技の片方はリング、もう片方はその足もとでお願いするよ。ダニー、マー坊、よろしくな」


 寡黙なる両名は無言のまま、四名の選手をリングのほうに導いていく。犬飼京菜と照本菊花は当然のようにそちらの後を追い、榊山蔵人だけがひとりもじもじとしていた。


「蔵人の坊主は、こっちにつきあうことねえよ。よかったら、サキのサポートを頼むわ」


「わ、わかりました。それでは、失礼します」


 かくして、三組のスパーが開始された。

 瓜子はユーリのもとに留まりつつ、その向こう側の立ち技スパーも拝見できる位置取りをキープする。トップファイター同士のスパーというのは、見ているだけで勉強になるのだ。


 しかしまた、ユーリの寝技のスパーというのはレベルが高すぎて参考にならないというのが正直な感想である。このたびも、その例から外れることはなかった。


(ランズ選手はトップファイターのグラップラーなのに、本当に大したもんだよな)


 シンガポール陣営でもっとも寝技が巧みであるのは、ランズ選手となる。しかし、寝技のスパーではユーリが圧倒して、いまだ一本も奪われたことはなかった。

 ランズ選手はパワーでまさっており、ポジションキープの能力が際立っているが、ユーリは機動性と柔軟性と技の引き出しの多さおよび動きの正確さで、それを乗り越えてしまうのである。パウンドが許される試合ともなればまた流れは変わってくるのであろうが、寝技限定のスパーではユーリの独壇場であった。


 ただしランズ選手も、いいようにやられるわけではない。ユーリの巧みな攻撃をパワーとテクニックの両方で跳ね返し、互角に近い勝負を演じることができるようになってきたのだ。ここ最近では、三分のスパーで一本しか取られないようになっていた。


 いっぽう立ち技スパーのほうは、今日もなかなかの名勝負が繰り広げられているようである。

 エイミー選手を相手取る小笠原選手は、長いリーチを活かして上手く戦っている。スパーにおいては、おおよそ互角の技量である。これが死力を尽くす試合になったら、いったいどのような結果になるのか――そんな想像をしただけで、瓜子は胸が高鳴るほどであった。


 高橋選手とグヴェンドリン選手はそれなりの体格差が生じるため、瓜子がバンタム級の選手を相手取るときと同じような展開になることが多い。すなわち、リーチでまさる高橋選手にグヴェンドリン選手が機動力で対抗するという構図だ。


 また、どのような組み合わせであったとしても、ダウンを取ったり取られたりという展開になることはない。シンガポール陣営の三名が沈着で、スパーの力加減をわきまえているためである。そういう意味では、瓜子が知る日本人選手よりも強固なリミッターが掛けられているという印象であった。


「よし、それまで。……桃園さんは、相変わらずだな。寝技の教科書に載せたいぐらいの動きっぷりだよ」


「とんでもないのですぅ。ランズ選手がお強いので、ユーリもエツラクのイタリなのですぅ」


 そのように語るユーリは満面の笑みであり、ランズ選手はわずか三分間で疲労困憊だ。このたびも、ランズ選手は終盤で一本だけタップを奪われていた。


「じゃ、一分のインターバルで、適当に相手を入れ替えてくれ。順番は、そちらさんにおまかせするよ」


 すると愛音がユーリとの寝技スパーを希望したので、瓜子とオリビア選手が立ち技スパーに加わることにした。

 特に階級にこだわる場面ではなかったが、瓜子がグヴェンドリン選手、オリビア選手がエイミー選手の相手を務めることにする。すると、犬飼京菜が燃える眼差しで瓜子たちのほうを見据えてきた。


(まいったな。ちょっとひさしぶりだから、犬飼さんも気合がギラギラだ)


 犬飼京菜は瓜子が相手だといつも本気の勝負を仕掛けてくるため、こちらも本気でお相手するしかないのだ。

 ただし、犬飼京菜は古式ムエタイおよびジークンドーの技を封印しているし、瓜子も集中力の限界突破を強いられることはなくなった。その条件で、限界まで力を振り絞ることになり――それでおおよそは、瓜子が有利に戦況を進めることがかなうのだった。


(シンガポールの人たちは本気のスパーなんて望んでないんだけど、そのあたりのところは大丈夫なのかな)


 そんな思いを抱きつつ、瓜子はヘッドガードとニーパッドとレガースパッド、そしてエルボーパッドの四点セットを装着する。グローブは、六オンスのオープンフィンガーグローブであった。


 同じ格好をしたグヴェンドリン選手は、早くも気合をみなぎらせている。

 瓜子とのスパーにもっとも意欲的であるのは、やはり同じ階級であるグヴェンドリン選手であるのだ。そんなグヴェンドリン選手とのスパーは、瓜子にとっても大きな糧になっていた。


「それでは、はじめ」


 柔和な微笑みをたたえたマー・シーダムの合図で、瓜子とグヴェンドリン選手のスパーが開始された。

 グヴェンドリン選手は機敏に動いて、瓜子のサイドを取ろうとする。瓜子もそれに負けないぐらい足を動かして、有利なポジションの確保に勤しんだ。


 ここ最近のグヴェンドリン選手は、瓜子に対しても機動力で対抗しようと試みている。体格で負けている瓜子の頼りは機動力であるので、そこでまされば勝てるはず――という方針に落ち着いたようであるのだ。


 スピードそのものは、おたがいに大きな差はない。体格でまさるグヴェンドリン選手は、その筋力でもって瓜子と同等のスピードを有しているのだ。

 よって、瓜子がまさっているのは小回りと、技の引き出しとなる。グヴェンドリン選手はMMAファイターとして穴のない打撃技を習得しているが、キックをルーツとする瓜子のほうが多彩さではまさっていた。


(あたしの活路は、やっぱりローだな)


 グヴェンドリン選手はボクシング&レスリングを基本にしたスタイルであるため、とりわけ蹴り技においては瓜子のほうがアドバンテージを有している。防具をつけていると威力も半減であるが、相手の動きを封じるのにローは有効であった。


 ただしグヴェンドリン選手も来日して十日を過ぎたため、瓜子とのスパーに手馴れてきている。いつまでも、同じ動きが通用する相手ではなかった。

 よって瓜子はローを出す前に、左ジャブを数多く打って牽制する。このあたりの回転力も、瓜子のほうがまさっていた。


 そうしていいタイミングでアウトサイドに踏み込んだ瓜子は、最初のローを射出しようと右足を振り上げて――その過程で、奇妙な感覚に見舞われた。

 その感覚に従って、瓜子は右足に力を込める。瓜子の右足は斜め下方からすくいあげるようにして、グヴェンドリン選手の左脇腹に吸い込まれていった。


 ローをチェックするために左かかとを浮かせたグヴェンドリン選手の脇腹に、瓜子の脛が叩きつけられる。

 防具ごしに、グヴェンドリン選手が身をすくませる気配が伝わってきた。グヴェンドリン選手にとっても、これは想定外の攻撃であったのだろう。


 それでも防具で威力は半減されているため、グヴェンドリン選手は足取りを乱すことなく後方に逃げていく。

 瓜子がそれを追いかけてワンツーを放つと、グヴェンドリン選手はそれをガードしたのちに大振りの右フックを繰り出した。


 グヴェンドリン選手らしからぬ、拙速な動きである。

 その攻撃をダッキングでやりすごした瓜子は、グヴェンドリン選手のがら空きのボディに左拳をめりこませた。

 レバーにクリーンヒットしたため、今度はグヴェンドリン選手の身が揺れる。そこに右アッパーを叩きつけると、グヴェンドリン選手はバランスを崩した格好で尻もちをついた。


「いちおう、ダウンですね。……グヴェン、OK?」


 マー・シーダムの呼びかけに「OK」と応じつつ、グヴェンドリン選手はすぐさま立ち上がる。

 そして、瓜子を見据えるその瞳には――これまで以上の気合と、そして驚嘆の思いが宿されていた。


(最近、こういうパターンが多いんだよな。きっとグヴェンドリン選手たちのおかげで、集中できてるんだろう)


 瞬間的に思考が閃いて、それに従うと有効な攻撃を当てられる。最初に感じたのは合宿稽古における青田ナナとのスパーで、その後はレオポン選手とのスパーでも同じ感覚に見舞われたのだ。今のローからミドルへの切り替えも、それに近い感覚であった。


 しかしその後は順当に時間が過ぎて、三分間のスパーはあっという間に終わりを迎える。

 グヴェンドリン選手は、笑顔で握手を求めてきた。


「ウリコ、ツヨいです。ワタシ、ガンバります」


 片言の日本語でそのように告げてくるグヴェンドリン選手に、瓜子も「押忍」と笑顔を返した。


                  ◇


「いやあ、シンガポールの面々はもちろん、他の人らも大した力量だな」


 すべての組み合わせのスパーが終了したのち、大和源五郎はコーチ陣を代表してそのように発言した。シンガポール陣営にも伝わるように、小笠原選手の携帯端末で翻訳アプリを活用している。


「もちろんアトミックの試合は毎回チェックしてるんで、現状は把握してるつもりなんだが……こうして間近でスパーを拝見すると、驚きもひとしおだよ。もう数年前とは、比較にもならねえな」


「数年前? それはどういう比較なんです?」


 水分補給をしていた高橋選手がけげんそうに問いかけると、大和源五郎は坊主頭を撫で回しながら笑い皺を深めた。


「だから、うちのお嬢が参戦する前後の話だよ。あの頃は、お嬢ひとりで全階級のベルトをぶんどってやろうって意気込みだったからな。……おっと、今はそんな大口を叩く気もないから、勘弁してくんな」


「なるほど。当時のドッグ・ジムは、尖りまくってましたもんね」


 高橋選手は気を悪くした様子もなく、むしろ楽しげな笑みを浮かべる。小笠原選手やオリビア選手も、にこやかな面持ちであった。


「とにかく、みんな大した実力だ。こんなメンツで五日間も稽古できるなんて、ありがたい限りだよ。どうか最終日までよろしくな」


「はいー。ただ、エイミーから質問があるそうですー」


 と、オリビア選手が挙手をした。大和源五郎が口を開く前に、エイミー選手が英語でオリビア選手に何事かを告げていたのだ。


「キョウナの稽古のスタイルについてはウリコたちから聞いているけれど、体重の違う自分たちと有意義な稽古を積む算段は立っているのかって、心配してるみたいですねー」


「ああ。そこは心配いらねえよ。一般門下生が増えたおかげで、お嬢もちっとばっかり毛色が変わってきたからよ」


 そう言って、大和源五郎はにやりと笑った。


「よかったら、さっそくそいつを試してみるかい? お嬢もいい加減、身体が冷えちまうだろうからな」


 ということで、いきなり犬飼京菜とエイミー選手による立ち技のスパーが開始されることになった。


「まずは組み技なしで、三分一ラウンドってことにしておこうか。エイミーさんはこれまで通り、自分のペースでよろしくお願いするよ」


 しっかりと防具を着用した両名が、リングの上で相対する。

 身長差は二十センチ以上、体重差は三十キロ以上だ。通常であれば、まともなスパーなどは成立しない体格差であった。


 そうして、ダニー・リーが「始め」と宣告すると、犬飼京菜はいつも通りの俊敏さで前進した。

 ただし真っ直ぐ突進するのではなく、左右にもステップを踏んでいる。そして最後はアウトサイドに二歩進み、そこから豪快な右ハイを繰り出した。


 危ういタイミングで、エイミー選手はスウェーバックする。

 すると犬飼京菜は勢い余って一回転したのち、軸足を切り替えて、左のサイドキックに繋げた。


 エイミー選手は、右腕でそれをブロックする。スウェーバックしたために、ステップで逃げることはできなかったのだ。

 そうしてエイミー選手が反撃のモーションを取ろうとする頃には、犬飼京菜は後方に逃げている。なおかつ、一歩として同じところには留まらず、細かく歩幅を変えながらステップを踏んでいた。


 あらためて、エイミー選手が前進する。

 犬飼京菜はふわりとサイドに移動して、牽制の関節蹴りを繰り出した。

 本気の関節蹴りは危険であるため、足裏で相手の膝にタッチするような挙動だ。それでエイミー選手の出足が止められると、犬飼京菜は思わぬスピードで右ストレートを繰り出した。


 エイミー選手はしっかりとガードを固めて、それをブロックする。

 犬飼京菜はあまりに身体が小さいために、右ストレートではダメージを与えることも難しいだろう。彼女は全体重と遠心力を利用した大技でない限り、確たるダメージを見込めないのだった。


 ただ、大きくリーチで劣る犬飼京菜の右ストレートはエイミー選手のもとにしっかり届いているし、角度やタイミングが秀逸であるため、カウンターをくらうこともない。

 そしてその後もエイミー選手は俊敏なる犬飼京菜を捕らえることができず、ガードの上からいくつかの攻撃をくらうことになったのだった。


「とまあ、こんな感じだな。お嬢のパンチはまともにくらってもノーダメージだろうから、そいつを無視すればもっと有利な展開に持っていけただろうが……エイミーさんは期待通り、きっちりガードしてくれたね」


「はい。それでは自分の稽古になりませんので。って言ってますよー」


「うんうん。それでお嬢をつかまえられるように踏ん張れば、そちらさんにとってもいい稽古になるんじゃないのかい?」


 すると、小笠原選手がゆったりと発言した。


「こっちにしてみれば、サキを相手にするぐらいの厄介さでしょうね。でも、犬飼さんの稽古になるんですか? 実戦では、パンチなんてほとんど使わないんでしょう?」


「さて、どうだかね。こんなへなちょこパンチでもいいタイミングで顔面に飛んできたら、相手は無視できないかもしれないぜ?」


 そう言って、大和源五郎は不敵に笑った。


「ま、その実用性はさておくとしても、動体視力やステップワークの稽古にはなるだろう。この顔ぶれを相手に、相手の攻撃を一発ももらわずに自分の攻撃を当て続けるなんざ、けっこうな試練なんだからな」


「それでもエイミーの攻撃を、完全に封じてみせましたね。おたがいにノーダメージでそんな真似ができる人間は、なかなかいないと思いますよ」


 小笠原選手もまた笑みを浮かべつつ、離れた場所で子供たちを指南しているサキのほうを振り返る。


「サキなんかは途中で有効な攻撃を当てることで、相手の動きを鈍らせてますからね。シンガポールのトップファイターを相手にそんな真似をできるサキと犬飼さんは、どっちも化け物の類いだと思います」


 そのように語りながら、小笠原選手は別なる人物――コーチ陣にまじってのんびり微笑んでいる照本菊花のほうに視線を動かした。


「それで、そちらの新人さんはそんな具合に犬飼さんから稽古をつけられてるわけですね。こいつは、将来が楽しみです」


「ふふん。それじゃああらためて、よろしくな」


 不敵に笑う大和源五郎のかたわらで、犬飼京菜はぶすっとした仏頂面をさらしている。しかしやっぱりエイミー選手とのスパーは、彼女の糧になっているのだろう。その証拠に、犬飼京菜の大きな目にはこれまで以上の気合と情念が燃えさかっていたのだった。

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