08 フィナーレ
すべての稽古を終えたならば、合同合宿の打ち上げである。
どうもここ最近は打ち上げばかり行っているような印象であるが、それだけ大切なイベントが目白押しであったという証拠であろう。もちろん瓜子が、この現状に不満を抱くいわれはなかった。
「今回はシンガポールの方々を筆頭に有望な選手を多数迎えることができて、例年以上に充実した稽古を積めたのではないかと思う。今日の成果を無駄にせず、明日からもたゆみなく研鑽に励んでもらいたい」
赤星弥生子のそんなありがたい言葉とともに、打ち上げが開始された。
場所はもちろん、宿の中庭である。赤星大吾とリカルド氏と保護者の方々が準備したバーベキューやメキシコ料理がずらりと並べられて、ユーリならずとも瞳を輝かせるような光景であった。
この打ち上げの場ではアルコールも解禁されるため、いっそうの熱気がわきかえっている。つい先刻まで過酷な稽古に打ち込んでいた人々も、残存する気力と体力をすべて放出せんとばかりに大はしゃぎしていた。
『私たちは本当に、有意義な時間を過ごすことができました。これもすべて、稽古に関わったすべてのみなさんのおかげです』
グヴェンドリン選手が翻訳アプリの機能でそのように告げると、灰原選手は「なーに言ってのさ!」とその背中を引っぱたいた。
「こっちこそ、グヴェンたちのおかげでクッタクタだからねー! 感謝してるよ、こんちくしょうめ!」
『申し訳ありません。いくつかの単語が翻訳できなかったようです。クッタクタにコンチクショウとは、どういう意味でしょうか?』
「そんなの、ニュアンスで感じ取ってよ! とにかく、こっちこそお世話様ってこと!」
灰原選手が陽気に笑うと、多賀崎選手も翻訳アプリで発言した。
「でも本当に、あたしらのほうこそグヴェンたちのおかげで有意義な稽古を積めてるよ。グヴェンたちにも同じぐらい満足してもらえてるかどうか、心配になるぐらいだね」
『心配は無用です。日本には想像以上に個性的な選手がそろっていて、心から満足しています。また、こういった祝宴で喜びを共有できることを、嬉しく思っています』
グヴェンドリン選手が屈託なく笑うと、多賀崎選手も実直なる笑顔で応えた。
ランズ選手はまた魅々香選手と英会話に励んでいるし、エイミー選手はマリア選手に連れ去られてしまった。シンガポール陣営の三名も日本式の打ち上げを満喫できているようで、何よりの話である。
そして、瓜子のかたわらではユーリが旺盛な食欲を満たしており、その向かい側ではタツヤとダイがビールのグラスを傾けている。MMAスクールで体力を使い切った両名も、その後の数時間ですっかり回復したようであった。
「俺らはまんべんなく稽古を拝見してたけどさ! グヴェンちゃんたちの迫力には、度肝を抜かれちまったよ!」
「本当にな! グヴェンちゃんなんて、青鬼とも互角にやりあってたろ? 二階級も違うのにパワー負けしないなんて、マジですげえよな!」
『いえ。さすがに十キロ近くも体重が違えば、腕力ではかないません。私は普段からエイミーたちと稽古を積んでいるので、腕力のある選手に慣れているだけです』
前回の打ち上げで親睦を深めたグヴェンドリン選手は、タツヤたちにも屈託のない笑顔を返す。グヴェンドリン選手は社交的であるし、きわめて善良な気質であるため、タツヤたちもすっかりお気に入りであった。
「でも、グヴェンちゃんはほとんどの相手と互角にやりあってたよな! ここだけの話、赤星と関西勢の中では、誰が手ごわかったんだ?」
タツヤがそのように選手を限定したのは、灰原選手や多賀崎選手の耳をはばかってのことであろう。それ以外にも、この周囲に赤星道場と関西勢の姿は見当たらなかったのだ。
なおかつ、タツヤは軽い雑談のつもりなのであろうが、グヴェンドリン選手は真剣な面持ちで考え込んでしまう。ファイターとしては軽はずみなことは言えない場面であるし、そうでなくとも誠実な人柄であるのだ。
『それは、難しい質問です。ヤヨイコ・アカボシは二つの武器を隠しているので除外するしかありませんし、スミレ・オオエヤマも同様でしょう。そう考えると、マリア・ハネダが有力であるかもしれません』
「へえ、マリアちゃんか! 確かにマリアちゃんも、すっげえパワフルだもんな!」
『はい。そして彼女は、個性的です。試合で対戦するならば、入念な分析が必要になるでしょう。彼女のステップワークと強烈な蹴りは脅威ですし、そして彼女には投げ技も隠されています』
そんな風に言ってから、グヴェンドリン選手は瓜子ににこりと笑いかけてきた。
『しかし、ウリコはマリア・ハネダにも勝利しました。一階級上の強豪選手にKO勝利というのは、驚くべき結果です。やはり一番の脅威は、ウリコということになるのでしょう』
「いえいえ。あのときは――あ、ちょっとスマホをお借りしますね。あのときはマリア選手のカーフキックで足を痛めて、しばらくは松葉杖でした。しっかり身体をつくらないと、一階級上の相手とやりあうのは危険ですね」
「おー、懐かしいな! グヴェンちゃんは、そんな古い試合までチェックしてるってわけか! 瓜子ちゃんも、うかうかしてられねえな!」
「それは最初から、うかうかなんてしてられませんよ。グヴェンドリン選手の強さは、自分が一番わきまえてるつもりですからね」
「でも、グヴェンちゃんとの試合もあと二ヶ月ぐらいで、一年経つんだよな! まさかグヴェンちゃんと酒盛りすることになるなんて、あの頃は想像もできなかったぜ!」
『はい。私も「トライ・アングル」のみなさんとお近づきになれるとは想像もしていませんでした。心から嬉しく思っています』
そうしてこちらが和やかに語らっていると、新たな人影が接近してきた。誰かと思えば、六丸と是々柄のコンビである。それに気づいたユーリは警戒心をあらわにして、空になった皿を盾にした。
「どうもっす。あたしらもお邪魔していいっすか?」
「はい。正面からなら、歓迎いたしますよ。今年はあんまり、お話しする機会もありませんでしたしね」
「闇討ちすると弥生子ちゃんに怒られるんで、正面突破っす。……そちらのグヴェンドリンさんのお肉にさわらせていただけないっすか?」
是々柄のそんな発言に、グヴェンドリン選手ばかりでなくタツヤやダイもきょとんとする。いっぽう自分がターゲットでないと悟ったユーリはほっとした様子で、新たなメキシコ料理に手をのばした。
「えーと、そいつは新手のセクハラかい?」
「いえいえ。海外のトップファイターのお肉に興味津々なんすよ。あのパワーの源を探りたいんすよね」
遠視用の眼鏡で巨大化した是々柄の目が、グヴェンドリン選手をぎょろりと見据える。しかしそもそも是々柄は日本語で語っているので、グヴェンドリン選手はその言葉をまったく理解できていないはずであった。
「自分が補足説明しますね。こちらの是々柄さんは赤星道場のメディカルトレーナーで、マッサージの名手なんすよ。それで、マッサージをすると筋肉の質だとか疲労の具合だとかが分析できるらしいんです」
瓜子がタツヤの携帯端末の翻訳アプリでそのように解説すると、グヴェンドリン選手の顔にたちまち理解の色が広がった。
『見覚えがあると思ったら、そちらはハルキ・ツジのセコンドについていた御方ですね。《アクセル・ファイト》でセコンドを任されるということは、アカボシ・ドージョーの優秀なトレーナーなのでしょう』
「ええまあ、優秀なことは優秀なんでしょうね。やたらと人の身体にさわりたがるから、自分やユーリさんは苦手なんすけど」
「猪狩さんは、どっちの味方なんすか?」
「どちらかと言えば、グヴェンドリン選手の味方です」
すると、串焼きの肉をかじっていた灰原選手が元気に発言した。
「でも、ぜぜっちのマッサージはめっちゃ気持ちいーよ! あたしなんて、瞬殺だったもん!」
『そうですか。分析に関しても、多少の興味を覚えます』
ということで、グヴェンドリン選手は是々柄の毒牙――もとい、魔法の指先で手足や背中のマッサージを施されることになった。
座った状態での、簡単なマッサージだ。しかしグヴェンドリン選手は心から満足げな面持ちであるし、是々柄は分厚いレンズの奥で巨大な目を光らせていた。
「やっぱり北米やヨーロッパ圏のお人らに比べれば、まだしも日本人に近い肉質っすね。ただそこはかとなく、騎馬民族らしい頑強さを感じるっす」
「……本当に、そんなことまでわかるんすか?」
「あくまで、イメージっすよ。日本人ってのは、根っからの農耕民族でしょう? 中国や韓国なんかは騎馬民族の血も入ってるらしいっすから、ちょいと肉質が違って感じられるんすよ。あとはやっぱり、骨格の違いっすね」
グヴェンドリン選手の分厚い肩を揉みしだきながら、是々柄はそのようにのたまわった。
「騎馬民族は上半身、農耕民族は下半身が強いってのが定説っす。でも大陸のお人らは複雑に血筋が入り混じってるから、そんな簡単に区分できないんすよね。そんでもって、単一より複数の血筋が入り混じったほうが頑丈な身体になるって説もあるらしいっす。どこまで真実かはわかんないっすけど、わりあいあたしの印象とは合致するっすね」
「ふーん。で、けっきょくどーゆー結論なわけ?」
「女子選手ぐらいの筋肉量だと、お肉より骨格の影響がでかいのかもしれないっすね。あとは個人間の問題として、遅筋と速筋がいいバランスで鍛えられてるから、立ち技でも組み技でも寝技でもまんべんなくパワーを発揮できるんじゃないかって推察してるっす。で、そもそもシンガポールのお人らは平常体重が重いっすから、日本の一階級上の選手と同等のパワーってのもごく自然な結論っすね」
「なるほど。まあグウェンなんて、平常体重はあたしと変わらないぐらいだもんな。それで試合では大幅にリカバリーするから、そのパワーを保持できるわけだ」
多賀崎選手も興味深げな面持ちで、会話に加わった。
是々柄は「そんなとこっすね」と、グヴェンドリン選手の身から手を離す。うっとりまぶたを閉ざしていたグヴェンドリン選手は、慌てて目を開くことになった。
『本当に心地好くて、眠ってしまいそうでした。それに、この短い時間で稽古の疲れが緩和したように感じられます。あなたの手腕には感服しました』
「それはそれは、いたみいるっす。猪狩さんやユーリさんにもそう思ってもらえたら、あたしは感無量なんすけどね」
「いえいえぇ。ユーリは美味しいお食事さえあれば、疲れも吹き飛んでしまいますのでぇ」
メキシカンピラフで皿が埋まっていたユーリは、瓜子の背中を盾にする。まあ、こんなシチュエーションでもユーリに頼られるのは、まんざらでもなかった。
「まあとりあえず、シンガポールのお人らにパワーで対抗するのは難しいって結論が補強されたっすね。同じアジア人でコレなんすから、日本人はテクニックを磨くしかないってことっすよ。じゃ、ご歓談のさなかに失礼したっす」
と、是々柄はあっさり身をひるがえす。最後まで口を開かなかった六丸は瓜子とユーリに和やかな笑顔を残して、それを追いかけていった。
「なーに、アレ? ヘンなやつだとは思ってたけど、今日はとびっきりだったねー!」
「うん。もしかしたら……青田のやつがシンガポール陣営に苦戦してたから、それをフォローしようとしてるのかもね」
考え深げな顔になりながら、多賀崎選手はそう言った。
「あたし自身、青田のことは気にかかってたからさ。あたしはあいつの強さを体感してるけど……あいつはあたし以上に、シンガポール陣営に手を焼いてるみたいだったもんね」
「ふーん。じゃ、トッキーが言ってた通り、これで化けるんじゃない? あいつ、見るからに執念深そうだもんねー」
そう言って、灰原選手はにっと白い歯をこぼした。
「まあ、青鬼の心配をするのは同門の人らの仕事さ! あたしらは、トッキーとオリビアを応援してやらないとねー!」
「うん。試合まではまだひと月以上もあるから、オリビアたちは苦労すると思うよ」
と、多賀崎選手も笑顔を取り戻した。
「それに、グヴェンたちと手合わせする時間は、青田よりオリビアたちのほうが長いわけだからね。どっちもめいっぱい力をつけて、熱い試合を見せてくれるだろうさ」
「それに、あたしもねー! 九月には、あたしがストロー級のチャンピオン様だー!」
そうして灰原選手が気炎をあげたタイミングで、打ち上げの場に歓声がわきたった。
「んー?」と振り返った灰原選手も、瞳を輝かせる。中庭の奥のほうで、漆原や山寺博人がギターケースを運び込んでいたのだ。
「きたきたー! ほらほら、タツヤくんたちも出番でしょー? みんな、期待してるんだからねー!」
「よっしゃ、今度は俺たちがいいところを見せる番だな!」
「おうよ! ユーリちゃんも、出番だぜ!」
ユーリは天使のような笑顔で、「はぁい」と身を起こす。
いっぽうグヴェンドリン選手は、きょとんとしている。灰原選手の提案で、シンガポール陣営には『トライ・アングル』の生演奏について隠匿していたのだ。遠路はるばる日本まで来てくれた彼女たちに対する、せめてものサプライズであった。
かくして、本年も打ち上げの場にはユーリの歌声が響きわたり――合同合宿稽古は真なるクライマックスを迎えたのだった。




