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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
31th Bout ~Scorching Summer~
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06 世界クラス

「時間が惜しいので、ハルキとグティのスパーは同時に進めさせていただくよ」


 赤星弥生子のそんな宣言によって、瓜子はレオポン選手と、ユーリはグティと、それぞれ向かい合うことになった。

 瓜子たちは組み技ありの立ち技スパー、ユーリたちは寝技のスパーだ。ユーリとグティの力関係をわきまえている瓜子は、べつだんそちらのスパーを拝見できないことに不満はなかった。


 それよりも、問題はこちらのスパーである。

 合宿稽古を行うたびに、レオポン選手とは軽くスパーを行っていたが、どうやら本日は趣が異なっている。それはレオポン選手の眼光の鋭さからも察することができた。


「それでは、始め」


 赤星弥生子の号令で、ふた組のスパーリングが開始された。

 数多くの女子選手が見守る中、瓜子は普段通りにステップを踏む。


 レオポン選手もまた、鋭い足取りで前後にステップを踏んだ。

 やはり、普段の軽いスパーとは勢いが違っている。ほとんどギアを全開にしているのではないかというぐらいの、力強いステップであった。


(男女差がある上に、レオポン選手は二階級も上なんだ。本気でやりあったら、こっちが潰されちゃうよ)


 レオポン選手はユーリたちと同じくバンタム級で、リミットは六十一キロだ。ただし現在は試合までに猶予があるので、七十キロ近いウェイトなのだろうと思われた。

 体重の上では、エイミー選手やランズ選手と同程度ということになる。そしてそこに、男子選手ならではの筋力と骨格の頑強さが加えられるわけであった。


(もちろんレオポン選手も、本気で打ち込んできたりはしないだろうけど……あたしの命題は、完全回避だな)


 レオポン選手の思惑が何であるにせよ、瓜子も無茶な真似はできない。万が一のアクシデントを避けるためにも、レオポン選手の攻撃は手足でガードするのではなく、完全に回避することに決定した。


(バンタム級の人らを相手取るときには、基本的にそのスタイルだからな。あたしのやることに変わりはない)


 そうして瓜子も可能な範囲でギアを上げて、ステップワークを駆使した。

 時間いっぱい逃げ回っても、おたがいに得るものはないのだ。瓜子は相手の攻撃を回避しながら、なんとか自分の攻撃を当てられるように尽力するつもりであった。


 アウトサイドを取った瓜子は、遠い距離から右ローを放つ。

 レオポン選手はそれを難なくガードして、左のジャブを飛ばしてきた。

 瓜子のローが当たる距離なのだから、レオポン選手の拳も届く距離である。しかし、アウトサイドを取られているために身体が開いて、ジャブの鋭さは半減している。瓜子もまた、余裕をもってかわすことができた。


 レオポン選手の身長は百七十センチで、ランズ選手よりも一センチ低く、エイミー選手よりは二センチ高い。この距離感は、彼女たちとのスパーで瓜子の身に馴染んでいた。


(それに、攻撃のスピードはエイミー選手と大差ないみたいだな。もちろん、破壊力は段違いなんだろうけど……これなら、うまくやれそうだ)


 瓜子は、レオポン選手の勇躍を――ひいては赤星道場の勇躍を、心から願っている立場である。よって、少しでもレオポン選手の期待に沿えるように、全力を尽くす所存であった。


(それに、あたしを世界級の選手として見込んでくれたなんて、光栄な話だもんな)


 制限時間は三分であるので、瓜子は体力を惜しまずにステップを踏んだ。

 そうして理想のポジションを取れたときのみ、ローキックか左ジャブ、あるいはミドルキックを射出する。こちらも角度とタイミングを吟味しているので、レオポン選手のカウンターをくらう事態には至らなかった。


 するとレオポン選手も、自分からぐいぐいと接近してくる。

 立松あたりは、今ごろ苦い顔をしているのではないだろうか。足取りだけを見ていれば、完全に本気なのではないかと見まごう勢いであった。


 そして、牽制で振るわれる攻撃も力感にあふれている。

 まともにくらえば、それだけで瓜子は倒れてしまうだろう。その緊張感が、瓜子の心をどんどん研ぎ澄ませていった。


「残り一分」と、赤星弥生子が沈着に告げてくる。

 やはり、三分などはあっという間だ。それでも濃密な時間を過ごしている瓜子は、すでに汗だくであった。


 レオポン選手もまた、小麦色の顔に汗を光らせている。

 その目は爛々と輝いているが、端整な口もとはゆるんでおり、今にも笑みを浮かべそうなほどであった。


(レオポン選手も、楽しいんですね)


 瓜子もまた、存分にこの時間を楽しんでいた。

 レオポン選手のかもしだす気迫と、それによって生み出される緊迫感が、瓜子の心身を活性化させているのだ。


 レオポン選手の鋭い右ストレートが、瓜子の鼻先に迫る。

 アウトサイドに踏み込んでそれを回避した瓜子は、かぼそく光る糸のようなものを見出した。


 その糸を辿るようにして、瓜子は右の拳を振るう。

 大きくのばされたレオポン選手の右腕の下をくぐり、瓜子の右拳が上昇して――その下顎に、クリーンヒットした。


 日中の青田ナナとのスパーでも似たような展開があったが、今回は奥手からの右アッパーだ。六オンスのオープンフィンガーグローブをはめた瓜子の拳に、確かな感触が返ってきた。


 レオポン選手の身体が、ぐらりと傾いていく。

 しかし瓜子はほとんど本能で、頭部をガードした。


 それと同時に、重い衝撃が右の前腕に炸裂する。

 レオポン選手がダウンをこらえて、左フックを叩きつけてきたのだ。


 ぎりぎりガードは間に合ったが、その勢いに押されて瓜子は横合いにたたらを踏んでしまう。

 しかしレオポン選手も追撃の余力はなかったらしく、その場で小さく頭を振っていた。


「そこまで。三分経過、スパーは終了だ」


 赤星弥生子がそのように告げるなり、そこかしこから拍手の音が鳴り響いた。

 手を打ち鳴らしているのは、シンガポール陣営の三名に、小笠原選手や武中選手といった一部の女子選手である。スパーで拍手をいただくいわれはなかったが、瓜子も試合直後のように満たされた心地であった。


「やっぱ、瓜子ちゃんのゲンコツはハンパじゃねえな。もっと薄いグローブだったら、たぶん倒れてたよ」


 レオポン選手は汗だくの顔で笑いながら、手を差し出してきた。


「つくづく、瓜子ちゃんはすげえや。本気でやりあっても、勝てるかわかんねえよ」


「いやいや、それはさすがに言いすぎっすよ」


 レオポン選手と握手を交わしながら、瓜子は心からの笑顔を届ける。

 レオポン選手はいっそう屈託なく笑いながら、「そんなことねえよ」と反論した。


「何せ瓜子ちゃんは、師範と引き分けてるんだからよ。こんなにちっちゃくて可愛くても、立派な怪獣トリオのひとりってことさ」


「可愛いは余計っすよ。ユーリさんこそ怪獣ですから、気をつけてくださいね」


 そうして身を引いた瓜子が視線を巡らせると、少し離れた場所でユーリが正座をしていた。

 その正面にはグティが座しており、小山のような筋肉がふくれあがった肩を上下させている。大汗をかいているのは、グティひとりであった。


 グティと握手を交わしたユーリは、跳ねるような足取りで瓜子に近づいてくる。そしてそのとろんと眠たげな目で、瓜子の身を上から下まで検分してきた。


「うり坊ちゃん、だいじょうぶ? 途中でちらちら拝見していたけれど、試合のように気迫がむんむんであったのです」


「はい。右腕がちょっと痺れてますけど、それぐらいっすね。そっちはやっぱり、隣のスパーを覗き見できるぐらい余裕だったんすか?」


「うみゅ。やはりグティ殿は、ユーリと相性がよろしくないようなのじゃ」


 本日も、グティの寝技はユーリを満足させられなかったようである。

 そうして瓜子たちが語らっていると、赤星弥生子が「さて」と声をあげた。


「さすがにこの後のスパーまで見学していたら、身体が冷えてしまうだろう。皆も各自のトレーニングを開始したらどうだろうか?」


「そうだな。こっちは俺と弥生子ちゃんで、しっかり見張っておくよ」


 この後は、レオポン選手がユーリおよびシンガポール陣営の三名と手合わせをして、グティも寝技のみ参加するのだ。レオポン選手とユーリのスパーは気にならなくもなかったが、それよりもまずは自分の稽古であった。


 そうして女子選手の一行は、再び過酷な稽古に打ち込んで――また瞬く間に時間は過ぎ去っていったのだった。


                  ◇


「レオポンさんは、さすがでしたね! それと互角の勝負ができる猪狩さんも、本当に凄いと思います!」


 稽古の後、そんな言葉を告げてきたのは武中選手であった。

 夜間の部の、リカバリータイムである。夕食は誰もが腹六分目に留めていたので、この時間に最後のカロリー補給をするのが通例であった。


 食堂のテーブルには、夕食の残りとフルーツ類がずらりと並べられている。九月上旬に試合を控えている男子選手以外は、全員が旺盛な食欲を発揮していた。


『ハルキ・ツジは、やはり素晴らしいファイターでした。こちらも大きな刺激を受けることができました』


 翻訳アプリでそのように告げてきたのは、エイミー選手である。残る両名も、熱っぽい面持ちで首肯していた。

 シャワータイムで聞き及んだが、そちらもなかなかの熱戦であったらしい。エイミー選手とグヴェンドリン選手は瓜子と同じく組み技ありの立ち技スパー、ランズ選手は寝技のスパーに取り組んで、それぞれレオポン選手の強さを体感したのだという話であった。


『ハルキ・ツジはやや粗い部分もありますが、勢いや手数の多さで補強されています。本国の男子選手とはまた異なる力を感じました』


『私も同意します。腕力はシンガポールの人間がまさっているのでしょうが、ハルキ・ツジには独特のしなやかさを感じました。また、組み技にも確かな力を感じました』


『寝技の技量は、申し分ありません。それに勝利できるユーリは、やはり一流のグラップラーです』


 ランズ選手のそんな言葉に、ユーリは「うにゃあ」と純白の頭をひっかき回す。ユーリのみ、立ち技と寝技の両方でレオポン選手を相手取ることになったのだ。


「でもでも、立ち技ではなすすべもなかったのですぅ。レオポン選手が手加減していなかったら、ユーリはきっとダウンの嵐だったのですぅ」


 親切なオリビア選手がユーリの言葉を通訳すると、エイミー選手が真剣な面持ちで答えた。


『それは、ユーリも技の制限をしていたためです。立ち技のスパーに関しては、評価を差し控えるべきだと思います』


 ユーリはスパーリングにおいて、無軌道なコンビネーションの乱発などの強引な仕掛けを封印されているのだ。あんなものを繰り出されたら怪我人が続出して、稽古どころではなくなってしまうのだった。


「ま、ハルキくんは《フィスト》の王者だったんだから、強くて当たり前っしょ! てゆーか、そんな相手と真正面からやりあえるあんたたちが、大したもんなんだよ!」


 スパイスのきいたチキンソテーを頬張っていた灰原選手が、元気に口をはさんできた。感心なことに、自分の携帯端末で翻訳アプリの機能をオンにしている。


「身長や体重がおんなじぐらいでも、オトコは筋肉でゴツゴツだもんねー! ハルキくんなんてまだ細いほうだと思ってたけど、やっぱオトコだなーって感じだったもん!」


「まったくだね。それにグティも、健闘してたじゃん」


 多賀崎選手の言葉に、ランズ選手が『はい』と応じた。


『ミスター・グティは観賞用の筋肉が動きをさまたげているようでしたが、やはり技術は本物でした。それを圧倒できるユーリの強さに、驚きを禁じ得ません』


「あれは桃園の機動力あってのことだね。あたしらなんて、すぐさま抑え込まれておしまいだよ。前々から、グティにかなうのは桃園と鞠山さんだけだったもんね」


「グティなんて百キロもあるんだから、当たり前っしょ! やっぱ稽古は、オンナ同士が一番だね!」


『はい。ツジ・ハルキもミスター・グティも刺激的でしたが、やっぱり私は女子選手との稽古に大きな魅力を感じます。ヤヨイコ・アカボシはもちろん、スミレ・オオエヤマもマリア・ハネダもナナ・アオタも、全員が素晴らしいファイターです』


『私も同意します。スミレ・オオエヤマはコブジュツの技を封印しても、ときどき寒気のするようなカウンターを狙ってきました。アイネに連勝していることにも、納得です』


『私は、マリア・ハネダにもっとも驚かされました。あの個性的なスタイルは魅力的で、脅威です』


 どうやら赤星道場の面々は男女ともども、シンガポール陣営に深い感銘を与えたようである。それでこそ、合宿稽古に参じた甲斐があったというものであった。


『それに、ドージョー・ジャグアルの面々も刺激的です。マオ・コウダは個性的ですし、メグミ・アサカの寝技はプロの領域です』


『私はアケミ・ヒョウドウとミヤビの指導力に感銘を受けました。また、マイ・クルスも同様です』


『ミカ・ミドウも、素晴らしいファイターです。再び試合を行っても、勝てるかは不明です。私はバンタム級なので不甲斐ないですが、それが真実です』


 と、初めて顔をあわせた関西勢や天覇館の面々にも話題は及ぶ。瓜子にしてみれば、内心を代弁してもらっているような心地であった。


(シンガポールの人たちも自分と同じような評価っていうのは、やっぱり嬉しいな)


 瓜子がひとりそんな想念を噛みしめていると、少し離れた場所で食事を進めていた小笠原選手が向きなおってきた。


「そういえば、あんまり青田の話題にならないね。シンガポールのみなさんにとって、青田はどういう扱いなのかな?」


 その青田ナナはさらに離れた場所で同門の人々と卓を囲んでいるので、こちらの会話は聞こえていないだろう。

 しかし、翻訳アプリで小笠原選手の言葉を聞き取ったシンガポール陣営の三名は、不明瞭な面持ちで顔を見合わせる。それで小笠原選手は、屈託のない笑みを浮かべた。


「アタシに肩入れをして、青田の分析をする必要はないよ。ただ、みなさんの印象を聞かせてほしいなと思っただけさ」


 シンガポールの面々も、対戦の可能性がある選手たちには公平に接するようにと心がけているのだ。そうしてしばし思案したのち、一同を代表する形でグヴェンドリン選手が発言した。


『ナナ・アオタも素晴らしいファイターですが、他の方々に比べると個性を感じません。私たちにとっては、手慣れたタイプです。私は、同門のフライ級のプロファイターを相手取っている心地でした』


「シンガポールの選手のほうがパワーがあるから、一階級下に感じるってことか。こっちはアンタたちを一階級上に感じるから、それと同じことだね。……じゃあ、二階級下のグヴェンはともかく、エイミーやランズにとっては楽な相手だったってわけだ」


『はい。その事実は、否定できません』


「そっか。そいつは、厄介だなぁ」


 小笠原選手の言葉に、グヴェンドリン選手はきょとんと小首を傾げた。


『今、厄介と言いましたか? それとも、誤訳でしょうか?』


「いや、誤訳じゃないよ。だって青田がこのままだと世界に通用しないって思い知らされたら、奮起するに決まってるじゃん。九月の大会ではどんな風に化けるか、ちょっと予測が立たないね」


 そうして小笠原選手が力強い笑みをたたえると、オリビア選手も「そうですねー」と朗らかに笑った。


「もともと強いナナが、いっそう強くなりそうですねー。ワタシも負けないように、頑張りますー」


「ああ。それでアタシは、どっちが勝ち残っても慌てないように、いっそう頑張るよ。その前に、まずはジジの攻略だけどね」


 そんな両名のやりとりで、シンガポール陣営の三名も合点がいった様子である。そして、強敵の存在に笑う小笠原選手たちの姿に感銘を受けた様子で、それぞれ表情をやわらげたのだった。

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― 新着の感想 ―
シンガポール陣営的には 青田選手はシンガポールでの練習相手と同じで、今の(最新である。作品内の)アクセル・ファイト風なので手慣れているのですね。 うり坊ちゃん、ユーリさん進化深化です!
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