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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
31th Bout ~Scorching Summer~
835/955

03 後半戦

『それでは次は、しっとりと……いや、どっしりと? よくわからないけど、とにかくせいいっぱい歌いまぁす』


 ユーリのMCはまだまだ呑気な調子であったが、次なる楽曲はパワーバラードの『鼓動』であった。

 ミドルテンポで、重々しさと激しさを持つ曲調でありながら、奏でられるフレーズは哀切である。そしてユーリの歌声も、MCとは打って変わって痛切な情感を剥き出しにしていた。


 こちらの歌詞は、大切な相手を想う人間の苦悩と悦楽を描いた内容であるのだ。歌詞の世界に没入することで歌い手としての才覚を開花させたユーリは、本日も瓜子の胸を存分に揺さぶってくれた。


 ピアノとアップライトベースの旋律がユーリの歌声と絡み合って、さらなる哀切さを体現している。

 そして瓜子の心は、山寺博人がかき鳴らすエレアコギターの音色にも、しっかり呼応していた。激しい演奏の裏にひそみながら、この楽曲の骨子となっているのは彼のギターであるのだ。これは彼が作りあげた曲と詞であるのだから、それも当然の話であった。


『トライ・アングル』には、瓜子が魅了された『ワンド・ペイジ』の魅力が余すところなく詰め込まれている。そして、ユーリと『ベイビー・アピール』によってさらなる魅力まで加えられているからこそ、こんなにも瓜子の心を震わせるのだ。


 もちろん瓜子は、今でも『ワンド・ペイジ』を好ましく思っている。どれだけ『トライ・アングル』に魅了されようとも、上下の区別をつけたことはない。言ってみれば、それはMMAとキックボクシングに上下をつけるような行為なのではないかと思われた。


(ルール上ではMMAがキックのすべてを内包しているように思えるけど、キックはルールが制限されているからこそ独自の技術が発展したわけだもんな)


 瓜子はそんな明後日の方向に思案を巡らせたが、涙を止める役には立たなかった。この『鼓動』は、瓜子の涙腺を破壊する筆頭のひとつであったのだ。


 ユーリ自身も白い頬を透明の涙で濡らしながら、熱唱している。

 歌詞の中の大切な相手を瓜子だと仮想して、ユーリは涙をこぼしているのだ。それで瓜子も、いっそうの涙を誘発されてしまうわけであった。


『……以上、「鼓動」でございましたぁ。しっとりどっしりお楽しいいただけたでしょうかぁ?』


 曲が終わると、とたんにユーリはもとの呑気さを復活させる。ショートパンツのポケットから取り出した物販のタオルハンカチで涙をぬぐいつつ、ユーリは『てへへ』と笑った。


『ではでは。気を取り直して、ぷかぷか楽しみましょう。次の曲は、「ジェリーフィッシュ」でぇす』


 ユーリの宣言とともに、山寺博人がゆったりとアコギをかき鳴らす。それにすぐさま加わるのは、ピアノとアップライトベースのみだ。本日は短いステージであったため、もうドラムの交代の時間であった。


 ダイにドラムの席を譲り渡した西岡桔平は、すぐに温かなパーカッションの音色で演奏に加わる。いっぽうダイは、ドラムセットの微調整だ。二台のドラムセットを準備できないこちらのイベントでは、これが定例であった。


 しばらくすると、リュウは幻想的なエレキサウンドで演奏に参加する。タツヤはひとり休憩を決め込み、物販のスポーツタオルでスキンヘッドの汗をぬぐっていた。


 ユーリはゆらゆらと身を揺らしながら、海面を漂うクラゲの歌を歌っている。

 周りの演奏が優しい音色であるため、ユーリも声量を抑えており、甘ったるさが際立っていた。この曲のこのアレンジにおいては、その歌声こそが最適解であるのだ。瓜子にとってもこの『ジェリーフィッシュ』は、癒やしのひとときに他ならなかった。


 やがてダイが微調整をしながら少しずつ演奏に加わると、タツヤもそれを追いかけるようにベースの低音を鳴らし始める。

 そして最後にはしっかりとドラムとベースが加わって、暗い海の底に沈んだクラゲの息苦しさと、その向こうに透けて見える希望の光を、ともに描ききってくれた。


『ではでは、いよいよ後半戦でぇす。ユーリはハンカチを手放せませぇん』


 MCで演出をするという頭がないユーリは、また呑気な声を響かせる。

 その後に披露されたのは、『鼓動』に劣らず瓜子の胸を震わせる『YU』であった。


 これこそ、瓜子とユーリをモデルにしたバラード調のラブソングである。

 そしてこちらは漆原の作であるため、山寺博人が手掛けた『鼓動』とはまた異なる視点で、二人の物語が紡がれている。どんなに愛し合っていても、時にはすれ違い、誤解をして、もうすべてが終わってしまうのではないかと悲嘆に暮れる――一度はユーリとの関係が破綻しかけた瓜子にとって、それは決して他人事とは思えない内容であった。


 しかし最後には最愛の相手とわかり合えて、幸福な結末に至る。

 それで瓜子は、余計に涙を流してしまうのだ。

 ユーリもまた、囁くような涙声で『ありがとう』という最後の歌詞を紡いでいた。


 一瞬の静寂の後、客席からは押し寄せる波のように拍手が巻き起こる。

 ユーリはまぶたを閉ざして頭上を振り仰ぎ、大きく息をついてから、その頬の涙を振り払った。


 そんなユーリが何か語る前に、山寺博人がエレアコギターをかき鳴らす。

 漆原が流麗なるピアノをそこに重ねて、その後にすべての楽器が重く激しい演奏をかぶせた。


 次なる曲は、『スノードロップ』である。

 これは漆原がユーリの変わり果てた姿にインスパイアされて作りあげた、パワーバラードだ。この『スノードロップ』と『Re:Boot』の違いが、すなわち漆原と山寺博人の感性の差異を表しているのかもしれなかった。


 山寺博人が着目したのは、ユーリの肢体にあふれかえっていた生命力だ。ひとたびは生命の維持すら危ぶまれていたユーリがさらにパワーを増大させて復活したことに、山寺博人は大きな感銘を受けたのだろうと思われた。


 いっぽう漆原は、純白の姿に生まれ変わったユーリの新たな美しさに着目した。そしてそこから発想を広げて、無力な白猫のごとき少女の物語を生み出したのだ。

 物語の中では雪が降り、世界を少女と同じ色合いに染めていく。

 それで、意地悪で歪んだ世界と残酷で無邪気な自分は同じようなものだと、少女は理解する――これは、そういう内容であった。


(だから、決して寂しくはない……っていうのが、ウルさんの優しさなのかな)


 瓜子がこの曲で涙を流すことはない。

 だが、心を揺さぶられていることに変わりはなかった。荘厳なまでに美しく重々しい演奏とユーリの無垢なる笑顔と歌声が、他の曲と同じように心の奥底にまで食い入ってくるのである。漆原の感性は理解しきれない部分も多かったが、それも含めて瓜子は魅了されているようであった。


 ユーリもまた落涙することなく、『スノードロップ』を歌い切る。

 客席からは、『鼓動』のときと変わらないほどの拍手が巻き起こっていた。


『ありがとうございまぁす。今のは、「スノードロップ」でしたぁ。雪が降るお話を夏の真っ盛りにお届けするというのも、なかなか趣がありますですねぇ』


 ユーリの声はいまだのほほんとしていたが、その裏にふつふつと熱気の萌芽が感じられた。

 今日のステージは、着実に終わりに近づいているのだ。そんな思いが、ユーリに火をつけたのかもしれなかった。


『ではでは! ラスト二曲は、とばしていきますよぉ。次の曲は、「ハーレム」でぇす』


 大歓声の中、ダイがスネアとタムを乱打する。荒々しい、六拍子のリズムである。

 そして、すべての楽器が激しく音を重ねると、ユーリもそれに合わせてステップを踏み始めた。


 それから一転して、楽曲はアップテンポのエイトビートに移行する。

 その疾走感に、瓜子は背中を突き飛ばされたような心地であった。


 アップテンポの楽曲を数多く手掛けてきた『トライ・アングル』にとって、最新の曲がこの『ハーレム』である。過去の自分たちに負けないようにと、この楽曲には凄まじいまでの爆発力が備わっていた。


 西岡桔平も疾走感のあるドラムを得意にしているが、パワーにおいてはダイが上をいっている。それを証明するかのように、ダイのドラムはとてつもない迫力を見せていた。

 他なる面々もそれぞれの役割をこなしており、楽曲を絢爛に彩っている。山寺博人と漆原はついに最初から最後までエレアコギターとピアノを担当し、エレキギターをリュウひとりに任せていたが、これこそがベストの編成なのではないかと思えるぐらい、魅力的なサウンドが完成されていた。


(三人ともエレキギターを担当してたときなんかは、音やプレイの違いが面白かったけど……あたしは、こっちのほうが好きかもなぁ)


 複数のエレキギターがかき鳴らされると、どれだけ異なる音色を出していても、どこかで混ざり合ってしまう。それがまた、一本のエレキギターでは出せない迫力を生み出すという利点もあるのだ。『ベイビー・アピール』では、その利点が存分に活かされているように思われた。


 しかし『トライ・アングル』においては、この編成がもっとも瓜子の心に刺さるようである。音色がまったく違っているために、それぞれのフレーズがくっきりと浮かびあがるような感覚であるのだ。リュウの攻撃的なエレキギターの音色も、山寺博人の生々しいエレアコギターの音色も、漆原のヒステリックなピアノの音色も、瓜子はすべて好ましく思っていた。


 そして、ユーリの歌声が高らかに響きわたる。

 これで、『トライ・アングル』の楽曲が完成されるのだ。もともと高鳴っていた瓜子の心臓は、危ういぐらいに心拍数をあげることになった。


 そしてこの曲は、歌詞も攻撃的である。

 何せ、この世のすべては敵であり、敵をぶちのめすことが悦楽である自分にとってはハーレムのようなものだ、という内容なのである。

 漆原はそれを、暴れ回って試合に勝つことに置き換えればいいと、ユーリを誘導した。それでユーリもその攻撃的な歌詞に、どっぷり感情移入することができたのだ。


 ユーリはまるで相手を慈しんでいるかのように、首を締めて、手足を折る。それは決して比喩ではなく、直近の対戦相手であるアナ・クララ選手はユーリの変形膝十字固めによって膝靭帯を断裂する事態に至ったのである。


 もちろんユーリは、相手を痛めつけることを目的にしているわけではない。ユーリはベリーニャ選手に心酔しているのだから、理想は相手を傷つけずに勝利することなのだろう。相手に怪我をさせてしまう自分は未熟者だと、そんな述懐をこぼすことも少なくはなかった。


 しかしユーリは、相手を傷つけたことを後悔したりもしない。

 それはおそらく、自分も試合で傷つくことを恐れていないためであるのだろう。ユーリは顔に傷を負ってアイドルを廃業することもやむなしという覚悟で試合に臨んでいるのだった。


 そんなユーリの無垢なる覚悟が、この『ハーレム』に一種独特の凄みを与えているのだ。

 ユーリは笑顔で、心から楽しげであったが、それがまたユーリの特異性を浮き彫りにしているのだった。


(あたしはまだ長期欠場するほどの怪我をしたことはないけど……ユーリさんを見習って、頑張りますよ)


 昂揚する心の片隅で、瓜子はそんな思いを噛みしめた。


『ありがとうございましたぁ! ではでは、次が最後の曲でぇす! 思い残すことのないように、すべての力を振り絞りましょう!』


 自分に言いきかせるように、ユーリはそのように宣言した。

 そうしてステージに響きわたったのは、『ハダカノメガミ』のイントロである。


 Tシャツの結び目を引き千切るようにして解いたユーリは、ひと息で純白の肢体をあらわにする。Tシャツの下に着けているのは、ショッキングピンクのビキニひとつだ。

 そうして色香の権化と化したユーリは、丸めたTシャツを客席に投げ入れて――この夏の最初のステージは、凄まじい熱狂の中でクライマックスを迎えたのだった。

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