表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アトミック・ガールズ!  作者: EDA
31th Bout ~Scorching Summer~
829/955

04 《アトミック・ガールズ》vs《フィスト》(上)

 式典を終えた瓜子とユーリが花道を引き返すと、扉の向こう側にはプレスマン道場の陣営が待ち受けていた。この後は、すぐさま愛音の試合であったのだ。


「ムラサキちゃん、頑張ってねぇ。リングサイドから見守ってるよぉ」


「はいなのです! 今日のKO勝利は、ユーリ様にお捧げするのです!」


 愛音はすでに、肉食ウサギの形相である。ジョンはにこやかに笑っており、サキはクールな仏頂面、蝉川日和はのほほんとしながらも熱っぽい眼差しで、いつも通りの頼もしさであった。


「ウリコとユーリも、おツカれさまー。シアイのあとで、またゆっくりとねー」


「押忍。みなさん、頑張ってください。それじゃあ、失礼します」


 案内役のスタッフに従って、瓜子とユーリは通路を進んでいく。花道とは異なる通用口から、リングサイドの座席に戻るのだ。その行き道でフライトキャップをかぶりなおしながら、ユーリはちょっぴり心配そうな表情を覗かせた。


「ムラサキちゃん、気合はむんむんだけれども……ちょっぴり調子が悪いみたいだから、心配だねぇ」


「ええ。今年の夏は、ひときわ暑さが厳しいですからね。でも、邑崎さんなら気合で乗り越えてくれますよ」


 そのように答えながら、瓜子も一抹以上の懸念を抱えていた。この二週間の調整期間で、愛音は明らかに調子を落としていたのだ。

 その理由は、減量苦である。二十歳になった愛音はますます平常体重が増えてきて、ついに五十三キロを突破してしまったのだ。それは愛音の身体ができあがってきた証拠であるわけだが、減量の苦しさが増すことに変わりはなかった。


(五キロの減量ってことは、ユーリさんと同じ数値だもんな。まあ、一般的には大した数値じゃないんだろうけど……毎回少しずつ負担が増えていくのは、きついよな)


 そして現在は、夏である。汗をかきやすいという意味では減量に適した季節とも言えるが、この暑さの中で栄養と水分の摂取を制限されるのは心身ともに大きな負担であるはずだ。それで愛音は調子を落として、動きの鋭さとスタミナの両面で不安を抱えてしまったのだった。


(ましてや邑崎さんは、背もあるからな。本当に、階級の変更も視野に入れたほうがいいのかもしれないけど……それより、まずは今日の試合だ)


 そうして愛音たちが入場を始めている中、瓜子とユーリは暗い通路を辿ってリングサイドの席に舞い戻った。

 鞠山選手たちは、変わらぬ姿でケージを見やっている。そちらに頭を下げてから、瓜子たちも愛音の勇姿を見守った。


 大歓声を浴びながら、愛音はケージに立ちはだかる。気合は十分であるし、不調を感じさせない堂々たる立ち姿だ。ただ、普段よりも汗の量が多いように感じられた。


 赤コーナー陣営からは、対戦相手が入場する。こちらは地方に住まうフィスト・ジムの選手で、グラップラー寄りのオールラウンダーであるという定評であった。

 そちらの選手もケージインすると、選手紹介のアナウンスが流される。愛音のリングネームは、こちらでも『アイネ・チェリー=ブロッサム』だ。『トライ・アングル』の活動で人気を博する愛音は、惜しみない歓声を送られていた。


 そうしてレフェリーのもとで向かい合うと、なかなかの体格差である。

 相手選手は身長百五十六センチであったので、愛音のほうが五センチほど上回っている。ただし、身体の厚みは相手のほうがかなりまさっているので、愛音よりも大きくリカバリーしているのだろうと察せられた。


 愛音は五キロの半分を食事の制限で落として、残りの半分を水分で落とした。よって、きちんとリカバリーできていれば、現在のウェイトは五十・五キロだ。外見上は、これまでと変わらぬシャープでしなやかなシルエットであった。

 いっぽう相手選手はごつごつとした体格で、一階級上である瓜子よりも逞しく見える。もしかしたら、五キロぐらいはリカバリーしているのかもしれない。リミットが四十八キロであるアトム級としては、小さからぬ数値であった。


(まあ、ドライアウトが身体に馴染めば、五キロぐらいのリカバリーは負担にならないんだろう。でも邑崎さんは、試合のたびに落とすウェイトが増えてるんだもんな)


 なおかつ愛音は、これでようやく本年二度目の試合であるのだ。そちらの面でも、減量が肉体に馴染んでいないはずであった。


(思い返すと、去年末から今年にかけてのブランクが長かったから、余計に体重が増えちゃったのかな。それでも稽古を頑張ってるから、無駄肉なんてない印象だけど……何にせよ、これは正念場だ)


 そうして瓜子たちが見守る中、試合開始のゴングが鳴らされた。

 静かな足取りで進み出た愛音は、ケージの中央でぴたりと足を止める。スタミナに不安を抱えているため、序盤はあまり動かずにカウンターを狙っていく作戦であったのだ。もちろん瓜子も、愛音のためにさんざんスパーを重ねてきた身であった。


 相手選手は慎重な足取りで、間合いを測っている。

 そして愛音が動かぬと見ると、アウトサイドに踏み込んで右ローを繰り出した。


 サウスポーの愛音は右のかかとを浮かせて、その衝撃を緩和させる。

 そして、左肩をぴくりと動かしたが、けっきょく手は返せないまま相手の後退を見送った。

 それもきっと、スタミナを温存するための自制であったのだろう。

 だが――愛音が動かなかったことで、相手選手が勢いづいた。今度はインサイドから踏み込んで牽制の左ジャブを放つや、身を屈めて愛音の胴体に組みつこうとしたのだ。


 愛音はすかさず両手でストッピングをかけて、後ずさる。

 その際に、愛音は大きく息をついた。

 たった一度のアクションで、スタミナを消費したかのようだ。実情は知れなかったが、そのように見て取れる挙動であった。


(……よくないな)


 目の前に立った相手選手は、愛音の一挙手一投足に目を光らせているのだ。これまでのわずかな挙動から、愛音の不調を気取ってもおかしくはないだろう。相手選手とて、この対抗戦に抜擢されたトップファイターなのである。


 相手選手は前後に大きく動いて、愛音を揺さぶった。

 愛音はパンチや蹴りのフェイントを入れるが、実際には手を出さない。それもまた、スタミナを温存しているように見える挙動である。目つきや顔つきは勇ましいまま、愛音はかつてないほどディフェンシブになってしまっていた。


(相手だって、邑崎さんのスタイルを研究してるはずなんだ。足を使うアウトファイターの邑崎さんがこんなに縮こまってたら、調子が悪いって見抜かれるぞ)


 愛音にはジョンやサキがついているので、そんなことは重々わきまえているはずだ。それに、動きを止めて相手を油断させようなどという奇策を準備していないことは、同じ場で稽古を積んでいる瓜子も承知していた。


(つまり……セコンドが発破をかけても動けないぐらい、スタミナが頼りないのか?)


 瓜子は昨日まで稽古をともにしていたが、今日のコンディションはわからない。蝉川日和は問題なしと言い切っていたが――愛音の性格上、同門の人間にも弱みを見せることはないだろう。今ごろ、サキあたりは歯噛みしているのかもしれなかった。


 焦れたような歓声が渦巻く中、相手選手が次なるアクションを見せる。

 アウトサイドに踏み込んでからの、オーバーフックだ。そしてそれは、組み技に繋げるための見せ技であった。


 右フックをガードするために左腕を上げた愛音は、まんまと左脇を差されてしまう。

 そしてそのまま、背後のフェンスに押し込まれた。アウトファイターの愛音が滅多に陥ることのない、壁レスリングだ。

 相手選手は腰を落としてのしかかりながら、頭で愛音の下顎を圧迫する。左脇を差された愛音は背中をのばされながら、苦しげに首をよじった。


 愛音の両足は正面を向いたままで、膝裏とフェンスの間にも隙間ができてしまっている。これでは足をすくわれて、テイクダウンを取られる危険もあった。

 相手は寝技を得意にしているのだから、グラウンドに移行したならばいっそうの窮地だ。相手に上を取られるだけで、尋常でなくスタミナを削られるはずであった。


(ここは、絶対に死守だ。スタミナを使ってでも、脱出しないと――)


 瓜子がそのように考えたとき、隣の席から盛大に声が張り上げられた。


「腰を落として、腕を差し返して! 足もガードしないと、テイクダウンを取られるよ!」


 その声の主は、ユーリであった。

 周囲の人々が思わず振り返るほどの、とてつもない声量である。ユーリはいきなり音楽活動で鍛えあげた咽喉をフル活用したのだった。


「苦しくても、体勢を整えて! いま楽をしたら、あとで余計に苦しくなっちゃうよ! ムラサキちゃんだったら、絶対に勝てるから!」


 すると――苦しげにあえいでいた愛音がぐっと腰を落として、左腕を差し返そうとした。

 足も真横を向いており、足の側面はぴったりとフェンスにつけられている。壁レスリングにおける、基本の防御姿勢であった。


 相手選手はいっそう身を屈めて、再び愛音の背中をのばそうと圧力をかける。

 すると、ユーリがまた声を振り絞った。


「相手が足を引いたら、膝蹴りを狙えるよ! 首があいたら、肘打ちね! 守るだけじゃなく、攻撃も考えて!」


 ユーリは壁レスリングにおいても寝技と同じぐらい成長しつつあるので、そのアドバイスは的確であった。

 そしてきっとその声は、相手選手にも伝わっているのだろう。おもいきり腰を落としていた相手選手は膝蹴りを狙われないように、愛音に密着した。


 腰は落としたままであるので、膝を深く曲げた不安定な体勢だ。

 すると愛音は相手の咽喉もとに右前腕を差し込んで、相手の身を押しのけようとした。

 相手選手は体勢を整えるために、膝をのばして正対する。

 そうして相手も真っ直ぐの姿勢になったならば、フェンスに押しつけられる圧力も減じるはずだ。愛音は横合いに身をずらしながら、相手の首裏を抱え込もうというアクションを見せた。ジョン直伝の、首相撲である。


 相手選手はついに組み合いをあきらめて、愛音の身を突き放し、後方に逃げようとする。

 すると愛音は、思わぬ鋭さで右足を踏み込み――そして、左足を振り上げた。


 離れ際の、ハイキックである。

 後退の途上であった相手選手のこめかみに、愛音の足の甲が浅くかすめる。それで相手選手がたたらを踏むと、愛音が猛然と躍りかかった。


 まずは右のショートフックで、さらに左のボディアッパーに繋げる。

 そして再度のショートフックで相手選手の首裏に手を回すと、そこに左の膝蹴りを連動させた。


 愛音の思わぬ猛攻に惑乱した様子で、相手選手はまた愛音の身を突き放そうとする。

 その顔面に、右の縦肘が炸裂した。

 ジョン直伝の、ムエタイの肘打ちだ。


 大量の鼻血を撒き散らしながら、相手選手は力なく後ずさる。

 それでレフェリーがタイムストップをかけるべく割り込もうとしたが――それよりも早く、愛音が左足を振り上げた。


 再びの、左ハイである。

 相手選手は後退する際に、ガードが下がる癖があったのだ。さらに、先刻と同じようなシチュエーションであったため、タイミングもつかめたのだろう。ただし、相手の足取りが鈍っていたために、先刻よりも間合いが開いておらず――結果、愛音のハイキックは相手選手の右こめかみにクリーンヒットした。


 相手選手は鼻血を四散させつつ倒れ込み、愛音もまたハイキックの勢いを支えきれずにへたり込む。

 愛音はマットに両手をついて、ぜいぜいと息をつき――相手選手は、ぴくりとも動かない。愛音はまだまだ攻撃力が足りていなかったが、蹴り技であればそれ相応の破壊力が備わっているのだ。タイムストップをかけ損なったレフェリーは、厳粛なる面持ちで両腕を交差させた。


「ふふん。イチかバチかの突貫ファイトで、かろうじて勝ちを拾っただわね。愛音らしからぬ、泥臭い試合だっただわよ」


 そんなコメントをこぼしながら、鞠山選手は肉厚の手の平で拍手を打ち鳴らす。

 そうして瓜子が、ユーリのほうを振り返ると――そちらは「わぁい」と無邪気な面持ちで、ぺちぺちと手を叩いていた。


「いや、わぁいじゃないっすよ。いきなり大声を出すから、びっくりしちゃいました」


「てへへ。セコンドでもないのに、エキサイトしちゃったのです。……あれ? これって反則にならないよねぇ?」


 ユーリが不安そうに眉を下げたので、瓜子は「ならないっすよ」と笑い返した。

 会場には歓声が吹き荒れて、愛音の勝利がコールされている。しかし愛音はすべてのスタミナを使い果たしたらしく、マットにへたりこんだまま右腕を上げられていた。


 そうして愛音はコンディションの不調を乗り越えて、KO勝利を奪取して――本日の対抗戦は、《アトミック・ガールズ》陣営の白星で開始されたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ