インターバル オーダーと再会
《アトミック・ガールズ》七月大会から、およそ十日後――八月の初日である。
いよいよ夏らしい酷暑を迎えたその日、瓜子とユーリは千駄ヶ谷に付き添われながら、ひとつの大きな案件と相対することになった。
場所は閑静なる北青山に位置する、立派な建物の一室――若い女性向けの衣料品を中心に制作と販売をしているファッションブランド、『P☆B』こと『ピーチ☆ブロッサム』の東京本社の事務室である。瓜子たちの眼前には、大層な肩書きを持つ女性たちがずらりと並んでいた。
「長らくお待たせしてしまって、申し訳ございませんでした。こちらが弊社でご用意させていただいた、新しい試合衣装のデザイン画となります」
女性のひとりがにこにこと微笑みながら、クリアファイルを差し出してくる。それを開いたユーリは、「わぁい」とはしゃいだ声をあげた。
「やっぱり『P☆B』さんのデザインはかわゆいですねぇ。また『P☆B』さんに試合衣装を作っていただけるなんて、感謝カンゲキ雨アラレなのですぅ」
「こちらこそ、ユーリさんとの再契約および猪狩さんとの初契約が実現できれば、光栄な限りです」
ユーリはかつてこの『P☆B』と、スポンサー契約およびモデル契約を結んでいた。『P☆B』のロゴが入った試合衣装を身につけることで広告料金をいただきつつ、それとは別口で雑誌やカタログのモデルも引き受けていたのだ。
しかし、まずは《カノン A.G》の暗躍で外部の試合衣装の着用が禁止されたことによってスポンサー契約が打ち切られ、『アクセル・ロード』の決勝戦で重傷を負ったことによってモデル契約も打ち切られた。それから一年半ほどを経て、ユーリは再び『P☆B』と契約を結ぶことになり――そして、瓜子もその波に巻き込まれたわけであった。
「ほらほら、このデザインもかわゆいよぉ。みんな素敵で、選ぶのが大変だねぇ。嬉しい悲鳴の連続だねぇ」
「あ、はい、そうっすね。……その前に、ひとつだけ確認させてください。今回は、あくまで試合衣装に関するスポンサー契約なんですよね? モデル契約は含まれてないんですよね?」
瓜子の執拗な確認に、別なる女性が「はい」と微笑む。
「お二人はご多忙な身であられるということで、残念ながらモデル契約は断念することになりました。ただ、試合衣装およびコラボ商品の撮影には了承をいただけましたので、心より嬉しく思っております」
「はあ……それなら、いいんすけど……」
瓜子たちは《ビギニング》との正式契約にともない、そちらで着用する新たな試合衣装を仕立てることになった。そこでユーリが以前からお世話になっていた『P☆B』の名前を挙げたため、辣腕のマネージャーたる千駄ヶ谷が段取りを整えてくれたわけであった。
クリアファイルには、さまざまな試合衣装のイメージ画が封入されている。ユーリはハーフトップとショートスパッツで、カラーリングはピンクとホワイト、瓜子はハーフトップとファイトショーツで、カラーリングはブラックとホワイトという内容であったが――ただし、基本的なデザインは統一されている。同じデザインでカラーリングとボトムの種類を変更したものが、ひと組ずつ準備されていたのだ。それでユーリは、ますますご機嫌なわけであった。
「うーん、ユーリのカラーリングだとこのデザインがかわゆらしいけど……でもでも、うり坊ちゃんのカラーリングだとこっちのほうがかわゆいかにゃあ」
「やっぱりボトムの形状によって、デザインの印象は変わってきますからね。もちろん別々のデザインを選んでいただくことも可能ですが――」
「いえいえぇ、うり坊ちゃんとおそろいのデザインというのが、ユーリにとっては絶対の大前提でありますのでぇ」
とろけるような笑顔で、ユーリはそう言った。
まあ、同じデザインの試合衣装を着用するというのは、《アトミック・ガールズ》の公式ウェアですっかり慣れたところであるが――まるで新婚夫婦がペアルックの服を物色しているかのようで、なんとも面映ゆい。しかし瓜子もユーリの笑顔を見ていると、とうてい文句をつけることはできなかった。
「うーみゅ、悩ましい! うり坊ちゃんは、いかがかしらん? ご意見をプリーズなのですぅ」
「はあ。自分はそこまで、細かいこだわりはないもんで……正直言って、プレスマンのロゴが入ってるだけで感無量なんすよね」
「うにゃあ。それはユーリのセリフなのですぅ」
ユーリは《カノン A.G》の騒乱のさなかに正式に入門した身であるため、プレスマン道場のロゴが入った試合衣装を準備するのはこれが初めてなのである。そして瓜子にしてみても、プレスマンのロゴが入った試合衣装はたった一着しか所有していない身であった。
試合衣装のイメージ画が十組以上も準備されていたが、それらのすべてに『Pressman dojo』と『P☆B』のロゴが入れられている。《ビギニング》との契約でも、企業のロゴを入れることは禁止されていなかったのだ。数多くのスポンサーを抱える選手などは、企業のロゴだらけの試合衣装を着用しているとのことであった。
「でも、あれっすね。ユーリさんはピンクじゃなくって、ホワイトのほうがベースなんすね」
おおよその試合衣装は、ベースの生地に縁取りのラインが入れられている。それで瓜子のほうは黒地と白地のデザインが入り乱れていたが、ユーリのほうは白地でピンクのラインというデザインで統一されていたのだ。
「わたしどもは、お二人のグラビアを参照してこちらのデザインをご準備いたしました。それで、ユーリさんは以前よりもいっそうお肌が白くなられましたので、縁取りのラインをホワイトにするとお肌との境目が曖昧になってデザイン性が損なわれると判断した次第です。それでユーリさんの現在のヘアカラーと同じように、ホワイトをベースにしてピンクをアクセントにする形で統一されたわけですね」
また別なる女性がそのように答えてから、感じ入ったように息をついた。
「ユーリさんも猪狩さんも磨き抜かれたお肌ですので、わたしはたびたび見とれてしまいました。お二人に自分が手掛けた衣装を纏っていただく日が、楽しみでなりません」
「こちらこそ、こんなかわゆい試合衣装を着られる日が楽しみでたまりませんですぅ」
そうして十五分ばかりも思い悩んだ末、ようやく一着の試合衣装が選出された。
あちこちにデフォルメされた炎のようなマークがプリントされたひと品である。聞くところによると、それは炎ではなくオランダの国花たるチューリップのマークであるとのことであった。道場の創始者であるレム・プレスマンがオランダ出身であるため、モチーフに取り入れられたのだそうだ。
ユーリは白地にピンク、瓜子は黒地にホワイトで、それぞれ縁取りのラインやロゴやチューリップのマークが入れられている。どことはなしに、ポジとネガの対になっているような印象だ。これならばペアルック感も緩和されるので、瓜子としても満足な仕上がりであった。
「では次に、トレーニングウェアですね。こちらは、『ティガー』さんとのコラボ商品になります」
《アトミック・ガールズ》の公式ウェアを受け持っている『ティガー』との共同開発で、入退場の際に着用するウェアも作製されるのだ。そちらも基本のデザインは、『P☆B』に一任されているのだという話であった。
こちらはよりスポーティーなデザインで、三つのパターンが準備されている。ただし、そのすべてにホワイトとブラックとオレンジのカラーリングが存在した。なおかつ、ジャージの上下とTシャツのセットである。こちらはゆくゆく、コラボ商品として一般発売される予定になっていた。
「そしてこちらは、弊社単体とのコラボ商品のサンプルです」
そのような説明とともに提出されたのは、プレスマン道場ではなくユーリや瓜子の名前が入ったTシャツとパーカーだ。こちらは商品が売れるごとに、瓜子たちにマージンが入るのだという話であった。
(『P☆B』と『ティガー』のスポンサー料だけでも、けっこうな額だったのになぁ。……こういうのを、金が金を呼ぶっていうのかなぁ)
《アトミック・ガールズ》のウェアや試合衣装などは運営陣たるパラス=アテナに契約料が入るだけで、選手やセコンドは実費で買い取るのだ。そして、《カノン A.G》のロゴを《アトミック・ガールズ》のロゴに差し替えるという騒ぎがあったため、それにまつわる新たなデザイン料や返品の賠償などはすべてパラス=アテナが背負うことになり、この近年でようやく返済が済んだところであった。
然して、こちらの試合衣装とウェアに関しては無料で作製してもらえるばかりでなく、スポンサー料まで頂戴することになる。《ビギニング》の試合は世界中に配信されるため、それだけの広告効果が生まれると判じられたのだ。そして、そんな具合に話を進めていったのは、もちろん千駄ヶ谷に他ならなかった。
「もう少し時期が早ければ、水着にも着手できたのですが……それはまた、来年にでもご提案させていただければと思います」
女性のひとりがにこやかな面持ちで、そんな恐ろしいことを言い出した。
「あとは、お二人のイメージに合わせた下着を開発してみてはどうかという意見も挙がっていたのですが――」
「いえいえいえ! 自分たちは、これだけで十分です! どうかご勘弁願います!」
そうしてようやく話はまとまり、瓜子たちは『P☆B』の事務室を出ることになった。
慣れない作業で、瓜子は疲労困憊である。救いは、ユーリの笑顔ばかりであった。
「では、本日の打ち合わせはここまでとなりますが……『サマー・スピン・フェスティバル』の追加チケットに関しては何とか目処がつきましたので、そちらは当日にお渡ししようかと思います」
「あ、こんな急な話だったのに、なんとかなったんすか。どうもありがとうございます」
本年の『サマー・スピン・フェスティバル』も『トライ・アングル』が出場するため、数多くの女子選手が来場する。その入場チケットを、関係者のコネクションから抽選無しで購入できるようになったのだ。そして、シンガポールからやってくる三名の分までお願いできないかと、二週間ほど前にお願いすることになったのである。
「ささやかながら、これも『トライ・アングル』の海外人気を後押しする一助になりえるかもしれません。……それでは私は所用がありますので、失礼いたします。くれぐれも、体調管理にはお気をつけください」
「はい。どうもお疲れ様でした。千駄ヶ谷さんも、お気をつけください」
そうして千駄ヶ谷は自前のボルボで消えていき、瓜子とユーリは予約していたタクシーに乗り込む。本日の雑務はこれにて完了して、あとは楽しい稽古ざんまいであった。
「にゅふふ。試合衣装はオーダーできたし、土曜日はムラサキちゃんたちの試合だし、日曜日は『トライ・アングル』のライブだし、次の週には合宿稽古だし……楽しみすぎて、とろけてしまいそうですわん」
「なんか今年は、例年以上に盛りだくさんって印象っすね。実際のところは《フィスト》の試合観戦が入ってるだけっすけど……そこまでの日程は、みんなグヴェンドリン選手たちもご一緒しますしね」
「にゃはは。うり坊ちゃんの嬉しそうなお顔が、いっそうユーリをエツラクのキョーチに導くのですぅ」
「そりゃあ自分だって、この日を心待ちにしてましたからね」
やがてタクシーがプレスマン道場に到着すると、そこに瓜子を笑顔にする人々が待ち受けていた。
グヴェンドリン選手、エイミー選手、ランズ選手――シンガポールからやってきた、ユニオンMMAの女子選手たちである。八月の初日である本日が、彼女たちの到着日であったのだった。
瓜子たちが道場の扉をくぐると、まずはグヴェンドリン選手が「ウリコ!」と駆けつけてくる。その力強い指先が、瓜子の手の先をわしづかみにした。
「ウリコ、サイカイ、ハッピーデス! アー……コンニチハ!」
片言の日本語で語るグヴェンドリン選手に、瓜子は心を込めて「こんにちは」と笑顔を返す。
そして、仏頂面で近づいてきたエイミー選手は携帯端末に英語で何事かを告げてから、それをユーリのほうに突き出した。
『ユーリ、おひさしぶりです。再会できたことを、とても嬉しく思っています』
いかにも機械の合成らしい女性の声で、そんな内容が伝えられてくる。きっと、翻訳アプリというやつであるのだろう。ユーリはふにゃふにゃ笑いながら、「ないすとぅみーちゅーですぅ」と返した。
そして、三月以来の再会となるランズ選手は、ひとり無言ではにかんでいる。彼女は先月、《アトミック・ガールズ》七月大会の前日に行われた《ビギニング》本国大会において、見事に勝利をあげたのだという話であった。
この三名が、この夏のビッグゲストである。
彼女たちは本日から半月ばかりも日本に滞在して稽古に励みつつ、数々のイベントに参加する。彼女たちの存在が、瓜子たちの夏をいっそう豪奢に飾りたててくれるはずであった。




