表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アトミック・ガールズ!  作者: EDA
31th Bout ~Scorching Summer~
819/955

07 ストロー級王座決定トーナメント(下)

「なんだ、あんたまで勝ったのかよ。あたしの劇的なKO勝利がかすんじまうじゃないか」


 亜藤選手が控え室に戻ってくると、顔面を真っ赤に腫らした山垣選手が皮肉っぽく笑いかけた。

 まだレバーのダメージを引きずっている亜藤選手は「うるさいよ」と素っ気なく返して、控え室の奥に引っ込んでいく。そして両者はそれ以上、言葉を交わそうとしなかった。長きにわたってライバル関係であった黄金世代のメンバーは、個人的な交流をつつしんでいるようであるのだ。


 しかし山垣選手の皮肉っぽい笑顔には、どこか満足そうな感情がにじんでいるようにも感じられる。

 それで瓜子は、またひそかに胸を温かくすることになったのだった。


「さあ、いよいよ最後の試合だねぇ。……これはちょっと、どっちを応援したものか迷っちゃうなぁ」


 時任選手がそんなコメントを発すると、灰原選手が「んー?」と小首を傾げた。


「トキトンは、黄金世代の応援をしてたんじゃないの? だったら、迷うことないじゃん」


「でも次は、後藤田さんと鞠山さんだからなぁ。同世代なのは後藤田さんだけど、鞠山さんはそれより古い世代だし……しかも鞠山さんは、沈滞してるベテラン勢の中でただひとり結果を出し続けたっていう立場だからねぇ」


 なかおつ、鞠山選手と後藤田選手は数年ぶりの対戦で、以前は後藤田選手が連勝していたのだ。ここで後藤田選手の勝利を願うと、さらに古い世代の勇躍を阻むという結果に落ち着くわけであった。


「そんなややこしいことは考えないで、好きなほうを応援すりゃいーじゃん! ま、あたしにとってはどっちも決勝戦の対戦候補だから、どっちも応援する気はないけどねー!」


「ふうん? こういう場合は、自分に勝った相手を応援したくならないのぉ?」


「それはそうかもだけど、魔法老女を応援する気にはなれないからねー!」


 などと口では言いながら、灰原選手は鞠山選手の勝利を祈っているのだろう。二人は仲良しのケンカ仲間であるし、灰原選手はこの大舞台で鞠山選手にリベンジを果たしたいと願っているはずであった。


 そんなわけで、ストロー級王座決定トーナメント第一回戦の最終試合は、鞠山選手と後藤田選手の一戦である。

 まずは青コーナーから、魔法少女仕様の試合衣装を纏った鞠山選手が入場する。そのセコンドは、天覇ZEROのトレーナー陣と――そして、ドミンゴ氏であった。


「敬愛するお師匠様が見守っているのだから、まりりん殿は何としてでも勝ちたいところだろうねぇ」


 と、隣のユーリがぼしょぼしょと瓜子に囁きかけてくる。

 ドミンゴ氏は瓜子たちと数日遅れで日本にやってきて、ずっと天覇ZEROで鞠山選手に稽古をつけていたというのだ。瓜子たちがそれを知ったのは、本日この会場でドミンゴ氏と再会を果たしてからのことであった。


「みなさんのおかげでりんじしゅうにゅうができたので、ひさびさににほんのくうきをあじわいにきたのです」


 ドミンゴ氏はにこにこと笑いながら、そんな風に言っていた。

 が、瓜子たちが支払ったギャランティなど、そんな大層な額ではない。往復の旅費と滞在費だけで、綺麗になくなってしまうことだろう。それだけの費用をかけて、ドミンゴ氏はわざわざ来日を果たしたのだった。


「ひさびさに、はなこのしあいをこのめでみとどけたかったのです。これもウリコやユーリのしあいがエキサイティングだったからですね」


 ドミンゴ氏は、そんな風にも言っていた。

 まあ、瓜子たちを相手に虚言を弄することはないだろう。何にせよ、鞠山選手とドミンゴ氏は、それだけ深い絆で結ばれているのだった。


 そんなドミンゴ氏を引き連れているためか、鞠山選手は鼻息が荒くなっている。魔法のステッキを使ったバトン芸も、普段より二割ばかり鋭さを増しているように感じられた。


 いっぽう後藤田選手は、静謐なる無表情で入場する。

 後藤田選手は天覇館の選手らしく、沈着な人柄であるのだ。この大一番でも、その冷静なたたずまいに変わるところはなかった。


 ただ――黄金世代でもっとも精彩を欠いているのは、この後藤田選手であろう。後藤田選手は練習中の故障で二度までも瓜子とのタイトルマッチをキャンセルしていたし、その後の試合で灰原選手や亜藤選手にも敗れてしまったのだ。この直近の一年ぐらいではもっとも負けが込んでおり、同じ黄金世代である亜藤選手にも敗れてしまったのがいっそうの陰りとなっていた。


 なおかつ後藤田選手はベテランぞろいの黄金世代の中でも最年長であり、近年の試合ではダメージの蓄積が指摘されている。灰原選手にも亜藤選手にも同じアッパーで敗れていたのが、その印象を強めていた。


(……運営陣だって、やっぱり一番のぼり調子なのは灰原選手と鞠山選手だって見なしてるだろうしな)


 そして両選手は人気投票ベストテンの常連であり、きわめて華のあるコスプレファイターである。以前ほどショー的要素を重んじていない《アトミック・ガールズ》でも、人気と実力を兼ね備えた選手をプッシュしたいと考えるのは当然の話なのであろうと思われた。

 そうして灰原選手には、唯一の中堅選手である奥村選手が当てられて――鞠山選手には、この後藤田選手が当てられた。それがまた、非情な現実を指し示しているのかもしれなかった。


(でも、後藤田選手は引き立て役で終わるような選手じゃないはずだ。間違っても、油断なんかはしないだろうけど……普段以上に用心してくださいね、鞠山選手)


 不調の後藤田選手には再起を願いたいところであるが、さりとて鞠山選手との交流を二の次にすることはできない。この試合ばかりは、瓜子も全力で鞠山選手を応援するしかなかった。


 やがて両選手は、レフェリーのもとで向かい合う。

 後藤田選手も大柄ではなく、身長は百五十三センチだ。ストロー級でもっとも小兵であろう鞠山選手よりも、五センチ大きいだけの数値であった。


 なおかつ、両名ともに名うてのグラップラーである。鞠山選手は赤ん坊をそのまま巨大化させたような独特の体型であるが、後藤田選手は全身がくまなくがっしりとした四角い体型であった。


 後藤田選手が両手を差し出すと、鞠山選手は短い足を前後で交差させながら、左手でスカートのような装飾をつまみつつ、右手の拳でちょんと応じる。

 そうしてフェンス際まで退いたのち、大きな口で大きく息をつくと――鞠山選手の平たい顔に、普段通りのふてぶてしい表情がよみがえった。


 眠たげなカエルを思わせる目は油断なく光り、大きく広がっていた鼻の穴も通常のサイズに戻る。ようやくドミンゴ氏の存在に対する過度な意識を仕舞い込むことができたようだ。瓜子は人知れず、安堵の息をつくことになった。


 そうして試合開始のブザーが鳴らされて、後藤田選手はゆったりと前進する。

 それと相対する鞠山選手は、カエルのようにぴょこぴょことしたステップワークだ。その足さばきも、普段通りの躍動感に満ちていた。


 同じ歴戦のグラップラーでありながら、立ち技のスタイルはまったく掛け離れている。鞠山選手はマット中を駆け巡りながら豪快な攻撃を振るうアウトファイターで、後藤田選手はディフェンス能力に長けたインファイターだ。相手の攻撃を巧みにさばきながら柔道仕込みの足技や組みつきでテイクダウンを狙うというのが、後藤田選手の基本的なスタイルであった。


(それで、寝技でも鞠山選手の猛攻をしのげるぐらいの技術を持ってるから、過去には連勝できたわけだもんな)


 しかしこの数年で、鞠山選手は技の練度が増している。個性的なファイトスタイルはそのままに数々の選手を下して、トップファイターに仲間入りしたのだ。この三年ばかりは瓜子にしか負けておらず、イリア選手や灰原選手や亜藤選手や武中選手といった強豪を下してきたのだった。


 鞠山選手は後藤田選手が勝てなかった灰原選手や亜藤選手に勝利しているのだから、すでに番付は逆転していると見なすことができるだろう。

 しかし、勝負というのはそんな簡単な話ではない。選手同士の相性というものによって、大きく左右されるのだ。後藤田選手が他の選手にはない強みを持っていれば、別なる方面から鞠山選手を苦しめることができるはずだし――やはり、勝負の鍵を握るのは寝技の技量なのではないかと思われた。


(今のストロー級で鞠山選手の寝技に真っ向から対抗できるのは、後藤田選手ぐらいだろう。まずは……このスタンドで、鞠山選手がどれだけ優位に立てるかかな)


 鞠山選手は悠然たる足取りで、ぴょこぴょこと後藤田選手の周囲を回っている。

 ユーリを思い出させるぐらいせわしないステップだが、こちらは鞠山選手なりの計算に基づいたステップワークであるのだ。その厄介さは、二戦した瓜子の身にもきっちりと刻みつけられていた。


 後藤田選手は悠揚せまらず、鞠山選手の接近を待ち受けている。

 ただ――その姿が、普段よりも大きく見えた。これまで後藤田選手はクラウチングのスタイルであったが、本日はアップライトに近いぐらい背筋がのびているのだ。寝技に自信があるゆえに、テイクダウンの仕掛けを恐れずに立ち技で勝負をかけようという意思表示であるのかもしれなかった。


 それで警戒心を抱いたのか、鞠山選手はなかなか近づこうとしない。

 客席からは、焦れたような歓声が巻き起こっている。これまでの試合がかなりアクティブに進められていたので、そのギャップがいっそうのもどかしさを生むのかもしれなかった。


 すると、鞠山選手が遠い間合いでぴたりと立ち止まる。

 後藤田選手は――動かなかった。あくまで、鞠山選手の接近を待つ構えであるようだ。


 観客がブーイングをあげる前に、鞠山選手はステップワークを再開させる。

 そして、アウトサイドに大きく踏み込むなり、豪快な右ローを射出した。


 鞠山選手にしてみれば、様子見の一打であったのだろう。

 しかし、後藤田選手の反応は速かった。鞠山選手が攻撃のために足を止めるのと同時に、思わぬ機敏さで角度を修正しつつ前進し、背筋をのばしたまま鞠山選手の身につかみかかったのである。


 後藤田選手は鞠山選手の首裏に両手を回しつつ、鞠山選手の左足を内側から引っ掛けた。

 右ローを出したばかりであった鞠山選手は軸足を掛けられて、呆気なく倒れ込んでしまう。寝技に自信を持つ鞠山選手は、組み技の攻防に重きを置いていなかったが――それにしても、これほど鮮やかにテイクダウンを奪われるのはほとんど初めてなのではないかと思われた。


 鞠山選手は背中から倒れ込み、後藤田選手はその上にのしかかる。

 後藤田選手の右足は、鞠山選手の両足にはさみこまれている。ハーフガードのポジションだ。後藤田選手はマウントポジションを奪取するべく、右足を抜こうと試みたが――それよりも早く、鞠山選手はぎゅりんと腰を切り、横合いに上半身を逃がした。


 そして鞠山選手は足だけで相手の右足をコントロールして、背中に覆いかぶさろうとする。

 マットに突っ伏しかけた後藤田選手はすぐさま身をよじり、鞠山選手と正対して、さらにブリッジで体勢をひっくり返そうと試みた。

 その頃には鞠山選手も腰を浮かせており、後藤田選手のブリッジを受け流してから、あらためて上体にのしかかろうとした。


 後藤田選手は下から腕を突っ張って、鞠山選手の重圧をはねのけようとする。

 しかし、下のポジションで腕を差し出すというのは、危険な行為である。鞠山選手はその間隙を見逃さず、両手で相手の左腕を抱え込んだ。

 それと同時に相手の右足を解放し、まずはマウントポジションを奪取する。そのまま腕ひしぎ十字固めを狙える、絶好のポジションだ。


 鞠山選手は相手の左腕を抱えて、横合いに倒れ込もうとした。

 すると後藤田選手はその動きに合わせて、上体を起こそうとした。

 すると鞠山選手はマットについた右足を踏ん張って、倒れ込む動作を途中で取りやめた。このまま腕ひしぎ十字固めを狙うと、身を起こした後藤田選手に上のポジションを取り返される――と、一瞬で判断したのかもしれなかった。


 それでも普段の鞠山選手であれば遠慮なく技を仕掛けて、相手に上を取らせた状態からさらなる反撃を試みたことだろう。

 しかし今日の相手は、歴戦のグラップラーたる後藤田選手だ。うかうかと上を取らせていい相手ではなかった。


 鞠山選手は左腕を抱え込んだまま、マウントポジションに舞い戻る。

 後藤田選手が大きくブリッジをしたが、それはまた腰を浮かせて無効化した。


 マウントポジションで左腕を取られた、後藤田選手としてはきわめて危険なポジションである。

 しかし後藤田選手は臆することなく、鞠山選手の股座に右腕をねじこもうとした。普通は両手をロックして関節技に備えたくなる場面であったが、能動的にポジションを入れ替えようと手を進めたのだ。


 すると鞠山選手はその右腕を乗り越えて、後藤田選手の首裏に左足をねじこもうとした。三角締めを狙うアクションだ。

 しかし後藤田選手は両足のロックを固められるより早く、鞠山選手の肉厚の左腿を抱え込み、右半身を上げる格好でブリッジをした。


 最初からこのアクションを狙っていたのか、鞠山選手が三角締めを狙ったので対応したのか――真実は知れなかったが、絶妙のタイミングだ。三角締めを狙った鞠山選手は不安定な体勢であったため、そのまま横合いに倒れ込むことになった。


 だが――その倒れ込む挙動が、途中でぐんっと勢いを増した。

 倒れ込む過程で、鞠山選手が左足でマットを蹴ったのだ。

 そして、右足首の内側で後藤田選手の首裏をすくいあげつつ、抱え込んだ左腕をおもいきり引っ張っている。自らのブリッジの勢いにそれらの力が加算されて、後藤田選手は必要以上に上体を浮かせることになり――そして最後には自らもマットを蹴って、鞠山選手の上で一回転することになった。


 おそらくは、左腕に何らかの圧力をかけられたのだろう。瓜子の目ではとらえきれなかったが、あの鞠山選手に両手で左腕を抱えられながら、本来の意図とは異なる体勢を取ることになったのだ。手首か、肘か、肩か――そのままの体勢でいたらいずれかの関節を破壊されるという圧力を受けて、強引に逃げることになったのだろうと思われた。


 結果、後藤田選手は背中からマットに倒れ込み――それと同時に、鞠山選手も横合いに倒れ込んだ。

 その両足は、すでに後藤田選手の左腕を捕獲している。

 後藤田選手が一回転している間に、今度こそ腕ひしぎ十字固めのポジションを完成させていたのだ。


 鞠山選手の手の中で、後藤田選手の左腕が真っ直ぐにのばされる。

 だが、鞠山選手がマットに倒れ込むアクションにブレーキをかけたため、弓なりに反り返ることはなかった。


 限界近くまで腕をのばされた後藤田選手は、なんとか右手で鞠山選手の足を払いのけようとする。

 しかし、鞠山選手の分厚い足はびくともしない。どう見ても、腕ひしぎ十字固めは完成されているのだ。あとは鞠山選手がマットにぴったりと背中をつけて、わずかに腹を押し出すだけで、後藤田選手の左肘靭帯は断裂の危険に見舞われるはずであった。


 その危険なポジションをキープしたまま、鞠山選手はレフェリーのほうを振り返る。

 後藤田選手がタップをしなければ、あとは靭帯を破壊するしかないのだ。それを止めることができるのは、もはやレフェリーしか存在しなかった。


 レフェリーは、真剣そのものの目つきで後藤田選手がもがく姿を見つめて――そののちに、両者の身をタップした。

 その瞬間、ユーリが「うにゃあ」と感極まった声をあげる。


「相手選手にケガをさせずに、寸止めで勝負を決めたのですぅ。これこそが、グラップラーとして理想の境地なのですぅ」


 瓜子が詰めていた息を吐きながら振り返ると、ユーリは陶然たる面持ちでまぶたを閉ざしつつ、両手の指先を胸もとで組み合わせていた。

 

「やっぱり、まりりん殿はすごいにゃあ。罵倒されるだけだろうけど、心からの尊敬と祝福を捧げたいにゃあ」


「思うぞんぶん、してあげたらいいっすよ。鞠山選手だって、内心では嬉しいはずです」


 そんな瓜子たちのやりとりは余所に、客席には歓声と拍手が吹き荒れていた。

 一ラウンド三分六秒で、鞠山選手の一本勝ちである。先日のユーリとは異なり早い決着であったものの、この試合でも鞠山選手は一発の打撃もヒットさせないまま勝負を決めたのだった。


 鞠山選手は肩で息をしながらターンを切って、カーテシーの挨拶を見せる。

 その平たい顔は、汗だくだ。終盤の寝技の攻防だけで、存分にスタミナを使うことになったのだろう。後藤田選手の実力が確かであったからこそ、素晴らしい寝技の攻防が展開されたのだった。


 いっぽう敗北した後藤田選手はマットに座したまま、ぜいぜいと息をついている。右手で左腕を抱え込んでいるのは、小さからぬダメージを負ったためだろう。きっと鞠山選手は靭帯が壊れる一歩手前の段階で技を固定して、後藤田選手のタップアウトを待ったのだ。故障はしていなくても、それなり以上の痛みはずっと感じていたはずであった。


 レフェリーに右腕を掲げられたのち、鞠山選手は後藤田選手のもとに膝をつく。

 後藤田選手は、ゆっくりと顔を上げ――そして、鞠山選手に笑いかけた。

 鞠山選手もまた汗だくの顔でにんまりと笑いながら、後藤田選手の膝にぽんと手の平を置く。


 長きにわたって選手活動を続けてきた両選手の胸中には、いったいどのような思いが渦巻いているのか――若輩の瓜子には、計り知れない。

 ただ、二人が笑っているだけで、瓜子は何か救われたような気分であった。


『それでは、素晴らしいグラウンドテクニックで勝利を収めたまじかる☆まりりん選手に――え? あれ? どうしました?』


 と、リングアナウンサーがおかしな調子で声をあげたので、瓜子も小首を傾げることになった。

 モニターに映し出されているのは、セコンドのドミンゴ氏だ。

 ドミンゴ氏はにこにこと笑いながら、マットに膝をついた鞠山選手のもとに歩み寄り――その手に携えていたものを、鞠山選手の短い首に引っ掛けた。


 それは、黒い帯である。

 うろんげに眉をひそめながら、胸もとに垂れた帯の先端をつまみあげた鞠山選手は――カエルのように、ぴょこんと起き上がった。


 その大きな口が慌ただしく何事かを語るが、まだ歓声が吹き荒れているためカメラのマイクでも拾われない。

 そして、ドミンゴ氏のほうも笑顔で何事かを語り――それを耳にした鞠山選手が、やおらぽろぽろと涙を流し始めた。


「わー、なになに!? 魔法老女が泣くとこなんて、初めて見たんだけど!」


「これは……たぶん、黒帯が授与されたんだよ」


 多賀崎選手のそんな返答に、灰原選手は「んー?」と首をひねる。


「そーいえば、魔法老女はこのお師匠のおっちゃんがブラジルに帰っちゃったから、黒帯を取得できなかったんだっけ? でも、MMAの試合で勝って黒帯の授与とか、意味わかんなくない?」


「いや、MMAの試合でも柔術の技術が活かされれば、昇帯がらみの評価につながるんだよ。まあ、流派によって細かい取り決めは違ってるんだろうけど……ほら、《JUF》でも試合に勝ったブラジルの選手がリングの上で黒帯を授与されてたことがあったろ」


「だから、《JUF》とかマトモに見たことないんだっての! ……まあ、魔法老女の貴重な泣き顔を拝めたから、なんでもいっか」


 と、灰原選手は白い歯をこぼした。

 モニターでは、鞠山選手がドミンゴ氏の身をひしと抱きすくめている。そして客席には、いっそうの歓声と拍手が巻き起こり――瓜子もまた、ユーリとともに心からの拍手を送ることになったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ドミンゴ氏もこの為に日本にきたでしょうね。微笑ましい限りです。 ここで顔に傷負ってないってことは、やはりローリングガールとは時間軸ズレがあるとのことでしょうか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ