06 ストロー級王座決定トーナメント(中)
「よう、次はあんたの番だからな」
控え室に戻ってくるなり、山垣選手はふてぶてしい笑顔でそう言い捨てた。
その言葉を向けられたのは、ウェアを着込んでくつろいでいた灰原選手である。灰原選手はパイプ椅子の上で器用にあぐらをかきながら、「ははん」と鼻で笑った。
「そんなボコボコの顔で、なに言ってんのさ。ま、リベンジマッチは二ヶ月後なんだから、せいぜい練習がんばってねー」
「ふふん。その小生意気なツラをボコボコにしてやるのが楽しみだよ」
山垣選手は不敵に笑いながら、控え室の奥側に引っ込んでいく。
しかし山垣選手はサバサバとした気性をしているため、どんなに荒っぽい言葉を吐いても他者を不快にさせることが少ない。灰原選手も、むしろ闘志をかきたてられた様子で楽しげに笑っていた。
「いやー、やっぱトーナメントは盛り上がるねー! 次の勝負は、どっちが勝つかなー!」
「こっちも、予想をつけにくいね。武中さんを応援したいところだけど、亜藤さんも調子を上げてきてるからなぁ」
「ふふーん! あたしはその両方に勝ってるけどねー!」
と、灰原選手は灰原選手で無邪気な性格をしているため、やっぱり失礼な発言をしてもどこか憎めない。ただし体裁を保つために、多賀崎選手が頭を引っぱたいていた。
そんな中、一回戦目の第三試合が開始される。
こちらは、武中選手と亜藤選手の一戦だ。
武中選手は、もう二年近くも前から懇意にさせてもらっている相手である。ただし、プレスマン道場の出稽古に参加したのは瓜子たちがシンガポールから帰国した日のみであり、あとは合宿稽古ぐらいでしか稽古をともにしたことはない。彼女は兄ともども、ビートルMMAラボという名門ジムで実力を上げてきた選手であった。
彼女はストライカー寄りのオールラウンダーか、あるいはオールラウンダー寄りのストライカーと称される、全局面で確かな実力を発揮できるタイプだ。もっとも得意なのは打撃技であるが、テイクダウンとグラウンドのポジションキープにも長けており、パウンドで勝負を決めた試合も数多かった。
いっぽう亜藤選手は、ストロー級きってのレスラーである。思い切りのいい打撃技と相手の攻撃を跳ね返す頑強な肉体がストロングポイントであり、テイクダウンとポジションキープの技術は武中選手を上回っているはずであった。
「愛音は、武中選手を好ましく思っているのです。でもこの一戦は、亜藤選手に分があるように思うのです」
「ほうほう。そのココロは?」
「武中選手はインファイトがお得意ですけれど、亜藤選手は頑丈なボディで耐えてしまいそうなのです。そして亜藤選手はテイクダウンのディフェンス能力も際立っているので、武中選手がテイクダウンを取るのは難しいように思うのです。そうすると、武中選手の勝ち筋が見えてこないのです」
「にゃるほろ。他の階級の選手のことまでそんなに研究してるなんて、ムラサキちゃんは立派だねぇ」
「と、とんでもないのです! すべてはユーリ様のような至高のファイターを目指すための努力であるのです!」
愛音とユーリの微笑ましい会話を聞きながら、瓜子はそちらの一戦を見届けた。
確かに愛音の分析は、一理あるのだろう。両者はまったく異なるファイトスタイルでありながら、攻め手におけるストロングポイントだけは共通しているのだ。そしてその点において優位性を確保しているのは、亜藤選手のほうなのだろうと思われた。
(でも、試合ってのはそう簡単じゃないからな)
それを証し立てるかのように、武中選手は常ならぬアクションを見せた。
中間距離から、蹴りを多用したのだ。これはインファイトを得意にする武中選手が、これまで見せたことのない動きであった。
もちろん相手はレスリング巧者であるため、迂闊に蹴ればテイクダウンの餌食であろう。それを回避するために、武中選手はアウトサイドに上手く踏み込んで、テイクダウンを取られる危険の少ない角度とタイミングで蹴りを放っていた。
対戦の組み合わせは今日になってから発表されたので、亜藤選手への対策としてこの動きを身につけたわけではないのだろう。彼女は現在、技の引き出しを増やすべく奮闘しているはずであるので、その成果を披露しているのだろうと思われた。
ただし、亜藤選手も瓜子が中学生の時代から活躍しているベテランファイターである。なおかつ、サキやイリア選手といった厄介なアウトファイターを相手取ってきた身であるため、こういった攻防にも手馴れていた。
それで亜藤選手が選択したのは、強引な接近と荒っぽい打撃技だ。
中間距離を保とうとする武中選手のもとにずかずかと踏み込み、左右のフックをぶんぶんと振り回す。カウンターの打撃は頑丈な肉体で跳ね返し、テイクダウンの仕掛けは技術とパワーで跳ね返そうという、自分の力を信じた上での前進と猛攻だ。これこそが、亜藤選手の最大の強みであった。
(本当に、小さな戦車みたいなお人だよな。……同じ階級だと、まったく小さく見えないしさ)
亜藤選手は身長百五十五センチ、武中選手はそれよりも三センチ大きいていどとなる。ただし亜藤選手は骨太で、リカバリーの数値もかなりのものであるのだろう。肉体の厚みは、ストロー級の日本人選手で随一であるはずであった。
しかし武中選手も、怯むことなく攻撃を返していく。武中選手も勇猛なインファイターであるが、それは情熱的な気性が原因であり、技術そのものはきわめて洗練されているのだ。相手の防御をかいくぐって攻撃を当てる技術は、小柴選手にも負けていなかった。
だがやはり、どれだけの反撃をくらっても、亜藤選手の前進は止まらない。瓜子や灰原選手も、この頑丈さにはさんざん悩まされたのだ。武中選手の反撃の手は的確であったものの、パワーや意外性というものに欠けていた。
(予測できる攻撃は、耐えやすい。何か、相手の意表を突ける技を出せれば――)
瓜子がそのように考えたとき、斜め後方に下がった武中選手が左足を振りかざした。
亜藤選手はそちらに向きなおりながら、奥足であった左足を大きく踏み出す。それでおそらく、武中選手が狙っていた距離と角度が完成して――強烈な三ヶ月蹴りが、亜藤選手のレバーにクリーンヒットした。
これは瓜子も予想外であったし、そもそもレバーの急所は予測していても耐えられないダメージが炸裂する。それでついに、亜藤選手が足を止めることになった。
武中選手はそれでも逸らず、中間距離をキープしたまま、今度は前蹴りを射出する。
前蹴りであれば、蹴り足をつかまれる危険も少ない。また、レバーにダメージを負っていれば、腹部への衝撃がことさら効果的である。その選択が、武中選手の冷静さを物語っていた。
みぞおちの付近に前蹴りをくらった亜藤選手は、身を屈めながら後ずさる。
あの頑丈な亜藤選手が、自ら退いたのだ。これは瓜子や灰原選手との対戦でも、そうそう見せなかった姿であった。
それでも武中選手はインファイトを仕掛けようとはせず、遠い距離からの右ストレートと前蹴りで亜藤選手を追い込んでいく。
腹を守れば顔面に、顔面を守れば腹にという、的確な打ち分けだ。何より、一定の距離と組み合いを避ける角度を保っているのがクレバーであった。
さらに武中選手は、カーフキックを射出する。
これで前足を潰せば、さらに盤石であろう。どんなに頑丈でも機動力を封じられれば、あとはサンドバッグになるしかなかった。
「うわ、これはさすがに、やばいかな?」
と、時任選手がそんな声をあげる。
時任選手は瓜子たちを間にはさんで武中選手と交流を深めていたが、それでもやっぱり黄金世代の亜藤選手に思い入れを抱いているのだろう。交流と言っても打ち上げをご一緒するていどの話であるので、十年来の戦友とは重みが異なるはずであった。
瓜子もまた、心情的には交流を深めた武中選手を応援する身であるが、さりとて黄金世代の敗北を願っているわけではない。そして、強いほうが勝利するだけだという絶対の真理を胸に、この一戦を見守っていた。
(ただ、亜藤選手は回復力も平均以上だから、長丁場に強い。ここで徹底的に追い込むか、長期戦に備えてスタミナを温存するかは……難しいところだな)
武中選手は、すでにかなりのスタミナを使っている。亜藤選手の前進から受けるプレッシャーに耐えながら、この有利な展開にまで持ち込んだのだ。今も果敢に手を出しているので、その分までスタミナを削っているはずであった。
(それ以上のダメージを与えられれば、長期戦にも不安はないけど……亜藤選手はどれだけ攻め込まれても軸が揺るがないから、ダメージの程度がわかりにくいんだよな)
きっと数々の攻撃をヒットさせている武中選手も、どれだけのダメージを与えることができているのか、判断に迷っているに違いない。
そこで武中選手が選んだのは、カーフキックであった。
亜藤選手がどれだけ頑丈でも、足のダメージだけは試合中に回復しない。足さえ潰せば長期戦にもつれこんでも優位に立てると考えたのだろう。
そして――おそらくは、亜藤選手もそのように考えたのだ。
武中選手が二発目のカーフキックを放つなり、亜藤選手は奥足で大きく踏み込みながら、武中選手に肉迫した。
カーフキックは命中したが、前に踏み出した奥足に重心が掛けられたため、ダメージは半減だ。
そして、武中選手が蹴り足を戻すより早く、亜藤選手の両腕が相手の胴体を抱え込んだ。
武中選手は押し倒されまいとして、蹴り足を途中で下ろし、自らも亜藤選手に体重をあびせようとする。
すると――亜藤選手が、いきなり身をのけぞらせた。
武中選手の体重移動を利用しての、フロントスープレックスである。
亜藤選手はレスリング巧者であるが、スープレックスの類いはあまり見せたことがない。それで武中選手は、完全に意表を突かれたようであった。
武中選手は受け身も取れず、頭からマットに叩きつけられる。
そうして亜藤選手はすぐさま身をひねり、グラウンドでサイドポジションを奪取したが――レフェリーが、その分厚い肩をタップした。
亜藤選手がぜいぜいと息をつきながら身を起こしても、武中選手は動かない。武中選手は頭を打った衝撃で、意識を飛ばされてしまったのだ。
この予想外の結末に、客席からは大歓声が吹き荒れる。
そして控え室では、時任選手が「わあ」とのんびり声をあげた。
「山垣さんに続いて、亜藤さんまで勝っちゃったよぉ。これはちょっと、できすぎだなぁ。ねえ、サキさん?」
「うるせーなー。アタシはフィストの一派じゃねーってんだよ」
「いやいや、所属ジムはこのさい関係ないかなぁ。うちらは普段から、そんなに交流があるわけでもないしねぇ」
そういえば、亜藤選手が所属するガイアMMAもフィスト・ジムの系列であったのだ。
しかし本人も言っている通り、所属ジムは関係ないのだろう。瓜子もまた、黄金世代の連勝に思わぬほど胸を震わせていたのだった。
武中選手や宗田選手は、それぞれ未来を嘱望されている若手の実力選手である。それを、ベテランファイターが返り討ちにしたという構図であるのだ。
瓜子などは、それ以上に若い世代であるわけだが――それでもやっぱり、《アトミック・ガールズ》のファンであった身として、古豪の勝利に深い感銘を受けてしまったのだった。
(あたしはむしろ、黄金世代の人たちをサキさんのライバルとして見てた立場だけど……最近は、ベテランファイターが若い選手の引き立て役みたいになっちゃってたもんな)
そうして瓜子が見守る中、亜藤選手の右腕がレフェリーによって掲げられた。
亜藤選手は左腕で右脇腹を抱え込みつつ、左足一本で立っている。レバーと右足のダメージは、やはり深刻であったのだ。それでも亜藤選手は痛みで顔を歪めながら、ふてぶてしく笑っていた。
そんな亜藤選手に、客席からは惜しみない歓声と拍手が送られている。
客席にも、黄金世代の活躍を喜ぶ人間は少なからず存在するのだろう。
瓜子は得も言われぬ感慨を噛みしめながら、素晴らしい試合を見せてくれた両選手に拍手を送ることにした。
 




