04 開戦
瓜子の手からマウスピースをくわえて、愛音に魔法のステッキを受け渡したのち、ボディチェックを完了させた小柴選手は力強い足取りでケージに上がっていった。
客席には、まだ歓声が吹き荒れている。トーナメント戦を控えた前座の試合としては、上々の盛り上がりであろう。対戦相手の中堅選手こそ、この時ならぬ盛り上がりに度肝を抜かれているかもしれなかった。
(ほんと、お騒がせしちゃって申し訳ないね。でも、ここからはあなたたちが主役だよ)
フェンスの外のエプロンサイドに肘をつきながら、瓜子は小柴選手の背中を見守った。
それで瓜子は、ふっと思う。瓜子はこの七月大会でデビュー四周年を迎えたが、そのデビュー戦の相手はこの小柴選手であったのだ。
それから四年を経て、瓜子はデビュー戦で相手取った選手のセコンドとしてこの場に控えている。考えてみれば、これもずいぶんな運命の変転であった。
(小柴選手と仲良くなったのは、出会った次の年のゴールデンウィークだけど……それでも、もう三年以上だ。それだけの期間、一緒に頑張ってきたんだから、今日だって絶対に勝てますよ)
瓜子がそんな想念にひたる中、リングアナウンサーが選手紹介のコールをする。
相手はフィスト・ジム系列の、ストライカーだ。あくまで中堅という肩書きであったが、《アトミック・ガールズ》と《フィスト》の両方に参戦してかなりの試合数をこなしている、有望な若手選手と聞いていた。
いっぽう小柴選手は瓜子の二歳年長であるので、二十四歳の世代となる。今ではもう、れっきとしたトップファイターだ。さらに若いトップファイターたちの活躍で薄れがちだが、判定勝負までもつれこむこともほとんどなかったし、その実力は一級品であった。
(小柴選手は、もともとの堅実さに強引さやクレバーさまで備わってきたからな)
それはファイターとして、立派な強みであろう。瓜子自身、意外に器用だ慎重だという評価を受けながら、最後の頼みは突貫ラッシュであるのだ。そういう二面性を持っているほうが、戦略の幅も広げられるのではないかと思われた。
そうして試合開始のブザーが鳴らされると――まずは、堅実な打撃の攻防が交わされた。
グローブ空手の出身である小柴選手は攻守ともにレベルが高いし、基本をしっかり押さえている。なおかつ最近では相手の嫌がる部分を攻め込むという狷介さも身につけて、いっそう強靭に仕上がっていた。
そんな小柴選手が今回の試合で披露したのは――積極的な、テイクダウンの仕掛けであった。
その作戦を授けたのは、柳原である。相手はストライカーであるし、小柴選手も着実にテイクダウンの技術が向上していたため、そこでアドバンテージを取ろうという目論見であった。
小柴選手は綺麗な打撃の攻防を見せつつ、随所にタックルのフェイントやニータップを織り込む。
それで、相手選手の出足が鈍った。小柴選手もストライカーとして名を馳せていたが、その試合衣装は鞠山選手との繋がりを如実に示していたし、ここ最近はパウンドで勝負を決める試合が多かったのだ。小柴選手にテイクダウンを取られることには、最初から警戒しているはずであった。
「その調子です! どんどん仕掛けていきましょう!」
「一分半経過なのです! もっと攻撃を散らすのです!」
「小柴選手、頑張ってくださぁい」
そんなセコンドの声を受けながら、小柴選手は押し気味に試合を進めていく。
すると、いったん下がった相手選手が猛烈なる気合をみなぎらせた。
「来ますよ! 下がらず、受けてたちましょう!」
咄嗟に、瓜子はそんな言葉を飛ばしていた。
ここで引くと、試合の主導権を奪われる――そんな感覚が、脳裏に駆け巡ったのだ。
相手選手は、猛然と突っ込んできた。
小柴選手は鋭くアウトサイドにステップを踏み、横合いから右の鉤突きを叩き込む。
さらに、左のローで相手のバランスを崩してから、右の肘打ちに繋げる。
最後の肘打ちは浅かったが、決死の突進をいなされた相手選手は空気が抜けた風船のように下がろうとした。
「チャンスです! 追い込みましょう!」
小柴選手は身を沈めながら、右のオーバーフックを放った。
相手選手は気弱げに頭を抱え込んで、それをガードする。
次の瞬間、小柴選手は相手の胴体に組みついていた。
さらに左足を引っ掛けて、相手を背中から押し倒す。勢いもタイミングも、申し分なかった。
そうしてグラウンドで上を取ったならば、パウンドの嵐である。
これこそが、小柴選手の最近の勝ちパターンであった。
相手選手は頭を抱え込みながら、横を向いてしまう。
その弱々しい挙動に、レフェリーは迷わず試合を止めた。
「やったぁ」と、ユーリが瓜子の腕を抱え込んでくる。
客席からは、大歓声だ。試合時間は二分二十五秒、パウンドアウトで小柴選手のTKO勝利であった。
最後のラッシュでスタミナを使った小柴選手はぜいぜいと息をつきながら、レフェリーに腕を上げられる。
そして、その固い表情が見る見るほどけていき――最後には、子供みたいな泣き顔になってしまった。
フェンスの扉が開かれたので、瓜子たちも小柴選手のもとに駆けつける。
すると小柴選手は顔をくしゃくしゃにしながら、瓜子の手を握りしめてきた。
「ありがとうございます……みなさんのおかげで、勝ちを拾えました……」
「今日は、小柴選手の貫禄勝ちっすよ。小柴選手なら打ち負けないって信頼があったから、背中を押せたんです」
小柴選手はぽろぽろと涙を流しながら、笑ってくれた。
愛音の差し出したタオルで涙をぬぐい、その後は勝利者インタビューとなる。リングアナウンサーの笑顔も、どこか我が子を見守る保護者のように満足げであった。
『本日も暴虐なるパウンドのラッシュで勝利を収めた、まじかる☆あかりん選手です! あかりん選手! 五試合連続KO勝利、おめでとうございます! いよいよタイトルマッチが視野に入ってきたのではないでしょうか?』
『は、はい……わたしなんて、まだまだですけれど……チャンスをいただけたら、全力で挑みます』
『本日はバンタム級とストロー級の王座決定トーナメントで盛り上がっていますが、アトム級にはそれに負けない強豪選手がひしめいておりますので目を離せませんね! タイトルマッチの他に、注目している選手などはいますでしょうか?』
『は、はい……邑崎さんと犬飼さんと大江山さんは、みんな強敵ですけれど……まずは、以前に負けてしまった犬飼さんにリベンジしたいと思っています』
一見気弱でありながら、言うことは言う小柴選手である。それにきっと、今は試合の直後で気が昂っているのだろう。よってこれは、本心がこぼれた結果なのだろうと思われた。
『まじかる☆あかりん選手の今後の勇躍を期待しております! 以上、冷血の青き魔法少女! まじかる☆あかりん選手でした!』
瓜子たちは出口で合流して、小柴選手とともにケージを下りる。その間も、歓声の勢いはまったく減じなかった。
いまだ瓜子たちに歓声を送っている人間もいるのかもしれないが、大半の人間は小柴選手の試合に心を震わせていることだろう。瓜子も小柴選手の盟友として、誇らしい限りであった。
「お疲れさまぁ。今日も豪快に勝ったみたいだねぇ。わたしも負けないように頑張るよぉ」
入場口に到着すると、次の出番である時任選手が待ち受けている。やわらかな表情をたたえた時任選手に、小柴選手は「はい!」と一礼した。
「時任さんも、頑張ってください! 今の時任さんなら、中堅選手なんて目じゃありません!」
「ありがとぉ。猪狩さんたちも、お疲れさまぁ」
「押忍。時任選手の勝利をお祈りしています」
長話をするのは申し訳ないので、瓜子たちは早々に撤退する。
そうして控え室を目指すと、ちょうど灰原選手の陣営が出てくるところであった。
「おー、コッシー、おつかれー! いやー、今日も無慈悲なパウンドの嵐だったねー! 五連続KOなんて、すごいじゃん!」
「あ、いえ。わたしはパウンドばかりですし……灰原さんのほうが、すごいじゃないですか」
「あたしはうり坊や魔法老女のせいで、連勝記録がストップしちゃったからなー! ま、これからどんどん積み上げていくつもりだけどねー!」
灰原選手は陽気な笑顔だが、その目には気合の炎が燃えている。相手が中堅の奥村選手でも、油断などは微塵もないだろう。灰原選手は闘争心の旺盛さで、油断とは無縁のタイプであるのだった。
「灰原選手も、頑張ってください。トーナメントは、初戦が大事っすからね」
「おーよ! あたしの華麗なKO勝利を目に焼きつけるがいいさ!」
灰原選手は肉感的な腕を振り回しながら、通路を闊歩し始める。苦笑を浮かべた多賀崎選手やトレーナー陣もそれに続き、瓜子たちは控え室に足を踏み入れた。
こちらでは小笠原選手やオリビア選手、それにプレスマン道場や天覇館の面々がお祝いの言葉をぶつけてくる。感激屋さんの小柴選手は目もとを潤ませながら、それに応じることになった。
「それじゃあ、クールダウンっすね。いい攻撃はもらってないと思いますけど、どこか気になる場所はありますか?」
「いえ、特には……あ、ちょっと拳が疼きますけど、痛めたりはしていないと思います」
瓜子はバンテージを巻き取り、愛音は氷嚢で首筋をマッサージする。ユーリはドリンクボトルとタオルを携えながら、にこにこと笑っていた。やっぱりこんな三人で小柴選手のお世話をするというのは、なかなか奇妙な心地である。
そうしてバンテージを外してみると、小柴選手の拳はずいぶん赤くなっていた。
しかし、腫れたりはしていないし、痛みもないというので、骨や筋に問題はないのだろう。瓜子は新しい氷嚢で、小柴選手の赤い拳を冷やすことにした。
「やっぱりパウンドって衝撃が逃げにくいから、拳にダメージが溜まりますよね。本当に、痛みとかはありませんか?」
「は、はい。パウンドで勝ったときは、いつもこんな感じです。……あ、猪狩さんもこの前の試合は、パウンドで勝負を決めましたよね。あんな物凄い勢いで殴ったら、わたしは拳を痛めちゃいそうです」
「猪狩センパイは反則級の骨密度なので、気の毒なのは相手選手なのです。……まあ、今回の相手には同情する気にもなれませんでしたけれど」
「ああ、体重超過はよくないですよね。しかも、あんな身長で無理やりストローに落としたんなら、なおさらです。それなら無理せずフライやバンタムで試合をしろって思います」
そんな言葉を交わしていく内に、小柴選手はじわじわと普段の穏やかさや生真面目さを取り戻していく。時間が過ぎて、心もクールダウンしてきたのだろう。そんな姿を間近から見守れるのも、セコンドの役得であった。
そこで、モニターから歓声が爆発する。
何事かと思って瓜子が振り返ると、パイプ椅子で観戦していた小笠原選手が説明してくれた。
「時任さんがラッシュでダウンを奪って、そのままチョークを決めたんだよ。一ラウンド一本勝ちなんて、数年ぶりなんじゃないのかな」
「へえ、すごいっすね。今日の相手は、中堅選手でしたっけ?」
「うん、調整試合だね。それでも時任さんが初回から仕掛けるなんて、珍しいと思うよ」
瓜子もアグレッシブな時任選手などは、あまり記憶に残されていない。長期欠場から復帰して鞠山選手と対戦した折などは、なかなか果敢に攻め込んでいた印象であったが――せいぜい、それぐらいのものだ。どんな試合でもマイペースに進めて判定勝利を収めるというのが、時任選手の勝ちパターンであったのだった。
(つまり、アグレッシブに攻めるのは勝ちパターンじゃないから、負けることが多いってことなんだろうな。実際、鞠山選手にも負けてたし……今回は、それでも勝てたってことか)
瓜子がそのように考え込んでいると、オリビア選手が笑顔で発言した。
「カナエも勝ったり負けたりだから、色々と考えてるんじゃないですかねー。ワタシは気持ちがわかるような気がしますー」
「ああ、オリビアも時任さんも階級を上げて、勝負をかけたわけだもんね。ましてや時任さんは、ベテランの域だし……そりゃあ思うところは多そうだ」
「はいー。しかも、同期の三人が王座決定戦に抜擢されたわけですからねー。ワタシだったら、燃えると思いますよー」
その同期たる三名は出番が近いため、ウォームアップに余念がない。
小柴選手のクールダウンに励みながら、瓜子は妙にしみじみとした心地であった。
(時任選手も、サキさんとしのぎを削ってたひとりだから……やっぱり何だか、感慨深いな)
黄金世代の四名は、王座を阻んだサキやイリア選手にリベンジできないまま現在に至っている。なおかつ、時任選手を除く三名は新たな王者たる瓜子にも敗北してしまったため、今回の王座決定トーナメントは選手生命を左右する大一番になるはずであった。
(それでもあたしは、灰原選手か鞠山選手が優勝すると思ってるけど……黄金世代の人たちだって、きっと意地を見せてくれるはずだ)
瓜子が人知れず、そんな思いを噛みしめる中――ついに、ストロー級の王座決定トーナメントが開始されたのだった。