ACT.1《アトミック・ガールズ》七月大会 01 入場
そうして日は過ぎて、七月の第三日曜日である。
瓜子たちが最初に迎える夏の大一番、《アトミック・ガールズ》七月大会であった。
瓜子とユーリは試合を行わず、出場するのは王座返上のセレモニーだ。《ビギニング》と正式契約を交わした両名は他なる団体の公式試合に出場できない身の上となったため、《アトミック・ガールズ》の王座を返上しなければならないのだった。
そして今回はその王座返上にともなって、ストロー級とバンタム級の王座決定トーナメントが開催される。言うまでもなく、これが今大会の目玉であった。
ただこのイベントは、ずいぶん風変わりなシステムが採用されている。
各階級のトップファイターを八名ずつ集めたトーナメント戦という形式におかしな点はなかったのだが――その対戦の組み合わせが、試合の当日に発表されるという手はずになっていたのだ。
どうやらそれは、王座返上が決定するタイミングが原因であったらしい。
瓜子たちが王座を返上するかどうかは、《ビギニング》ブラジル大会の試合結果およびその後の話し合いを待たなければならなかったのだ。そこから《アトミック・ガールズ》の七月大会までは三週間の猶予しかなかったため、それならばいっそ対戦の組み合わせは当日まで秘匿しようという方針に落ち着いたようであった。
「ま、たった三週間じゃ対策を練るのも中途半端になっちゃうしねー! あたしは何がどーでも、全然かまわないけど!」
元気な声でそんな風に宣言したのは、毎度お馴染み灰原選手である。
場所は、プレスマン道場が所有するワゴン車の車内だ。今日も今日とて、四ッ谷ライオットの両名はこちらの車に便乗していた。
灰原選手も多賀崎選手も、元気そのものである。
瓜子たちにとっては三週間の別離の後、次なる三週間を同じ稽古場で過ごした立場であったが――再会当初に抱いた懐かしさはすっかり払拭されて、もともとの馴染み深さが完全に蘇った心地であった。
「それに、対策を練るのが得意か不得意かで差が出ちゃいそうだしね。もし三週間前に対戦の組み合わせが発表されてたら、対策が得意な選手――たとえば、鞠山さんあたりが有利になっちゃいそうだもんな」
多賀崎選手がそんな声をあげると、灰原選手は「ふーんだ!」と気炎をあげた。
「あんな魔法老女、どんな条件でもあたしがぶっとばしてやるさ! 今度こそ、ベルトはあたしのもんだからねー!」
「ああ。ストロー級も強豪ぞろいだけど、やっぱり一番の難敵は鞠山さんだろうな。あたしも心して、バニー様にお仕えさせていただくよ」
《フィスト》の八月大会で大一番を控える多賀崎選手は、今回セコンドの役割である。
なおかつ今回は、プレスマン道場の所属選手はひとりとして出場しない。しかし、立松とジョン、柳原とサキ、瓜子とユーリ、愛音と蝉川日和という八名が、出稽古の選手たちのセコンドとして来場することになったのだ。これもなかなか、破格な話であるはずであった。
「まあ、俺たちもアトミックの会場に出向かないと落ち着かない性分になっちまったからな。どうせ猪狩と桃園さんの晴れ舞台を見届ける必要もあったんだから、ちょうどいいさ」
ワゴン車の運転に勤しみながら、立松はそう言っていた。
ちなみにこれだけの人員をセコンドに出そうと提案したのは、柳原である。瓜子たちがブラジルに遠征している間に、出稽古の面々からセコンドの要請を受けた柳原が、このような形で仮決めしていたのだ。それで、立松やジョンが承諾を与えた格好であった。
「ホントだったら、またうり坊にあたしのセコンドをお願いしたいところだったけどねー! ま、うちはセコンドに不自由してるわけじゃないし、しかたないか!」
「それ以前に、灰原さんはストロー級のトーナメントに出場する身だろ。前王者が特定の選手に肩入れするってのは体裁が悪いから、そんなお願いをされてもお断りしてたよ」
「もー! 立松っつぁんコーチは変なとこで堅苦しいよねー! うり坊には甘々なくせにー!」
「お、俺は誰にも甘い顔などしておらんぞ! 猪狩も、なんとか言ってやれ!」
「そうっすよ。立松コーチは平等なお人なんですから、絶対にえこひいきなんてしませんよ」
「おー! うり坊のほうも、愛情がにじんでるなー! 立松っつぁんコーチは妻も子もいるんだから、おいたはダメだよー?」
「いい加減にしろ」と、多賀崎選手が苦笑を浮かべつつ灰原選手の頭を引っぱたいた。
「もう猪狩たちが帰ってきてから三週間ばかりも経ってるってのに、あんたはまだ浮かれてるみたいだね。大事な試合でポカするんじゃないよ?」
「あたしがそんなヘマするわけないでしょー? 魔法老女が相手でも、KOでぶっとばしてみせるさー!」
「あんたと鞠山さんはダブル本命だろうから、一回戦目で当たることはないだろうさ。まさか、くじ引きで対戦相手を決めるわけでもないだろうしね」
「えへへー。聞いた聞いた? あたしが本命だってよー!」
「それはそうでしょう。エントリーされた八人の中で、一番立派な対戦成績を持ってるのは灰原選手なんですからね」
そして鞠山選手はその灰原選手に唯一勝利した選手であるため、ダブル本命と称されているのだろう。瓜子としても、灰原選手と鞠山選手のどちらかが優勝するのだろうと考えていたし、また、それを期待していた。
「いっぽう、バンタムのほうは混戦模様だよね。まあ、もともとアトミックにはバンタムの選手が少なかったから、外部の選手を呼ぶしかなかったんだろうけど……まさか、青田まで乗り込んでくるとはね」
「うんうん! 青鬼は《フィスト》の王者だもんねー! ここはトッキーやオリビアに踏ん張ってもらわないと! ……あ、きっとジュニアもセコンドでひっついてくるから、うり坊はご機嫌でしょ?」
「それはまあ、弥生子さんにお会いできたら嬉しいっすけどね。……だから、すねないでくださいってば」
「すねてないですぅ」
「まさかいきなり小笠原と青田をぶつけないだろうけど、高橋やオリビアあたりは際どいセンかな。あたしは青田の強さを知ってるから、どんな組み合わせでも楽しみなところだよ」
「うんうん! ヨッシーやオリビアや鬼っちが青鬼と当たったら、応援してあげないとねー! うり坊も、裏切ったらダメだよー?」
「それはもちろん、出稽古でお迎えしてる選手を応援させていただきますよ。試合が終わったら、ノーサイドですしね」
そんな言葉を交わしている間に、試合会場である『ミュゼ有明』に到着した。
そうして関係者専用の出入り口に向かってみると、そこには出稽古に迎えている選手一行が待ちかまえている。ただ高橋選手や鬼沢選手の姿はなく、小笠原選手、小柴選手、オリビア選手の三名であった。
「どうも、お疲れ様です。天覇のみんなはプレスマンからセコンドをお借りしないんで、先に控え室に向かいましたよ」
「小笠原さんたちは、わざわざ待っててくれたのかい? 義理堅いこったね」
「そりゃあこんな人数でお世話になるんですから、本当に感謝してますよ。なんだか、プレスマンに入門した気分です」
いつも通りの朗らかな笑顔で、小笠原選手はそう言った。そのかたわらに控えているのは、見覚えのない娘さんだ。それは雑用係をお願いした、武魂会東京本部の門下生であるとのことであった。
プレスマン道場の陣営は八名となるため、小笠原選手には二名、小柴選手とオリビア選手には三名ずつがセコンドとして配置されるのだ。小笠原選手は立松とサキ、小柴選手は瓜子とユーリと愛音、オリビア選手はジョンと柳原と蝉川日和という内訳になっていた。
「ど、どうも。今日はよろしくお願いします」
と、子犬のようにつぶらな瞳を輝かせた小柴選手が、頭を下げてくる。瓜子が小柴選手の担当になると発表された際には、それこそ尻尾を振る子犬のように喜んでくれたのだ。
なおかつ、ユーリもこちらに組み込まれたのは、バンタム級の選手から外した結果であり――愛音はおそらく、ユーリから離すと文句を言いそうな気配が濃厚であったためであろう。どのみち若年の愛音は雑用係という立場であったため、誰につけても支障はなかったのだった。
「さて、控え室の割り振りなんかは、どうなってるのかな。もしかしたら、小笠原さんとオリビアさんが対戦する可能性もあるんだもんな」
「いや、そういう組み合わせにはならなかったみたいです。アタシもオリビアも、同じ赤コーナー陣営でしたからね」
「ほう。それじゃあ控え室の割り振りで、一回戦目に当たらない相手だけは知れるわけだな」
ということで、プレスマン道場と四ッ谷ライオットの一行も、控え室の割り振り表を興味深く拝見することにした。
ストロー級とバンタム級の精鋭が それぞれ四名ずつ赤と青に分けられている。
ストロー級で赤コーナー陣営とされたのは、灰原選手、亜藤選手、後藤田選手、山垣選手。青コーナー陣営とされたのは、鞠山選手、武中選手、奥村選手――そして、この大会でMMAの試合に復帰する、宗田星見選手という顔ぶれであった。
いっぽうバンタム級は、赤コーナー陣営が小笠原選手、オリビア選手、高橋選手、鬼沢選手で、青コーナー陣営が青田選手、ジジ選手、そして外様の三ツ橋選手およびサム・ウヌ選手であった。
「この三ツ橋やサム・ウヌってのも、ナナ坊と同じく《フィスト》の選手なんだよな。それにジジ選手を含めた四名を、アトミック生え抜きの四名が迎え撃つ格好か」
「ええ。なんとか全勝といきたいところですけど……そこまで甘い連中じゃないでしょうからね。誰と当たるのか、楽しみなところです」
そうして一行がいざ控え室に向かおうとしたタイミングで、新たな面々が登場した。
青田ナナと、赤星道場のセコンド陣である。本日は、赤星弥生子、青田コーチ、大江山すみれという顔ぶれであった。
「よう、今日も隙のない布陣だな。なかなかの確率で、うちが面倒を見てる人らと対戦することになりそうだけど、恨みっこなしでいこうや」
立松が不敵な笑顔で呼びかけると、赤星弥生子は落ち着いた面持ちで「ええ」と応じた。
「今日は我々も《フィスト》陣営という立場なのでしょうからね。正々堂々、お相手をお願いします」
そんな風に言ってから、赤星弥生子は瓜子ではなくユーリのほうに目を向けた。
「そしてこれは、桃園さんの手から返上されるベルトの争奪戦なわけだからね。その重みを噛みしめながら、赤星道場に持ち帰らせていただくつもりだよ」
「はいぃ。ユーリがお相手できなくて、残念な限りですぅ」
ユーリは帽子で隠した頭を、ぺこぺこと下げる。青田ナナは火のような目でその姿をにらみ据えていたが、赤星弥生子の眼差しはふっとやわらいだ。
「それは桃園さんたちが次のステージに進んだという証拠なのだから、どうか胸を張ってもらいたい。……あらためて、《ビギニング》との正式契約おめでとう、桃園さん、猪狩さん」
「押忍。ありがとうございます。……今日の結果に関わらず、合宿稽古のほうもよろしくお願いします」
「うん。今日の結果次第では、参加できなくなってしまう選手も出てくるのかもしれないが……猪狩さんと桃園さんをお招きできるのはありがたい限りだよ」
そんな風に言ってから、赤星弥生子はあらためて表情を引き締めた。
「でもまずは、今日の試合だね。……他のみなさんも、どうぞよろしくお願いします」
小笠原選手やオリビア選手は、普段通りの明朗さで挨拶に応じる。
しかしこれから彼女たちは、王座を巡って死闘を繰り広げるのだ。その胸中には、静かに闘志が燃えさかっているはずであった。
(ストロー級なんかは、灰原選手に鞠山選手、武中選手に宗田選手、それに黄金世代の三人も勢ぞろいしてるんだからな。それに参加できないのが、悔しいぐらいだよ)
しかしこれは瓜子たちが王座を返上することで発生したイベントであるのだから、致し方がない。
瓜子は、かつての王者として――そして、《アトミック・ガールズ》を半ば卒業する立場の人間として、その戦いを余すところなく見届ける所存であった。