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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
30th Bout ~Bustling Spring~
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12 白い怪物とブラックマジシャン

 ユーリ陣営の出陣を見届けたのち、残された四名はあらためてモニターを取り囲んだ。

 まずは、相手選手――ブラックスター・ジム所属の、アナ・クララ選手の入場であった。


 アナ・クララ選手も激情を覗かせることなく、大歓声の中をゆったりと歩いている。身長はユーリと同じく百六十七センチで、年齢は二十六歳。黒髪はコーンロウの形にひっつめて、肌は黄褐色をしている。ブラジル人としてはいくぶん扁平な顔立ちで、鼻はあぐらをかいており、エズメラルダ選手と同じくどこか取りすました面持ちであった。


 そしてその斜め後方に、ベリーニャ選手が控えている。

 これまでよりも歓声がさらに膨れ上がっているように感じられるのは、ベリーニャ選手の効果なのだろうか。ベリーニャ選手こそ、このブラジルでは押しも押されもしないスター選手であるはずであった。


 そうしてボディチェックを完了させたアナ・クララ選手がケージインすると、赤コーナーからユーリが入場し――凄まじいまでのブーイングが爆発した。

 オレンジ色のウェアを纏ったユーリは開会セレモニーのときと同じように、にこやかな面持ちでひらひらと手を振っている。配信でこの試合を見届ける日本の面々は大満足であろうが、客席の人々はいっそうブーイングの熱情をかきたてられそうなところであった。


 しかしユーリがボディチェックのためにウェアを脱ぎ捨てると、ブーイングに驚嘆のざわめきが入り混じる。ハーフトップとショートスパッツだけに包まれたユーリの蠱惑的な肢体があらわにされたのだ。その美しさと色香には、誰もが驚嘆して然りであった。


 だが、客席の人々はそんな驚嘆の思いをねじふせるようにして、さらなるブーイングを張り上げる。

 そんな中、ユーリもケージインして、選手紹介のアナウンスが開始された。


 アナ・クララ選手の異名は、『ブラックマジシャン』である。

 ブラックはジム名にかけており、マジシャンは寝技の巧みさを示しているのだろう。彼女はエズメラルダ選手をも上回る、正統派のグラップラーであった。


 そしてユーリの異名は、『ストーム』だ。

 怒涛のブーイングなどどこ吹く風で、ユーリは元気いっぱいに両腕を振り上げている。とりあえず、フェンスの外に控えるベリーニャ選手の存在に心を乱されている様子はなかった。


 選手紹介を終えた両名は、レフェリーのもとで向かい合う。

 背丈は同一で、体格は――アナ・クララ選手のほうが、ややまさっている。骨格はアナ・クララ選手のほうが頑健であろうし、リカバリーしている数字も大きいに違いない。実に均整の取れた体格であるが、腰回りの分厚さにグラップラーらしい逞しさが見て取れた。


 ただし、昨今はバンタム級の試合でもユーリが見劣りすることはない。ユーリはユーリで全身の肉感が増しており、日本人とは思えないようなスケールであるのだ。腰がくびれたモデル体型であるためにアナ・クララ選手よりはずいぶん華奢に見えたが、背中や臀部や太腿の豊満さは決して負けていなかった。


 しかしまた、アナ・クララ選手において警戒すべきは、パワーではなくテクニックである。

 彼女は個性派のエズメラルダ選手と異なり、きわめて正統派のグラップラーであるのだ。寝技の巧みさは言うまでもないが、グラウンド戦に持ち込むための技術に関してもかなりのレベルに達しているとの評判であった。


 一説によると、エズメラルダ選手が早々にバンタム級から撤退したのは、ただ勝ち星に恵まれなかったばかりでなく、同門にアナ・クララ選手がいたためなのではないかと言われているらしい。

 エズメラルダ選手は一点特化で素晴らしいグラウンドテクニックを体得したが、アナ・クララ選手はそれと同時にテイクダウンの技術や打撃技のディフェンスなども磨き抜いているのである。それで寝技の技術が互角であれば、エズメラルダ選手には一片の勝ち目もないのだろう。百七十五センチの長身というアドバンテージも、階級が上がるほど効果が薄れるはずであった。


 そうしてエズメラルダ選手はフライ級を経てストロー級にまで階級を落とすことで、ついに王座を狙えるほどの戦績に至ったわけだが、アナ・クララ選手はその間にバンタム級で着実に実力をのばし、現在に至るのだ。彼女はユーリがこれまで対戦してきた中で、ベリーニャ選手に次ぐ寝技の実力者であろうと見なされていた。


(……で、そんな前情報が、ユーリさんを浮かれさせるわけだ)


 レフェリーのルール確認が終了すると、ユーリはにこにこと笑いながら両手の拳を差し出した。

 アナ・クララ選手は取りすました面持ちのまま、両手でそれを握り返す。そんな挙動も、エズメラルダ選手によく似ているように思えた。


 そうして両者は、フェンス際まで退き――屋根が割れそうな大歓声の中、試合開始のブザーが鳴らされた。


 ユーリはやや前屈したクラウチングの姿勢で、ぴょこぴょこと進み出る。

 アナ・クララ選手も、ほぼ同じような姿勢だ。おたがいに、組み技を警戒したスタイルであった。


 そうして、両者の間合いが詰まると――アナ・クララ選手が、軽快にステップを踏み始めた。

 サイドステップを多用した、軽妙なる足運びだ。どちらかといえば受け身でどっしりとしたスタイルであると聞くアナ・クララ選手には、珍しい動きであった。


「ま、桃園さん相手にどっしり構えるのは、危険だからな。もともとステップワークにも隙はないって評判だったんだから、これぐらいは想定内だ」


 瓜子のかたわらで、立松がそんなつぶやきをこぼす。ベリーニャ選手がセコンドについている時点で、あちらがユーリ対策を練り抜いていることは自明の理であった。


 ユーリもサイドを取られないように、せわしなく足を動かす。

 だけどやっぱり、ステップの軽やかさではかなわない。アナ・クララ選手はアウトサイドに大きく踏み込むと、軌道の低い右ローを繰り出した。


 ふくらはぎの下部を狙った、カーフキックだ。

 ユーリは危ういタイミングで左かかと浮かせて、なんとかダメージを軽減させた。


「まずは、足を潰しにきたか。まあ、定番と言えば定番だが……」


「ピンク頭は、足を狙われる試合が増えただわね。やっぱり『アクセル・ロード』の印象が、尾を引いてるんだわよ」


 かつてユーリは『アクセル・ロード』の舞台で沙羅選手に前足を潰されて、窮地に追い込まれたのだ。ユーリの規格外の打撃技を封じるには、それがもっとも効果的だと世界中で周知されてしまったのだろう。


 しかしプレスマン道場の陣営も、そんなことは先刻承知である。カーフキックを含めたローキックのディフェンスには、以前よりも力を注いでいた。


 ユーリは牽制のジャブを放っているが、間合いを測ることが苦手であるために効果は薄そうだ。

 そして、先にジャブを当てたのは相手のほうであった。スイッチしてサウスポーになったアナ・クララ選手が、アウトサイドに回り込んでから鋭い右ジャブをヒットさせたのだ。


「ふん。アナ・クララがスイッチャーであることは把握していただわけど……あの鋭いジャブは、想定外だわね」


「ああ。ベリーニャ選手はパンチが得意だから、こっちもディフェンスを磨いてきたが……ちょいと時間が足りなかったな」


 こちらはブラジルに到着してから、ベリーニャ選手がブラックスター・ジムに身を寄せているという事実を知ったのだ。いっぽうアナ・クララ選手は四月の段階からベリーニャ選手に指導を受けていたのであろうから、若干の不利は否めなかった。


「あっちも最後は、得意のグラウンドで攻めてくるだろう。それまでに、どれだけ優位に立てるかだな」


 立松がそのように言っている間に、さらなる右ジャブがユーリの顔を叩く。

 相手はしきりにスイッチで構えを変えて、サイドステップもインとアウトの切り替えが多かった。モニターでは判然としないが、ユーリがどちらの目をつぶっているかで手を変えている様子である。


「確かにこれは、ピンク頭のスタイルを熟知している動きだわね」


「ああ。だけど、それぐらいで攻略できるほど、桃園さんは甘くないからな」


 立松がそのように答えたとき、ユーリがいきなり右足を振り回した。

 打点の高い、ミドルハイだ。間合いが遠いのでかすりもしなかったが、これはジャブとは比較にならない威嚇になるはずであった。


 さらにユーリはワンツーを繰り出したのち、左のミドルでコンビネーションを締めくくる。

 それらのすべてを間合いの外で見守ってから、アナ・クララ選手はあらためて接近した。


 それで射出されたのは、左のカーフキックだ。

 ユーリが左かかとを浮かせてその衝撃を逃がすと、すぐさま右のストレートに繋げられた。

 ガードの隙間をぬって、アナ・クララ選手の右拳がユーリの鼻っ面を叩く。


 そして――アナ・クララ選手が、やおら乱打戦を仕掛けた。

 まずは左右のフックを振るい、それをブロックされるとユーリの肩をつかんで、膝蹴りを叩きつける。それでユーリの動きが止まると、左右のフックを繰り返したのち、最後に右のカーフキックをお見舞いする。


 ユーリは猛烈なる勢いで右フックを振りかざしたが、その頃にはもうアナ・クララ選手も間合いの外に逃げていた。

 ユーリは猫のように拳で自分の頬を撫でながら、左足の先をぷらぷらと振る。乱打戦の締めくくりでカーフキックを出されたため、ディフェンスが間に合わなかったのだろう。膝蹴りのダメージは軽微であるようだが、よくない流れであった。


「緩急のきいた、いい攻め手だわね。生粋のグラップラーとは思えない動きなんだわよ」


「ああ。破壊力は今ひとつのようだが……ポイントを取るには絶好の動きだな」


 確かにアナ・クララ選手はステップワークばかりでなく、打撃技の手も軽妙に感じられた。破壊力よりもヒットさせることを重視した動きであるようだ。


「ってことは、判定狙いなんスかねー。そんなの、ユーリさんに通用するんスか?」


「まだまだベリーニャの思惑は知れないんだわよ。軽い攻撃でダメージを蓄積して、最後に寝技を狙う可能性もあるんだわよ」


 何にせよ、これは綿密な戦略に則った動きだ。

 しかしユーリには、そんなものを吹き飛ばす破壊力が備わっているはずであった。


 それを証し立てるかのように、ユーリは無軌道なコンビネーションを発動させる。

 ちょっとお披露目のタイミングが早いように感じたが、きっとジョンの指示なのだろう。セコンド陣も、このゆるやかなリズムはよくないと判じたのかもしれなかった。


 しかし、アナ・クララ選手は大きく間合いを取って、応じようとしない。

 コンビネーションの継ぎ目を狙うという手も取らないようだ。ユーリはひとり、優美かつ獰猛な連続攻撃を披露するに留まった。


 するとまた、アナ・クララ選手が軽やかなステップでユーリを翻弄する。

 随所にカーフキックを織り込むため、ユーリも迂闊に突進できないようだ。前足重心になったタイミングでカーフキックをくらったら、それだけで大ダメージなのである。


 そうしてユーリの出足が鈍ると、アナ・クララ選手の動きがいっそう軽やかになっていく。

 間合いぎりぎりの位置から、アナ・クララ選手のジャブが何度となくユーリの顔にヒットする。言うまでもなく、客席はアナ・クララ選手の優勢に大きく盛り上がっていた。


「頑丈な桃園さんなら、こんなていどで大したダメージにはならないはずだが……ポイントは、完全に持っていかれちまうな」


「これはまさしく、ポイントゲームの様相だわね。少なくともこのラウンドはスタンドのまま――」


 と、鞠山選手が言いかけたところで、アナ・クララ選手がいきなりニータップを仕掛けた。

 左膝に手をかけられて、右肩を押されたユーリは、たたらを踏みつつ転倒をこらえる。しかしその後に、また左ジャブをくらってしまった。


「……今のも本気で狙ったのか、ピンク頭の気を散らそうとしただけなのか、判断が難しいだわね。いっそこっちから、テイクダウンを狙いたい場面だわけど……ピンク頭じゃ、技量が追いつかないだわね」


「せめて、組み合いに持っていきたいところだな。ジョンだって、そんなことは承知してるんだろうが……こうまでヒット&アウェイを徹底されると、難しいな」


 アナ・クララ選手はジャブやカーフキックを狙うばかりでなく、ここぞというタイミングでは乱打戦を仕掛けてくる。さらに、テイクダウンの仕掛けまで織り込まれると、ユーリの処理能力がパンクしてしまいそうだった。


「これは徹底的に、攻撃を散らしてるんだわよ。ピンク頭に手を絞らせないための算段であるようだわね」


「……そうだな。桃園さんのぶきっちょさを的確に突かれちまってるみたいだ」


 ユーリもまた豪快なフックやコンビネーションの乱発で場をかき乱そうと苦心しているが、そちらはいずれも実を結ばない。なんとなく、すべての手を見透かされているような雰囲気であった。


(……これが、ベリーニャ選手がセコンドについてる厄介さなのか?)


 ベリーニャ選手は以前も『アクセル・ロード』でユーリの対戦相手であるイーハン選手に力を貸していたが、あのときはあくまでコーチ役であり、セコンドにはついていなかったのだ。今日のベリーニャ選手はもっとも近い場所から、アナ・クララ選手に助言を送れるわけであった。


 それにイーハン選手はユーリに敗北したのち、「余計な指示のせいでペースを乱された」などとのたまわっていた。ベリーニャ選手の助言で有利に試合を進めていたのであろうに、いざ敗北を喫するとベリーニャ選手に責任を押しつけたのだ。


 しかし、本日のアナ・クララ選手は――なんだか、忠実な兵士のように見えてしまった。

 感情を覗かせない取りすました無表情が、そういう印象をいっそう強めるのだろうか。また、グラップラーである彼女が寝技を狙わないのも、そういう命令を受けているのではないかという風に見えてくる。アナ・クララ選手は、機械のように淡々とユーリを追い詰めていた。


 そうしてユーリもセコンド陣も、そんな戦略を突き崩すことはかなわず――あっという間に、第一ラウンドの終了を迎えてしまったのだった。

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