表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アトミック・ガールズ!  作者: EDA
30th Bout ~Bustling Spring~
804/955

09 アクシデント

 瓜子は小刻みにステップを踏みながら、相手の周囲を回り続けた。

 いつしか歓声は、ブーイングに変じている。エズメラルダ選手に近づこうとしない瓜子に、文句をつけているのだろう。しかし瓜子も、そんなものに動じることはなかった。


(これまでだって、なかなか手を出せない試合はあったからな。これぐらいで、焦るもんか)


 瓜子は直情的であるが、同時に図太い人間でもある。他者に急かされて攻撃の手を焦ることなど、まったく瓜子の流儀ではないのだ。どれだけのブーイングを浴びせられようとも、瓜子は自分のプランを完遂させる心づもりであった。


(理想は、中間距離……とにかく、攻撃を当てるんだ)


 上手いタイミングでアウトサイドを取れた瓜子は、意を決して右ミドルを繰り出した。

 ミドルは、ローよりも射程が長い。このタイミングならテイクダウンを取られることはないし、ローよりも深く当てられるはずであった。


 しかしエズメラルダ選手は、ほとんど飛び跳ねるようにして後方に逃げてしまう。

 あまりに粗い動きであったため、その後にたたらを踏んでいた。

 瓜子は追撃したい気持ちをぐっとこらえて、また距離を測りなおす。彼女はステップワークがお粗末であるために、強引に逃げるだけでインファイトの呼び水を生み出すことができるようであった。


(本当に、一芸に特化したスタイルなんだな)


 彼女の本領は、あくまで寝技だ。インファイトにおける肘打ちや膝蹴りも決して洗練されておらず、むしろその荒っぽい動きが相手を幻惑させるのだという話であった。

 よって、打撃技で深いダメージを与えることはあっても、KO勝ちの経験はない。相手がダメージを負ったならば覆いかぶさってギロチンチョークを狙うかグラウンドに引きずり込むかして、一本勝ちを狙うのだ。彼女のこれまでの勝利は、すべて一本勝ちであったのだった。


(あたしはこれでも、器用とか言われてるんだ。持ってる武器を全部使って、あんたを追い込んでやる)


 瓜子はまた、遠い距離から右のカーフキックを放つ。

 相手は当然のように、足を高く持ち上げてそれを回避した。


 では、通常の右ローならどうかというと――相手は足を持ち上げてダメージを回避するのではなく、強引に下がって瓜子に空振りをさせた。

 ミドルに対するのと、同じ対処だ。

 あちらはあちらで、徹底して瓜子の攻撃を受けずにかわすという方針であるようであった。


(あたしの骨の硬さってやつも、だいぶん国外の人たちに知られてきたのかな)


 ならばと、瓜子は次の手を打った。

 まずは遠い間合いから右のミドルを打ち、それを回避されたならば、蹴り足をそのまま前に下ろす。そして軸足を切り替えて、そのまま左ミドルを繰り出した。


 バックステップは間に合わなかったため、相手は身をのけぞらせて、それを回避する。

 半ばそれを予期していた瓜子は、さらに蹴り足を前に下ろして、再びの右ミドルを繰り出した。


 ミドルの、三連発である。

 愛音の華麗なコンビネーションやユーリの暴風雨じみたコンビネーションには及ばなかろうが、長きの時間をキックに捧げて、MMAを始めてからも磨き続けてきた瓜子の蹴り技のコンビネーションである。こと鋭さや勢いに関しては、決してユーリたちにも負けていないはずであった。


 それでもエズメラルダ選手は強引に下がろうとしていたが、瓜子はミドルを打つたびに前進しているので、十分に間合いは詰まっている。結果、エズメラルダ選手の左上腕を浅く蹴りつけることができた。


 すると、エズメラルダ選手はその場に留まり、右ストレートを飛ばしてくる。

 瓜子のミドルの間合いは、もはや相手のパンチの間合いであったのだ。

 しかし、エズメラルダ選手のパンチはぬるい。瓜子は首をねじることで、簡単にかわすことができた。


 右ストレートをかわれたエズメラルダ選手は、ずかずかと進み出てこようとする。

 その腹に、瓜子は前蹴りを繰り出した。

 瓜子がせいいっぱい足をのばすと、エズメラルダ選手の腹部に中足が激突する。ダメージを与えられるような当たりではなかったが、相手の前進を止めることはできた。


 そして相手がまた腕をのばしてきたため、瓜子は跳ねるようにバックステップを踏む。

 こちらの狙いは、あくまで中間距離の保持であるのだ。まだまだインファイトに持ち込む気はなかった。


 会場には、焦れたような声援が吹き荒れている。

 ようやく両者が接触したことでブーイングは消えたようだが、まだダメージを与えるほどの攻防ではなかったため、もっと激しい展開を望んでいるのだろう。しかしもちろん、瓜子が惑わされることはなかった。


(ようやく二回、相手にさわれたんだ。ここから、展開を作っていくぞ)


 その場に留まったエズメラルダ選手は取りすました無表情のまま、長い左腕をぷらぷらと振った。

 浅い当たりであったが、とりあえず右ミドルがヒットしたのだ。足止めのために放った前蹴りよりは、多少なりとも痛みを与えられたはずであった。


(あんたはどんなポジションでも寝転べばいいってスタンスだから、テイクダウンの技術をそんなに磨いてない。だからこっちも、遠慮なく蹴れるんだよ)


 そういった部分は、鞠山選手と似たスタイルであろう。

 ただし、小柄でステップワークが巧みな鞠山選手は、相手の懐に飛び込むのが得手であるのだ。テイクダウンの技術をそれほど磨いておらずとも、それだけで組み合いに持ち込めるのである。

 いっぽうエズメラルダ選手は規格外の長身であるため、相手に覆いかぶさるという特異な攻め手を有しているが、低い体勢での組みつきやタックルにはけっこうな修練が必要となるだろう。そして彼女はそういった方向に力を入れず、ひたすら寝技の修練に注力しているという評判であったのだった。


(一芸特化は怖いけど、そのぶん穴も多くなる。あたしは、そこから突き崩すんだ)


 そうして瓜子が、ステップを踏もうとしたとき――ふいに、エズメラルダ選手の長身がかき消えた。

 瓜子はほとんど本能で、右手側に飛びすさる。

 それで空いたスペースに、エズメラルダ選手の長身がごろごろと転がった。エズメラルダ選手は頭からマットに突っ込んで、前方転回し――そしてその長い腕で、瓜子の足をすくおうと試みたのだった。


 奇襲に失敗したエズメラルダ選手は何事もなかったかのように立ち上がり、またすり足で接近してくる。

 かすかに冷や汗をかきながら、瓜子はステップで間合いを取った。


(惑わされるな。あんな奇襲は、珍しくもない)


 しかしやっぱりエズメラルダ選手も、あれこれ手札を隠し持っているのだ。

 なかなか近づいてこない相手を、どのようにグラウンドに引き込むか――そういう点には、惜しみなく注力しているのだろうと思われた。


(まあ、今のも雑な動きだったけど……その隙が罠になるんだから、厄介だよな)


 そしてどこか遠いところから、「二分経過だわよ!」という声が聞こえてくる。

 もう二分と言うべきか、まだ二分と言うべきか――ともあれ、瓜子が濃密な時間を過ごしていることに間違いはなかった。


(よし。次はミドルとハイのコンビネーションで――)


 瓜子がそのように考えたとき、エズメラルダ選手の長身がぐいっと近づいてきた。

 大股で、ほとんど飛び跳ねるように接近してきたのだ。それもまた、無防備で大雑把なアクションであった。


 瓜子は反射的に拳を出しそうになったが、それは奇妙な壁にさえぎられた。

 胸の高さにゆったりと構えられていたエズメラルダ選手の両手の拳が、瓜子の鼻先で躍っていたのだ。彼女はめいっぱい両腕をのばして、拳をふわふわと揺らしていた。


 瓜子であれば、その腕をかいくぐってボディを狙うことも容易であったが――それは、インファイトに身を投じるということである。

 つまりはこれも、エズメラルダ選手の呼び水であったのだ。


 そのように判じた瓜子は、斜め後方に距離を取る。

 するとまた、エズメラルダ選手が近づいてきた。今度は大股で歩くような格好だ。


 強引で、隙だらけの挙動である。

 しかし、ふわふわと揺らめく拳が壁となって、顔面への攻撃は狙えない。そして、身を屈めて近づけば、膝蹴りのカウンターが待ちかまえているか、のばした両腕で覆いかぶさってくるか――何にせよ、エズメラルダ選手のフィールドであった。


(ミドルや前蹴りならぎりぎり当てられそうだけど、やっぱり上から組まれそうだ。それなら――)


 瓜子は一歩だけサイドに移動して、エズメラルダ選手の左膝を関節蹴りで狙った。

 エズメラルダ選手はすぐさま左足を持ち上げて、衝撃を分散させる。十分に、関節蹴りを警戒していた挙動であった。


(変則的で、やりづらい。こんなに邪道なスタイルは……それこそ、イリア選手以来だ)


 ならばと、瓜子も常ならぬ反撃の手を打った。

 ステップを踏んで距離を取り、相手が強引に近づいてきたならば――その、長くのばされた左腕の前腕を狙って、ハイキックを繰り出した。


 まさかこの距離でハイキックを出されるとは、相手も考えていなかったのだろう。

 真っ直ぐにのばした瓜子の足の甲が、エズメラルダ選手の手首に近い箇所をしたたかに蹴り抜いた。


 エズメラルダ選手は大股で下がり、また左手をぷらぷらと振る。

 あちらもふわふわと拳を動かしていたので、そこまで重いダメージではないだろう。しかし、筋肉が薄い手首の付近を瓜子の硬い足で蹴られたのだ。それなり以上の痛みは与えられたはずであった。


 エズメラルダ選手は取りすました無表情のまま、右手で短い髪をかき回す。

 これは何かしらの感情が動いた表れであろう。瓜子としては、してやったりの心情だ。


 すると――

 エズメラルダ選手が、頭から瓜子に突進してきた。


 なんの防御もない、ただの突進だ。

 宇留間千花を思い出した瓜子は、背筋に悪寒を覚えながら前蹴りを繰り出した。


 瓜子の中足が、今回はそれなりの勢いで相手の腹に衝突する。

 しかし、数コンマの遅れでクリーンヒットには至らない。それに、当たった箇所も腹筋のど真ん中であった。


 エズメラルダ選手の突進が止まらなかったため、瓜子は押し倒されそうになる。

 瓜子は咄嗟に相手の腹を踏み台にして、後方に跳びすさった。


 それでもなお、エズメラルダ選手が肉迫してくる。

 瓜子は全力で、右手側に跳躍した。


 その鼻先に、エズメラルダ選手の左手がのばされてくる。

 パンチではなく、手の平だ。とにかく瓜子を捕獲しようという、雑な動きであった。


 瓜子は頭を下げようとしたが、間に合わない。

 エズメラルダ選手の大きな手の平が、瓜子の顔面に覆いかぶさり――そして、熱い痛みが左目に弾け散った。


 エズメラルダ選手の指先が、瓜子の眼球に触れたのだ。

 瞬間的に、瓜子の肉体が硬直し――それと同時に、重い衝撃が左脇腹に叩きつけられた。


(ちょっと待――)


 左脇の痛みに耐えながら、瓜子は咄嗟に頭を抱え込む。

 その右上腕に、鋭さと重さを兼ね備えた痛みが炸裂した。


 さっきの衝撃は膝蹴りで、今の痛みは肘打ちだ。

 そして、新たな痛みが左前腕にも走り抜ける。新たな肘打ちが繰り出されたのだ。


 気づけば瓜子の鼻先で、エズメラルダ選手が両腕の肘を旋回させていた。

 そして下からは、鋭角に曲げられた右膝が襲いかかってくる。

 瓜子が左腕でそれをガードすると、空いた頭部に肘打ちが繰り出された。


 ぎりぎりのタイミングで、瓜子は首をねじって回避する。

 しかし、回避しきれずに、左こめかみに熱い擦過の痛みが走った。

 瓜子の左目は涙でかすみ、視界がぼやけているのだ。

 そのせいで、遠近感が狂っている。瓜子は突如として、ユーリがどれぐらい不自由な状態で試合に臨んでいるかを知るに至ったのだった。


(だから、ちょっと待てって……あんたの指が、目に入ったんだよ!)


 あれは瞬時の出来事であったので、きっと故意ではないのだろう。

 しかし彼女は、強引に瓜子の進路をふさごうとした。その雑な動きが、アクシデントを招いたのだ。

 そして不幸なことに、レフェリーは気づかなかったらしい。レフェリーさえ気づいていれば、いったん試合がストップされて、回復の時間が取られていたのだが――そんな裁定が下されることもなく、瓜子は猛威にさらされていた。


(とにかく、距離を取るんだ!)


 瓜子はよろめくようにして、左手の側に逃げようとした。

 その足が、何かに蹴つまずく。おそらく、エズメラルダ選手に足を掛けられたのだ。

 さらに、瓜子の右肩が何かに押される。


 そうして瓜子は、マットに倒れ伏し――その上から、エズメラルダ選手が毒蜘蛛のように覆いかぶさってきたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ