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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
30th Bout ~Bustling Spring~
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07 熱き思い

 メインカードの二戦目は、フライ級の一戦である。

《ビギニング》の側はフライ級王者で、ブラジルの側は《V・G・C》のトップファイターだ。現在のプレスマン道場にはフライ級の選手がいないため、どちらの選手もほとんど情報を集めていなかった。


「シンガポール女はプログレスの所属で、ブラジル女は中立系のジム所属だったっけか。どっちも地味めのツラがまえだなー」


 ストレッチに励むユーリの姿とモニターの模様を適当に見比べながら、サキはそんな風に言っていた。

 こちらのフライ級王者は、イヴォンヌ選手と同じくプログレスMMAの所属であったのだ。《ビギニング》に二名もの王者を輩出しているとは、さすが名門ジムであった。


(それで、レベッカ選手はアディソンMMAで、さっきのアトム級王者は三大勢力じゃないジムの所属で……今はユニオンMMAに王者がいないって話だったっけ)


 それもあって、グヴェンドリン選手やエイミー選手は奮起しているらしい。グヴェンドリン選手はイヴォンヌ選手から、エイミー選手はレベッカ選手から、それぞれ王座を奪取しようという意気込みであるのだ。そして、瓜子とユーリも《ビギニング》と正式契約を交わす事態に至ったならば、その熾烈なる戦場に身を投じることになるわけであった。


 しかしやっぱり、今はそんな行く末にまで気を向けているいとまはない。

 瓜子はエズメラルダ選手を、ユーリはアナ・クララ選手を打倒しなければならないのだ。そちらの両選手は決して中継ポイントなどではなく、全力で相手取らなければならない難敵であるのだった。


(実際、《ビギニング》のアトム級王者も、タイトルを持ってないベアトゥリス選手に負けちゃったわけだしな)


 やはりブラジルは、ひときわ選手層が厚いのだ。北米と一、二を争う立場というのは、決して伊達ではなかったのだった。


(そもそも近代MMAは、ブラジルのバーリトゥードをルーツにしてるんだもんな。ブラジルが強いのは、当たり前だ。でも、あたしたちだって、負けるもんか)


 そうして瓜子は適度に身体を動かしながら、また横目でモニターの様子をうかがった。

 このたびは、堅実に試合が進められているようだ。どちらも近代MMAのセオリーを守り、ディフェンス重視の緻密な攻防を見せている。天下の《アクセル・ファイト》でも、たびたび目にする光景であった。


 すると客席からは、いくぶん不満げな歓声がわきおこる。どうも彼らは、もっと荒々しい展開を望んでいるようだ。しかしそれは、《アトミック・ガールズ》でも《アクセル・ファイト》でも同様の風潮であるはずであった。


(あたし自身、感心はするけど盛り上がりはしないもんな。でもまあ、どんなスタイルで勝利を目指すかは、選手それぞれだ)


 そこでジョンが、「おー」と呑気な声をあげた。


「あ、ごめんねー。ちょっとキになったから、オッズをカクニンしてみたんだよー。またちょっと、アイテにオッズがカタムいたみたいだねー」


「おいおい、チーフセコンドが呑気なもんだな。……ま、こっちが気張っても、桃園さんは我関せずだろうけどよ」


「うにゃあ。キョーシュクのイタリなのですぅ。……でもでも、ユーリばかりでなくうり坊ちゃんも不利だっていう評価なのですかぁ?」


「ウン。もしかしたら、キャッチウェイトになったことで、いっそうフリになったとミなされたのかもねー」


「だから、ちっとは選手のメンタルを気づかえよ。……まあ、こっちはこっちで我関せずなんだろうけどよ」


「押忍。外野にどう思われようと、関係ないっすからね。むしろ、アウェイ気分に拍車を掛けられていい感じです」


 瓜子は強がりでなく、そのように答えることができた。

 今回ばかりは、瓜子もユーリも不利な立場であると見なされているのだ。なおかつ、《ビギニング》の賭博にはシンガポールや北米を筆頭とする世界中の人間が関わっているので、ブラジルの人々の思いが反映されているわけでもなかったのだった。


 瓜子は生粋のストライカーであるため、柔術黒帯で立ち技にも定評があるエズメラルダ選手が相手では分が悪いと見なされているらしい。

 ユーリはその逆でグラップラーであるから、本場ブラジルのグラップラーが相手では分が悪いという評価であるようだ。


(ストライカーでもグラップラーでも、けっきょく分が悪いってことにされちゃうんだもんな。それだけ、ブラジルのグラップラーの――とりわけ、エズメラルダ選手とアナ・クララ選手の評価が高いってことか)


 両名はどちらも生粋のグラップラーで、数多くの一本勝ちを収めている。そして戦場は《V・G・C》であったから、対戦相手もまたブラジルの選手であったのだ。

 寝技巧者の多いブラジルで、それだけの実績を築いてきた。だからこその、高評価であるのだ。瓜子としては、むしろ闘志をかきたてられてならなかった。


(でも、ユーリさんなんかは《アクセル・ファイト》のトップランカーにも勝ってるのにな。それで、この評価ってことは……得意のグラウンドで不利になると勝ち目がないっていう見込みなのかな)


 ユーリはこれまで個性的な打撃技の手腕で相手にダメージを与えたのちに、最後は寝技の勝負で一本を取ってきた。ゆえに、ユーリの寝技の真なる力量を知るのは、実際に手を合わせてきた人々と、あとは《アトミック・ガールズ》におけるグラップリング・マッチを見届けた人々のみであるのだ。日本国外の人々が《アトミック・ガールズ》の試合映像を目にする機会はそうそうなかろうから、ユーリがどれだけの寝技巧者であるかはなかなか伝わりきらないのかもしれなかった。


(ユーリさんだったら、柔術黒帯の相手でも力負けはしない。それで立ち技でも、あんなとんでもない破壊力を持ってるんだから……絶対に、勝ってくれるさ)


 瓜子がそんな思いを新たにしたとき、ついにモニターでの試合が終了した。

 またもや、判定勝負である。瓜子は目を離している時間が多かったので、どちらが有利であるのかもさっぱりわからなかったが――結果は三者が29対28で、またもやブラジル陣営の勝利であった。


「やれやれ。《ビギニング》のチャンピオン様が連敗しちまったなー。シンガポールの親分様も、さすがに頭を抱えてるんじゃねーか?」


「スチットさんは、これぐらいのことで動じたりはしねえだろうさ。どうせ、日本陣営の二勝は確定してるんだからな」


 立松は不敵に笑いながら、瓜子の背中をどやしつけた。


「さあ、出陣だぞ。案内役が迎えに来る前に、挨拶を済ませておけ」


 すると、瓜子が動く前に、見送る側の人々がわらわらと近づいてきた。ユーリのセコンド役を務める、ジョンとサキとドミンゴ氏だ。


「ウリコなら、ゼッタイにカてるよー。いつもドオり、ケイコのセイカをすべてぶつけてねー」

「ふん。キャッチウェイトを呑んだ上で負けちまったら、ぶざまの極みだからなー。せいぜい踏ん張って、のっぽ女を叩き潰してこいや」

「エズメラルダはきょうてきで、おそらくコンディションもばんぜんです。でも、ウリコだったらまけませんよ」


「押忍。絶対に、勝ってみせます」


 瓜子は精一杯の思いを込めて、一礼する。

 すると、ジョンとサキの隙間からユーリも近づいてきた。


「うり坊ちゃんなら、誰が相手でも勝てるのです。メイちゃまも見守ってるから、頑張ってね?」


「押忍。みんなを失望させないと約束します」


 本日は、瓜子のほうから先に右の拳を差し出した。

 ユーリは純白の顔で天使のように笑いながら、オープンフィンガーグローブに包まれた拳をぎゅっと押し当ててくる。


 瓜子はユーリの笑顔を網膜に焼きつけてから、きびすを返した。

 そこでタイミングよく、控え室のドアがノックされる。瓜子は三名のセコンド陣とともに、控え室を出た。


 スタッフの案内で、入場口を目指す。

 すでにフライ級の王者は控え室に戻ったらしく、バックステージパスをさげたスタッフとしかすれ違うこともなく、目的の場所に到着する。そこで今度は、自分のセコンド陣に取り囲まれた。


「今さら言うことはないが……とにかくスタンド状態でもサブミッションに気をつけながら、自分の攻撃を当てていけ」

「少なくとも、大怪獣ジュニアより厄介な相手ではないんだわよ。苦しくなったら、愛しいジュニアやサキの姿を思い出すことだわね」

「が、頑張ってください! あんな規定体重も守れないようなやつは、猪狩さんの敵じゃないッスから!」


「押忍。死に物狂いで、勝ってみせます」


 そうして瓜子は、入場口の前に立ち――そこで、大歓声が鳴り響いた。

 エズメラルダ選手が、入場を始めたのだろう。体重超過した彼女にも惜しみない歓声が送られることは、開会セレモニーで立証されていた。


(規定体重を守ろうが守るまいが、エズメラルダ選手は強敵だ。こっちのやることに変わりはないさ)


 瓜子はその場でステップを踏みながら、両手の拳を軽く打ち合わせる。

 そこで、歓声がブーイングに切り替えられた。おそらく、瓜子の名前がコールされたのだ。


 スタッフが、緊張の面持ちで入場口の扉を開く。

 たちまち、暴風雨のような勢いでブーイングが噴きこぼれてきた。


 瓜子は耳をすまして、その向こう側に『ワンド・ペイジ』の音色を聞き取る。

 疾走感にあふれかえったイントロが終了し、山寺博人のしゃがれた歌声がかすかに聞こえたところで、瓜子は足を踏み出した。


 ブーイングの奔流が、四方八方から押し寄せてくる。

 これは明らかに、開会セレモニーを上回る勢いであろう。まあ、試合の本番のほうが熱狂の度合いがまさるのは、当然の話であった。


 普段は暗がりの向こう側に、人々の期待や喜びの思いが渦巻いている。

 しかし――今日もまた、そこに悪意を感じることはなかった。


 敵意というものは、あるのかもしれない。何せ客席の人々は、エズメラルダ選手の勝利を願っているのだ。瓜子が倒すべき敵であることに間違いはなかった。

 だから瓜子は、彼らが瓜子の敗北を願っているのだろうと、開会セレモニーではそのように判じたのだが――試合に対する集中力が上乗せされると、いくぶん心持ちが変わってきた。


 彼らはエズメラルダ選手の勝利を願っているが、瓜子の敗北を願っているわけではないのかもしれない。この熱狂に、そんなネガティブな思いや悪意といったものは感じられなかった。

 エズメラルダ選手が勝利すれば、瓜子は自然に敗北することになる。だから、そんなネガティブな思いに情熱を燃やす必要はなく、ただひたすらエズメラルダ選手の勝利を願っている――ということなのだろうか。


 まあ、すべては瓜子の抱いた印象に過ぎない。

 人の本心を読み取ることなどできはしないし、客席には一万三千名もの観客が押し寄せているのだ。彼らには、ひとりずつ異なる思いというものが存在するはずであった。


 何にせよ、瓜子は悪意というものを感じていない。

 そして、これまでと同じように、燃えるような期待の念を感じていた。

 とにかく、胸の躍るような試合を見せてほしい、と――そんな思いが渦巻いていることは、確かであるようであった。


(あたしはとにかく、すべての力を振り絞るだけだよ)


 そんな思いを胸に、瓜子は花道を踏みしめる。

 そんな瓜子を祝福するかのように、怒号のごときブーイングはいつまでも鳴り響いていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりのブーイングで瓜子も燃えますね。
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