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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
30th Bout ~Bustling Spring~
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04 後半戦

 十五分間のインターバルをはさんで、第六試合は小笠原選手のキック・マッチである。

 相手は国内有数のキック団体である《トップ・ワン》のランキング二位の選手――つまり、小笠原選手が昨年九月に対戦したのと同じ相手となる。非公式のエキシビションマッチでKO負けを喫したその選手が、公式試合でリベンジを果たすべく再戦を申し込んできたのだった。


 前回は、小笠原選手が一ラウンド目を様子見に徹して、二ラウンド目に膝蹴り一発で勝利を収めたという結果になる。

 瓜子にしてみれば小笠原選手の貫禄勝ちという印象であったが、相手選手にしてみれば不意を突かれた一発で試合が終わってしまったという無念を抱え込むことになったのだろう。また、エキシビションマッチということで、本人にも油断が生じたのかもしれなかった。


 なおかつ、エキシビションマッチでは肘打ちも禁止というルールになっていた。《トップ・ワン》は肘打ちありのムエタイ・ルールを売りにしているため、そこでも自分に不利があったという思いであるのかもしれない。何にせよ、その選手は小笠原選手の強さに怯むことなく、リベンジマッチを希望したのだった。


 その結果は――相手選手の、一ラウンドKO負けであった。

 今回は膝蹴りの一発ではなく、すべての攻撃を的確にガードされた上で、まずはローキックで機動力を奪われ、パンチでダメージを蓄積し、最後にハイキックでとどめを刺されたのだ。もとよりグローブ空手で格闘技人生をスタートさせた小笠原選手は、キックルールでもMMAの試合と変わらぬ強さを発揮していた。


「やっぱり小笠原選手はお強いですねぇ。なんだか、小笠原選手に蹴っ飛ばされたあちこちがうずくような心持ちでありましたぁ」


 ユーリがちょっともじもじしながらそんな言葉をかけると、小笠原選手は「はは」と屈託なく笑った。


「アタシこそ、さっきのエキシビションで右肘がうずいちゃったよ。あー、一ヶ月の休養期間はしんどかったなぁ」


「うにゃあ。そのたびは、とんだご失礼をば……」


 と、ユーリは頭を抱え込んだが、深刻に恐れ入っている様子はない。あれはおたがいが死力を尽くした結果であったのだから、ユーリの中にも後ろめたさは存在しないのだ。ただやはり、数年にわたって小笠原選手に対する後ろめたさを抱え込んでいたため、他の相手に対するよりも強い敬服の念が刻みつけられているに過ぎなかった。


 そんな両者のやりとりを見守りつつ、瓜子はウォームアップに取り組んでいる。

 サキとの一戦まで、残るは三試合であった。


 その三試合は、《アトミック・ガールズ》と《フィスト》の対抗戦だ。

 愛音、大江山すみれ、犬飼京菜の順番で、《フィスト》の強豪選手と相対する。あちらの三名は、いずれも《アトミック・ガールズ》に参戦の経験がない《フィスト》生え抜きの選手たちであった。


 確かな実力を持ちながら《アトミック・ガールズ》に参戦しない選手は、大きく分けて二種類に分類される。地方に住まっているため滞在費の関係からオファーをかけられなかったか、あるいは本人の意思で出場を拒んでいたかである。《アトミック・ガールズ》は国内で唯一の女子選手専門のMMA団体でありながら、かつては軟派な気風で煙たがられることも多かったのだった。


 ひとえにそれは、《アトミック・ガールズ》の創立者にして初代代表たる花咲氏の人柄に原因があったのだろう。花咲氏は格闘技の興行をエンターテイメントとしてとらえており、スポーツとして尊重する気持ちが希薄であったのだ。それで誕生したのが、アイドルファイターたるユーリ・ピーチ=ストームであったわけである。


 また、エンターテイメント性を重視するがゆえに、《アトミック・ガールズ》ではルールの改正が遅れていた。地味な判定決着を避けるためにダウン制度を撤廃せず、視認性の関係からケージの試合場の導入に二の足を踏み、大きな負傷につながりやすい肘打ちの攻撃を決して解禁しなかったのだ。それが世界標準から外れていることは、《カノン A.G》の時代に指摘された通りであった。


 皮肉なことに、《カノン A.G》という忌まわしき時代を経ることで、《アトミック・ガールズ》は世界標準のルールに改正された。なおかつ、人気先行のアイドルファイターも立派なモンスターに変貌を遂げて、参加選手の質も確実に向上したのである。

 しかしやっぱり昔年から《アトミック・ガールズ》を忌避していた人々にしてみれば、今さらすり寄る気持ちにもなれないという状態にあったのだろう。由緒正しい《フィスト》で活動していた選手には、ひときわそういう気風が強かったのではないかと思われた。


 しかし現状、日本国内の女子選手でもっとも大きな結果を残したのは、瓜子とユーリの二名である。

《フィスト》の王者であった多賀崎選手と青田ナナは『アクセル・ロード』で敗退し、《パルテノン》の王者であった巾木選手も前回の《ビギニング》で敗北した。かろうじて、横嶋選手が勝利をあげたのみである。さらに、昨年の《アクセル・ジャパン》に招聘されたのも、《アトミック・ガールズ》で活動していた瓜子とユーリとメイの三名であった。


 きっとそれで、《アトミック・ガールズ》を見直してくれた選手もいるのだろう。

 また逆に、対抗心を燃やす選手だっているに違いない。ラウラ選手なども、いまだに自身の動画チャンネルで《アトミック・ガールズ》を下に見る発言を繰り返しているのだ。まあ、あれはトラッシュトークの一環なのであろうが、そうでなくとも自分たちのほうが強いという意欲を燃やす選手は多数存在するはずであった。


 そんなもろもろの思惑を秘めて、今回の対抗戦が実現したわけである。

《フィスト》運営陣の思惑は知れないが、やはりそちらもさまざまな思いが錯綜しているのだろう。世界に羽ばたくために《アトミック・ガールズ》を利用しようという思いや、自分たちのほうが上であるという思いや、結果を出した《アトミック・ガールズ》に対する敬服の思いなど、すべてが複雑にもつれあっているのではないかと思われた。


 しかし何にせよ、これが有意義な試みであることに疑いはない。シンガポールにおいても、メジャー興行が《ビギニング》に一本化されることで、あれほど質を高めることがかなったのだ。複数の団体が隔絶した状態で活動を継続しても、ただでさえ競技人口の少ない女子MMAの行く末を細らせるだけであるはずであった。


「何はともあれ、愛音は愛音の強さを証明するだけであるのです! あとは結果を御覧じろなのです!」


 愛音はそのように息巻きながら、控え室を出ていった。

 セコンドは、ジョンと柳原と蝉川日和である。柳原は出場選手三名全員のセコンドを務めるというハードワークであった。


 愛音が対戦するのは、おのれの信念に従って《アトミック・ガールズ》への出場を控えていた、関東圏の選手であった。

 なんでも器用にこなすオールラウンダーで、《フィスト》の王座には届かなかったが、トップファイターに相応しい戦績を残している。年齢も二十四歳で、まだまだこれからの選手であった。


 いっぽう愛音も成長いちじるしく、プロデビューを果たしてからは五勝一敗という戦績になる。アマチュアの時代から見守っていた瓜子としては大江山すみれに三連敗した印象が強かったものの、その内の二戦はアマチュア時代の戦績であったのだ。プロデビュー後はそれ以外の選手に負けておらず、その中には金井選手や濱田選手といったトップファイターも含まれていた。


 ただ一点、不安要素も存在する。

 愛音はこれが昨年九月以来、八ヶ月ぶりの試合となるのだ。

 最初の四ヶ月はたまたまの巡りあわせであったが、残りの四ヶ月はシンガポール遠征に参加したために自ら出場のチャンスを潰してしまったのである。《アトミック・ガールズ》は隔月の開催であるため、一回のチャンスをふいにするだけで四ヶ月の期間が空いてしまうのだった。


 しかし、瓜子の懸念は杞憂に終わった。

 奮起しまくっていた愛音は決して空回りすることなく、得意のアウトスタイルで相手を翻弄し、効果的な打撃を撃ち込み、最後は空手仕込みの三ヶ月蹴りでKO勝利を奪取してみせたのだった。

 秒殺とまではいかなかったが、ノーダメージで一ラウンド決着だ。オールラウンダーと名高い相手に一手も有効な攻撃を許さず、それこそ横綱相撲と称せるほどの圧勝であった。


「すごいすごぉい。ムラサキちゃんは、本当に強くなったねぇ」


 ユーリが優しい笑顔とともにそんな言葉を投げかけると、愛音は肉食ウサギの形相のまま滂沱たる涙を流すことになった。

 ユーリはシンガポール遠征の影響で愛音のブランクが長引いたことをずっと気に病んでいたため、ひときわ優しい笑顔になっていたのだ。それでは愛音の涙腺がこらえられるわけもなかった。


 そして次鋒戦は、大江山すみれの登場だ。

 こちらも戦績は、愛音とおおよそ変わらないはずである。余所の道場の所属であるので瓜子も正確にカウントしていなかったが、《アトミック・ガールズ》の舞台ではまだ犬飼京菜にしか敗北しておらず、愛音と同じぐらい他なるトップファイターを下しているはずであった。


 そんな大江山すみれに準備されたのは、地方出身のファイターである。このたびはフィスト・ジムのはからいで宿泊施設のある関東圏のジムに滞在して、今日という日に臨んだのだという話であった。

 こちらも実績のほどでは、愛音の対戦相手に負けていない。幼少の頃から空手をたしなんでいた、ストライカーであるそうだ。


 大江山すみれの実力であれば、寝技で圧倒できたかもしれない。

 しかし彼女はMMAのオーソドックスなスタイルの中に古武術スタイルを封入し、思わぬタイミングで寒気のするようなカウンターを繰り出し、左アッパーの一撃で相手をKOしていた。


 そのさまをモニターで見届けたならば、瓜子も出陣の時間である。

 すると、ユーリばかりでなく、さまざまな女子選手が寄り集まってきた。小笠原選手、小柴選手、灰原選手、多賀崎選手、鞠山選手、浅香選手――本日の出場選手の中で遠慮をしたのは、内向的な香田選手ぐらいであった。


「いよいよだね。いったいどんな試合になるのか、しっかり見届けさせていただくよ」

「が、頑張ってください! サキさんは強敵ですけれど……猪狩さんなら、きっと勝てます!」

「重い分、うり坊のほうが有利なわけだからねー! いくらアコガレの存在だからって、集中を乱しちゃダメだよー!」

「猪狩に限って、そんな心配はいらないだろうさ。後悔のないように、頑張ってな」

「どうせサキは小癪な戦略を練ってくるだろうから、いちいち慌てるんじゃないだわよ? 今なら、地力はあんたのほうが上なんだわよ」

「ど、どうか頑張ってください! わたしも、心して見守らせていただきます!」


 すると、瓜子のセコンドならぬプレスマン道場の面々も押し寄せてきた。


「ショウブはトキのウンだけどねー。ウリコだったら、きっとノゾむトオりのシアイをデキるよー」

「サキセンパイは、恐ろしい御方なのです。一瞬の迷いが、命取りになるはずなのです。いざというときには、相手の左膝を壊す覚悟が必要になるのです」

「が、頑張ってください! あたしは、猪狩さんが勝つって信じてるッスから!」


 そして、すべての面々が申し合わせたように、ユーリに場所を譲った。

 ユーリは透き通った微笑みをたたえつつ、そっと白い拳を差し出してくる。


「頑張ってね、うり坊ちゃん。サキたんも、わくわくしながら待っているのです」


 瓜子はあらゆる思いを込めて「押忍」と応じ、ユーリの拳に自分の拳を押しつけた。

 香田選手や兵藤アケミ、来栖舞や雅は、遠い位置から瓜子の姿を見守っている。そちらにも頭を下げてから、瓜子は控え室のドアをくぐった。


 瓜子のセコンドを務めてくれるのは、立松と柳原とサイトーだ。

 そちらの三名とともに通路を進むと、前方から赤星道場の面々が凱旋してきた。


「猪狩さん。最高の試合を期待しているよ」

「頑張ってください。猪狩さんなら、きっとサキさんにも負けません」

「きっと壮絶な試合になるでしょうから、あとで極上マッサージをプレゼントするっすよ」

「どうぞ、ご武運を」


 赤星弥生子、大江山すみれ、是々柄、六丸――さまざまな立場にある人々が、その立場に相応しい態度で瓜子を激励してくれた。

 そちらにも、瓜子は「押忍」とだけ応じる。


 やがて入場口の裏手に到着すると、ドッグ・ジムの面々は出陣した後である。

 だけど、それでいい。彼らには、心置きなくサキを応援してほしかった。


 立松がキックミットを構えたが、待機の時間は数分で終了してしまう。大歓声が、犬飼京菜の秒殺KOを伝えてきた。

 やがて凱旋してきたドッグ・ジムの面々は、会釈だけして通りすぎていく。その背中を見送ってから、立松がいつになく穏やかな顔を向けてきた。


「サキの強さは、俺たちが一番よく知ってる。でも、今日勝つのはお前だよ、猪狩」

「ふふん。オレはそこまで保証できねえが、勝つべきなのはお前さんだ。遠慮なく、あの半分赤毛を叩き潰してきやがれ」

「とにかく、全力を振り絞れ。結果は、後からついてくるよ」


 やっぱり瓜子は、「押忍」としか答えられなかった。

 過度の緊張はしていないし、心も体も普段通りの心地好い熱気に包まれている。瓜子は最高のコンディションであり、心も平静そのものであったが――それでも、言葉が出てこなかったのだった。


(たぶんもう、語る言葉もないんだよ)


 今は一刻も早く、ケージでサキと向かい合いたい。

 四年前に、果たせなかった思いを――自分のすべてを、サキにぶつけるのだ。

 今の瓜子の内側に満ちるのは、そんな思いだけであったのだった。

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