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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
30th Bout ~Bustling Spring~
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06 最終日

 合宿稽古の日々は、その後も慌ただしく過ぎ去っていった。

 あらゆるメンバーがあらゆる方向から、瓜子を鍛え抜いてくれる。さらには瓜子の存在も、相手にとって何らかの糧になっていることであろう。そうでなければ、こうしてさまざまな陣営が寄り集まる甲斐もないはずであった。


 瓜子とユーリはシンガポール遠征においても稽古仲間と寝食をともにしていたが、やはりそれとも趣は異なっている。シンガポール遠征ではすでに調整期間であったため、ここまで身体をいじめることはなかったのだ。

 なおかつこちらの合宿稽古においては、食事までもが自給自足である。普段はそれほど顔をあわせる機会もない相手までまじえて、ともに食事の準備をして、それをいただき、同じ場所で眠るというのは、やはり合宿稽古ならではの楽しさであった。


 夜間の勉強会についても、また然りである。長きにわたって選手活動を続けてきた来栖舞たちの言葉には、プレスマン道場のコーチ陣ともまた似て異なる重みが存在した。そして、さまざまな個性を持つ選手が寄り集まっているために、自分とはまったく異なる視点からの意見が飛び出すのも刺激的でならなかった。


「本当に、ファイトスタイルって選手それぞれですよね。みなさんと仲良くさせていただいたことで、わたしはそれを痛感させられました」


 そのように語っていたのは、武中選手である。昨年のゴールデンウィークから合宿稽古に加わった彼女は、瓜子たち以上に鮮烈な思いを抱いているようだった。


「同じストライカーでもインファイターとアウトファイターじゃまったく別物ですし、同じアウトファイターでもタイプは色々とありますし……それで、一見は似たタイプに見える灰原さんと鞠山さんでも、実際に手を合わせるとまったく似ていませんもんね。なんかもう、いちいち言葉で分けるのは意味がないのかなって思えるほどです」


「それはその通りだわけど、やっぱりカテゴライズというものも二の次にはできないんだわよ。論理的思考を放棄したら、どこかの低能ウサ公やピンク頭みたいに感性だけで勝負する事態に陥るんだわよ」


 親切にして博識なる鞠山選手は、そんな言葉で武中選手に答えていた。


「たとえばあんたはオールラウンダー寄りのストライカーだわけど、ストライカー寄りのオールラウンダーと見なすことも可能なんだわよ。そして、どちらに区分するかで、攻略の内容も変わってくるだわね。まあ、そういう微細なニュアンスに関してはトレーナー陣におまかせすればいいだわけど、本人の認識と心構えも重要なんだわよ。頭と心を同じだけ働かせて、どちらかに偏りすぎないように心がけるべきだわね」


「なるほど……まあ最近は、生粋のストライカーやグラップラーっていうほうが珍しくなってきましたもんね。細かい区分をやめちゃったら、みんなオールラウンダーでひとくくりにされちゃいそうです」


「うり坊がシンガポールで対戦したレッカーなんかは、今どき珍しい生粋のストライカーだっただわね。これからピンク頭がブラジルで対戦するアナ・クララ・ダ・シルバも、生粋のグラップラーなんだわよ」


「そういえば、ユーリさんが生粋のグラップラーと対戦するのって、ほとんど初めてじゃないですか? どんな勝負になるのか、今からワクワクしちゃいますね!」


「ふん。得意の寝技で後れを取ったピンク頭が泣きべそをかくところを拝見したかったところだわけど……わたいのお師匠様がセコンドにつく以上、そんなぶざまな末路は許されないんだわよ。ピンク頭は立ち技でも常識外れの破壊力を持ってるから、それを活かして完全勝利を目指せるように調教を施すんだわよ」


 そんな具合に、ちょっとした世間話を横から聞いているだけでも、瓜子は造詣が深まるような心地であった。


 そうして順調に日を重ねて、折り返しの五日目には立松とジョンが陣中見舞いにやってきてくれた。

 これは、四度目を迎えた合宿稽古で初めてのことである。瓜子もユーリも、なんなら愛音も、それぞれ大一番を控えているため、コーチ陣も稽古の進捗が気になったのかもしれなかった。


「なるほど。サキ対策で、雅さんも協力してくれたのか。タイプはまったく違ってるが、雅さんの打撃技には独特の鋭さがあるからな。ディフェンスの強化には、きっと有効だろう」


 立松は、そんな風に言っていた。かつてはサキが王座統一戦で雅と対戦していたため、その頃に雅のファイトスタイルは分析しまくっていたのだ。


「実際問題、仮想・サキをお願いするには弥生子ちゃんや大江山の嬢ちゃんが一番適任なんだが……サキがあっちを頼ってる以上、二股で協力はお願いできねえしな」


「押忍。自分は立松コーチたちに指導していただけるんですから、そんな贅沢は言えません。サキさんに申し訳ないぐらいっすよ」


「ふん。しかしあっちは、古巣のドッグ・ジムにも出向いてるからな。あいつらが本気でサキに力を貸したら、どれだけ厄介さが増すかわかったもんじゃねえぞ」


「押忍。想像したら、ワクワクしちゃいますね」


 瓜子がそのように答えると、立松は優しい眼差しで苦笑していたものであった。


「何にせよ、オーバーワークにだけは気をつけろよ。基本の対策は、ゴールデンウイークの前に終わってるんだ。あとは身が細らないていどに、研いでおけ」


「押忍。お忙しい中、わざわざありがとうございました」


 その後はまた、女子選手と女子コーチだけで稽古が重ねられていき――あっという間に、最終日である。

 その日には、『トライ・アングル』のメンバーが午後から見学におもむき、夜の打ち上げをご一緒する予定になっていた。

 参加者は、六名。今回も、漆原を除く全員が集まったのだ。彼らもゴールデンウイークのさなかに何本かのライブをこなしたそうだが、誰もが元気そのものであった。


「みなさん、お疲れ様です。アトミックの五月大会に出場する選手は昨日から調整期間に入ったんでペースダウンしてますけど、気合だけは入ってますんで」


 せっかくの見物人を失望させないように、瓜子はそんな前置きをしておいたのだが、どうやら杞憂であったらしい。インターバルのさなかでは、タツヤやダイが子供のように瞳を輝かせていた。


「どこがペースダウンしてるのか、俺にはさっぱり違いがわからねえよ! みんな、すげえ迫力だな!」


「ああ! リハの俺たちとは大違いだ!」


『ベイビー・アピール』もスタジオ練習では全力を尽くすが、本番前のリハーサルでは脱力するのだ。とりあえず、試合を控えた選手一行も脱力まではしていなかった。


 そうして午後の六時には、すべての工程が終了する。

 今回も、負傷者や脱落者を出すことなく、無事に合宿稽古をやり遂げることができた。瓜子の胸には、この十日間で積み上げられた充足の思いがあふれかえっていた。


「それじゃあ、あとは打ち上げだね。試合を控えた面々には申し訳ないけど、節度をもって楽しもう」


 小笠原選手のそんな宣言で、合宿稽古の打ち上げが開始された。

 調整期間に入った人間の中でアルコールに手をのばすのは、灰原選手ただひとりとなる。本人いわく、ここでアルコールを我慢するストレスのほうが弊害が大きいのだそうだ。まあ、調整期間の体調管理に関しては、選手個人の自己責任であった。


「それにしても、まさかこんな時期にサキちゃんとタイトルマッチとはね。こんなことなら、もっと早く対戦しておくべきだったんじゃないか?」


 打ち上げの席でそのように語りかけてきたのは、リュウであった。

 瓜子は満ち足りた思いのまま、「いえ」と答えてみせる。


「サキさんは去年の春に正規王者になって、自分は夏ぐらいに《アクセル・ジャパン》のオファーを受けてましたから、どの時期にねじこんでも多少の無理は出ていたと思います。……それに自分はどんな時期でも、サキさんとの試合を優先したいですからね。サキさんがベストと思った時期に対戦するだけです」


「すげえ幸せそうな顔だな。瓜子ちゃんにとっては、そんなに大切な試合ってことか」


「押忍。自分にとってのサキさんってのは、ユーリさんにとってのベリーニャ選手みたいなもんですからね。まあ、今はメイさんっていう存在もいますけど……サキさんは、それより前からの憧れでしたから」


 リュウは「そうか」と目を細めて微笑んだ。


「相手がサキちゃんじゃ、どんな試合になるかもわからねえけど……俺は全力で、瓜子ちゃんを応援するよ。心置きなくブラジルまで出向けるように、頑張ってな」


「押忍。ありがとうございます」


 すると、毎度お馴染みのタツヤとダイが、左右からリュウに絡みついた。


「だからお前は、スキを突いて瓜子ちゃんを独占するんじゃねえよ!」


「本当に、お前と山寺だけは油断がならねえな!」


 その山寺博人は早くも酩酊して騒ぎ始めた陣内征生の隣で、うるさそうに顔をしかめている。それと向かい合っているのは灰原選手と多賀崎選手と武中選手で、問題なく盛り上がっている様子であった。


 いっぽうユーリは瓜子のかたわらで、思うさま食欲を満たしている。エキシビションマッチに出場するユーリは減量の必要がないため、食べ放題であるのだ。


 瓜子は調整期間に入ったため、多少はカロリー計算が必要な時期である。

 そして、瓜子ていどの減量でも、多少は肉体に負担がかかるはずだ。それを二ヶ月連続で行うというのは、決して望ましい話ではないはずであった。


 しかし瓜子に、サキとの対戦オファーを断るという選択肢はなかった。

 世間でも、この一戦については大きく取り沙汰されているらしい。サキというのは瓜子にとって唯一敗れた相手であったため、《アトミック・ガールズ》を卒業する前にリベンジを果たすことができるのか――そうして瓜子が名実ともに《アトミック・ガールズ》最強の選手と成り得るのか――あるいは、サキが先輩としての意地を見せつけて、アトム級とストロー級の二冠王となるのか――そうして《アトミック・ガールズ》には瓜子とユーリ以外にも有望な選手が居揃っているのだと、世界に証明することができるのか――そんな論調で、たいそう賑わっているそうである。


 しかし申し訳ないことに、瓜子はそんな話も念頭になかった。

 瓜子はただ、憧れの存在であったサキと対戦したいだけであるのだ。瓜子を格闘技の世界に導いてくれたサキに、自分の力がどれだけ通用するのか――以前の対戦では成し遂げようもなかったそんな思いを、全力でぶつけたいだけであった。


 きっとユーリも、ベリーニャ選手に対してこんな思いを抱いているのだろう。

 瓜子は決して、サキと試合をするために格闘技を始めたわけではない。たまたま同じ階級であったために、そんな未来もあるのかもしれないと夢想していただけだ。サキが最初から異なる階級であったのなら、瓜子はそんな夢想すら抱かずに、ひたすら稽古に没頭していたはずであった。


 それでも、サキと対戦できるなら――心残りのないように、自分のすべてをぶつけたい。

 正直に言ってしまえば、勝敗などは二の次だ。ラッキーパンチで勝利するよりは、全力を尽くして敗北したほうが幸せな心地であるはずだった。


 しかしそれでも、瓜子は全力で勝利を目指す。

 それは選手にとって、大前提である。勝つためにすべての力を振り絞ることに、意味があるのだ。瓜子は思い出作りのために、サキとの試合を望んでいるのではなかった。


 ただサキは、左膝に故障を抱えている身となる。

 もしも自分との対戦でその故障が悪化して、サキが引退に追い込まれてしまったら――と、そんな風に想像するだけで、背筋が寒くなってしまう。


 それでも瓜子は、全力で挑む所存であった。

 そうでなければ、試合場に上がる資格はないのだ。もしも手加減などをしてしまったら、瓜子は永遠にサキを失ってしまうはずであった。


「……うり坊ちゃんはエツラクの時間を妄想して、楽しんでおられるにょ?」


 と、隣のユーリがふいにそんな言葉を囁きかけてきた。

 我に返った瓜子は、「ええ」と微笑み返す。


「お察しの通り、幽体離脱してました。ユーリさんをおいてけぼりにしちゃって、すみませんでしたね」


「ううん。それぐらい、うり坊ちゃんにとっては大切なひとときだものねぇ」


 そう言って、ユーリは雪の精霊のような透き通った微笑みをたたえた。


「ユーリも心して、うり坊ちゃんのお姿を見守るのです。たぶん、号泣は必至なのです」


「あはは。ユーリさんは、負けたほうのフォローをお願いしますね」


「にゃっはっは。サキたんには、おしりを蹴っ飛ばされそうだけどねぇ」


 熱気のあふれかえった打ち上げの場で、瓜子とユーリはひっそりと微笑みを交わした。

 そうして十日間に及ぶ合宿稽古は、無事に終了し――瓜子はついに、サキとのタイトルマッチを迎えることに相成ったのだった。

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