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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
30th Bout ~Bustling Spring~
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05 サキ対策

 午前八時を過ぎる頃にはすべてのメンバーが食堂に集結して、それぞれの予定にあわせて行動することになった。

 

 合宿稽古は十日間にも及ぶので、半数ていどの人間は他にも予定が存在する。蝉川日和、鞠山選手、小柴選手、灰原選手、武中選手の五名は午前中に仕事を詰め込んでいたし、来栖舞、高橋選手、愛音の三名は実家の都合などでゴールデンウイークの折り返しぐらいの時期に一日か二日ほど抜ける予定になっていた。


「でも、残りの半数ぐらいはまるまる居残ってくれるんだもんね。こんなに心強い話はないよ」


 小笠原選手が笑顔でそう言うと、ひとりだけ近所のホテルで寝泊まりしている雅が「ははん」と鼻を鳴らした。


「うちらは俗世のしがらみごと、うっちゃってきた立場やさかいなぁ。こないな最果ての地で予定なんか入る理由はあらへんよぉ」


「ほんと、ありがたい限りだよ。じゃ、午前中はまた個別指導の時間ってことにさせていただこうか。もちろん、補強練習を希望する人は自由だよ」


 補強練習とは、いわゆる筋力トレーニングである。しかし、これだけスパーリングの相手が居揃っている状態で、そんなものを希望する人間はいなかった。

 二日目の午前中は勤労組の五名だけが抜けて、十三名が居揃っている。その内の三名はコーチ役であったものの、これだけの人数であれば何の不足もなかった。


「ここはやっぱり、試合を控えた人間を優先しないとね。キックマッチのアタシは除外して、猪狩、桃園、邑崎、香田、浅香、高橋の六名か」


「あたしは天覇のトーナメントなんで、まんべんなく鍛えるしかないですからね。除外してもかまいませんよ」


「じゃ、高橋を抜いて五名ね。まず、一番過酷な連戦を抱えた猪狩は、どうしたい?」


 すると、瓜子よりも早く雅が発言した。


「その前に、瓜子ちゃんがサキちゃんに対してどないな対策を練っとるのか聞かせてほしわぁ。昨日はブラジル対策一辺倒やったさかいねぇ」


「押忍。正直言って、サキさんのステップワークは誰にも真似できないんで、具体的な対策は練りようがありません。ただ、サキさんがどういう作戦で攻めてくるかを想定して、その対策を練ったっていう感じっすね」


「ふうん? おもろそやないの。プレスマンのコーチ陣は、どないな考えなん?」


「サキさんはああ見えて、戦略家っすからね。自分の過去の試合も、大いに研究してると思います。だから……自分が一番苦戦した、弥生子さんとの試合を参考にするんじゃないかと踏んでます」


 瓜子が過去に勝ち星を逃がしたのは、サキ自身と赤星弥生子の両名であった。なおかつ、サキと対戦した折には瓜子もまだまだ未熟であったので、サキが参考にするとすれば赤星弥生子との対戦であるはずであった。


「あの試合で、自分は手足を狙われたんすよ。自分はピンチに陥ると集中力が増すっていう面があるもので……その集中力を発動させる前に、機動力や攻撃力を奪おうっていう作戦だったわけっすね」


「ははん。花ちゃん言うところの、ちびっこ怪獣タイムやねぇ。やっぱりアレって、自分の意思ではどないにもならんの?」


「押忍。酸欠になったり、頭やボディに深刻なダメージを負ったりすると、意識が朦朧とするでしょう? そうすると、集中力が増すみたいなんすよね」


 これぐらいの話は鞠山選手にも分析されているため、今さら隠す必要はない。それよりも、実情を明かして有意義な稽古を積むことのほうが重要であるはずであった。


「そういえば、花さんも同じような作戦を取ってたよね。たしか打撃はローしか狙わないで、あとは寝技に勝負をかけたんだっけ」


「押忍。でもけっきょくグラウンド戦でも酸欠になって、集中力が増すことになりました」


「で、ジュニアはテイクダウンも仕掛けずに、手足を潰しにかかったわけか。でも、頭やボディをいっさい狙わなかったわけじゃないよね?」


「押忍。弥生子さんは、一撃必殺のカウンターを持ってますからね。それで、一撃でKOを狙える場面に限っては、頭やボディも狙われました」


「嬉しそうに語るねぇ。ほんと、猪狩はジュニアにご執心なんだなぁ」


「それはまあ、あんなに尊敬できるお人はそうそういませんからね。……ユーリさん、すねないでくださいってば」


「すねてないですぅ」


「ほんで、そういう意味ではサキちゃんも大怪獣に似た特性を持っとるわけやねぇ。あの狙いすました一撃で手足を狙われるのは、恐怖やろ」


「押忍。頭やボディの急所と同時に、手足の防御まで考えないといけないわけですからね。正直、頭が沸騰しそうです」


「これまた幸せそうなお顔やねぇ。サキちゃんは、昔っからの憧れやもんなぁ」


「ええ、そうっすね。……こういうときは、ユーリさんもすねないんすよね」


「ユーリは誰にもすねておりませぇん」


「せやさかい、けっきょく対策は難儀やろ。サキちゃんや大怪獣みたいに武芸の達人じみた動きができる人間なんざ、そうそうおらへんさかいねぇ」


 そう言って、雅は妖艶に微笑んだ。


「それに近い動きができるのは……うちと朱鷺子ちゃんとオリビアぐらいやろねぇ」


「えー? ワタシもですかー? ワタシはサキみたいに、軽やかに動けないですよー?」


「せやさかい、カウンターは得意やろ? 自分は不動で、瓜子ちゃんがもぐりこむ稽古やったら、有用なんちゃう? こないなリーチをかいくぐるのは、ブラジル戦でも有用やろしねぇ」


「うん、確かに。でも、雅さんは大丈夫なの? くわしくは知らないけど、どこかに故障を抱えてるんでしょ?」


「あらぁ、朱鷺子ちゃんまでうちを老人あつかいするん? ショックやわぁ」


 雅はくつくつと笑ってから、ねっとりとした横目の視線を瓜子に届けてきた。


「人様をいたぶるんは、うちの専売特許やさかいねぇ。手足を潰すために腐心するやなんて、胸が躍ってまうわぁ。相手がかわゆらしい瓜子ちゃんやったら、なおさらやねぇ」


「押忍。雅さんにもご協力いただけたら、心からありがたく思います」


 雅は人を食った物言いしかできないが、瓜子のために傷ついた身体で尽力しようとしてくれているのだ。瓜子の胸には、感謝の思いしかなかった。


「それじゃあ、他の面々だけど……桃園は、タックルのディフェンスを重視してるんだよね?」


「はぁい。ユーリがブラジルで対戦するアナ・クララ選手は、柔術黒帯の実力者ですのでぇ。うかうかと上を取られてはならぬというお申しつけでございましたぁ」


「相手がパウンドやら何やらを得意にしてたら、桃園だって危ないだろうしね。そうすると、やっぱり多賀崎さんと御堂さん、香田と浅香が頼りかなぁ」


「うん。ただ、あたしは出稽古でもさんざん桃園のお相手をしてるからね。高橋の手が余るなら、そっちに回ろうか」


「ありがとう。それで、邑崎もディフェンスの側に組み込めば、ちょうどいいか。桃園や邑崎からテイクダウンを狙うのは、御堂さんたちにとってもオフェンスの強化になるだろうからね」


 かくして、十名に及ぶ選手の稽古内容が決定される。瓜子の組は雅、ユーリの組は兵藤アケミ、多賀崎選手と高橋選手の面倒は来栖舞が見てくれることになった。


 打撃技の稽古に取り組む瓜子の組は、防具の装着だ。なおかつ瓜子は、上腕にまでレガースパットをくくりつけられることになってしまった。


「ジュニアに狙われたんは、上腕やんなぁ? 試合前にダメージが残らんように、用心せんと。これでうちらも、遠慮なく蹴り放題や」


 そのように語る雅もまた、ヘッドガードとレガースパットとニーパット、さらにエルボーパットまで装着している。去年のこの時期からコーチ役として励むようになった雅であるが、立ち技のスパーに参加するのは初めてであったので、そのような姿をさらすのも初めてであった。


「あと、サキちゃんはフリッカージャブもお上手やさかいねぇ。顔を狙わんいうても、ジャブぐらいは打ってくるんとちゃう?」


「ええ。コーチ陣も、そう仰ってました。攻撃を散らさないと、手足を狙うのだって難しくなるでしょうからね」


「プレスマンのコーチ陣も、ぬかりはあらへんねぇ。ほな、うちもせいぜい愛しいサキちゃんに成り代わってみせるわぁ」


 そうして稽古が開始されると、瓜子は雅の厄介さをまざまざと思い知らされることになった。

 まず雅は、百六十一センチという背丈である。サキや愛音ともども、アトム級としては長身の部類であった。

 そして雅は、手足が長い。それもまた、サキや愛音と似通った特徴であったのだが――雅の打撃技には、彼女ならではの鋭さというものが存在した。


 もとより雅は現役の時代から、苛烈な打撃技で知られていた。瓜子はそれを、我が身で体感することになったわけである。

 雅がもっとも得意とするのは空手仕込みの肘打ちであり、それ以外の攻撃にKOパワーはないとされている。実際に雅は《カノン A.G》の時代に肘打ちが解禁されるまで、KO勝利の経験がなかったのだ。


 そんな雅の打撃技は、スピードに特化していた。四本の手足がひゅんひゅんとうなる鞭のように飛ばされて、瓜子の身を叩いてくるのだ。確かにそこには骨身にしみいる重さというものが欠落していたが、そのぶん弾けるような衝撃が防具ごしにも伝わってきたのだった。


(これはたぶん……数を重ねることで、痛みがたまっていくような攻撃なんだ)


 瓜子は防具を着用しているので、おおよそ痛みを感じることはない。ただ、鼻先にジャブを当てられた際には皮膚を削られるような痛みを覚えたし――何より、回避するのが難しかった。一撃必殺のサキとは正反対で、数の暴力とも言うべき圧力で瓜子を悩ませたのである。


「うちの攻撃を全弾回避できたら、サキちゃんの一撃をもらこともないやろ。あんじょうおきばりやぁ」


 雅はスパーの最中でも妖艶に微笑みながら、容赦のない攻撃を繰り出してきた。

 絶え間ない攻撃が弾幕のように張られて、瓜子は懐にもぐりこむこともできない。そして手足の防御という面においても、まったく達成できなかった。


 雅の攻撃は、何度となく瓜子の手足を叩いていく。

 いかにも軽い攻撃だが、防具をつけていなかったらじわじわとダメージが溜まっていったことだろう。それに雅は、かなりの精度で瓜子の上腕やふくらはぎのど真ん中を狙っていた。


 瓜子は肘や膝を立ててカウンターを狙ったりもしているが、それらもすべてすかされてしまう。肘を立てればボディを狙われ、膝を立てれば足首を払われる。スピードにおいても反応速度においても、瓜子は完全に負けてしまっていた。


(もちろんこれが試合だったら、強引にでも距離を潰してインファイトに持ち込むところだけど……)


 しかし、サキを相手にそんな戦法を取っていたら、一か八かの勝負になってしまう。そんな玉砕戦法は、完全に手詰まりになるまで許されるはずもなかった。


 そうして三分のスパーリングは、あっという間に終わってしまう。

 小笠原選手やオリビア選手は、感心しきった面持ちでグローブに包まれた手を打ち鳴らした。


「いやあ、雅さんの動きが全然落ちてないんで、驚いたよ。どこに故障を抱えてるのか、見当もつかないね」


「ふふん。故障を抱えとるなんて宣言した覚えはあらへんさかいねぇ」


 雅は悠然とした面持ちで、水分補給をした。彼女はあまり汗をかかない体質であるので、スパーをこなした直後とも思えないたたずまいだ。

 いっぽう瓜子は、三分間で汗だくである。ずっと頭を悩ませていた分、無駄にスタミナを使ってしまったようだ。防具に包まれた手足には、痛みに達する直前のようなむずがゆさが残されていた。


「サキとはまるきりタイプが違うけど、ディフェンスの強化にはもってこいだと思うよ。猪狩は、どう思う?」


「押忍。雅さんを攻略できたら、すごい経験になると思います。たぶん……これを全弾ディフェンスできるようにならないと、サキさんの一発を防ぐこともできないんでしょうね」


「アタシらは雅さんみたいに優雅に動けないんで、別のアプローチで攻めさせていただくよ。じゃ、第二ラウンドの開始といこうか」


「押忍。よろしくお願いします」


 そうして瓜子にとっての合宿稽古は、日を重ねるごとに楽しさと過酷さを増していったのだった。

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