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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
30th Bout ~Bustling Spring~
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03 世界の壁

 合宿稽古、初日の夜である。

 初日の本日は稽古も午後からの五時間のみであったが、きわめて濃密な時間であったため、誰も彼もがくたびれ果てている。それでも充足した思いを噛みしめながら、まずは夕食の準備に取りかかることになった。


「こーゆーとき、サキがいないのは痛いよねー! こっちもコキ使われて大変だけど、その甲斐があるぐらい美味しい食事を準備してくれるからなー!」


 ジャンケンで炊事係に任命された灰原選手は、あくまで陽気な面持ちでそんな風に言っていた。

 同じく瓜子も、気落ちはせずに調理に励んでいる。ふとした瞬間にはサキやメイの不在を物寂しく思ってしまうものの、そんなものは試合に対する熱意でねじ伏せることができた。


(サキさんはドッグ・ジムか赤星道場で、メイさんはフロリダで、それぞれ稽古に取り組んでるんだろうからな。おたがい、寂しく思ってる時間なんてないさ)


 ドッグ・ジムや赤星道場もゴールデンウイークの期間は休館としているが、道場主を筆頭とする面々は稽古を怠っていないと聞き及んでいる。であればきっと、サキもどちらかの道場で稽古に加わっていることだろう。そしてフロリダにはゴールデンウイークなど存在しないのであろうから、メイもまた然りであった。


「そーいえば、メイっちょも五月に試合なんだっけ? 今度は、ドイツなんでしょー? いいよねー、世界中に旅行できて!」


「あはは。ストイックなメイさんは、淡々と稽古に励んでそうですけどね。……それと、レオポン選手は今日、ラスベガスで試合っすよ」


「おー! ハルキくんの試合は、今日だったっけ! 結果が気になるけど、ちゃんと試合映像で確認したいなー! うり坊、パソコンは持ってきてるのー?」


「いえ。鞠山選手のパソコンでも拝見できるっていう話だったんで、自分は持ってきませんでした」


 すると、可愛らしい三角巾とエプロンを身につけた鞠山選手が鍋の具材を刻みながら「ふふん」と鼻を鳴らした。


「勉強会の一環としてレオポンの奮闘を視聴することは、すでに舞ちゃんたちから了承を得てるんだわよ。おおよその人間はレオポンとご縁を持ってるから、勝っても負けても刺激を受けることは保証されてるんだわよ」


「おー、ナイス! ハルキくんだったら、きっと豪快に勝ってくれるさー! そんでもって、いよいよ《アクセル・ファイト》と正式契約だね! 帰国したら、なんかおごってもらおーっと!」


 レオポン選手は日本大会とグラスゴー大会を連続でKO勝利を収めているため、本日のラスベガス大会でも結果を出せればついに正式契約かという段階に至っていたのだ。


 そしてそれは、メイも同じ立場となる。地方大会で三試合完勝すれば、まず間違いなく正式契約に至るだろうという話であったのだった。


(あたしも、負けてられないや)


 瓜子はひそかに奮起しながら、刻んだ生野菜を大皿に盛りつけることになった。


 そうして準備が整ったならば、賑やかな夕食だ。

 こちらの食堂はけっこうな規模であるので、この人数でも窮屈な思いをすることはない。そして、三名のコーチ陣と鞠山選手はひとかたまりとなってじっくり話し込んでいたが、そのぶん他の場所では熱気がわきかえることに相成った。


「でも、あちらは何だかすごい迫力ですね。何せ、アトミックの創成期を支えた方々なんですもんね」


 そんな言葉を瓜子にこっそり伝えてきたのは、《アトミック・ガールズ》ともっとも関わりが薄かった武中選手であった。

 確かに、来栖舞、兵藤アケミ、雅、鞠山選手というカルテットが形成されると、一種独特の雰囲気がたちのぼる。武中選手の言う通り、《アトミック・ガールズ》の創成期でもっとも光り輝いていたのはこの四名であるのだ。彼女たちの活躍なくして、今の《アトミック・ガールズ》は存在しないはずであった。


 そして鞠山選手を除く三名は現役選手を引退して、後進の育成に注力している。だからこそ、この合宿稽古にも参加しているのである。それは彼女たちが引退してもなお《アトミック・ガールズ》の土台を支えているという証左に他ならなかった。


(いつかあたしやユーリさんも、あんな風になれたら理想的だな……まあ、まだまだ想像はつかないけどさ)


 彼女たちは、瓜子やユーリよりも十歳以上は年長であるのだ。であれば瓜子も、あと十年ばかりは脇目もふらずに邁進したいところであった。

 彼女たちだって、最初からあの場所を目指していたわけではない。現役の時代には目の前の試合にだけ集中して、すべての力を振り絞った上で、あの場所に到達したはずであるのだ。瓜子は、その道程ごと見習いたいと願っていたのだった。


 そうして食事を終えたならば、後片付けをしたのちに、《アクセル・ファイト》の試合観戦である。

 本日の開催はラスベガスであったが、メインではなくサブの興行だ。よって、日本のBSチャンネルでは放映されず、公式配信サイトでのみ視聴できる。鞠山選手は持参したノートパソコンを操作して、会議室の備えつけのプロジェクターでその画面を映し出した。


「今日のメインイベントは、女子ストロー級のランカー対決なんだわよ。その試合とレオポンの試合を視聴するだわよ」


「へーっ! ちっちゃい大会でも、ランカーの試合なんてあるんだねー!」


「同じ規模の《アクセル・ジャパン》にだって、卯月大明神やジョアン・ジルベルトが出場してたんだわよ。そういう見どころがないと、観客の目を引けないんだわよ」


 そうして鞠山選手は、レオポン選手の試合映像を再生した。

 小規模の大会であるため、日本語の解説などは入らない。北米のアナウンサーが、英語で実況をしていた。


 両選手のプロフィール画像が提示された後、青コーナーからレオポン選手が入場する。レオポン選手は不敵に笑っており、それに追従するのは大江山軍造と、見知らぬ白人の男性と――そしてなんと、是々柄であった。


「わー、なになに? ぜーっちがセコンドなの? いいなー!」


「ええ。《レッド・キング》と時期がかぶらないときは、是々柄さんを優先してセコンドにつけてるって話でしたよ。調整期間のコンディションを整えるのと、試合中のリカバリーでは、是々柄さんが一番頼りになるって話ですからね」


 その是々柄は大柄な男性陣に半ばうもれてしまっていたが、相変わらずのとぼけた面持ちでひょこひょこと歩いている。《アクセル・ファイト》ではセコンド陣も公式ウェアを着込む取り決めであるが、彼女はそちらでもオーバーサイズのウェアを着用してボディラインを隠蔽していた。


 そうして赤コーナー陣営からは、北米の選手が入場してくる。

 こちらも《アクセル・ファイト》との正式契約を目指す若手の選手なのであろうが、同じ階級とは思えないほど筋骨隆々だ。男子選手におけるバンタム級というのは軽量級に区分されるはずであるが、やはり女子選手とは骨格の頑健さと筋肉量が比較にもならなかった。


 両選手がケージインして、選手紹介のアナウンスが終了したならば、レオポン選手と相手選手がレフェリーのもとで向かい合う。

 背丈は、ほとんど変わらないようだ。そしてやっぱり、体格はひと回りも違っている。これもまた、骨格の際から生じる体格差であった。


 しかしレオポン選手は、これまでにも体格差を跳ね返して数々の勝利をあげている。そういう意味では、《レッド・キング》の無茶なマッチメイクもレオポン選手の糧になっているのかもしれなかった。


(頑張ってください、レオポン選手。弥生子さんたちも見守ってますよ)


 そんな風に祈りながら、瓜子は画面に集中した。

 だが――その日の相手は、手ごわかった。レオポン選手の鋭い打撃技を頑丈な肉体で跳ね返し、荒っぽいパンチで反撃しながら距離を詰め、何度となく壁レスリングに持ち込んだのだ。レオポン選手もテイクダウンを取られることはなかったが、着実にスタミナを削られてしまった。


「あ、相手はカレッジ・レスリングの猛者だそうです。まだMMAのキャリアは浅いようですが、運営陣に注目されているみたいですね」


 そんな話を告げてきたのは、魅々香選手である。魅々香選手は英会話が堪能であるため、実況解説の内容を教えてくれたのだ。


「なんか聞き覚えがあるような気はするけど、カレッジ・レスリングって何なのー? 普通のレスリングとは違うわけ?」


「は、はい。ふ、普通のレスリングというのは、きっとフリースタイルやグレコローマンのことですよね? カレッジ・レスリングっていうのは、米国の高校や大学で実施されてるレスリングで……わ、わたしも聞きかじりの知識ですけれど、他の競技よりもキャッチ・レスリングに近い形式であるみたいです」


「キャッチ・レスリング? って、沙羅が稽古してたやつでしょ? レスリングだけで、そんなに種類があるのかー」


 灰原選手も目は画面にくぎ付けであるが、壁レスリングの攻防ばかりが続いているので会話に気がそれてしまっているようである。

 そして、寡黙な魅々香選手が疲れた様子で口をつぐむと、鞠山選手がその後を引き継いだ。


「ギリシャ式レスリングをルーツにするグレコローマンに対して、フリースタイルとカレッジ・レスリングはキャッチ・レスリングを源流にしているだわね。キャッチ・レスリングは1870年頃にイギリスのJ.G.チャンパースが作りあげたスタイルで、それが19世紀後半にアメリカに伝来したとされてるだわよ」


「ちょっとちょっと! そんなさかのぼったら、ハルキくんの試合が先に終わっちゃうって!」


「探求心の希薄なウサ公だわね。……とにかく、キャッチ・レスリングっていうのは打撃技だけを禁止にした何でもありのレスリングで、それがスポーツとして洗練されたのがフリースタイルというわけだわね。それでフリースタイルはオリンピック競技として認められただわけど、ルールが細かく決められた分、他の競技――つまり、MMAへの応用が難しいんだわよ。いっぽう、フリースタイルほど細かいルールが存在しないカレッジ・レスリングは、MMAへの応用が容易なんだわよ。北米のトップファイターにカレッジ・レスリングの実力者が多いことが、その証拠だわね」


「へー! そんな競技が、高校とか大学で習えるのー? たしか、キャッチ・レスリングってのは日本だとなかなか習えないって話じゃなかったっけー?」


「キャッチ・レスリングはフリースタイルとカレッジ・レスリングに進化を遂げたから、今では前時代のプロレスラーぐらいにしか伝承されてないんだわよ。……それもまた、日本と北米の大きな壁だわね。日本でレスリングといえばフリースタイルとグレコローマンだから、カレッジ・レスリングを習得した北米の選手には後れを取らざるを得ないんだわよ」


 そんな風に言いながら、鞠山選手は芝居がかった仕草で溜息をはさんだ。


「今もその壁が、レオポンの前に立ちふさがってるだわね。大怪獣・赤星大吾は、キャッチ・レスリングの名手たるジョゼフ・マグリットの最後の愛弟子と称されているだわけど……個人間の伝承では、どうしたって技術が薄まっていくんだわよ」


「うん。それに、こちらの辻くんはレスリングよりもストライキングを重視しているようだからね」


 と、来栖舞が落ち着いた声音で言葉を重ねる。

 その間も、レオポン選手の苦境は続き――そのまま第一ラウンドが終了してしまった。ポイントは、完全に相手選手のものである。


 すると第二ラウンドでは、レオポン選手が火のついたような猛攻を見せた。是々柄のマッサージケアで可能な限りの回復を果たしたレオポン選手が、怒涛の打撃技で相手を追い詰めたのだ。


 しかしKOまでには至らず、優勢ポイントだけを獲得して、第二ラウンドは終了する。

 そして第三ラウンドでは、レオポン選手がスタミナの欠乏をあらわにして――また第一ラウンドの繰り返しである。そしてラスト一分というタイミングでついにテイクダウンを取られてしまい、相手にポジションキープを許したまま試合終了のホーンを聞くことになってしまったのだった。


 結果は三者が29対28で、相手選手の勝利である。

 天を仰いだレオポン選手は『くそー!』と雄叫びをあげて、それが瓜子の胸を締めつけた。


「あーあ、負けちゃったかー! でも、こんな地味な試合だと、相手だってスカウトの目に止まらないんじゃないのー?」


「それでも、勝ちは勝ちなんだわよ。レオポンは一歩後退、相手選手は半歩前進といったところだわね」


「……それでもレオポン選手は、これまでに二回のKO勝ちを収めてるんです。まさか、この一戦で帳消しになることはないっすよね?」


 瓜子の問いかけに、鞠山選手は「ふふん」と鼻を鳴らした。


「すべては運営陣の胸先三寸だわけど、レオポンは華があるからまだまだ期待できるんだわよ。まずは、次の試合が組まれることを祈るだけだわね」


 瓜子は「押忍」と答えながら、拳を握り込んだ。

 やはり《アクセル・ファイト》で結果を出すというのは、きわめて困難な道であるのだ。瓜子としては来月に試合を控えるメイと、レオポン選手の今後の躍進を祈るしかなかった。


 そうして次にクリックされたのは、メインイベントの一戦だ。

 女子ストロー級――瓜子やメイと同じ階級の、ランカー同士の対決である。

 赤コーナーはランキング六位、青コーナーはランキング八位であるとのことであった。


「ちなみに赤コーナー陣営の選手は、《アクセル・ファイト》に吸収された《スラッシュ》の元王者なんだわよ。《スラッシュ》での実績が認められて、早々にランク入りしたようだわね」


《スラッシュ》の元王者――それならば、メイと同じ肩書きである。メイが《スラッシュ》を離脱してから、新たな王者となった選手であるのだろう。


 しかし、その選手もまた、あえなく敗れてしまった。

 勝利したのは、ランキング八位のブラジルの選手である。こちらはブラジルのプロモーションからスカウトされた選手であるとのことであった。


「やっぱり《アクセル・ファイト》の壁は高いだわね。メイメイも油断できないだわよ」


「押忍。でもメイさんは、どんな状況でも油断とは無縁っすよ」


「ふふん。その眼光の鋭さに、メイメイへの情愛があふれかえってるだわね」


 それはまったくその通りであったので、瓜子には返す言葉もなかった。

 しかし瓜子は、メイの行く末を案じているわけではない。今の試合に出場していた両選手よりも、メイのほうが強いとはっきり感じたのだ。メイであれば、《アクセル・ファイト》のランカーにも後れを取ることはないと確信できたのだった。


(頑張りましょう、メイさん。あたしもまずは、サキさんとエズメラルダ選手に勝ってみせます)


 そうして、合宿初日の夜は更けて――十八名の精鋭は、日中と変わらぬ熱気の中で勉強会に取り組むことに相成ったのだった。

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