08 打ち上げ
閉会式を終えた後、一行は打ち上げの会場へと繰り出した。
今日は、ひときわの大人数である。《アトミック・ガールズ》と《ビギニング》の合同祝勝会ということで、試合会場に来ていなかったプレスマン道場の関係者も何名か駆けつけたのだ。そして、普段であれば直帰する各ジムのセコンド陣なども、今日はかなりの割合で参加を希望していたのだった。
それに、加藤選手や奥村選手、前園選手や白木選手など、馴染みの薄い面々も居揃っている。そちらもおおよそは、《ビギニング》で勝利を収めた瓜子とユーリのために参じてくれたようであるのだ。瓜子としては、恐縮することしきりであった。
「お前さんがたはそれだけのことをやってのけたんだから、存分にふんぞりかえってりゃいいんだよ。ちっとはその戦績に見合った貫禄を身につけやがれ」
後から駆けつけた立松は、ご満悦の面持ちでそんな風に言っていた。
セコンドとしていた参じていたジョン、愛音、蝉川日和に、サキ、サイトー、柳原、それに何名かの門下生も加わって、プレスマン道場の関係者だけでもけっこうな人数だ。そしてサキは、妹分の理央やキッズクラスの門下生たるあけぼの愛児園の児童までをも引き連れていた。
赤星道場、ドッグ・ジム、四ッ谷ライオット、天覇館、武魂会と、馴染みの深い面々は勢ぞろいで、さらに武中選手が所属するビートルMMAや時任選手が所属するパイソンMMAの関係者も居揃っている。どう考えても、これは過去最大の出席人数であるはずであった。
「よーし! それじゃー全員そろったみたいだから、祝勝会を始めよっかー!」
そのように音頭を取ったのは、打ち上げ会場の手配をした灰原選手である。その目は赤く泣きはらされていたが、持ち前の活力は完全に回復していた。
「まず、今日の主役のミミーから挨拶ねー! 悔しいけど、今日の試合はすごかったよー! アトミックのフライ級王者として、ひとつよろしく!」
「は、はい……」と、魅々香選手は壁を支えにして立ち上がった。辛うじて病院送りには至らなかったが、彼女は文字通り満身創痍であったのだ。目尻は切れて、頬には青黒く痣が浮かび、もともと迫力満点である顔がいっそうの凄みを帯びている。ただその声は相変わらず、ユーリに負けないぐらい可愛らしかった。
「ど、道場の方々の支えがあって、なんとか今日もベルトを守ることができました。わたしなんて、本当に至らない未熟者ですが……《アトミック・ガールズ》の王者として恥じることのないように、これからも稽古に励みたいと思います」
何十名もの人々が、魅々香選手に惜しみなく拍手を捧げた。
魅々香選手は恐縮しきっている様子であったが、それでも幸せそうな気配がわずかに覗いている。現在のフライ級はかつてのミドル級であり、その初代王者は来栖舞であるのだから、彼女はその王座にとてつもない思い入れを抱いているはずであった。
「ミミー、お疲れさまー! 《フィスト》のタイトルマッチでは、ぜーったいにマコっちゃんが勝つからねー! ……じゃ、今日は《ビギニング》の祝勝会と合同だから、お次はピンク頭がよろしくー!」
「ええ? ユーリも挨拶するのですかぁ? こういうお役目はうり坊ちゃんにおまかせしたほうが……」
「あんたが頼りないから、大トリをうり坊にまかせるんだよ! ほら、ちゃきちゃき挨拶しなって!」
プライベートでは堂々とできないユーリは、「はあ……」と眉を下げつつ身を起こす。たちまちプレスマン道場の陣営が盛大に歓声をあげたので、ユーリは幸せそうに肢体をよじった。
「どうも、ありがとうございますぅ。ユーリも道場やたくさんのみなさんのおかげで、なんとかジェニー選手に勝つことができましたぁ。……あ、シンガポールのおみやげをお渡しできなかったみなさんは、どうもごめんなさいですぅ」
「土産なんて、どーでもいいっしょ! ったく、シマらないなー! うり坊、きっちりシメてよね!」
瓜子もこんな挨拶は苦手の範疇であるが、ユーリの後であれば多少は気が楽であった。
「押忍。プレスマン道場の猪狩です。自分もたくさんの方々に支えられて、なんとか結果を出すことができました。みなさんも実感されていると思いますけど、選手ひとりの力だけでは試合に勝てません。自分も支えていただいた分はお返しするつもりですので、どうかこれからもよろしくお願いします」
これまで以上の歓声が、居酒屋の二階席を埋め尽くした。
さして面識のない面々も、感じ入った様子で手を打ち鳴らしてくれている。それは、懇意にさせてもらっている人々の祝福と同じぐらい、瓜子の胸を熱い思いで満たしてくれた。
灰原選手はにこにこと笑いながら、ウーロン茶のグラスを瓜子に手渡してくる。
「よーしよし! じゃ、その勢いで、カンパイの挨拶もよろしくー!」
「押忍。……今日の試合に参加した選手のみなさん、セコンドのみなさん、《ビギニング》の試合に関わってくださったみなさん、どうもお疲れ様でした。羽目を外しすぎないように気をつけながら、今日の打ち上げを楽しんでください。……乾杯」
「乾杯!」と、怒号のような勢いで復唱されたのち、数々のグラスが瓜子のもとに届けられてきた。ユーリや魅々香選手も同じだけのグラスを迎え撃ってから、ようようドリンクで咽喉を潤す。あとはもう、無礼講の大騒ぎであった。
「猪狩さん、ユーリさん。それに魅々香さんも、あらためましておめでとさん。誰も彼も、すげえ試合を見せてくれたな」
漁師のような塩辛声でそのように伝えてきたのは、ドッグ・ジムの大和源五郎である。結束の高いチームメイトの面々も、全員が彼に追従している。犬飼京菜、マー・シーダム、ダニー・リー、榊山蔵人、ひょろりとした体型の新人選手――不在であるのは、本日もプロレスの試合で遠征している沙羅選手のみであった。
「沙羅のやつは、また大事な試合を見逃しちまったな。御堂さんにリベンジする気があるなら、こんな試合を見逃すなってんだよ」
坊主頭で闘犬じみた面相をした大和源五郎が皺くちゃの顔で笑い声をあげると、魅々香選手は「はあ……」といっそう小さくなってしまった。まあ、相手が強面でなくともリアクションは変わらない魅々香選手である。
「猪狩さんやユーリさんは言うまでもねえけど、魅々香さんも大したもんだよ。それに、対戦相手の多賀崎さんもな。どっちも、王者に相応しい実力と気合だ。そういう部分は、お嬢も見習わないといけねえな」
「ふん! いつかは全員、あたしがぶっ倒してあげるさ!」
犬飼京菜は、つんとそっぽを向いてしまう。まあ、それもいつもの話であった。
「犬飼さんも、今日の試合はお見事でしたよ。相手は柔術の熟練者だったんでしょうけど、寝技を含めた総合力で圧倒してましたもんね。自分も、見習いたいと思います」
「……でかい舞台で勝ったあんたに言われても、嫌味にしか聞こえないんだけど」
「舞台の大きさなんて、関係ありませんよ。もちろんレッカー選手は強かったですけど、アトミックの選手だって負けてないはずです」
瓜子がそのように答えると、大和源五郎の目に真剣な光が灯された。
「猪狩さんは、お愛想でそんな言葉を吐く人間じゃねえよな。つまり、本気でそう言ってるのかい?」
「もちろんっすよ。実際、魅々香選手や多賀崎選手だって『アクセル・ロード』でシンガポールのトップファイターを下してるんですからね。お愛想や精神論じゃなく、本当にそれだけの実力を持ってるってことです」
そうして瓜子は、小さくなっている魅々香選手のほうに笑顔を向けた。
「もう鞠山選手から聞いてるかもしれませんけど、シンガポールではランズ選手のお世話にもなってたんです。ランズ選手は、本当に強かったですよ。階級も違うのにあんなお人に勝てるなんて、魅々香選手は本当にすごいと思います」
「あ、いえ……わたしもけっきょく、肘を痛めてしまいましたし……」
「それでも、勝ちは勝ちですからね。ランズ選手も魅々香選手のことをきちんとリスペクトしていて、自分はすごく誇らしかったです」
瓜子がそこまで言いつのると、魅々香選手もようやく口もとをほころばせてくれた。
「わ、わたしは猪狩さんにそこまで言っていただけることが、誇らしいです。……どうもありがとうございます」
「とんでもありません。これからも、頑張りましょうね」
そうしてこちらのやりとりが一段落すると、大和源五郎がまた「ふん……」と物思わしげなうなり声をあげた。
「よくよく考えりゃあ、この御三方が《アトミック・ガールズ》のチャンピオン様なわけだな。なんていうか……アトミックの王者クラスなら世界で通用するって、めいっぱいアピールされてるような心地だよ」
「自分は、それが事実だと信じてますよ。大和さんは、何をそんなに考え込んでらっしゃるんですか?」
「いやいや。アトミックの王座ってもんに、いっそうの魅力を感じたってだけのこったよ」
大和源五郎はやおら笑顔を取り戻して、犬飼京菜の小さな頭をぽんぽんと叩いた。
「こいつは是が非でも、サキのやつからベルトをぶん取ってやらないとな。明日からもしごいてやるから頑張ろうぜ、お嬢」
「ふん! 今さら何を言ってるのさ! あたしらは、最初っからそれが目的でしょ!」
「違えねえや。……それじゃあ、長々と邪魔しちまったな。時間があったら、またあとでゆっくり喋らせてくれよ」
そうしてドッグ・ジムの面々が身を引くと、今度は赤星道場の面々がやってきた。赤星弥生子にマリア選手、大江山の父娘に、後から合流した六丸と是々柄とレオポン選手という顔ぶれだ。さらに遠くのほうでは、二階堂ルミが蝉川日和に絡んでいる姿がうかがえた。
「瓜子ちゃんにユーリちゃん、シンガポール遠征お疲れさん! 俺も結果を出してみせたけど、やっぱ二人の豪快さにはかなわねえな!」
まずはまだほとんど挨拶もしていなかったレオポン選手が、陽気に笑いかけてくる。瓜子もまた、精一杯の思いを込めて笑顔を返してみせた。
「レオポン選手もイギリス遠征、お疲れ様でした。わざわざ駆けつけてくれて、ありがとうございます。今だって、追い込みの最中なんでしょう?」
「昼間にたっぷり汗をかいたから、どうってことないさ! 二人の可愛い顔を目に焼きつけて、明日からも地獄のトレーニングに励ませていただくよ!」
一月のグラスゴー大会で勝利を収めたレオポン選手も、四月の終わりに次の試合が決まっているのだ。今度は本場ラスベガスで行われる中規模の大会に出場するのだという話であった。
「俺も二試合連続KOで決めて、手応えをつかんだからな! 次の試合もKOで決めりゃあ、運営の連中も覚悟が固まるだろ! 何としてでも、正式契約を勝ち取ってみせるよ!」
「レオポン選手は、本当にすごいっすね。うまくいくように、全力でお祈りしてます」
「ふふん。本当の試練は、ここからだからな! 卯月さんに先を越される前に、日本人初の王座をいただいてやるさ!」
「その意気だ!」と豪快に笑いながら、大江山軍造はレオポン選手の背中をばしばしと叩いた。
すると、そんな二人のかたわらをすりぬけた六丸が、世にもあどけない微笑みを届けてくる。
「猪狩さん、桃園さん、どうもおめでとうございます。これからも、お二人の活躍を応援させていただきます」
「ありがとうございます。まさか六丸さんまで駆けつけてくださるとは思いませんでした」
「そうですか? 僕にとっても、お二人は特別な存在ですからね」
そう言って、六丸はいっそう無邪気な笑顔をさらす。彼は何より赤星弥生子に心を寄せているために、彼女と特別な関係にある人間を重んじているのだろうと思われた。
「そういえば、弥生子さんにもお伝えしたいお話があったんすよ。電話じゃちょっともったいなかったんで、今日まで我慢してたんすけど……せっかくだから、今お話ししてもいいっすか?」
「うん? いったいどういった話だろうか?」
不思議そうに小首を傾げる赤星弥生子に、瓜子は一週間ほど寝かせておいた言葉を伝えてみせた。
「実はシンガポールでも、自分やユーリさんが弥生子さんと試合をした映像が評判だったんです。自分たちがお世話になったジムの人たちものきなみ目にしていて、みんな弥生子さんの強さに仰天してましたよ」
「なに? そいつは、本当かよ!」と、大江山軍造が身を乗り出してくる。そしてその娘さんも内心の知れない微笑をたたえたまま、わずかに身じろいでいた。
ただ、赤星弥生子本人は――実に愛くるしい風情で、きょとんとしていた。
「すまない。ちょっと話がよくわからないのだが……そもそもどうして、そんな映像がシンガポールに出回っているのだろうか?」
「自分との試合はテレビ中継を切り取った違法動画で、ユーリさんとの試合はDVDですね。あちらの人たちもユーリさんを研究するために、アトミックのDVDを取り寄せたみたいです」
「ああ、なるほど……つまりは、お二人の認知度にあやかったわけだね。なんとも、身の縮むような話だ」
赤星弥生子が申し訳なさそうに眉を下げると、大江山軍造が「何を言ってやがる!」と興奮した声をあげた。
「経緯はどうあれ、師範の名前がシンガポールにまで鳴り響いてたんだぞ! こんなめでたい話はないじゃねえか!」
「うん? しかしまさか、シンガポールの人間が《レッド・キング》の会場にまで足を運ぶことはないだろう?」
「これだよ……滅私奉公の精神も大概にしやがれってんだ!」
大江山軍造は呆れた顔で笑いつつ、赤星弥生子のしなやかな肩を小突き回す。それでも赤星弥生子がうろんげな面持ちであったので、瓜子が言葉を添えることにした。
「そりゃあ弥生子さんは海外の評価なんて眼中にないんでしょうけど、自分たちにとってはとびきり嬉しい話なんすよ。どうか、察してください」
「そうッスよ。これも師範が思い切って、《レッド・キング》の外に飛び出した成果ッスね」
レオポン選手も加勢すると、赤星弥生子はようやく何かを察したように頭をかいた。
「私は本当に、視野が狭いのだろうね。猪狩さんはそんなに嬉しそうな顔をしているのに、肩透かしをくらわせてしまって申し訳なく思っている」
「自分のことは、いいんすよ。道場の方々とは同じ喜びを分かち合えましたからね」
「おうよ! この寝ぼけた師範にはじっくり言い聞かせてやるから、あとはまかせてくれ!」
そうして赤星弥生子はガハハと笑う大江山軍造に肩を抱かれて、早々に立ち去ることになってしまった。
六丸たちもそれに続き、最後に大江山すみれがぐっと瓜子に顔を近づけてくる。
「ありがとうございます、猪狩さん。わたしも心から嬉しく思っています」
彼女は相変わらず内心の読めない笑顔であったが、その瞳には言葉の通りの輝きが浮かべられている。瓜子もまた大きな喜びを新たにしながら、「押忍」と笑顔を返してみせた。
「いやー、やっぱこの人数だとすごい騒ぎだねー! タツヤくんたちも来られればよかったんだけどなー!」
と、いつの間にか姿を消していた灰原選手が舞い戻ってくる。その手に支えられているのは、魅々香選手と同じぐらい満身創痍の多賀崎選手であった。
「ど、どうも。お、お体は大丈夫ですか……?」
魅々香選手が慌てた様子で声をかけると、多賀崎選手「ああ」と気安く応じながら腰を下ろした。
「ま、二、三日はまともに身体が動かないだろうね。でも、それはそっちも同じことでしょう?」
左頬にガーゼを貼られて、あちこちを赤く腫らした顔で、多賀崎選手は屈託なく笑う。魅々香選手もまた、気弱げに微笑んだ。
「き、きっとそうですね。あとに響くような怪我はありませんでしたけど……こんなにすべての力を使い果たしたのは、これが初めてかもしれません」
「本当にね。今日は最高の試合ができたよ。これで勝ててたら、文句なしに最高の一日だったけど……まあ、それは《フィスト》でのリベンジマッチを待つしかないね」
座った状態でも灰原選手に支えられながら、多賀崎選手は白い歯をこぼした。
「次は絶対、勝ってみせるよ。……それでもって、次にあたしが挑戦するまで、アトミックのベルトを守り抜いてね」
「は、はい。勝負に絶対はありませんけど……そのために死力を尽くすことを、お約束します」
多賀崎選手と魅々香選手は握手を交わすでもなく、ただ澄みわたった眼差しを交錯させた。
そして、ユーリはそんな二人の姿を、とても眩しそうに見つめている。きっと瓜子も、同じような表情をしているのだろうと思われた。
(やっぱり……あたしたちにとっては、《アトミック・ガールズ》がホームなんだよな)
瓜子とユーリも、まぎれもなく《アトミック・ガールズ》の王者である。しかし、このままでいけば《ビギニング》と専属契約を交わす可能性があり――それが実現したならば、もう《アトミック・ガールズ》では試合を行えなくなるのだ。その時点で、王座も返還しなければならないのだった。
しかしもはや、瓜子の胸に逡巡の思いはない。
瓜子たちの使命は、《アトミック・ガールズ》の実力者であれば世界に通用すると証明することであるのだ。であれば、《アトミック・ガールズ》を卒業することも幸福な道の過程であると証明しなければ、何の意味もなくなってしまうのだった。
魅々香選手は今日、《アトミック・ガールズ》のベルトを防衛した。そのベルトにさらなる価値と意味を与えるために、瓜子とユーリは《ビギニング》の舞台に身を投じたのである。
打ち上げの会場では、よくよく見知った人々とあまり見知らぬ人々が一緒になって騒いでいる。その何割かの人々も、《ビギニング》で結果を出した瓜子たちのために駆けつけてくれたのだ。
その熱気が、瓜子に新たな力を与えてくれている。
それを支えに、瓜子は明日からも邁進する心づもりであった。




