06 不屈の努力家と豪腕のオールラウンダー、再び
「オリビア、お疲れさまー!」
オリビア選手が控え室に凱旋すると、あらためて祝福の拍手が打ち鳴らされた。
ジョンに肩を貸されたオリビア選手は、へろへろの笑顔である。オリビア選手もオリビア選手で、最後の一滴まで力を振り絞っていたのだった。
「どうもありがとうございますー。それじゃあ、マコトとミカのタイトルマッチを見届けましょうねー」
「うんうん! 騒ぐのは、祝勝会まで取っておこうねー!」
ということで、灰原選手はすみやかにパイプ椅子へと舞い戻る。
瓜子はその前に、ユーリにもねぎらいの言葉をかけておくことにした。
「ユーリさんも、お疲れ様でした。最後まですごい勝負でしたね」
「うみゅ。ユーリのせいで、オリビア選手に凶運がもたらされていなければよいのだけれども……」
「運の割り込む余地なんて、どこにもなかったでしょう? オリビア選手もジジ選手も、どっちも凄かったです」
「そうだねぇ」と、ユーリははにかむように微笑んだ。
《アトミック・ガールズ》に残留すれば、ユーリもいずれそちらの両名と試合をすることになっていたのだろうが――今は、そんな見込みも立たない状態であった。
そうしてオリビア選手が入念なクールダウンに取り組む中、モニターでは最後の試合の入場が開始される。
多賀崎選手と魅々香選手による、フライ級のタイトルマッチだ。オリビア選手とジジ選手の熱戦を引きずって、客席には大変な歓声が巻き起こっていた。
青コーナーの多賀崎選手も赤コーナーの魅々香選手も、気迫のみなぎったいい表情である。そしてどちらも強面の部類であるため、沈着であっても大層な迫力であった。
両者がケージインしたならば、まずはフライ級のチャンピオンベルトが返還され、コミッショナーのタイトルマッチ宣言と国歌清聴である。
魅々香選手は二度目の防衛戦であるが、多賀崎選手は初めての挑戦だ。ただし多賀崎選手も、《フィスト》の舞台ではタイトルの防衛に成功している。そんな二人の胸にはどのような思いが去来しているのか、外面からはまったくうかがい知れなかった。
『第十試合、メインイベント! フライ級タイトルマッチ! 五分三ラウンドを開始いたします!』
リングアナウンサーの朗々たるアナウンスに、会場はまた歓声に包まれた。
『青コーナー、挑戦者! 百六十一センチ、五十六キログラム、四ッ谷ライオット所属! 《フィスト》フライ級第四代王者……多賀崎、真実!』
多賀崎選手は気迫を漂わせつつ、それでも落ち着いた顔で右腕を振り上げた。
『赤コーナー、王者! 百六十五センチ、五十五・九キログラム、天覇館東京本部所属! 《アトミック・ガールズ》フライ級第七代王者……魅々香!』
魅々香選手は陰影の濃い顔に重い覚悟をたたえつつ、スキンヘッドを深く下げた。
そうして両名は、レフェリーのもとで向かい合う。
二人が対戦するのは、ちょうど一年ぶりである。一年前の三月大会において、両者は沙羅選手が保持するタイトルへの挑戦権を懸けて戦い、それに勝利した魅々香選手が沙羅選手をも撃破して新たな王者となったのだった。
どちらも三十歳が目前に迫ってきた世代であるが、体格に大きな変わりはない。若い選手のように成長することがない代わりに、決して衰えも見られなかった。
多賀崎選手はどちらかといえば骨太で、がっしりとした体格をしている。外国人選手に比べれば可愛いほうであろうが、雄々しい顔立ちと相まって、均整の取れた肉体が限りなく逞しく見えた。
そして魅々香選手は、それを上回る逞しさである。彼女は肩幅が広く、腕が長く、そして広背筋が発達しているため、上半身は男子選手のようなシルエットであるのだ。足が短めに見えるのも、上半身が異様に発達しているためなのだろうと思われた。
さらに魅々香選手は彫りが深い上に骨ばった顔立ちで、眉や髪が生えておらず、鼻筋は歪んでいる。顔立ちだけで言えば、《アトミック・ガールズ》で一番の迫力であるのだ。その内側にきわめて繊細な人柄がひそんでいると知っている瓜子でも、試合直前の迫力には緊張を覚えるほどであった。
そんな魅々香選手と相対しても、多賀崎選手は落ち着いた面持ちだ。
多賀崎選手は数年前にも魅々香選手に敗北しており、対戦成績は二戦二敗であったが、それでも心を揺らすことなく毅然と足を踏まえていた。
ルール確認が終了すると、両者はごく尋常にグローブをタッチさせる。
大歓声の中、両者はフェンス際まで引き下がり――そして、試合開始のブザーとともに、魅々香選手が突進した。
灰原選手が思わず「あっ」と声をあげるほどの、勢いある突進である。それは、犬飼京菜に負けないぐらいの勢いであった。
ただしもちろん魅々香選手がトリッキーな大技を仕掛けることはない。ひと息に間合いを詰めた魅々香選手はその勢いのままに、右フックを繰り出した。
異様に発達した上半身から繰り出される、オーバーハンドの右フックである。多賀崎選手は左腕でしっかりガードしたが、それでも倒れそうな勢いで横合いに吹っ飛ばされた。
そうして多賀崎選手が体勢を立て直すより早く、魅々香選手の左フックが振るわれる。
前手のショートフックであるが、右フックに劣らない勢いである。
その攻撃が、多賀崎選手の顔面を撃ち抜いた。
さらに魅々香選手は右のボディフックから再びの左フック、さらに右アッパーまで連動させた。
ボディフックと左フックはガードして、右アッパーはスウェーでかわす。
すると、スウェーでのけぞった多賀崎選手の胴体に、魅々香選手が組みついた。
そのまま相手の右足を内側から掛けて、マットに押し倒す。試合開始からわずか十数秒で、多賀崎選手はテイクダウンを取られてしまった。
灰原選手は無言のまま、隣に座った瓜子の腕をぎゅっと抱きすくめる。
まさか序盤からこのような展開になるとは、想像していなかったのだろう。瓜子とて、そては同じ心情であった。
(魅々香選手は、そうそう奇策に出る人じゃない。でも……勝つために、こんな作戦を選んだんだ)
一年ぶりの再戦で、しかもタイトルマッチであれば、多少は様子を見たくなるのが自然な心理であろう。それを逆手に取って、魅々香選手は序盤から猛攻を仕掛けてきたのだった。
しかも、猛攻はまだ終わっていない。多賀崎選手が執念でハーフガードのポジションを取ると、魅々香選手はその足を抜こうともしないままパウンドを振るい始めた。
まるで、ここで試合を決めようとしているかのような勢いだ。
ごつい筋肉の盛り上がった魅々香選手の両腕が鉤状に曲げられて、フックさながらのパウンドを多賀崎選手に叩きつけていく。多賀崎選手は懸命に頭部を守っていたが、何発かは顔面に入っていた。
魅々香選手もマリア選手と同じように、本来はグラウンド戦でポジションキープを重視するタイプだ。しかし今、魅々香選手は慎重さや堅実さをかなぐり捨てて、鬼のような猛攻を見せていた。
レフェリーはマットに膝をつき、真剣な面持ちで多賀崎選手の様子をうかがっている。
このまま殴られ続けていれば、レフェリーストップをされてもおかしくはなかった。
多賀崎選手は猛打の雨をかいくぐり、魅々香選手の胴体にしがみつこうとする。
すると魅々香選手は多賀崎選手の咽喉もとに逞しい腕をねじこんで、マットに押し返した。
そして今度はその腕で、多賀崎選手の呼吸を圧迫する。
多賀崎選手が両手でそれを跳ね返そうとすると、魅々香選手はすみやかに腕を引き――そしてすぐさま、肘打ちに移行した。
多賀崎選手の左頬に、魅々香選手の右肘がめりこむ。
そこから散った血が、マットに滴った。
魅々香選手は肩を大きく上下させながら、再び拳を振りかぶろうとする。
それと同時に、多賀崎選手が猛然と上半身を起こした。
いつの間にか、相手の右足をはさんだ両足が開かれている。その足でマットを踏まえた多賀崎選手は、魅々香選手の大きく開いた右脇に首を突っ込み、腰をねじって、体勢をひっくり返そうという動きを見せた。
すると、多賀崎選手の勢いに押された格好でのけぞった魅々香選手は、そのまま上体を起こして立ち上がる。これだけグラウンド戦を有利に進めながら、まったく躊躇もなくポジションを捨てたのだ。その潔さこそが、瓜子をもっとも驚かせた。
魅々香選手は多賀崎選手の手が届かない場所まで退いて、呼吸を整える。あれだけの猛攻を見せたのだから、彼女もかなりのスタミナを使ったはずであった。
いっぽう多賀崎選手はマットに拳をついて、ゆっくりと身を起こす。
そうして多賀崎選手が完全に立ち上がるのを待ってから、レフェリーは『タイムストップ!』と宣告した。多賀崎選手の左頬からしたたる血が、咽喉もとにまで伝っていたのだ。
大歓声が吹き荒れる中、ケージ内に踏み入ったリングドクターが多賀崎選手の傷口をチェックする。そのさまが、モニターで大映しにされた。
リングドクターがタオルで血をぬぐうと、いちおうは出血が止まる。ただその傷口は三センチぐらいの長さにおよび、かなりの深手であるように見受けられた。
さらに多賀崎選手は、左右の目尻にも血をにじませている。スタンド状態でのフックか、グラウンド状態でのパウンドか――とにかく魅々香選手の乱打によって、それだけの傷が刻まれていたのだ。
しかし多賀崎選手の双眸には、これまで通りの気迫がみなぎっていた。
リングドクターもさして迷うことなく、試合の再開に許可を与える。客席にはいっそうの歓声が巻き起こり、灰原選手はいっそうの力で瓜子の腕を抱きすくめた。
一ラウンドの残り時間は、およそ二分半だ。
魅々香選手の一方的な展開で、ラウンドの半分が費やされたのである。
そうして試合が再開されると、魅々香選手は敏捷にステップを踏み始めた。
傷のチェックを待っている間に、呼吸が整ったのだろう。その顔や頭は汗でてらてらと照り輝いていたが、まだまだスタミナは十分であるようであった。
そうして魅々香選手はステップワークを駆使しながら、軽い攻撃を撃ち込んでいく。
魅々香選手はこの近年で、アウトファイターさながらのステップワークを習得したのだ。それは多賀崎選手も同じことであったが、先に披露したのは魅々香選手のほうであった。
(魅々香選手が、常に先手を取ってる。なんだか……マリア選手との試合を思い出しちゃうな)
魅々香選手もマリア選手も入念に相手のことを研究して、さまざまな手を打とうとしていた。そして、常に先手を取った魅々香選手が勝利して、王座を守ったのだ。
しかし多賀崎選手は、まだ何の手も打ってはいない。ひたすら魅々香選手の猛攻をしのいだのみである。その気迫に衰えは見られないが、相応のダメージを負っているはずであった。
そんな多賀崎選手をさらに追い込むべく、魅々香選手は拳を振るっている。
ステップワークを駆使しているが、決して牽制の軽い攻撃ではない。その攻撃をガードする多賀崎選手の上体の揺らぎが、破壊力のほどを示していた。
魅々香選手は、豪腕であるのだ。
今日は試合の開始から、『豪腕のオールラウンダー』の異名に恥じない姿を見せていた。
多賀崎選手も落ち着いて手を返しているが、有効打は当てられない。
やはり、ダメージもあるのだろう。自らもステップワークを使ってリズムを変えようとはしなかった。
そしてそのまま、タイムアップである。
初回のラウンドは、完全に魅々香選手のものであった。
「凄いですね……御堂さんの猛攻も、それをしのいだ多賀崎さんも、どっちも凄いです」
灰原選手の心情を慮ってか、武中選手がひかえめな声量でそのようにつぶやいた。
四ッ谷ライオットの面々も、クールダウンを終えたオリビア選手とプレスマン道場の陣営も、時任選手の陣営も、口を開こうとしない。それは遠慮をしているというよりも、モニターに集中しているのかもしれなかった。
そうして、第二ラウンドが開始される。
すると今度は、多賀崎選手が足を使ってケージ内を回り始めた。
いっぽう魅々香選手は、ケージの中央にどっしりと足を踏まえる。サイドを取られないように角度だけを修正しつつ、決して多賀崎選手を追いかけようとはしなかった。
試合を動かすのは、劣勢の立場にある選手の役割である。
多賀崎選手は果敢に踏み込んで攻撃を当てようとしたが、それは魅々香選手の卓越したリーチに阻まれた。魅々香選手は四センチ長身である上に、平均よりもリーチが長いのだ。下手をしたら、十五センチ近いリーチ差がありそうだった。
そのリーチ差が、多賀崎選手から反撃のチャンスを奪っている。
多賀崎選手が接近すると、魅々香選手のほうが先に手を出してしまうのだ。リーチ差ばかりでなく、タイミングの取り方も秀逸であった。
すると多賀崎選手が、予想外の攻撃に出る。パンチではなく、ミドルを使い始めたのだ。
多賀崎選手はパンチャーで、蹴り技はあまり得意にしていない。しかし射程の長いミドルであれば、少なくとも魅々香選手より先に仕掛けることができた。
魅々香選手はバックステップで問題なく回避しているが、カウンターを狙うことはできなくなっている。多賀崎選手はレスリングが強いので、この遠い間合いではテイクダウンを狙うのも難しいと踏んでいるのだろう。
ただし、魅々香選手に焦っている様子はない。やはり、試合を動かすのは多賀崎選手の役割であるのだ。今のところはほとんど互角の展開であるため、ポイントをものにするには何らかの手立てが必要であった。
(まず真っ先に思いつくのはインファイトだけど……懐に入るのが難しい上に、魅々香選手だってインファイトは得意中の得意だからな)
さらに、レスリング力は多賀崎選手がまさっていても、魅々香選手には柔道仕込みの組み技がある。それで先刻も、見事にテイクダウンを奪ったのだ。さらに寝技も柔術茶帯の手腕であるのだから、本当に隙のないオールラウンダーであった。
(組み技や寝技で有利に勝負を進めるには、まず立ち技で優勢に立つしかない。……頑張ってください、多賀崎選手)
瓜子は魅々香選手のことも好ましく思っているが、やはりつきあいが深いのは多賀崎選手のほうだ。恨みっこなしという大前提で、瓜子は多賀崎選手を応援していた。
そんな多賀崎選手は、ひたすらミドルを蹴っている。
ときおりスイッチからの左ミドルや関節蹴りも加えているが、とにかく蹴り技一辺倒だ。しかし、相手のリーチを警戒した上での遠い間合いであるため、それらはすべてすかされてしまっていた。
反撃こそくらっていないものの、これではジリ貧である。
ポイント上は互角でも、スタミナを使っているのは多賀崎選手のほうであるのだ。それも、パンチの一発で簡単にくつがえせるていどの優勢であるのだから、これではあまりに消極的であった。
客席からも、ブーイング寸前の喚声があげられている。
なんの進展も見せないまま、ただ時間だけが過ぎ去っていった。
(いや……)と、瓜子は身を乗り出す。
多賀崎選手の右ミドルが、ボディをガードする魅々香選手の左腕をかすめたのだ。
それは、本当にわずかな差異であったが――じわじわと、距離が詰まり始めていたのだった。
(このラウンドはまだ大きな差もないから、魅々香選手もポイントを取ろうと打ち気になってるのかもしれない。それで、多賀崎選手は……少しずつ、踏み込みを大きくしてるんだ)
瓜子がそのように考えたとき、多賀崎選手の左ミドルが魅々香選手の右腕に深く当たった。
ついに、そこまで間合いが詰まったのだ。
そして――それと同時に、魅々香選手のほうが踏み込んだ。
多賀崎選手の蹴りをかわすのではなく受け止めて、反撃に転じたのである。
それで振るわれたのは、左のショートフックであった。
多賀崎選手は、まだ蹴り足を戻しきっていない。
そんな多賀崎選手の顔面に、魅々香選手の凶悪な左拳が飛ばされて――
そして、それよりも早く、多賀崎選手の左拳が魅々香選手の顔面を捕らえた。
多賀崎選手は蹴り足をおろしきる前に不安定な姿勢で、左ジャブを放ったのだ。
フックよりも軌道の短いジャブが、先に命中した。
さらに多賀崎選手はダッキングで魅々香選手の左フックをかわしつつ、両足でマットを踏みしめて、ボディストレートを射出した。
魅々香選手の鍛え抜かれた腹筋に、多賀崎選手の右拳が突き刺さる。
その勢いに押されるようにして、魅々香選手は後ずさった。
多賀崎選手は右足で大きく踏み込み、スイッチをした上で、左の蹴りを放った。
それが中段の軌道であったため、魅々香選手はすかさずボディをガードする。
その内側をかいくぐって、多賀崎選手の左足が魅々香選手のレバーに突き刺さった。それはミドルと前蹴りの中間の軌道で振るわれる、三ヶ月蹴りであったのだ。
多賀崎選手は蹴り技を得意にしていないが、決して練習していないわけではない。それを、ここぞという場面で使って、見事にクリーンヒットさせたのだ。先の試合で右ハイとバックハンドブローをあっさり防御された灰原選手とは、実に対極的な様相であった。
急所のレバーに痛撃を受けた魅々香選手は、いっそう力なく後退する。
多賀崎選手がそれを追って、インファイトを仕掛けた。
魅々香選手は亀のように丸くなって防御に徹したが、それだけですべての攻撃を防ぎきれるものではない。多賀崎選手の拳の何発かはガードの隙間をかいくぐり、魅々香選手の顔面を打った。
さらに多賀崎選手はボディブローも織り交ぜたが、そちらは完全に防がれてしまう。魅々香選手はダメージを負ったボディの防御を重視しており、そのぶん頭部に隙が生まれていた。
ならばと、多賀崎選手は頭部に攻撃を集中させる。
ただし、ガードを上げさせないように、時おりボディブローも織り交ぜた。多賀崎選手らしい、沈着な判断である。
今度は多賀崎選手の、一方的な攻勢だ。
客席はわきにわいており、四ッ谷ライオットのサブトレーナーと門下生も歓呼の声をあげている。
ただし灰原選手は無言のまま、瓜子の腕をぎゅっと抱きすくめていた。
瓜子も集中して、声をあげるゆとりもない。防御を固めた魅々香選手の姿に、やたらと威圧感を覚えてしまったのだ。
多賀崎選手はインファイトで優勢を取ったならば、そこから組み技に繋げるのがもっとも得意な流れである。
しかし多賀崎選手は、ひたすら拳を振るっている。沈着な表情を保ったまま、組み技には移行できずにいるのだ。
(もしかして……魅々香選手に、その隙がないとか?)
傍目からは一方的な展開であるが、魅々香選手の身にどれぐらいの余力が残されているかはわからない。ただ、その身に拳を叩きつけている多賀崎選手には、あるていど知覚できるはずであった。
(でも、確実にダメージは与えてるはずだ。それなら、このまま打撃技で確実にポイントを取ったほうがいいのかも……)
残り時間は、すでに一分を切っている。ここからテイクダウンを奪っても、決着まで持っていくのは難しいだろう。テイクダウンというのは、仕掛けるほうもスタミナを使うものであるのだ。
(いや、それならいっそ、身を引いたほうが……KOできる手応えがないなら、スタミナを残して次のラウンドに――)
瓜子がそのように考えたとき、魅々香選手がいきなり右アッパーを繰り出した。
多賀崎選手もまったく油断はしておらず、スウェーバックでそれを回避する。
そうして多賀崎選手が身を引こうとすると、さらに左拳が追いかけてきた。ジャブともフックともつかない、宙をかくようなパンチだ。
そのパンチが、多賀崎選手の目もとを捕らえた。
多賀崎選手は下がる足を止めて、右フックを繰り出す。
すると魅々香選手も、同じ攻撃を返した。
同じ攻撃が、おたがいの左頬を打つ。
多賀崎選手は左頬の裂傷から新たな血を散らしつつ、ぐらりとよろめいた。
いっぽう、魅々香選手は――ダメージを負った様子もなく、左拳を振りかぶる。
しかし、その拳が勢いに乗るよりも早くラウンド終了のブザーが鳴り響き、レフェリーが割って入った。
多賀崎選手はがっくりと膝をつき、魅々香選手は一礼してから自軍のコーナーに戻っていく。
ポイントは、おそらく多賀崎選手のものであろうが――魅々香選手は最終ラウンドに向かって確かな手応えを残しつつ、インターバルの時間を迎えたのだった。




