04 打ち上げ
「いやー、今日のライブも大成功だったな!」
ダイがそんな声を張り上げたのは、名古屋公演の打ち上げのさなかであった。
まあ、楽屋でも同じような言葉を何度となく繰り返していたわけであるが、言葉の内容に間違いはないし、誰もが同じ思いを抱えているため、文句をつけようとする人間はいなかった。
打ち上げには、三十名ていどの人間が参加している。『トライ・アングル』の関係者と、名古屋で暮らす何らかの関係者だ。瓜子がそちらで素性をわきまえているのは、招待客であるジャグアルの面々のみであった。
「ほ、ほ、本当に打ち上げまで参加しちゃって、よかったんですかね?」
もう打ち上げが開始してからけっこうな時間が経っているのに、浅香選手はまだそんな風に言っていた。
「大丈夫っすよ。さっきも言いましたけど、東京公演では女子選手の方々が毎回のように参加してますからね」
「で、でも、あちらのみなさんは普段から友達づきあいをされてるんでしょう? わたしたちなんて、完全に部外者なのに……」
「部外者ってことはないですよ。こっちは兵藤さんや香田さんともおつきあいがあるんですから。……ね、ユーリさん?」
「はいぃ。ユーリはなんにも偉そうなことは言えないのですけれど、どうかご遠慮なく楽しんでいただきたいのですぅ」
ユーリがはにかむような笑顔を届けると、浅香選手は真っ赤になりながらぺこぺこと頭を下げた。
浅香選手よりは二名の連れのほうが度胸が据わっているらしく、そちらはリュウや西岡桔平と楽しげに語らっている。そして、瓜子のすぐそばに控えていたダイとタツヤが浅香選手を力づけてくれた。
「めぐみちゃんは、ほんとに遠慮深いんだな! 今まであんまりそういうタイプがいなかったから、新鮮だよ!」
「いいから、一緒に騒ごうぜ! 俺らにとっては、打ち上げまでがライブなんだからよ!」
ダイもタツヤも強面であるが、『トライ・アングル』きっての社交家であるのだ。浅香選手はへどもどしつつ、それでも「はあ……」とわずかながらに笑みをこぼした。
「さ、さっきまでステージに立っていた方々と一緒にお酒を飲むだなんて、なんだか現実感がないです。夢でも見てるような気分になっちゃうんですよね」
「アトミックなんかの試合では、俺たちがそっちの立場だけどな!」
「そうそう! 特に瓜子ちゃんやユーリちゃんは、すげえ試合を見せてくれるからさ! 本当にこの可愛い瓜子ちゃんと同一人物なのかって、目を疑いなくなっちまうよ!」
「後半の言葉は余計っすよ」と苦笑しながら、瓜子はウーロン茶で口を湿した。大量の涙をこぼしてしまった分、水分の補給に努めなければならないのだ。
「そうだ! めぐみちゃんも、合宿稽古に参加すりゃいいんじゃねえか?」
「そうだそうだ! そしたら、いっそう親睦も深まるよな! 俺たちなんかは二の次でいいけど、瓜子ちゃんたちとは仲良くならねえとさ!」
「ええ? で、ですが、わたしなんてただのアマチュア選手ですし……」
「うちの道場の邑崎さんだって、アマチュアの時代から合宿稽古に参加してましたよ。まあ、そっちの責任者は小笠原選手や弥生子さんなんで、自分もあまり勝手なことは言えませんけど……もしよかったら、浅香選手も考えてみてください」
そうして瓜子もタツヤたちと一緒になって、浅香選手のもてなしに励んだ。ユーリが彼女に特別な思い入れを抱いているというのなら、瓜子も何とか力になってあげたいのだ。
「でも……今日のライブは、本当に凄かったです。ファイターとしてもミュージシャンとしてもこんな才能をお持ちだなんて、ユーリさんは本当に凄いですね」
やがて浅香選手がしみじみつぶやくと、ユーリは「うにゃあ」と自分の頭を引っかき回した。
「ユーリごときがみゅーじしゃんだなんて、おこがましい限りなのですぅ。ユーリはみなさんに支えられながら、よちよち歩いているに過ぎませんので……」
「それでもヴォーカルとしては、化け物級の才能だけどな!」
「本当だよ! 毎回毎回、試合と同じぐらいの大活躍だからな!」
タツヤやダイまで加わると、ユーリはいっそうへにょへにょになってしまう。しかし瓜子も同様の気持ちであるため、こういう場面ではあまりフォローのすべがなかった。
「そういえば、瓜子ちゃんたちは六月にも《ビギニング》の試合があるんだよな? でも、ゴールデンウィークの合宿稽古には参加するんだろ?」
「あ、はい。六月の試合はまだ日取りも決まってませんけど、問題ないと思います。自分たちも、できるだけ合宿稽古には参加したいっすからね」
「そうだよな! 俺たちも、打ち上げだけでも参加させてもらいてえよ!」
すると、リュウたちと語らっていたジャグアルの道場主の娘さんがくりんっとこちらに向きなおってきた。
「猪狩さんたちは、三月にもシンガポールで試合なんですよね? わたしはあんまり格闘技のことをわかってませんけど、それって凄い話なんでしょう?」
「へえ。親父さんが道場主なのに、格闘技に興味がないのかい?」
リュウの問いかけに、その娘さんはもじもじとした。
「あ、はい。色々と手伝いもさせられるんで、まったく知らないわけじゃないんですけど……それよりも、音楽とかのほうが好きなので……」
「ふうん。でも、大晦日の《ビギニング》は観たって話だったよな?」
「はい! ユーリさんが出場してましたから! あの試合は、本当にすごかったです!」
こちらの娘さんは、おおよそミュージシャンとしてのユーリに心をひかれている様子である。そういう相手にはいっそう対応が覚束ないユーリであるので、娘さんに熱っぽい視線を向けられてもふにゃふにゃ笑うばかりであった。
「ユーリさんと猪狩さんは、本当に凄いと思いますよ。俺もバンドがなかったら、ツアーに参加したかったぐらいですね」
西岡桔平はゆったりと微笑みながら、そんな風に言ってくれた。
相変わらずの温かな物言いであるが、ただし今回は意味のわからない言葉が入り混じっていた。
「あの、キッペイさん。ツアーって、なんのお話ですか?」
「あれ、知りませんでしたか? 猪狩さんたちが出場する三月の試合に合わせて、シンガポール旅行のツアーが組まれてるんですよ。俺が知ってるやつは、もう定員に達したみたいですけどね」
それは、寝耳に水の話である。瓜子がきょとんとしていると、西岡桔平は笑顔で言いつのった。
「まあ、試合をやる側には関係のない話ですよね。観戦のチケットもセットになっているツアーだから、旅行代理店と《ビギニング》の共同企画なんだと思います」
「はあ、そうっすか……まあ、代表のスチットさんは、やり手のプロモーターって評判みたいですからね。それぐらいは、不思議じゃないのかもしれません」
「プロモーターがやり手なのは、心強い話ですね。灰原さんたちも、シンガポールにまでは出向かないんでしょう?」
「はい。鞠山選手は、セコンドを手伝ってもらうことになっちゃいましたけど」
「あー、聞いた聞いた! 久子ちゃんが、ぼやいてたもん! ただでシンガポールに行けるのが羨ましいんだろうな!」
ビールのグラスをあおりながら、タツヤが愉快そうに声をあげる。おおよその女子選手は、タツヤやダイたちと連絡先を交換しているのだ。もっとも深い関係である瓜子やユーリは千駄ヶ谷からの命令で、いまだ個人的な連絡先の交換は控えている身であった。
「あらためて、すげえよなぁ。キヨっぺの兄貴なんかも、感心してたよ。《ビギニング》で結果を出せた日本人選手なんて、ほんのひと握りだからさ」
「瓜子ちゃんとユーリちゃんなら、チャンピオンだって夢じゃねえだろ! そうしたら、瓜子ちゃんは三冠王でユーリちゃんは二冠王だな!」
「いやいや。そうなる頃には、専属契約を結んでるだろ。そうしたら、日本のタイトルは返上だよ」
そんな風に言ってから、リュウはやわらかい笑顔で瓜子とユーリに笑いかけてきた。
「きっと本人たちにしてみれば、日本で試合ができなくなっちまうのは物寂しいだろうけどさ。でも、瓜子ちゃんたちが頑張れば、アトミックや《フィスト》のベルトにもそれだけの価値が生まれるんだ。これからは瓜子ちゃんやユーリちゃんを目指して、たくさんの人間がアトミックや《フィスト》の王座を目指すってことだよ」
「あはは。自分たちは、まだ《ビギニング》で一勝しただけですけど……でも、ありがとうございます。そんな風に言ってもらえるのは、すごく心強いです」
瓜子は心からの笑顔を返し、ユーリも透き通った微笑みをたたえた。
すると、タツヤとダイが左右からリュウにからみつく。
「だからお前は、隙あらば好感度を上げようとするんじゃねえよ!」
「しかも、瓜子ちゃんとユーリちゃんをいっぺんにな!」
「うるせえなあ。暑苦しいから、からむんじゃねえよ」
『ベイビー・アピール』の三名が織り成す乱痴気騒ぎに、ジャグアルの面々も笑い声をこぼす。
そこで近づいてきたのは、すっかり酔いが回った様子の陣内征生であった。
「猪狩さん! ひとつお聞きしたのですが! ……シンガポールの試合でも、僕たちの曲を入場曲として使ってくれるのですか?」
「え? ああ、はい。もちろん、そのつもりですけど……」
瓜子がそのように答えると、陣内征生はたちまち銀縁眼鏡を曇らせつつ落涙し始めてしまった。
「光栄です……僕も絶対、日本で猪狩さんたちの試合を見届けますので……どうか頑張ってください……」
「ははっ! 陣内も、すっかり出来上がったみたいだな!」
「まあ、陣内はリュウと違って可愛げがあるから、許してやろうぜ!」
「だから、うるせえってんだよ。お前らのお許しを乞う筋合いはねえや」
そんな感じに、打ち上げの会場は大いに盛り上がっていた。
浅香選手もずいぶん和んできたようなので、ひと安心である。そうして瓜子が賑やかな会場内を見回してみると、漆原は相変わらず千駄ヶ谷にひっついており――そして、山寺博人の姿がなかった。
(あれ? さっきまで、スタッフさんと喋ってたはずだけど……)
瓜子がそのように考えたとき、廊下に通じる障子戸が開かれた。そこから姿を現したのは、山寺博人である。どうやら、トイレか何かで離席していたようだ。
そうして瓜子の視線に気づいたのか、山寺博人はずかずかとこちらに近づいてくる。そしていつものように、長い前髪に隠された目で瓜子を見下ろしてきた。
「おい、ちょっといいか?」
「おいおい! お前はまた、瓜子ちゃんを引っ張り出そうってのか?」
「毎回毎回、抜け駆けはやめろよな!」
タツヤやダイが騒ぎたてると、山寺博人は「うるせえ」と言い捨てて立ち去ってしまう。声をかけられた瓜子としては、それを追いかけざるを得なかった。
「すみません。ちょっとだけ、ユーリさんをお願いします」
山寺博人から呼び出しを受けるのは珍しい話でもないので、ユーリも心配したりはしない。ただ今日は浅香選手がそばにいるためか、母犬を見送る子犬のような眼差しになっていた。
山寺博人はなるべく人気のない壁際に陣取って、どかりと座り込む。瓜子はユーリに笑いかけてから、それを追いかけた。
「お待たせしました。今日はどういったお話ですか?」
「……せっつくなよ」と、山寺博人はそっぽを向いてしまう。これもまあ、いつも通りと言えばいつも通りの所作である。
(でもヒロさんは、いっつもあたしなんかを気にかけてくれるもんな)
瓜子はとりあえず山寺博人の前に膝を折り、その口が開かれるのを待った。
すると、そっぽを向いた山寺博人は不機嫌そうに溜息をつく。
「……なんか喋れよ」
「ええ? 呼び出したのは、ヒロさんのほうでしょう? それに、せっつくなって言ったじゃないっすか」
「……喋るのとせっつくのは、別の話だろ」
斯様にして、取り扱いの難しい御仁なのである。
しかし彼とも、間もなく丸三年のつきあいだ。瓜子も今さらそういった物言いに腹を立てることはなかった。
「それじゃあ……あらためまして、今日のライブもお疲れ様でした。アルバムやシングルの売り上げも上々みたいですし、さすが『トライ・アングル』ですね」
「…………」
「セカンドアルバムのお話も、水面下で進行中なんすよね? どんなカバー曲が追加されるのか、楽しみです。まあ、ユーリさんが歌うには難しい曲も多そうですけど……ハマれば、すごい仕上がりになりますしね」
「…………」
「えーと……来週のライブも、頑張ってください。二週間で三回のライブって、なかなか過酷なスケジュールですよね。でも、平日の大阪公演も即日でソールドアウトだって聞いて、安心しました」
「……仕事の話ばっかりだな」
「そりゃあまあ、今は『トライ・アングル』のスタッフとして打ち上げに参加してますから」
山寺博人はまたひとつ溜息をついてから、もしゃもしゃのざんばら髪をかき回した。
「……あれから、連絡は取ってるのか?」
「え? 連絡って、誰のお話っすか?」
「……アメリカに行っちまった、あいつだよ」
いつでも心の片隅に控えているメイの面影が急浮上して、瓜子はつい言葉を詰まらせてしまった。
「あ、いえ……自分はあんまり電話とかするタイプじゃないんで……日本と北米じゃ、通話料も馬鹿にならないでしょうしね」
「……電話だけが、連絡の手段じゃねえだろ」
「うーん。でも……なんか、そういう連絡そのものが苦手なんすよね。自分にとって電話やメールってのは、業務連絡の手段みたいな扱いなもので……」
「……そういえば、あいつが北米に行っちまったときも、全然連絡を取ろうとしなかったんだよな」
今度のあいつとは、もちろんユーリのことであろう。ユーリが『アクセル・ロード』の合宿所から解放されたのちも、瓜子はけっきょく篠江会長から発信されたテレビ通話でしかユーリとコミュニケーションを取らなかったのだ。
「……あいつのこと、嫌いになったわけじゃねえんだろ?」
「今度のあいつは、メイさんのことっすよね? ええ、もちろんです。嫌いになるわけないじゃないっすか」
「……それなのに、連絡したくならねえのか?」
「はい。なんていうか……中途半端な形で、交流したくないんすよね。それなら、一日でも早く再会できるように頑張りたいと思います」
そんな風に答えてから、瓜子は小首を傾げることになった。
「でも……どうしてそんな話を気にかけてくれたんすか?」
「……どうしてって、どういう意味だよ?」
「あ、いえ。格闘技関係の方々だったら、自分とメイさんの関係をよく知ってるでしょうけど……ヒロさんは、そこまで知る機会がなかったんじゃないかと思って……」
山寺博人とメイが顔をあわせるのは、こういう打ち上げの場に限られている。あとはせいぜい、新潟の『ジャパンロックフェスティバル』であちこち巡る際に同行するぐらいだろう。しかし何にせよ、どちらも愛想のないタイプであるため、言葉を交わしたことなどは一度もないのではないかと思われた。
(そもそもメイさんも、人前では気を張るタイプだから……あたしに強い思い入れを抱いてるなんて、なかなかわからないんじゃないのかな)
瓜子がそのように考えていると、そっぽを向いていた山寺博人がようやく正面から瓜子を見つめてきた。
「……そんなもん、ちょっと見てりゃあ丸わかりだろ」
「そうっすか? メイさんって、けっこうポーカーフェイスだと思いますけど」
「あいつじゃなくって、お前だよ。お前は全部、顔に出るじゃねえか」
瓜子は胸を詰まらせながら、納得することになった。
「ああ……ヒロさんが見抜いたのは、自分の内心っすか。それなら、納得っすね」
瓜子もべつだん、人前でことさらメイにかまった覚えはない。
しかし瓜子は、心からメイのことを大切にしていたし――そして瓜子は常日頃から、感情が駄々洩れであると称されていたのだった。
「自分なんかのことを気にかけてくださって、ありがとうございます。でも、自分は大丈夫っすよ。もうメイさんのことでめそめそしたりしないって、誓いましたから」
「……ふん。その割には、目が潤んでるな」
珍しくも、山寺博人はにやりと笑った。
瓜子も「いえいえ」と笑い返してみせる。
「それは、ヒロさんの見間違いっすよ。……『トライ・アングル』のツアーが終わったら、メイさんのシドニーの試合なんです。なんとか日本で観戦する環境を整えたんで、今から楽しみっすよ」
「ふん。シドニーまでは行かねえのか? そのていどの思い入れなら、泣く必要もねえか」
「シドニーまで出向く時間があったら稽古しろって、メイさんに叱られちゃいますよ。だから自分は、日本で見届けます」
「そうか。……勝てるといいな」
瓜子はぐっと咽喉を詰まらせてから、もういっぺん笑ってみせた。
「ヒロさんって、自分を泣かすのが得意っすよね。でも、今回はこらえてみせましたよ」
「ふん。感情のコントロールの未熟さを、人のせいにすんなよな」
山寺博人は苦笑を浮かべつつ、自分の膝に頬杖をついた。
彼の不器用な優しさに包まれながら、瓜子は遠きフロリダのメイに思いを馳せる。
フロリダとの時差は十四時間であるので、今頃あちらは朝方であろう。メイならば、もうロードワークかマシーントレーニングに励んでいる頃合いかもしれなかった。
そんなメイの姿を想像しただけで、目の奥側が熱くなる。
だけどやっぱり、涙をこぼしたりはしない。そんなことで涙を流していたら、瓜子は一歩も立ち行かないのだ。
(頑張ってください、メイさん。あたしもいつか、絶対に追いついてみせますからね)
そうしてその後も名古屋公演の打ち上げは、涙と無縁の賑やかさの中で進行されていったのだった。




