03 後半戦
ソロ時代の三曲を終えたならば、ユーリは再びお召し替えだ。
ステージでは、『ベイビー・アピール』が主体となり『ワンド・ペイジ』のカバー曲が披露される。その間にユーリはワークシャツとショートパンツとデッキシューズを脱ぎ捨てて、純白のワンピースを纏った。
去年のステージでも大いに活用された、何の飾り気もないワンピースである。しかし、その薄い生地はユーリのプロポーションを浮き彫りにするので華やかさには事欠かなかったし、何より純白の肌をしたユーリが純白のワンピースを纏うととてつもない神秘性がかもしだされるのだった。
ユーリはサンダルをつっかけて、瓜子とともに舞台袖へと舞い戻る。
そうして瓜子と拳を合わせたのち、サンダルを脱ぎ捨てて、しずしずとステージに出ていくと、また大歓声がユーリを迎えてくれた。
ユーリは何も語らないまま、ただ貴婦人のように一礼する。
そうして開始されたのは、妖艶なる『アルファロメオ』である。おそらく『スノードロップ』を期待していたであろう客席の人々は、惑乱気味の歓声でそれに応えた。
そういう意外性というのも、きっとステージでは必要なのだろう。これまでとは別人のように妖しい色香を振りまくユーリの姿に、人々は心臓をわしづかみにされているのではないかと思われた。
そしてその後に、『スノードロップ』がお披露目される。こちらではユーリの雪の精霊めいた神秘性が解き放たれるため、人々はいっそう情動を振り回されるはずであった。
さらにその後に待ち受けているのは、バラード曲の『YU』である。
ここでは曲順をわきまえている瓜子も、落涙せずにはいられなかった。
こうまで雰囲気の異なる楽曲が続いても、ユーリはきっちり気持ちを切り替えることができている。『アルファロメオ』では性悪女、『スノードロップ』では雪の精霊、『YU』では無垢なる少女さながらであるのだから、落差がとてつもないのである。しかしユーリは歌詞と楽曲に没入することで、至極すみやかに別なる顔を見せることが可能であるのだった。
『ありがとうございまぁす。ではではここで、しんみりとした空気を木っ端微塵にいたしますねぇ』
自身の歌で流した涙もかわかぬうちに、ユーリはそのように宣言した。
なんと次なる楽曲は、アップテンポの新曲である『Demolition』であったのだ。
これは一昨年、ユーリが北米に出立したのち、『トライ・アングル』の活動再開に向けてひそかに準備されていた楽曲である。その時代、漆原と山寺博人はそれぞれ一曲ずつ新曲を作りあげていたのだ。
しかし、ユーリの退院後に企画された三ヶ月連続リリースのシングル曲に、それらの新曲は採用されなかった。漆原と山寺博人の両名が、それよりも新たな曲をリリースしたいと望んだためである。それが『Re:Boot』と『スノードロップ』であり、最後の一曲には『YU』が選出されたため、けっきょくその時代の新曲はどちらもアルバムに回されたわけであった。
この『Demolition』も『トライ・アングル』の活動再開に備えて作られた楽曲であるため、景気のいいアップテンポの曲調だ。
『Demolition』というのは瓜子にとってまったく馴染みのない英単語であったが、建物の解体や特権の打破という意味を有するのだという話であった。
方向性としては、すべてを破壊して突き進むという『境界線』に近いのだろう。漆原は独特のワードセンスを持っているために、そう単純な歌詞ではなかったが、とにかく破壊衝動や反骨精神というものを基盤にしていることに疑いはなかった。
ユーリは存外に、こういう歌詞にも感情移入することができる。面倒な理屈は差し置いてとにかく突撃しようというのは、ユーリの気質に合っているのだ。漆原はユーリが試合で暴れ回る姿から着想を得たと宣言していたし、瓜子もユーリの無軌道なコンビネーションの乱発を連想してやまなかった。
何はともあれ、疾走感と迫力に満ちみちた楽曲である。『トライ・アングル』にはその時代から『ハダカノメガミ』に『境界線』、『burst open』に『カルデラ』というアップテンポの楽曲を備えていたため、それに負けないインパクトを実現させようという思いで作られた楽曲であったのだった。
特異性の強い三曲でさんざんかき乱れた会場の空気が、その迫力でいっそう細かく解体されていくかのようである。
なおかつ悪戯心にあふれかえった『トライ・アングル』のメンバーたちは、この後に『ケイオス』を準備していた。歌詞も曲調もアレンジももっとも混沌とした、破壊的な一曲だ。本日の後半部のセットリストは、とにかく観客を驚かせてやろうという意欲に満ちあふれていた。
『ありがとうございまぁす! それでは次が、最後の曲でぇす!』
だいぶん興の乗ってきたユーリが、元気に声を張り上げる。
混沌とした『ケイオス』の後に控えていたのは、切迫感と疾走感の権化である『burst open』である。ここでひさびさに西岡桔平にドラムが移されたため、いっそうの混乱が期待できるはずであった。
ユーリは純白のワンピースをひるがえして、生命力を爆発させている。
そのステージ衣装もまた、曲調の変化とともに印象が移行していた。妖艶な曲では妖艶に、静謐な曲では静謐に、賑やかな曲では賑やかに――まるでユーリの心をそのまま映しているかのように、純白のワンピースはさまざまな彩りを体現しているように思えてならなかった。
そうして『burst open』を歌いきったユーリは、他なるメンバーたちとともに舞台袖へと凱旋してくる。
誰も彼もが汗だくで、そして充実した顔をしている。山寺博人はひとり内心を包み隠していたが、その骨張った身体からあふれかえる熱気に違いはなかった。
「ユーリちゃんも、今日はワンピースを脱ぎ捨てなかったな! ひそかに期待してたんだけどよ!」
ダイがそのように言い放つと、ユーリは「にゃはは」と屈託なく笑った。
「そういえば、去年はあられもない姿をさらしてしまいましたぁ。あれは、ラストの曲が『ハダカノメガミ』のときにだけわきかえるパッションなのかもしれませんねぇ」
「だったら次の大阪では、『ハダカノメガミ』をラストにするか!」
「そんな下心でセットリストを決めるんじゃねえよ」
ぶっきらぼうに言い捨てた山寺博人が、ふらつく足取りで瓜子のかたわらを通りすぎていく。そして客席からは、「アンコール!」の合唱が怒号のように繰り返されていた。
「とりあえず、あと二曲は歌えそうだねぇ。ありがたい限りですわん」
「いやいや。絶対に二回目のアンコールもかかりますって。とにかく、早々に着替えちゃいましょう」
千駄ヶ谷にせっつかれる前に、瓜子はユーリを楽屋に誘導する。汗に濡れそぼったワンピースから、グッズTシャツとショートパンツに着替えていただくのだ。
このたびも、ユーリはオーバーサイズのTシャツの裾を縛るという着こなしで、優美なる肢体のシルエットが崩れないように配慮していた。
まあそういった独自の着こなしは別として、ついに瓜子ともおそろいのいでたちである。瓜子とユーリは申し合わせたようにおたがいの姿を見やって、笑顔を交わすことになった。
「今日もすごい盛り上がりだねぇ。浅香選手も楽しんでくれてるかしらん」
「あれ、ユーリさんがライブ中に客席を気にするなんて、珍しいっすね。やっぱり浅香選手は、ごひいきさんなんすか?」
「いやいや、今日は三人しかお招きしてないし、少しでも交流があるのは浅香選手だけだしねぇ。……もちろん浅香選手との試合は楽しかったので、心より敬愛しておりますけれども」
そう言って、ユーリはふにゃんと微笑んだ。
愛音であれば対抗心を剥き出しにしそうな場面であるが、もちろん瓜子は温かい心地を得るばかりであった。
そうしてひと息ついてから舞台袖におもむくと、ちょうど他のメンバーも集まっているさなかである。『ワンド・ペイジ』はホワイト、『ベイビー・アピール』はブラックのグッズTシャツだ。瓜子もホワイトで、ユーリだけはピンクであった。
メンバー一同がステージに出ていくと、「アンコール!」の大合唱が大歓声に転じる。
そんな中で開始されたのは、ファーストアルバムに収録された最後の新曲、『鼓動』であった。漆原の『Demolition』と同時期に作られた、山寺博人の新曲である。
こちらはミドルテンポの、パワーバラードに近しい楽曲であった。ギターの弾き語りであったデモ音源の段階からもうとてつもない完成度を匂いたたせていた、名曲だ。それがメンバー八名でアレンジされると、シングルとしてリリースされてきた数々の楽曲に引けを取らない魅力であった。
然して、その歌詞の内容は――大切な相手を想う人間の、苦悩と悦楽である。漆原以上に独特のワードセンスを有する山寺博人であるため、決しておざなりのラブソングには留まらず、そして瓜子とユーリの心を揺さぶってならない内容であった。
古い時代から『ワンド・ペイジ』のファンであった瓜子は、多少ながら山寺博人の作風というものをわきまえている。そのひとつとして――彼はこういった歌詞において、苦しさと楽しさの両面を描くのが常であった。
『トライ・アングル』の持ち曲としては、『ピース』と『砂の雨』と『終局』がそれにあたる。そして彼は『ワンド・ペイジ』のアルバムにおいても、数多くこういった内容の歌詞を手掛けていたのだ。それはすなわち、彼の恋愛観というものを示しているのかもしれなかった。
(でも……いつも最後は、幸せな形で締めくくられるもんな)
そうでなければ、ユーリは歌詞の内容に引きずられて、どっぷりと落ち込んでしまうのだ。どれだけ苦しくても最後には希望にあふれた結末を迎えられるからこそ、ユーリも思うさま感情移入できるのだった。
そうして瓜子とユーリに大量の涙をこぼさせつつ、『鼓動』は終わりを迎える。
その次に準備されていたのは、山寺博人とのデュエット曲である『カルデラ』であった。シャッフルのリズムで、疾走感と切迫感にあふれかえった一曲だ。
そうしてアンコールのステージも、大熱狂の中で終演し――客席には、再び「アンコール!」の大合唱が爆発したのだった。
「ね? 言った通りでしょう?」
瓜子がスポーツタオルを手渡すと、ユーリはそれで純白の頭をかき回しながら「にゃはは」と幸せそうに笑った。
二度目のアンコールに備えて、ユーリは最後のお召し替えである。このツアーでは三パターンのTシャツが準備されたので、別のデザインのTシャツに着替えるのだ。瓜子も一緒に着替えたいぐらいの話であったが、ここはぐっとこらえるしかなかった。
こちらのTシャツは、バックプリントにメンバー八名のシルエット、表の胸もとには三角形のロゴマークとバンド名がプリントされている。ユーリのイラストほどのインパクトはないものの、日常生活においてはこういったデザインのほうが着回しやすいものだろう。そして、どのようなデザインでもユーリたちが着れば立派なステージ衣装であった。
「いよいよラスト二曲っすね。思い残すことのないように、頑張ってください。……まあ来週には、大阪と東京の公演が控えてますけど」
「うみゅ。そりでも今日の楽しみは今日の内にむさぼっておかないとねぇ」
そんな言葉を残して、ユーリは最後のステージに出ていった。
すでに十九曲もの楽曲が披露されているのに、客席の熱気は薄らぐ気配もない。しかしそれはメンバー当人たちも、傍で見守る瓜子も同じことであった。
『二回目のアンコール、ありがとうございまぁす。ラスト二曲で本当におしまいですので、みなさん最後まで楽しんでいってくださぁい』
そうして開始されたのは、去年からセットリストに組み込まれた『終局』であった。ユーリのソロ時代のバラード曲を排除する代わりに採用された、『ワンド・ペイジ』の名曲だ。この曲もまた、瓜子とユーリを落涙させる筆頭のひとつであった。
(こんなにずっと涙をこぼしてたら、ドライアウトしちゃいそうだな)
そんな冗談でまぎらわそうとしても、涙は止められない。山寺博人の切々たる歌詞をユーリに歌われるというのが、瓜子にとってもっとも奥深い部分を揺さぶられる行いであったのだった。
ユーリも滂沱たる涙を流しつつ、その白い横顔は幸せそうに光り輝いている。
やっぱり何度見ても、ユーリは格闘技と同じぐらい音楽を楽しんでいるように思えた。
しかしそれでも、ユーリの中では厳然たる違いがあるのだ。
だから――ライブの後に意識を失ったりすることもないのだろうか?
まあ、あれは原因もわからない現象であるので、何も知った風なことは言えないのだが。もしもユーリがライブの直後に意識を失い、試合の後で平気な顔をしていたならば、瓜子は絶大なる違和感にとらわれていたはずであった。
意識を失ってしまう原因は不明であるが、あれはとにかくユーリが何よりも格闘技の試合に入れ込んでいるという証拠なのだろう。精神的な理由であるのか、肉体的な理由であるのか、それすらも判然としないが――とにかくユーリは、格闘技の試合をするために生きていると言っても過言ではない。それだけの熱情を注いでいるからこそ、特別な現象が生じてしまうのだろうと思われた。
(なんとか原因を究明して、ユーリさんの健康に支障はないって証明できたら……ユーリさんも、《アクセル・ファイト》で活躍できるのかな)
ユーリはべつだん、《アクセル・ファイト》にこだわっているわけではない。しかしただ一点、ベリーニャ選手と試合を行うには《アクセル・ファイト》に出場するしかないのだ。ベリーニャ選手が《アクセル・ファイト》と専属契約を結んでいる限り、それは絶対の話であるのだった。
(あたしはメイさんと、ユーリさんはベリーニャ選手と試合をできれば、それが最高の結果だけど……でも、焦ったってしかたないもんな)
瓜子が心の片隅でそんな感慨を噛みしめる中、『終局』も終わりを迎えた。
ユーリはその頬を濡らす涙を乱暴にぬぐいながら、客席に無垢なる笑顔を届ける。
『どうもありがとうございましたぁ! ではでは最後は、元気いっぱいに締めくくりましょう! 最後の曲は、「ハダカノメガミ」でぇす!』
そうして激しいイントロが繰り広げられると、感極まったユーリは着込んだばかりのTシャツを脱ぎ捨てて、それを客席に投げ入れてしまった。
これでダイたちも、満足したのだろうか。しかし、ユーリのとてつもない色香に惑わされてステージの最後に大失敗をしませんようにと、瓜子はそんな風に祈りながら『トライ・アングル』の勇姿を見届けることに相成ったのだった。




