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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
28th Bout ~A new beginning~
731/955

02 前半戦

 柔術道場ジャグアルの面々をもてなしたのちには千駄ヶ谷も合流し、また関係者のみで和気あいあいと過ごし――そして気づけば、開演の時間が迫っていた。


「では、舞台袖に移動いたしましょう」


 千駄ヶ谷の号令で、『トライ・アングル』のメンバーは楽屋を出る。瓜子も胸を高鳴らせながら、それを追いかけることになった。


 本日は『名古屋セントラル・ホール』という三千名規模の会場で、当然のように即日でチケットはソールドアウトとなっている。『トライ・アングル』はただでさえライブの数を絞っているし、人気も上昇していくいっぽうであるため、ドームやアリーナでの公演を望む声も数多くあげられているのだという話であった。


(でも、そういう大会場はずいぶん前から押さえないといけないんだろうし……今後も、ちょっと難しいかもしれないな)


 ユーリの本業は格闘技であるため、いつ大きな怪我を負うかもわからない。そういった辺りの事情も鑑みて、運営陣は大会場における公演を差し控えている気配が濃厚であった。


 ただ『ワンド・ペイジ』や『ベイビー・アピール』の面々は、それほど大会場にこだわっていないらしい。どちらもインディーズからの叩き上げであるため、小規模なライブハウスのほうが好ましいぐらいなのであろうか。大会場は夏や年越しのイベントだけで十分といった発言も、瓜子は何度か耳にしていた。


 まあ何にせよ、どのような会場でも舞台袖で見守ることのできる瓜子にとっては関わりのない話である。『トライ・アングル』が高い評価を受けているというだけで、瓜子には大満足であったのだった。


「よ-し。ツアーの初日からコケねえように、気合を入れていこうぜぇ」


 漆原が気の抜けた声をあげると、『ベイビー・アピール』の面々が「おー」といっそう脱力した声で応じ、ユーリは「はーい!」と両腕を振り上げる。三ヶ月ぶりに見るそんな光景も、瓜子の心を和ませつつ昂揚させるばかりであった。


 薄暗い舞台袖で、ユーリはにこにこと笑っている。稽古ができないわびしさも、すっかり頭から消え去ったようだ。土台、二つの思いを同時に抱えることのできないユーリなのである。今はもう、ライブに対する期待と熱情だけがその瞳に明るく輝いていた。


 会場では洋楽のBGMがフェードアウトして、漆原の手によるピアノの演奏が流され始める。その流麗なる旋律に、客席から大変な歓声があげられた。

 さらにメンバーたちがひとりずつステージに出ていくと、いっそうの歓声が巻き起こる。やがてピアノに到着した漆原が録音された演奏に生の演奏をかぶせると、ユーリはいよいよ期待の面持ちで身を揺すった。


「頑張ってください、ユーリさん。ずっと見守ってますからね」


 瓜子から受け取った中折れハットを斜めにかぶってから、ユーリは「うん」と右の拳を突き出してきた。

 その真っ白な拳に、瓜子も自分の拳をぎゅっと押しあてる。その頃には、陣内征生や西岡桔平もアップライトベースとパーカッションの音色をピアノの二重奏にかぶせていた。


 それらの演奏がじわじわと盛り上がっていき、最高潮に達したところで、ぷつりと音が断ち切られる。

 一瞬の間を置いて、すべてのメンバーがいっせいにそれぞれの楽器の音色を炸裂させると、暗かったステージが眩いスポットに照らされた。


 ユーリは瓜子に笑いかけてから、跳ねるような足取りでステージに出ていく。

 当然のこと、歓声の熱量は膨れ上がるばかりであった。


『みなさん、こんばんはぁ。「トライ・アングル」イン・ナゴヤ、いざ開幕でぇす』


 ユーリののほほんとした宣言とともに、ダイが荒々しくスネアとタムを乱打する。激しい六拍子のリズムに、いっそうの歓声がわきたった。


 しばらくして、すべての演奏がそのリズムに重ねられる。リュウはエレキギター、山寺博人はエレアコギターだ。

 その激しいリズムに乗って、スーツ姿のユーリもステップを踏む。

 そして、ダイのスネアの連打によって、楽曲はいきなりアップテンポのエイトビートに変じた。


 ファーストアルバムからシングルカットされた新曲、『ハーレム』である。

 このイントロの爆発力と疾走感は、『Re:Boot』にも負けていなかった。ダイがドラムを担当するこのバージョンでは、それがいっそう顕著である。


 これは、漆原が手掛けた最新の曲であった。

『YU』に『スノードロップ』と三曲連続で、漆原の曲がシングルに選出されたのだ。今回は初のアルバムからシングルカットされる曲であったため、なるべく景気のいい曲をお願いしたいという旨が運営陣から伝達されており――それに応えられたのが、漆原であったわけであった。


 瓜子としては山寺博人の新曲を聴きたかったという思いがぬぐえないところであるのだが、スタッフ目線ではこれでいいのだろうと確信している。山寺博人は感覚派のミュージシャンであるため、運営陣に要請されても十全に応えられない面もあるのだろう。彼がこのたび作りあげたのはミドルテンポのパワーバラードであったため、それは次の機会にリリースされることが内定されていた。


(別に、お二人の曲を順番に発表する必要はないんだろうしな)


 ユーリの復活には山寺博人の手掛けた『Re:Boot』が相応しかったし、それに続くのは漆原が手掛けた『YU』と『スノードロップ』が相応しかった。そして今回も、漆原が手掛けた『ハーレム』が相応しかったというだけの話だ。それはあくまでリリースする時期の問題であり、両者の優劣にはいっさい関わりはないはずであった。


 これは、山寺博人だけでは果たすことの難しいミッションを、漆原が解決したと言うこともできるのだろう。そうしておたがいを補ってこそ、同じユニットを組んでいる意味があるはずだ。瓜子は、そのように解釈していた。


 ともあれ――この『ハーレム』という新曲も、素晴らしい出来栄えである。

 イントロの疾走感をそのまま継続して、激しいAメロが展開されている。ユーリは周囲の爆音に負けない迫力で、そのうねるようなメロディを歌いあげていた。


 その歌詞の内容は――

 この世には、自分にとって敵しかいない。

 しかし自分にとっては、敵を叩き潰すことが一番の楽しみである。

 よってこの世は、悦楽に満ちたハーレムのようなものだ。

 ――という内容になっていた。


 およそユーリの内面とは掛け離れた内容である。少なくとも、ユーリはそんな心持ちで生きていないし、試合における対戦相手に対しても敬愛の念しか抱いていなかった。

 よって、普通に考えればユーリも感情移入することは難しいはずであったが――そこは上手い具合に、漆原から誘導されていた。


「敵は好敵手、叩き潰すは試合で勝つって置き換えても、いっこうにかまわねえよ。要するに、暴れ回るのがハッピーだって内容なんだからさ。それなら、ユーリちゃんにぴったりだろぉ?」


 最初にデモ音源を準備した際、漆原はへらへらと笑いながらそんな風に語っていたものであった。

『ハーレム』の歌詞は、いかにも漆原らしい攻撃的で皮肉っぽい内容となる。彼は自分が持っている資質を曲げないまま、何とかユーリの資質に重ね合わせようと考えているのだ。それもまた、二人が同じユニットで共存するための必要な措置なのだろうと思われた。


 結果、ユーリはこれまで通りの勢いで『ハーレム』を歌うことができている。漆原の誘導で、この荒っぽい歌詞に感情移入することがかなったのだ。

 ユーリの歌声はたいそうな迫力であるが、基本の声質はキーが高くて甘ったるい。そんな声音で歌われると、暴力的な歌詞もずいぶん緩和されるように感じられた。


 ただ――その反面、奇妙な凄みも生まれている。

 実際にユーリは、試合で相手を倒すことに至上の悦楽を覚えているのだ。たとえどれだけ敬愛の念を抱いていようとも、相手の肉体を殴りつけ、首を締め、手足の関節を極めるのだという行動に変わりはない。よくよく考えれば、敬愛する相手をそのような目にあわせるというのは、あまり普通の話でないだろう。ユーリの手によって病院送りにされた人間は、もはや二ケタに及ぶはずであった。


 一般社会において、それは異質な行いである。敵意や憎しみではなく、情愛や尊敬のもとに相手を叩き潰し、制圧しようというのは、決して普通の話ではないのだ。

 この『ハーレム』は、そんなユーリの異質さを浮き彫りにしているのかもしれない。ユーリが無邪気であどけないほどに、その言葉が迫力を帯びていくのだった。


 そうしてサビに達すると、楽曲はいきなり六拍子に転じる。

 イントロでも使われていた、あの激しい六拍子のリズムだ。『トライ・アングル』もだいぶんアップテンポの楽曲が増えてきたため、漆原はそういう形で独自性を打ち出してきたのだった。


(やっぱりウルさんは、ヒロさんより器用なタイプなんだろうな)


 漆原は理論派であると同時に、どこか職人気質めいたものを感じる。注文があったらそれにきっちり応えようという、そんな律儀さも備わっているように思えるのだ。

 ただもちろん、機械的に音楽の仕事をこなしているわけではない。その器用さをも武器にして、自分のやりたい音楽を押し通そうという気概が見え隠れしているのだ。山寺博人があまりに感覚派であるために、余計にそういう印象がつのるのかもしれなかった。


(そういう色んな才能が絡み合ってるから、『トライ・アングル』は凄いんだろうな)


 瓜子がそのように思案している間にも、『ハーレム』はとてつもない勢いで進行されている。瓜子も冷静なつもりでいたが、心臓はずっと高鳴っていた。この曲は、とにかく瓜子を昂揚させてやまないのだ。それもまた、『ハダカノメガミ』や『境界線』に通ずる、漆原の楽曲ならではの効果であった。


 漆原の手掛けた楽曲で涙をこぼす機会は少ないが、それでも物足りなく思うようなことはいっさいない。

 そして『YU』や『スノードロップ』などでは、いつも涙腺を崩壊させられてしまうのだ。事程左様に、漆原はさまざまな才覚を隠し持っているのだった。


『ありがとうございましたぁ。続いて、「境界線」でぇす』


『ハーレム』が終了したならば、それに負けないぐらいの疾走感を有した『境界線』が開始される。アルバムには収録されなかった、『ベイビー・アピール』のカバー曲だ。客席の人々は、待ってましたとばかりに歓声をあげていた。


 さらにその後には漆原とのデュエット曲である『fly around』まで繋げられて、ユーリのMCタイムの間に西岡桔平とダイはそれぞれドラムセットとパーカッションのセットに移動する。ここからは、西岡桔平がドラムを受け持つ楽曲のお披露目であった。


 その皮切りとなるのはゆったりとした曲調の『ジェリーフィッシュ』で、さらに『砂の雨』から『ピース』という瓜子の涙腺を刺激する流れに繋げられた。

 そして締めくくりは、アップテンポの『Re:Boot』だ。大熱狂の中で前半戦のステージを終えたユーリは、意気揚々と舞台袖に戻ってきた。


「では、お召し替えをお願いいたします。猪狩さん、サポートを」


 千駄ヶ谷の冷徹なる指示に従って、瓜子はユーリとともに楽屋に駆け込む。場つなぎで演奏されるのは二曲であるため、それなりにタイトな時間設定であるのだ。


 ユーリがぽいぽいとモッズスーツを脱ぎ捨てると、下に着込んでいるのは純白のビキニとなる。全身の汗をぬぐったユーリはその上からペイントだらけのワークシャツを羽織り、ダメージだらけのショートパンツに真っ白な足を通した。ショートブーツは、デッキシューズに変更である。

 中折れハットは客席に飛ばしてしまったため、今度はワッペンだらけのキャップをかぶる。そうしてくぴくぴと咽喉を潤したのち、ユーリはすぐさま舞台袖に駆け戻った。


 ステージでは、山寺博人が『ベイビー・アピール』の楽曲を熱唱している。『ワンド・ペイジ』が主体となった、『ベイビー・アピール』のカバー曲である。ユーリのお色直しのための場つなぎであるが、この時間を楽しみにしているファンも少なからず存在するはずであった。


(新曲もずいぶん溜まってきたから、そろそろユーリさんの歌える曲だけでもセットリストを組めそうだけど……この時間がなくなったらなくなったで、ずいぶん寂しくなっちゃうもんな)


 それに千駄ヶ谷を筆頭とする運営陣は、ユーリにさまざまなステージ衣装を披露させることを望んでいる。そんな思惑のもとに、こういった時間が残されているわけであった。


 山寺博人の切迫感に満ちあふれた歌声に身を揺らしながら、ユーリはワークシャツの下側のボタンだけを留めていく。凶悪な胸もとはさらしたままの、あられもない姿だ。ユーリがどれだけ色香を振りまいても女性ファンが減る気配は皆無であったので、運営陣も心置きなくこういったステージ衣装を準備できるわけである。


 そうして再び瓜子と拳を合わせたのち、ユーリは跳ねるような足取りでステージに出ていった。

 大歓声の中で開始されたのは、ユーリのソロ時代の三曲だ。外部の人間が作詞と作曲を受け持ったそれらの楽曲は、こうして中盤にまとめて配置されることになったのである。


『トライ・アングル』が演奏すればその完成度に優劣はないものの、やはりいくぶん雰囲気は異なっている。それにやっぱりこれらの楽曲は、アイドルシンガーとしてのユーリのために作られた楽曲であるのだ。演奏面をどれだけアレンジしても、歌詞の内容やメロディなどは、やはり趣が異なっていた。


(もちろん、ソロ時代の曲だって悪くないんだけど……ヒロさんやウルさんがユーリさんの存在に触発されて作りあげた曲のほうが、やっぱり思い入れは強くなっちゃうよな)


 とりわけセカンドシングル以降は、ユーリの振り絞るような歌唱からインスピレーションを受けているため、迫力が格段に違っている。

 さらに、ユーリが純白の姿と化してから作られた楽曲は、それ以上である。『Re:Boot』も『スノードロップ』も『ハーレム』も、現在のユーリの存在を生々しく表しているように思えてならなかった。


 ユーリのソロ時代の楽曲、『ピーチ☆ストーム』と『リ☆ボーン』と『ハッピー☆ウェーブ』は、そろそろそういった楽曲の引き立て役といったポジションに収まってしまうのかもしれない。

 ただし、中盤の余興としては十分以上の存在であろう。それを証明するかのように、客席にもステージにも大変な熱気が渦を巻いていたのだった。

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