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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
28th Bout ~A new beginning~
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インターバル 布陣

《アトミック・ガールズ》一月大会の三日後――一月の第三水曜日である。

 午前中から病院に向かった瓜子は無事に医療用ホッチキスの芯、ステープルとやらを引き抜かれて、意気揚々とプレスマン道場に向かうことに相成った。


 そのかたわらでは、ユーリも軽い足取りで――まあ、小笠原選手にローをくらいまくった左足は、まだ半分ひきずっているような状態であるが――歩いている。現在は耳あてつきのニット帽と黒縁眼鏡とスツールで人相を隠しているが、きっと満面に笑みをたたえているのだろう。松葉杖は昨日の時点で不要になり、本日から段階的に稽古を再開させるお許しを得られたのだ。傷口をテープで措置された瓜子は頭に包帯を巻いたままであるし、ユーリはいまだに全身が青痣まみれであったが、稽古を再開できる喜びを二人で存分に分かち合っていたのだった。


「でも、くれぐれも無茶しないように気をつけてくださいね。ユーリさんは、腕にもボディにもさんざん強烈な打撃をもらってるんですから」


「にゃっはっは。うり坊ちゃんこそ、またどばどば出血しないように気をつけてねぇ」


 浮かれた声音でそんな言葉を交わしながら、瓜子とユーリは道場の入り口をくぐった。

 平日の日中であるため、現在は自由稽古の時間だ。今日もプロ選手や熱心なアマ選手が稽古に励んでいたが、コーチ陣の姿はなかった。


「みなさん、奥側の稽古場っすかね。とりあえず、着替えてからお邪魔しましょう」


 自由稽古の時間でも、たいてい立松かジョンのどちらかは参じている。二人の都合がつかないときには、サブトレーナーの柳原やサイトーが招集されるのだ。まあ、たとえコーチ陣が不在であろうとも自由稽古に不自由はなかったが、医師から稽古の再開を許されたことをきちんと事前に伝えておきたいところであった。


 しかしまずは更衣室で着替えを済ませて、いざ奥側の稽古場に足を向ける。

 するとそちらには、思いも寄らぬ面々が待ちかまえていた。立松とジョンと柳原とサイトーが全員集合しているばかりでなく、部外者たる鞠山選手と来栖舞までもが顔をそろえていたのだった。


「あ、あれ? どうして鞠山選手と来栖さんがいらっしゃるんすか?」


 瓜子たちはこちらの両名とも仲良くさせていただいているが、プレスマン道場にお招きしたことはない。見慣れた稽古場にそちらの両名がたたずんでいることが、きわめて不可思議な気分であった。


「よう、ちょうどいいタイミングだ。稽古着に着替えたってことは、稽古を再開させるお許しが出たんだな?」


「お、押忍。自分もユーリさんも、問題ありませんでした。でも、どうしてそちらのお二人が……?」


「稽古の前に、説明しておこう。ちょっとこっちに集まってくれ」


 道場の事務室にこれだけの人間が入室するスペースはなかったため、稽古場の片隅に車座を作ることになった。


「実はな、お前さんがたが休んでた昨日と一昨日で、ようやく三月の遠征の段取りが整ったんだ。お前さんがたに文句がないか、ここで確認させてもらいたい」


「ふふん。これで文句をつけるようだったら、わたいが成敗してやるだわよ」


 相変わらずの鞠山選手に苦笑を返してから、立松は表情をあらためた。


「三月の、シンガポール遠征だがな。予定通り、二週間前には現地入りをしたい。それはもう、納得できてるな?」


「押忍。時差は一時間でも、気候がまったく違うってお話でしたからね。副業のほうもお休みは取れたので、問題ありません」


 ただし、《ビギニング》のほうから支給されるのは往復の旅費と五日分の滞在費のみである。なおかつ、それは試合の当日と翌日を含めての話であるため、二週間前から前乗りするならば十一日分は実費になるのだ。そして当然のこと、そこには同行するセコンド陣の滞在費も含まれるのであった。


 それを支払うのは、試合に出場する瓜子たちの役割である。

 しかしもちろん、文句などあろうはずもない。セコンド陣は選手が万全の状態で試合に臨めるように全力でケアしてくれるのだから、別個にギャランティを支払ってもいいぐらいの話であるはずであった。


(それに、あたしもユーリさんもとんでもないファイトマネーをいただいちゃてるもんなぁ)


 瓜子とユーリが《ビギニング》の三月大会でいただくファトマネーは、三万ドルとなる。ただし、大晦日の大会では同額のファイトマネーと、そしてさらに同額のパフォーマンス・ボーナスというものをいただいていたし――さらには《アクセル・ジャパン》においても、一万ドルのファイトマネーと二万五千ドルのパフォーマンス・ボーナスをいただいていたのだった。


 それらを合計すると、瓜子たちはそれぞれ十二万五千ドルずつの資産を手にすることになるわけである。

 まあ、その半分近くは税金やら保険料やらですっぱ抜かれてしまうのであろうが――何にせよ、これまでには考えられなかった額である。ユーリに関しては『トライ・アングル』の活動でかなりの歌唱印税というものを獲得していたが、それも去年の入院であらかた使い果たした後であったのだった。


 まあ何にせよ、瓜子もユーリもそれらのファトマネーからお世話になっているプレスマン道場に還元したいと常々考えていた。このたびの遠征は選手活動のサポートであるためまったく還元にはならなかったものの、とにかくどれだけの費用がかかろうとも文句をつける気にはなれなかった。


「ただ、俺たちの穴を埋めるために外部からトレーナーをお招きする場合は、そっちに顧問料を支払う必要が生じる。そのあたりのことも、納得済みだよな?」


「ええ、もちろんです。……えっ、まさか、鞠山選手と来栖さんにお願いするんすか?」


「まさかとは、どういう言い草なんだわよ?」


「あ、いえ。外からお招きするのは、たぶん赤星道場のコーチ陣になるだろうとうかがっていたので……」


 瓜子が言葉を濁すと、立松がまた苦笑を浮かべた。


「そっちからも、了承をいただいたよ。ただ、あっちはあっちでレオポンくんの面倒を見るのに忙しいだろうし、こっちもあれこれ都合があって、ちっとばっかり方針を変更することになってな。……ヤナには、日本に居残ってもらうことになったんだ」


「え? それじゃあ、シンガポールには――」


 瓜子が視線を巡らせると、鞠山選手がにんまりと微笑んだ。


「お察しの通り、シンガポールにはわたいが同行するんだわよ」


 瓜子はそのような話を、まったく察していなかった。完全無欠に、意想外の話である。

 そうして瓜子がひとりで泡を食っていると、立松が落ち着いた声で説明してくれた。


「最初は俺とジョンに、ヤナとサキ、それに雑用係として邑崎と蝉川に同行してもらう予定だったんだがな。キック部門はサイトーに任せるとして、MMA部門を余所のコーチにばかりお任せするってのは、やっぱり体面が悪いんだ。だから、赤星や天覇の面々にサポートをお願いしつつ、ヤナに仕切ってもらおうと考えなおしたんだよ」


 瓜子が思わず目をやると、柳原は気合の入った顔で笑っていた。


「俺もそっちに同行したかったけど、しょせんはサブセコンドだしな。日本に残って道場を仕切るほうが、よっぽど大仕事だよ。本音をぶちまけさせてもらうと……誇らしい気持ちでいっぱいだ」


「ああ。いい機会だから、ヤナもサイトーも正式なトレーナーに格上げだ。もちろん本人たちの選手活動もあるし、まだこれ一本で食えるほどの給料は出せねえが……ま、不足分をバイトで補ってもらう形だな」


 柳原に関しては詳細をわきまえていないが、サイトーは工場での勤務をメインの収入にしながら、サブトレーナーの業務を副業にしていたはずだ。どうやらそれが、逆転するという話であるようであった。

 瓜子が思わず胸を詰まらせると、サイトーが目ざとく肩を小突いてくる。


「オレはまだまだ引退する気はねえからな。サブトレーナーは副業で、工場は副業の副業だよ」


「……押忍。サイトー選手は、《G・フォース》の王者なんすからね。……あ、いや、今後はサイトーコーチって呼ばせていただきます」


「だから、メインは選手活動だって言ってんだろ」


 サイトーは勇猛に笑いながら、さらに瓜子の肩を小突いてくる。

 そんな中、立松はさらに言いつのった。


「というわけで、ヤナの穴を鞠山さんに埋めてもらうことになったんだ。鞠山さんなら指導力にも問題はないし、気心も知れてるし、おまけに英語もぺらぺらだからな。鞠山さんより頼もしいセコンドなんて、そうそう他に存在しねえだろ?」


「ふふん。うり坊の脳内には、大怪獣ジュニアの凛々しい面影がぷかぷか浮かんでるだわね」


「そ、そんなことないっすよ。……ユーリさんも、すねないでくださいってば」


「すねてないですぅ」


「とにかく、遠征のセコンドはそういう布陣で固まった。猪狩のセコンドはチーフが俺、サブが鞠山さん、雑用係が蝉川。桃園さんはチーフがジョン、サブがサキ、雑用係が邑崎だ。で、現場の穴は来栖さん、赤星道場の青田、それに何と大和さんやマー・シーダムってお人も出張ってくれるとよ」


「えっ! ドッグ・ジムの方々まで手伝っていただけるんすか?」


「ああ。駄目もとで話をしてみたら、週二、三回ならオッケーだって返事をもらえた。あっちも門下生が増えて忙しいさなかだろうに、ありがたいこったな」


 そう言って、立松は柳原とサイトーの顔を見比べた。


「来栖さんと大和さんはMMA部門、青田とシーダムさんはキック部門を手伝ってくれる。なかなか厳つい顔ぶれだが、そのぶん頼もしさは保証つきだ。二週間、なんとか乗り切ってくれ」


「はい。絶対に後悔はさせませんよ」


「ふふん。あのタイの可愛らしいぼっちゃんも、狂犬集団に相応しい実力なんだろうしな。オレこそ、スパーをお願いしたいところだぜ」


 柳原は熱情をみなぎらせながら、サイトーは不敵な面持ちで、それぞれそのように答えた。

 すると、ずっと無言で控えていた来栖舞が柳原に目礼をする。


「プレスマン道場のお力になれることを、心から光栄に思っている。おたがい流儀が異なる面もあろうが、どうかよろしくお願いしたい」


「ええ、こちらこそ。来栖さんに稽古をつけてもらえるなんて、うちの門下生は果報者ですよ」


 柳原と来栖舞は試合場や打ち上げでしか顔をあわせる機会もなかったが、きっと誠実な人柄が呼応することだろう。年長者ばかりを相手にする柳原の苦労は察して余りあったが、その顔には臆する色もなかった。

 そんな両者の姿を満足げな面持ちで見届けてから、立松は瓜子とユーリに向き直ってくる。


「ってことで、そういった外部のトレーナーの顧問料も、お前さんがたにお願いしたい。あと、鞠山さんはもちろん、サキたちだって門下生に過ぎねえからな。そいつを二週間も拘束するからには、相応のギャラが必要だろう」


「もちろんです。それに、立松コーチたちにだって――」


「俺とジョンは、篠江会長からきっちり給料をもらってるよ。ここ最近はお前さんがたのおかげで一般門下生の入門も増えたから、冬のボーナスもはずんでもらったしな。こっちのことは、気にすんな」


「ウン。シンガポールでのショクヒなんかは、ウリコたちにダしてもらうわけだからねー。ボクもひさびさのエンセイだから、タノしみだよー」


 にこにこと笑うジョンばかりでなく、立松も嬉しげな面持ちをしている。それはきっと、瓜子とユーリの勇躍を喜んでくれているのだろう。そのように考えると、瓜子はまた胸が詰まってしまった。


 かくして――来たるべき《ビギニング》三月大会の布陣は整えられたのである。

 あとひと月と一週間ぐらいも経過したならば、瓜子たちは六名でシンガポールに向かうことになる。そして現地で最終調整に取り組みながら、《ビギニング》の強豪選手を相手取ることになるのだ。瓜子は胸を詰まらせるばかりでなく、その奥側に熱いものがたぎるのを感じてやまなかったのだった。

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