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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
28th Bout ~A new beginning~
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11 戦い終わりて

《アトミック・ガールズ》一月大会の閉会式を終えて、数十分後――瓜子は、救急病院で頭の裂傷の治療を受けることになった。


 傷を負ったのは左のこめかみで、耳のすぐ上側――髪の生えている箇所であった。それで瓜子は山垣選手やジジ選手のように髪を刈り上げることになるのかなとぼんやり想像していたが、そんな事態には至らなかった。それどころか、針で縫合されることもなく、ステイプラーという医療用のホッチキスで措置されることになったのだった。


「頭皮の傷には、これが一番なんですよ。縫うよりも痕が残りやすいですけど、皮膚へのダメージは少ないですし……髪があれば、傷痕は隠されますしね」


 ということで、瓜子の左こめかみにはパチンパチンとステイプラーの針が打ち込まれていった。その数は、三回である。通常の縫合であれば、三針という度合いであったのかもしれなかった。


「傷はそれなりに深いですけど、すっぱり切れているので回復は遅くないでしょう。ステープルを抜くのに三日か四日、その後はテープで固定して、全治一週間といったところでしょうかね」


「ありがとうございます。……稽古はいつぐらいから再開できますか?」


「なるべくなら、一週間は安静にしていただきたいですけれど……まあ、ステープルを抜いたら運動をしても問題ないでしょう。ただし、傷口に衝撃を与えないように気をつけてください」


 では、三日か四日は稽古を休まなければならないということだ。瓜子にとってはなかなかの痛手であったが、それだけの休養で済むことに感謝するべきなのだろうと思われた。


 そうして診察室を出た瓜子は、さっそく立松に詰め寄られる。瓜子が診断の結果を伝えると、立松は「そうか」と息をついた。


「全治一週間なら、三月の試合にも影響はないな。しっかり休んで、英気を養っておけ」


「押忍。ただ、三日目か四日目からは稽古を再開できると思うんで……どうぞよろしくお願いします」


「それは、回復の経過しだいだ」


 立松は怖い顔をしていたが、その目は少しだけ笑っていた。


「さて。それじゃああとは、桃園さんを待つばかりだな」


 瓜子は立松とともに、待合室の椅子に腰を落とすことになった。ユーリはスチット氏の準備した医療スタッフの指示で、精密検査を受けることになったのだ。そして呆れたことには、こちらの救急病院にあらかじめその手配が為されていたのだった。


 やはりスチット氏は、何とかユーリの不調の原因を究明しようと考えているのだろう。その配慮は、ありがたい限りであった。

 今回は前回よりもやや長い時間、ユーリは意識を失っていた。そしてやっぱり、呼吸や脈は確認できなかったらしい。ケージまで持ち込まれたベッドサイドモニタの設置が間に合っていれば、もっとしっかり肉体の状態も確認できたのであろうが――けっきょくユーリは、計測器を装着される寸前に目を覚ましてしまった。そうして次善の策として、当日の内に精密検査が行われることになったわけであった。


 その付き添いとして、待合室には愛音も座している。愛音は虚空をにらみ据えたまま爛々と目を燃やしており、とうてい声をかけられる雰囲気ではなかった。

 そして、少し離れたところには武魂会の指導員たる人物も控えている。小笠原選手は右肘の靭帯を痛めてしまったため、ともに救急病院を訪れることになったのだ。そして、事前に運び込まれていた後藤田選手はすでに帰宅しているとのことであった。


「一日に四人も患者が届けられるなんざ、そうそうある話ではないんだろうな」


 立松は愛音のもたらす不穏な空気に対抗するように、ことさらふてぶてしい声をあげた。

 今頃、灰原選手たちは打ち上げのさなかである。こちらの診察で何事もなければ、瓜子たちも合流する手はずであったが――しかし今は、ユーリが無事に戻ってくることしか考えられなかった。


 そんな中、まず戻ってきたのは小笠原選手であった。

 その右腕は、アームホルダーで固定されている。小笠原選手はまず付添の指導員に頭を下げて短く言葉をかわしてから、ともに瓜子たちのもとに近づいてきた。


「そっちも、お疲れ様。猪狩の怪我は、大丈夫だった?」


「押忍。全治一週間で、三日目ぐらいから稽古を再開できそうです」


「そっか。こっちは全治一ヶ月だったよ。ま、怪物退治に挑んだ代償としては、軽いもんだね」


 小笠原選手は屈託なく笑ってから、瓜子の隣に腰を下ろした。

 小笠原選手は強烈なスープレックスをくらったのちに飛びつき腕十字固めで一本負けを喫したが、打撃戦においてはダメージをもらっていないのだ。試合で使い果たしたスタミナも回復すれば、もういつも通りの元気さであった。


「邑崎は、深刻そのもののお顔だね。あんな化け物みたいなやつがくたばりはしないから、どっしり構えて待っててやりなよ」


 と、肉食ウサギの形相である愛音にも、小笠原選手は平気で声を投げかける。

 愛音は「押忍なのです」と応じてから、深々と息をついた。


「それでもやっぱりユーリ様の元気なお姿を見るまでは、安心できないのです。まあ、試合の後もずっと元気そのものであったのですけれど……」


「そうそう。これまでだって、二度寝したりはしなかったんでしょ? どうせ今頃は、腹が空いたとか騒いでるに決まってるさ」


 小笠原選手が朗らかに笑いかけると、愛音も不安の思いをねじふせるように泣き笑いのような表情を浮かべた。

 瓜子には、とうてい真似のできない所業である。かえすがえすも、小笠原選手の人徳や度量というのは大したものであった。


「小笠原選手、あらためてお疲れ様でした。最後まで、素晴らしい試合だったと思います」


 瓜子がそのように告げると、小笠原選手は椅子の背もたれに深くもたれながら「うん」と笑った。


「けっきょく最後はやられちゃったけど、それ以外はアタシも大満足の内容だったよ。あと一歩……いや、あと三歩ぐらいかなぁ。つくづく桃園ってのは、化け物だよ」


「押忍。でも本当に、どっちが勝ってもおかしくない試合だったと思います」


「いや。スープレックスをくらった時点で、アタシの勝ちはなかったね。最終ラウンドで振り絞るはずだった体力を、あそこでのきなみ削られちゃったからさ。でも、予備タンクが空になるまで暴れられたから……ひとまず、思い残すことはないよ」


 小笠原選手は天井に目をやって、しみじみと息をついた。

 その横顔には、とても澄みわたった微笑がたたえられている。


「アタシはね、三年前にもこういう試合をしたかったのさ。舞さんに粘り勝ちした桃園が相手だったら、今まで以上に凄い試合ができるはずだってさ。……桃園には、とんだ我が儘につきあわせちゃったね」


「いえ。それは小笠原選手の責任じゃありませんし……責任の半分は、自分にもありますので」


「あはは。まさか痴話喧嘩で我を失ってるなんて、当時はアタシも想像してなかったよ」


「ち、痴話喧嘩ではないんすけどね。……邑崎さんも、にらまないでくださいよ」


「……にらんでいないのです」


「でもとにかく、大事な試合を控えた時期に面倒な話を持ち込んじゃったのは確かだからさ。三月の試合に影響が出ないように、アタシは天に祈りっぱなしだよ」


 そう言って、小笠原選手は瓜子に向きなおってきた。


「猪狩。これでアンタと桃園が《アトミック・ガールズ》のツートップだってことが証明された。あんまり重圧はかけたくないけど……《アトミック・ガールズ》の代表として、どうか頑張っておくれよ」


「押忍。自分は最初から、そのつもりです。もちろん、ユーリさんも同じ気持ちです」


「うん。でも絶対に、アンタたちに任せきりにはしないからさ。みんな、死に物狂いでアンタたちを追いかけるよ」


 小笠原選手は、瓜子の瞳を真っ直ぐ見つめている。

 その眼差しには、とても力強くて明るい輝きが宿されていた。


「舞さんもアケミさんも雅さんも、世界には届かなかった。まあ、時代が悪かったって言ったら、それまでだけど……そんなことを言い訳にする人間は、アタシの周りにはひとりもいない。アタシだって、桃園と同じ時代に生まれた逆境を力にかえてみせる。アンタたちを追いかけながら、いつか追い抜いてみせるよ」


 瓜子は「押忍」としか答えられなかった。それ以外の言葉が、思いつかなかったのだ。

 しかし、言葉などは必要ないのだろう。小笠原選手の語る言葉も、普段から示されている行動が言語化されているに過ぎなかった。


《ビギニング》の三月大会まで、あと二ヶ月――瓜子も、死に物狂いで駆け抜ける所存である。

 そしてその果てには、メイも待ち受けているはずであった。


(シンガポールの強豪を相手に、絶対に勝つなんてことは言えないけど……勝つために、すべての力を注いでみせる。あたしにできるのは、それだけだ)


 瓜子がそのように考えたとき、立松が「おっ」という声をもらした。

 それと同時に、愛音はがばりと身を起こす。瓜子が反射的に振り返ると、通路の向こうから看護師に付き添われたユーリがひょこひょこと近づいてくるところであった。


 小笠原選手の攻撃をしこたまくらったユーリは、満身創痍である。左の目尻と頬にはガーゼを貼られて、そして左腕には松葉杖をついていた。


「どうも、お待たせいたしましたぁ。脳波などに異常はないそうですけれど、あんよのほうは全治一週間だそうですぅ」


 ユーリは心から申し訳なさそうな面持ちで、そのように告げてきた。

 瓜子たちは愛音を先頭にして、ユーリを取り囲む。看護師はそれをなだめるように微笑みつつ、さらに詳しく説明してくれた。


「精密検査の結果は後日郵送いたしますが、現時点で異常は発見されませんでした。ただ、左足の打撲傷は全治一週間ですので、その間は運動をお控えくださいね」


「はいぃ。でもでも、上半身のトレーニングはお許し願えるのですよねぇ?」


 ユーリがおずおずと問いかけると、看護師の女性は苦笑をこらえるような面持ちになった。


「それは先刻、先生が仰った通りです。患部に負担をかけなければ問題ありませんが、過度な運動はお控えください」


「それは俺たちが、目を光らせておきますよ。どうも、ありがとうございました」


 立松が慇懃に答えると、看護師はひとつうなずいて立ち去っていった。

 ユーリはもじもじとしながら、瓜子たちを見回してくる。


「けっきょくユーリがおねんねしてしまう原因は、わからなかったみたいですぅ。本当に、何と申し上げていいのか……」


「だからそんなのは、桃園さんの責任じゃねえだろ。猪狩も、何か言ってやれ」


「押忍。みんなユーリさんを責めたりしてませんから、そんな心配そうなお顔をしないでください。元気があったら、打ち上げに合流しましょう」


「うにゃあ。実のところ、おなかはぺこぺこなのですぅ」


 ユーリは右手で純白の頭を引っかき回しつつ、小笠原選手のほうをちらりと見やった。

 にこやかに微笑みながら、小笠原選手は無言である。ユーリとは、すでにケージで語っているのだ。それにおそらく、試合をやり遂げたことにより、あらためて言葉を交わす必要もないのだろうと思われた。


(三年前にきちんと試合をできてたら、それが一番なんだろうけど……)


 しかし、無念の思いを三年以上も抱え込んでいたからこそ、ユーリと小笠原選手はいっそうの達成感を手にすることができたのではないだろうか。

 瓜子がそんな感慨に見舞われるほど、二人の眼差しは澄みわたっていた。


「じゃ、行くか。今日の主役は、お前さんたちなんだからな」


 そんな立松の号令によって、一向は打ち上げの会場へと向かい――そうして瓜子とユーリの本年初めての戦いは、ここで本当の終わりを迎えたのだった。

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