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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
28th Bout ~A new beginning~
725/955

08 三年の時を経て

『大流血に見舞われながら、衝撃的な逆転KO勝利を収めた猪狩瓜子選手です!』


 リングアナウンサーがそのように声を張り上げると、また大歓声が津波のように押し寄せてきた。

 瓜子は頭に血まみれのタオルを巻かれた状態で、その言葉を聞いている。傷のチェックをしたリングドクターに、ひとまず心配はいらないと診断を下されたのだ。ただし、興行を終えた後には救急病院に向かうことが、すでに決定されていた。


『猪狩選手! 序盤は山垣選手の猛攻に耐え忍ぶ時間が続きましたね! あれは、作戦だったのでしょうか?』


『いえ。山垣選手のプレッシャーが想像以上で、まったく手が出せませんでした。きっと、こうなることが目に見えていたからだと思います』


 瓜子がタオルに覆われた左こめかみを指し示すと、リングアナウンサーは『なるほど!』と深くうなずいた。


『しかし最後は、左フックで一撃KOでした! まるでサキ選手のように、狙いすました一撃でしたね!』


『いえ。本命は次の右フックだったので、とっさに出した攻撃がクリーンヒットしただけです。まだまだサキさんの足もとにも及びません。……でも、四年前のサキさんに追いつけたような心地で、すごくハッピーです』


『ああ! サキ選手も、山垣選手とのタイトルマッチで大流血していましたね! わたしも思わず目を覆ってしまったことを記憶しています! ……では、今後の展望をお聞かせ願えますか?』


 リングアナウンサーがいくぶん神妙な面持ちになったので、瓜子も『押忍』と心を引き締めた。


『今回も何とか、ベルトを守ることができました。そして三月には、《ビギニング》のシンガポール大会に参戦してきます。アトミックの王者として恥ずかしくない結果を目指しますので、どうか応援お願いします』


 瓜子がおもいきり頭を下げると、また大歓声が爆発した。

 瓜子は最初から、この時間を待つべきだったのだろうか。今にして思えば、試合の直後に見せた姿が気恥ずかしい限りであった。


 しかし瓜子も、自分が思っている以上に昂っていたのだろう。

 それぐらい、瓜子は真摯な気持ちで今の人生を歩んでいるのだ。ひとりでも多くの人たちに、その姿を見届けてもらいたかった。


『わたしも心より、猪狩選手の活躍を期待しています! では、見事なKO勝利でストロー級王座を防衛した猪狩選手に、もうひとたび盛大な拍手を!』


 瓜子はもういっぺん頭を垂れてから、ケージの出口に向かおうとした。

 その眼前に、山垣選手が立ちはだかる。彼女は意識を失っていたので、まだ試合後の挨拶ができていなかったのだ。そして彼女は意識を取り戻したのちも、インタビューが終わるのを待っていてくれたのだった。


「山垣選手、今日は――」


 瓜子がそのように言いかけると、山垣選手はいきなり逞しい腕で瓜子の身を抱きすくめてきた。

 そして、瓜子の耳もとに寄せた口から、乱暴な言葉を叩きつけてくる。


「まんまとやられちまったな! シンガポールでぶざまな姿をさらしたら、承知しないよ?」


 山垣選手はばしばしと瓜子の背中を叩いてから、身を引いた。

 その厳つい顔に浮かべられているのは、試合前と変わらない勇猛な笑みだ。彼女はかつて灰原選手に負けたときも、こんな顔で笑っていたのだった。


「押忍! 今日はありがとうございました!」


 大歓声に負けないように大きな声で答えて、瓜子は一礼した。

 すると、さらに大歓声がうねりをあげる。そんな中、山垣選手は瓜子の肩を荒っぽく小突いてから背を向けた。


 その逞しい後ろ姿を目に焼きつけてから、瓜子も身をひるがえしてケージを下りた。

 凄まじいばかりの歓声と拍手を送られながら、瓜子は花道を踏み越える。その末に入場口の裏手に到着すると、小笠原選手が待ち受けていた。


「まさか、頭突きじゃなく肘打ちで大流血とはね。まあ、山垣さんも意地を見せたってところかな」


「押忍。山垣選手は、やっぱり強敵でした。小笠原選手も……勝ってくださいとは言えませんけど、頑張ってください」


「ああ。アンタの大事な桃園をボコボコにしちゃうけど、これからもよろしくね」


 小笠原選手はいつも通りの朗らかな笑顔であったので、瓜子も自然に笑うことができた。

 そうして控え室を目指すと、ずっと怖い顔をしていた立松が横から詰め寄ってくる。


「閉会式が終わったら、すぐに病院だぞ。ったく、血まみれの姿で暴れ回りやがって」


「押忍。どうもすみません。客席の人たちを安心させたかったんです」


「おかげさんで、こっちの心配はつのるばかりだよ」


 と、立松もようやく苦笑を浮かべてくれた。

 柳原は意外に満足げな面持ちであり、蝉川日和はずっと泡を食っている。そして、立松が身を引くと同時に顔を寄せてきた。


「で、でも、ほんとにすごい出血だったから、あたしも心配だったッスよ! すぐに病院に行かなくて、大丈夫ッスか?」


「リングドクターがそう判断したんだから、大丈夫っすよ。頭の傷は、出血しやすいですからね。見た目ほど、ひどい怪我じゃないってことです」


 瓜子がそのように答えたとき、控え室に到着した。

 そちらでは、半数ぐらいの人々が心配そうな顔をしている。その筆頭は、灰原選手であった。


「うり坊、だいじょーぶ!? すっげーどばどば血が出てたから、めっちゃ心配だったよー!」


「押忍。ご心配かけて、すみません。でも、大した傷ではありませんので」


「うん。あの肘打ちは、こするような当たりだったからね。出血はひどかったが、頭の内部にはダメージもないのだろう」


 と、赤星弥生子はいつも通りの沈着さと穏やかさだった。


「ともあれ、タイトル防衛おめでとう。……でもその前に、まずは桃園さんの試合を見届けないとね」


「押忍。ありがとうございます」


 瓜子は並み居る人々に頭を下げてから、パイプ椅子に座らせていただいた。モニター上では、すでにユーリが入場を始めていたのだ。


 まばゆいスポットに照らされて、ユーリもまたいつも通りの輝くような笑顔であった。勝利者インタビューを聞いていたのなら、瓜子に深刻はダメージはないと伝わっていることだろう。それに、モニターを目にしていなかったのなら、瓜子の流血がどれほどのものであったかも正確には把握できていないはずであった。


 白とピンクのウェアを纏ったユーリは、ひらひらと手を振りながら花道を闊歩している。

 その肉感的な唇が入場曲たる『Re:Boot』の歌詞をつぶやいているのも、ここ最近のお決まりだ。白とピンクのウェアに包まれたその肢体からは、尋常ならざる生命力と色香があふれかえっていた。


 ボディチェックのためにそのウェアを脱ぐと、白い肌とともにさらなる生命力と色香が解き放たれる。ハーフトップとショートスパッツだけを着用したその肢体は、一点のしみもなく純白であった。


 そうしてユーリがケージに上がると、モニターのスピーカーがひび割れるほどの歓声が鳴り響く。

 そのさまを眺めながら、鞠山選手が「ふん」と鼻を鳴らした。


「うり坊が負けると考えてた人間は、十人にひとりもいないだろうだわけど……ピンク頭が負けると考えてる人間は、どれぐらいいるのやらだわね」


「では、鞠山さん自身はどのように考えているのかな?」


 赤星弥生子が何気なく問いかけると、鞠山選手は「ふふん」と眠たげな目を細めた。


「私情を排して語るなら、トキちゃんが勝つ確率は三割ていどだろうだわね」


「三割か。……私も、同程度に考えていた」


 すると、灰原選手が「えー?」と曖昧な声をあげる。


「あんたら、本気で言ってるの? あたしは……ぶっちゃけ、トッキーが勝つ確率は一割ぐらいかなーって考えてたんだけど」


「正直、あたしも意外です。それじゃあ弥生子さんも、小笠原のことをそれだけの強敵だって見なしてるわけですか?」


 多賀崎選手が真剣な声音で問い質すと、赤星弥生子は「いや」と沈着に応じた。


「それは、相性の問題だね。私は男子選手を数多く相手取ってきたので、長身の相手を苦にしていない。私にとっては小笠原さんや宇留間千花よりも、桃園さんや猪狩さんのほうが脅威なんだよ」


「ああ、なるほど……なかなか嫌なことを思い出させてくれますね」


 多賀崎選手の言葉に、赤星弥生子は「うん?」と小首を傾げた。


「それは、桃園さんと宇留間千花の一戦のことかな? あれは彼女の奔放なファイトスタイルに悩まされた結果だから、今日の試合とは関わりがないように思うよ」


「まあ、それはそうなんでしょうね。……あたしも、黙って見守ります」


 瓜子は最初から無言のまま、モニターを見守っていた。

 現在は、小笠原選手がケージインするところである。その長身には、普段通りの自信と風格がみなぎっていた。


 これもタイトルマッチであるため、まずはコミッショナーのタイトルマッチ宣言と国歌清聴が執り行われる。その間も、ユーリと小笠原選手のたたずまいに変わりはなかった。


 瓜子が信じていた通り、ユーリもきちんと心を整えることができたのだ。

 瓜子と控え室が別々になってしまったなどというのは、この一戦に比べれば些末な話なのである。これは三年と少し前、不本意な形で終わってしまった試合の仕切り直しであり――負けた小笠原選手ばかりでなく、ユーリにとってもきわめて重要な一戦であったのだった。


 あの日、瓜子と深刻な諍いを起こしてしまったユーリは、まったく試合に集中できていなかった。それで、二ラウンド目に至るまでずっとサンドバッグのように殴られ続けていたのだ。

 そうして瓜子がリングの下まで駆けつけると、やけくそのような勢いで小笠原選手を押し倒し――そうして、狂ったようなパウンドの嵐で勝利を収めるとともに、右拳を骨折してしまったのだった。


 あれはとうてい、MMAの試合と言えるような内容ではなかった。もちろん反則行為には及んでいなかったものの、当時のユーリはパウンドの練習などまったくしていなかったのだ。稽古で積み重ねてきた技術をいっさい使わず、ただ力まかせに突進して、自分の拳が砕けるまで殴り続けた――それはただの喧嘩であり、小笠原選手の虚を突いたユーリがたまたま勝利を収めただけのことであった。


 ユーリとの対戦を楽しみにしていた小笠原選手は、それで深い怒りを抱くことになった。

 そして、小笠原選手の心情を知ったユーリは、自分がどれだけ道理に反した真似をしでかしたかを思い知り、後悔の渦に叩き込まれたのである。


 ユーリは何より、格闘技を愛している。そしてやっぱりその本懐は、お客の前で試合をすることであるのだ。普段の稽古に苦労を惜しまないのも、すべては試合のためであった。

 そんな試合を二の次にして、感情のままに大暴れしてしまったことを、ユーリは心から後悔していた。そして、もしも自分がベリーニャ選手に同じような真似をされたら、どれだけ悲しい気持ちになるかと想像して――ぽろぽろと涙をこぼしながら、小笠原選手に謝罪することになったのだった。


 それで小笠原選手とは和解して、今日まで良好な関係を築いてきた。

 もはや両者の間に、確執などは存在しない。ただ小笠原選手は、ユーリが世界に羽ばたく前にきちんと決着をつけておきたいと願っており――ユーリは過去のあやまちを清算するために、その申し出を受け入れたのだった。


『第十試合、メインイベント、《アトミック・ガールズ》バンタム級タイトルマッチ、五分三ラウンドを開始いたします!』


 国歌清聴ののち、リングアナウンサーがそのように宣言すると、また歓声がわきたった。


『青コーナー、挑戦者。百六十七センチ。六十一キログラム。新宿プレスマン道場所属……ユーリ・ピーチ=ストーム!』


 ユーリはにこにこと笑いながら、客席に投げキッスを届けた。


『赤コーナー、王者。百七十八センチ。六十一キログラム。《アトミック・ガールズ》バンタム級第二代王者。武魂会小田原支部所属……小笠原、朱鷺子!』


 小笠原選手は、《アトミック・ガールズ》において誰よりも長い右腕をゆったりと上げて声援に応えた。


 レフェリーのもとで、ユーリと小笠原選手が向かい合う。

 かつては出稽古の場で、何度となく目にした光景だ。身長差は十一センチであるので、ユーリの頭は小笠原選手の目もとにまで達していたが――それでも、ユーリがこうまで身長差のある相手と対戦するのは、それこそ無差別級のトーナメント以来のはずであった。


 宇留間千花とて身長は百七十二センチであったし、来栖舞や兵藤アケミはもっと低い。ロシアのオルガ選手でさえ、たしか百七十四センチほどであった。たとえ格闘技界においても、小笠原選手ほどの長身を持つ選手は稀であるはずであった。


 そして、それほどの長身でありながら、細すぎる印象はまったくない。ファイターとしては細身の部類であろうが、それでもしっかりと鍛え抜かれたしなやかな体躯だ。詳細はうかがっていないが、きっと五キロ以上はリカバリーしており――それならば、無差別級の時代とほとんど変わらないウェイトであるはずであった。


 ただしユーリも、リカバリーをして六十四キロていどである。小笠原選手よりも、はっきりと肉厚の肢体であった。


 普通に考えれば、初対戦の頃よりもユーリのほうが有利なぐらいだろう。ただウェイトが増したというだけでなく、ユーリはあの頃以上にさまざまな才覚を開花させたのだ。

 いっぽう小笠原選手も、着実に成長しているはずであるが――それ以上に怖いのは、ユーリを相手取ることに手馴れていることであった。ユーリが退院して以降はそうまで出稽古で迎える機会はなかったものの、合宿稽古には参加していたし、それ以外でも何度かスパーをする機会はあったのだ。


 さらに小笠原選手は、この近年のユーリの活躍を入念に研究しているのだろうし――ユーリの化け物じみた強さをわきまえながら、タイトルマッチの挑戦者に指名した。瓜子とて、小笠原選手がユーリに花を贈るためにタイトルマッチを持ちかけるなどとはさらさら考えていなかった。


(ただ小笠原選手は、《アトミック・ガールズ》の強さを……ユーリさん以外にも強い選手がいるってことを、証明したいだけなんだ)


 もっとも重要であるのは、二人が試合のために全力を尽くすことであり――あとはもう、強いほうが勝つだけである。

 瓜子は黙って、それを見守るだけであった。


 レフェリーがルール確認を終えてグローブタッチをうながすと、ユーリが差し出した両手の先を小笠原選手が力強く受け止める。

 ユーリは透明な眼差し、小笠原選手は穏やかな眼差しだ。

 負の感情などは、ひとかけらも存在しない。ただ、不本意な形で終わってしまったかつての試合の記憶を、今日この場で塗り替えるのだ、と――二人の胸には、そんな思いだけが渦巻いているはずであった。


 ユーリは軽やかな足取りで、小笠原選手は落ち着いた足取りで、それぞれフェンス際に引き下がる。

 そしてついに、試合開始のブザーが鳴らされた。


 客席には歓声が吹き荒れて、控え室には張り詰めた空気が満ちている。

 そんな中、ユーリも小笠原選手もそれぞれアップスタイルの姿勢でケージの中央に進み出た。

 二人とも背筋をのばしているが、ユーリの拳は目の高さ、小笠原選手の拳は胸の高さだ。小笠原選手は、ユーリの組み技を警戒しているのだろうと思われた。


 ユーリはぴょこぴょこと、遠い間合いで前後にステップを踏んでいる。相手のほうがリーチでまさっているため、カウンターを狙うのは難しいのだ。まずは相手の出方を見ながらテイクダウンのチャンスをうかがうというのが、最初の戦略であった。


 言うまでもなく、ユーリはグラップラーで小笠原選手はストライカーだ。

 ただし、ユーリは打撃技でも規格外の破壊力を持っているし、小笠原選手は寝技でも防御に長けている。小笠原選手の長い手足は、グラウンド状態でも大きな武器であるのだ。

 しかしそれでも、ユーリが勝利するとすれば寝技、小笠原選手が勝利するとすれば立ち技だろう。ユーリが小笠原選手を寝技の展開に引きずり込めるかどうか、そこが勝負の分かれ目になるはずであった。


 小笠原選手は、ステップではなくすり足で間合いを測っている。

 そして、ユーリがぴょんっと前に出たタイミングで、ふわりとローキックを放った。

 それは空気も乱さないほど優美な動きであったが、ユーリのふくらはぎをしたたかに撃ち抜いた。


 通常のローと比べれば低いし、カーフキックと比べれば高い軌道だ。

 ユーリは何とかかかとを浮かせて可能な限り衝撃を逃がしたようだが、その一撃で白いふくらはぎが真っ赤になっていた。


「カーフを狙わなかったのは自分の足の消耗を抑えるため、膝上を狙わなかったのはバランスを保つため……かな」


 誰にともなく、赤星弥生子がそのようにつぶやいた。

 まあ、瓜子としても異存はない。カーフキックは強力だが自分の足を痛める危険も高いし、蹴りは打点が高ければ高いほど蹴り足を戻すのに時間がかかり、隙が生まれやすいものであるのだ。


(つまり……小笠原選手も、短期決戦は狙ってないってことなのかな)


 たった一発の攻撃で、さまざまな想像がふくらんでしまう。

 それぐらい、二人がたたずむモニターからは濃密な気配が感じられてやまなかったのだった。

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