06 後半戦
十五分間のインターバルをはさんで、本日の興行もいよいよ後半戦の開始であった。
その幕開けは、亜藤選手と後藤田選手の一戦である。
ストロー級の誇る黄金世代同士の一戦だ。ストロー級も瓜子や灰原選手や鞠山選手などが大いに引っかき回したため、黄金世代同士の対戦というのは実に数年ぶりになるのかもしれなかった。
しかしその数年間で、黄金世代はすっかり株を落としてしまっている。
さらに言うならば、黄金世代はその前の時代から着実に衰退していた。その栄光を足蹴にしたのは、ストロー級の第三代王者たるイリア選手と第四代王者たるサキである。黄金世代の王座戴冠は、その両名によって妨げられていたのだった。
その後、イリア選手は格闘技を離れ、サキはアトム級に転向した。そこで台頭したのが、瓜子や灰原選手や鞠山選手であったわけである。黄金世代の面々はサキやイリア選手にリベンジする機会もないまま、新たな世代に再び蹂躙されることになったわけであった。
かつてはその中に、小柴選手と時任選手も含まれていた。現在は両名ともにストロー級を離れた身であるが――しかしけっきょく黄金世代の時任選手は、新鋭たる小柴選手に敗れ去った。さらにその前には中堅の壁たる鞠山選手にも敗れていたため、時任選手はフライ級に転向したのである。
ちなみに小柴選手もアトム級に転向したが、そのきっかけとなったのは中堅の筆頭たる奥村選手である。ストロー級の新鋭たる小柴選手を下したのは、黄金世代ではなく奥村選手であったのだ。そこでもまた、黄金世代は輝き損ねていたのだった。
(でも……そもそものきっかけは、メイさんだったのかな)
瓜子たちに先んじて黄金世代を相手取ったのは、メイだ。山垣選手と亜藤選手が立て続けにメイに敗れたため、黄金世代に影が差し――そして、メイに連勝した瓜子は黄金世代と対戦する前から新世代の筆頭に祀りあげられたのだった。
さらにその後は《カノン A.G》の騒乱が勃発して、後藤田選手は一色ルイに敗れ去った。それでメイとイリア選手に連勝し、一色ルイをも下した瓜子が、あらためてストロー級の正規王者に認定されたわけである。
そういった来歴を経て、黄金世代の面々はかなり苦しい立場に立たされている。
フライ級に転向した時任選手はさておくとして、亜藤選手も後藤田選手も山垣選手も新鋭を相手に全敗を喫してしまったのだ。まあ、その新鋭の中には黄金世代よりも古い世代である鞠山選手も入り混じっているわけであるが――鞠山選手も瓜子や灰原選手と時を同じくして活躍し始めたのだから、勢力図としてはこちらに組み込まれるはずであった。
アトム級のベテランファイターと同様に、ストロー級の黄金世代も新世代の引き立て役に成り下がってしまっている。
そのひとりである山垣選手は本日瓜子とのタイトルマッチに抜擢されたが、それも実績が認められたというよりは、まだ瓜子と対戦の経験がなかったからという理由に他ならない。彼女もまた、一年以上も前にメイや灰原選手に敗れた身であった。
よってこれは、生き残りをかけたサバイバルマッチと言えることだろう。
王座には瓜子、その付近には灰原選手と鞠山選手が控えており、彼女たちの背後には武中選手という若い世代も迫り寄っている。また、小柴選手に勝利した奥村選手も、虎視眈々とトップファイターの座を狙っているはずだ。黄金世代と呼ばれながら戴冠の経験もなく、ベテランファイターの域に達してしまった彼女たちが、今後の首位争いに加われるかどうか――黄金世代同士の対戦というのは、その試金石になるはずであった。
「猪狩さんの見込みでは、どちらが優勢ということになるのかな?」
出番の近くなってきた瓜子がウォームアップに励んでいると、赤星弥生子がひかえめに声をかけてきた。
「うーん。ちょっと予測は難しいですね。技巧派の後藤田選手に、パワータイプの亜藤選手っていう構図ですけど……後藤田選手は守りが堅くて、亜藤選手は頑丈だから、どっちも負ける図が想像しにくいんすよね」
「でも猪狩さんは、その両名に初回でKO勝ちしているのだよね。そんな猪狩さんなら、あるていどの見込みが立つのじゃないかな?」
「うーん……勢いでまさるのは、亜藤選手かもしれません。でも、判定勝負までもつれこんだら、後藤田選手のほうが有利かもしれませんね」
奇しくも、瓜子の予想はそれなりに的中することになった。
判定勝負までもつれこむことはなく、最終ラウンドで亜藤選手がKO勝利を収めることになったのだ。ただそれは、スープレックスによる失神KOという、なかなか予想し難い結果でもあった。
「後藤田という選手は、ダメージの蓄積が深いのかもしれないね。……同世代の私には、身につまされる結果であるようだ」
「いやいや、後藤田選手は黄金世代の最年長ですから、弥生子さんはむしろ亜藤選手に近い世代のはずっすよ」
しかし何にせよ、全員が三十歳前後である。そして後藤田選手は、昨年九月に行われた灰原選手との対戦でもダメージの蓄積を指摘されていたのだった。
後藤田選手は控え室に姿を現さず、また救急病院に直行である。すでに三十歳を過ぎている後藤田選手は、ここから再び返り咲けるのか――瓜子としては、それを陰から見守ることしかできなかった。
そして第七試合は、灰原選手と中堅選手による一戦だ。
その結果は、一ラウンド三十七秒で、灰原選手のKO勝利となる。黄金世代の三名を下した灰原選手は、輝きを増すいっぽうであった。
「よし。それじゃあ、出陣だ」
立松の号令で、プレスマン道場の陣営は出立の準備を整える。すでに試合を終えている赤星道場やドッグ・ジムや天覇ZEROの面々に見送られて、瓜子たちは入場口の裏手を目指した。
「おー、うり坊! 次はあんたの番だねー! 頭突きで怪我なんてしないでよー?」
その行き道で、意気揚々と引き返してきた四ッ谷ライオットの陣営とすれ違う。あまりに試合時間が短かったためか灰原選手はいくぶん物足りなさそうな面持ちであったが、そのぶんセコンド陣の表情は明るかった。
「押忍。灰原選手、おめでとうございます。ベルトを守れるように、自分も死力を尽くします」
「あはは! うり坊が負ける図は想像できないけど! とにかく、怪我だけは気をつけてねー!」
入場口の裏手に到着すると、鬼沢選手の陣営はもう姿がなかった。
キックミットを構えた立松は、自分を鼓舞するように気合の入った顔をしている。
「正直言って、俺もお前さんが山垣選手に後れを取る姿は想像できねえ。ただ、波に乗ってる選手はこういうところでコロッとつまずいたりすることが多いんだ。お前さんも、気合を入れていけよ」
「押忍。黄金世代を相手に油断する気なんて、さらさらないっすよ」
瓜子もすでに、亜藤選手と後藤田選手を下している。しかし、彼女たちの強さは身にしみていた。集中力の限界突破という領域には踏み込まないまま、試合は終わってしまったものの――それは、《フィスト》で対戦したスウェーデンの選手や灰原選手も同様なのである。瓜子がこの数年で対戦した相手の中に、弱者などはひとりとして存在しなかったのだった。
(あたしが試合に勝てるのは、死ぬ気で稽古を頑張って、死ぬ気で試合に取り組んでるからだ。油断なんてしたら、勝てるわけがないさ)
そうして瓜子が立松の構えたキックミットに蹴りを叩き込んでいると、五分とかからずに声援がわきたった。
立松の指示で扉の向こう側を覗き見した蝉川日和は、満面の笑みで舞い戻ってくる。
「鬼沢さんが勝ったみたいッス! それも、KOみたいッスね!」
「あの頑丈そうな香田さんを相手に、KOか。鬼沢さんも、さすがだな」
立松の声を聞きながら、瓜子も内心で感じ入っていた。そして同時に、香田選手の行く末を危ぶんでしまう。無差別級の時代には快進撃を見せていた香田選手が、バンタム級に転向してからはこれで四連敗となってしまったのだった。
(ユーリさんと高橋選手、オリビア選手と鬼沢選手に負けて、まだ対戦してないのは小笠原選手とジジ選手か……これはかなり、きつい状況だ)
トップファイターしか存在しない階級というのは、かくも過酷なのである。ひときわ小柄である香田選手は無差別級よりもバンタム級のほうが有利であるように思えたが、そう簡単な話ではないようであった。
(バンタム級だとみんな同程度のウェイトだから、俊敏性でアドバンテージがなくなっちゃうのかな。そうすると、手足の短さのデメリットのほうがまさるのかもしれない)
瓜子がそんな風に考え込んでいると、立松が苦笑を投げかけてきた。
「試合の直前に考え事とは、余裕だな。まったく、頼もしいこったぜ」
「押忍。すいません。試合に集中します」
「集中は、できてるんだろ。それぐらいは、目を見ればわかる」
そう言って、立松は瓜子の肩を小突いてきた。
「その調子で、暴れてこい。……くどいようだが、頭突きだけは気をつけてな」
瓜子が「押忍」と答えたとき、鬼沢選手の陣営が戻ってきた。セコンド陣は、みんな柏支部の面々だ。
「おう。次はうり坊かい。三試合連続で、一ラウンドKO決着やな」
「やだなあ。プレッシャーをかけないでください」
「あんたがそげん可愛いタマかい」
鬼沢選手は何のダメージをもらった様子もなく、豪快な笑い声とともに立ち去っていった。
瓜子は無心で、扉の前に立つ。リングアナウンサーが入場の開始を告げると、地響きのように歓声がわきたった。
まずは、青コーナー陣営の山垣選手が入場する。
そうして、瓜子の名が呼ばれ――開かれた扉から、熱気と歓声が吹きつけてきた。
山寺博人の歌声も、歓声の渦に巻き込まれてしまっている。
その中に、瓜子は足を踏み出した。
《アトミック・ガールズ》の試合は二ヶ月ぶりだが、公式試合は半年ぶりだ。そして、これが最後の公式試合になるのかもしれないと考えると、さまざまな感慨が押し寄せてきたが――試合の前には、そんな思いも雑念であった。
しかしまた、雑念だからといって捨て去ったりはしない。
瓜子はどんな思いでも、試合への熱情に転化してやろうという意気込みであった。
メイとの別れも、ユーリの抱える謎の不調も、後藤田選手や香田選手の行く末に対する懸念の思いも――すべて、負の感情ではなく力にかえるのだ。
ボディチェックを終えてケージに踏み入ったならば、さらなる歓声が吹き荒れる。
しかしそれは、いったん静められることになった。タイトルマッチにまつわる前準備、コミッショナーのタイトルマッチ宣言と国歌清聴である。この厳粛なる音楽に身をひたすのも、半年以上ぶりのことであった。
半年前には亜藤選手、その二ヶ月前には後藤田選手と対戦しているが、どちらもタイトルマッチではなかった。負けが込んでいた両選手には、王座挑戦の資格が与えられなかったのだ。
本日対戦する山垣選手も、メイや灰原選手に敗れた身であったが――それからすでに、一年以上の日が過ぎている。そして、それ以外の対戦ではすべて勝利をあげていたし、新鋭たる武中選手をも下していたので、かろうじて挑戦者としての体裁が保たれているわけであった。
しかし、そんな体裁など関係ない。
彼女もまた、数年前まではサキとしのぎを削っていた強豪であったのだ。瓜子は中学生や高校性の時分から、それらの試合を余すところなく見届けてきた立場であったのだった。
(あたしがユーリさんと出会った日に、サキさんのタイトルに挑戦していた山垣選手を……今日は、あたしが王者として迎え撃つんだ)
あれから、四年の日が過ぎている。十八歳であった瓜子は二十二歳となり、二十代の半ばであった山垣選手は三十歳も間近となり――ここで、雌雄を決するのである。四年を経て別なる王者に挑む山垣選手は、瓜子よりもさらに大きな感慨を噛みしめているのかもしれなかった。
そうして国歌清聴を終えたならば、いよいよ試合の開始である。
リングアナウンサーがマイクを握りなおすと、静められていた歓声が再燃した。
『第九試合、セミファイナル、《アトミック・ガールズ》ストロー級タイトルマッチ、五分三ラウンドを開始いたします! 青コーナー、挑戦者。百六十センチ。五十二キログラム。フィスト・ジム川口所属……山垣、詩織!』
山垣選手は不敵な笑顔で、ごつい右腕を振り上げた。
『赤コーナー、王者。百五十二センチ。五十一・九キログラム。新宿プレスマン道場所属……《アトミック・ガールズ》ストロー級第五代王者、《フィスト》ストロー級第四代王者……猪狩、瓜子!』
瓜子もまた小さく右腕を上げつつ、一礼した。
歓声は、いよいよ熱風のように渦を巻いていく。そんな中、瓜子はレフェリーのもとまで歩を進めて、山垣選手と向かい合った。
山垣選手は筋肉質で、逞しい体格をしている。近年で対戦したシンガポールの強豪たちに比べればまだ細身なのであろうが、腕にも肩にもしっかりと筋肉の線が浮かんでいた。
その顔も男のように厳つくて、髪は金色に染めあげており、左の側面だけを刈り上げている。相変わらず、ジジ選手を彷彿とさせるヘアースタイルであった。
「余所の団体に移る前にあたしらを総なめしておこうだなんて、なかなか愉快な真似をしてくれたね!」
と、ルール確認を終えたレフェリーがグローブタッチをうながすなり、山垣選手が声を張り上げた。そうしないと、この大歓声では聞き取ることも難しいのだ。
「ま、こっちはタイトルに挑戦できるんだから、文句をつける筋合いはないけどな! お礼に、たっぷり可愛がってやるよ!」
「私語はつつしむ! 次は、反則を取るぞ!」
レフェリーもまた、大きな声で注意を与える。
山垣選手はにやにやと笑いながら、右の拳を差し出してくる。瓜子も右拳でそれに触れようとすると、それをかわしたのちに横合いから手の甲を叩いてきた。
この荒っぽさが、山垣選手の持ち味であるのだ。
瓜子は、気分を害することもなく――というよりも、かつてはサキに向けられていた態度を自分にぶつけられて、むしろ胸が弾んでしまった。
そうして山垣選手の不敵な笑顔を見据えつつ、瓜子はフェンス際に引き下がる。
大歓声は、やむ気配もない。これが《アトミック・ガールズ》における瓜子の試合の見納めなのか、と――そんな思いも込められているのかもしれなかった。




