06 二冠王と元王者
レフェリーの「ファイト!」という声を大歓声の隙間から聞き取りながら、瓜子はケージの中央に歩を進めた。
ミンユー選手も、落ち着いた足取りで進み出てくる。クラウチングの、いかにもどっしりとした構えだ。
ミンユー選手の試合映像は、けっきょく入手することができなかった。
瓜子のもとにもたらされたのは、彼女が《ビギニング》の初代王者であり、オールラウンダーであり、そして守りが固いことであった。彼女は歴戦の猛者であったが、その勝利はほとんど判定勝利であったのだ。
(アトミックで言うと、沖選手や時任選手みたいなタイプなのかな。そういう選手と対戦するのは、初めてだ)
瓜子は慎重に距離を測りながら、まずは左ジャブを出そうとした。
するとそれより早く、関節蹴りが飛ばされてくる。それを避けるためにアウトサイドに踏み込むと、相手は正対しながらバックステップを踏んだ。
その挙動だけで、もう守りの固さがひしひしと感じられる。
瓜子はひとつ息をついて、さらにアウトサイドに踏み込もうとした。
すると今度は、あちらから左ジャブが飛ばされてくる。
アウトサイドに踏み込もうとした瓜子を牽制するような、身体を開きながらの左ジャブだ。もしも瓜子がインサイドに踏み込もうとしていたならば、こちらもカウンターを狙えたはずであった。
(動きを読まれた? ……なんか、嫌な感じだな)
これが、元王者の風格というものなのだろうか。両目だけは油断なく光らせながら、ミンユー選手の顔はとてもリラックスしていた。
その逞しい身体も、岩のように強固な雰囲気を漂わせつつ、しっかり脱力できているように感じられる。ゆったりとステップを踏むその動きも、とてもなめらかであった。
そういえば――瓜子は若い選手と対戦する機会が多かったため、三十歳以上のベテランファイターなどは鞠山選手ぐらいしか相手取った経験がなかったのだ。
そして、鞠山選手は年齢を超越した存在であったので、試合中にこうまで自然体の風格をかもしだしていたのは――赤星弥生子ぐらいしか思い当たらなかった。
(でも、弥生子さんぐらい強かったら、今でも《ビギニング》の王者だったはずだ)
瓜子は雑念を打ち払い、ギアを上げてステップを踏んだ。
しかしミンユー選手は我関せずで、ゆったりとステップを踏んでいる。これならば、簡単に間合いを詰められそうに思ったが――ただ、警戒心が瓜子の後ろ髪を引っ張っていた。
(それでもまずは、こっちから打撃を当てるんだ)
瓜子は、インサイドに踏み込もうとした。
すると――強く輝くミンユー選手の目が、ちらりと瓜子の足もとをうかがってきた。
テイクダウンの気配を察して、瓜子はその場に急停止する。
それと同時に、火花のような感触が鼻先に弾け散った。
ミンユー選手のほうが踏み込んできて、左ジャブを当ててきたのだ。
瓜子は煮えきらない気持ちを抱え込みつつ、バックステップで距離を取った。
(くそっ。視線のフェイントに引っかかった)
距離を取った瓜子は、あらためてミンユー選手の全容を把握する。
ミンユー選手はゆったりとステップを踏みながら、常に小さく頭を上下させていた。
さらに、頭部を守る両手の拳もふわふわと上下しており、居場所が定まらない。ステップの動きにまぎれていたが、ミンユー選手は絶えず全身がゆらめいているかのようであった。
(風格とかそういう話じゃなくって……そういう動きを無意識の内に感じ取ってたから、あたしはやりづらく感じてたのか)
この選手には迂闊に近づいてはいけないという危険信号が、瓜子の脳裏にうっすらと明滅している。それが、瓜子の動きを鈍らせているのである。
「どうした! 様子見はいいが、慎重になりすぎるな! 自分から動いて、リズムをつかめ!」
また大歓声の向こうから、立松のがなり声が響きわたる。
あんな大声を出していたら、試合の後は咽喉が潰れてしまうことだろう。瓜子が不甲斐ないばかりに、立松に無理をさせているわけであった。
(理由はわかった。でも……どうやったら、このプレッシャーを打ち破れるんだ?)
ミンユー選手の目は、ちらちらと瓜子の足もとをうかがっている。
そして上下に揺れる手も、いかにもテイクダウンを狙っていそうな気配であった。
そしてそれがフェイントとなって、瓜子に左ジャブをヒットさせたのだ。その事実が、瓜子をいっそう迷わせるのだった。
これは確かに、グヴェンドリン選手を上回るほどの強敵である。
ただし、タイプは正反対だ。剛のきわみであったグヴェンドリン選手に対して、ミンユー選手は柔のきわみであった。
(あのグヴェンドリン選手でさえ、このミンユー選手の守りを崩せずに判定負けしたってことだ。それじゃあ、あたしは――)
と、瓜子は覚悟を固めた。
グヴェンドリン選手は瓜子よりもフィジカルでまさり、とてつもない迫力の打撃技を持っていた。あのグヴェンドリン選手でさえミンユー選手に後れを取ったというのなら、瓜子はまったく異なる方面から攻めるしかなかった。
瓜子がグヴェンドリン選手にまさっているのは、機動力と技の引き出しの数である。
機敏な動きと多彩な技で、ミンユー選手のディフェンスを突破する。瓜子に思いつくのは、それだけであった。
瓜子は間合いの外で小刻みにステップを踏み、勢いをつけてから接近する。
とたんに関節蹴りを飛ばされてきたが、それは膝蹴りで応戦し、そのまま深く踏み込もうとした。
その瞬間――ミンユー選手の頭が、ふっと下降する。
今度こそ、テイクダウンを仕掛けてきたのだ。
反射的に、瓜子は右のアッパーを繰り出した。
すると、がら空きになった右のこめかみに重い衝撃が叩きつけられた。
そののちに、ミンユー選手が胴体に組みついてくる。
足を掛けられそうになった瓜子が大慌てでそれを回避すると、胴体の前面に体重をかけられた。
何とか倒れ込むまいと、瓜子は後方に千鳥足を踏む。するとたちまち、背中とフェンスが衝突した。
瓜子が両脇を差された体勢で、壁レスリングである。
瓜子は懸命に腰を落とそうと試みたが、ミンユー選手の頭が下顎をぐりぐりと圧迫してきた。
ミンユー選手が深く頭を下げたのは、両足タックルのフェイントであったのだ。
瓜子がそれに右アッパーを合わせようとすると、左のショートフックを当ててから胴体に組みついてきた。何もかもが、ミンユー選手の手の平の上であったのだった。
「腰を落として、差し返せ! 相手は足技も狙ってるぞ! 落ち着いて、ひとつずつ対処しろ!」
どうやら自分のコーナーの近くであったらしく、立松の声がより鮮明に響きわたる。
ただし、周囲の喚声はこれまで以上の勢いになっていた。瓜子の苦境に、大勢の人々が悲嘆の声を振り絞っているのだ。
瓜子が壁レスリングまで持ち込まれたのは、いったいいつ以来であろうか。
稽古ではお馴染みのポジションであったが、試合でこのような状態に陥るのは――それこそ、昨年までさかのぼってしまいそうだった。
(でもあたしだって、組み技の稽古を磨いてきたんだ! そう簡単には、倒れないぞ!)
頭を振って下顎への圧迫をそらしつつ、瓜子は何とか腰を落とす。足はどちらも右方向に向けて、側面をフェンスにぴったりと押し当てた。足とフェンスの間に相手の足をねじこまれないように、守るのだ。
そうして右腕を差し返そうと試みるが、相手のクラッチは固い。相手も瓜子の下顎に頭を押し当てながら大きく腰を落としているのに、瓜子の胴体を抱えた両腕には紙一枚の隙間もなかった。
不自然な体勢を強いられて、瓜子はどんどんスタミナを削られていく。
その間に、相手は瓜子の腿に膝をぶつけてきたり、背中をのばそうと下顎への圧迫を強めてきたり、身体を左右に揺さぶってきたりと、やりたい放題であった。
相手もまた、積極的にテイクダウンを狙おうとはしない。大きな動きで反撃されるリスクを負うよりも、瓜子のスタミナを削ることに注力しているのだろう。このままでいけばブレイクをかけられる公算が高かったが、その間に瓜子のスタミナは存分に削られるはずであった。
(首相撲を狙うには密着されすぎてるし、肘打ちを打つ隙間もない。膝蹴りを出したらテイクダウンを取られそうだし……これじゃあこっちも、動きようがない)
しかしミンユー選手は絶え間なくテイクダウンのプレッシャーをかけてくるので、瓜子も休んでいるいとまはない。頭を振り、腰を落とし、揺さぶりと膝蹴りに耐えているだけで、瓜子はどんどん消耗していった。
そんな時間が数十秒も過ぎてから、ようやくブレイクがかけられる。
ミンユー選手は悠然と身を引いて、ケージの中央に戻っていった。
瓜子は大きく息をつきながら、それを追いかける。すでに全身が汗だくで、身体のあちこちが熱く火照っていた。
(今度こそ、先に攻撃を当てるんだ)
レフェリーの「ファイト!」という声とともに、瓜子は大きく踏み込んだ。
すると、ミンユー選手はアウトサイドに逃げていく。瓜子はすかさず正対したが、前進は関節蹴りによって妨げられた。
瓜子は体勢を整えて、追撃を試みる。
そうすると、ミンユー選手のゆらゆらと動く手の先と視線のフェイントが、瓜子の足に歯止めをかけてきた。頭から突っ込めば、カウンターでテイクダウンを取られる――そんな危機感が、瓜子の心を縛るのだ。
(なんて自信だ……この選手は、今までこうやって勝ってきたんだな)
しかしそれでも、彼女は王座を失った。シンガポールの誰かが、何らかの手で彼女を打ち破ったのだ。
であれば瓜子も、自分の持っている武器で勝利を目指すしかない。下手に試合を長引かせれば、どんどん相手の術中にはまってしまうはずだった。
(……ユーリさんなら、ここで無軌道なコンビネーションを炸裂させるのかな)
そんな思いが、涼風のように瓜子の心を吹きすぎていった。
そして背後からは、「足を使え!」という立松のがなり声が聞こえてくる。
(押忍。そのつもりです)
瓜子はまだ、自分の為すべきことを為せていない。
機動力と多彩な技で、相手のディフェンスをこじあけるのだ。瓜子の活路は、そこにしかなかった。
インサイドはテイクダウンを取られる危険が増すため、瓜子はサウスポーにスイッチしながらアウトサイドに回り込む。
あちらは瓜子の試合映像を入手して、きっちり研究してきたのだろう。瓜子のスイッチに怯む様子もなく、ゆったりと逃げていく。
まずはカーフキックで、相手の動きを止めるべきか――そのように考えかけて、瓜子はすぐさま取りやめた。相手が瓜子の最近の試合を研究しているならば、カーフキックも警戒しているはずだ。そんな相手にうかうかと蹴りを出せば、それこそテイクダウンの餌食であった。
(あたしはもともと、パンチャーなんだ。まずは、そこから突き崩す)
瓜子は牽制の右ジャブを出しながら、アウトサイドに回り込んだ。
しかし相手は用心深く距離を取りながら、正対してくる。もはやこのラウンドのポイントは取ったので、逃げに徹してもかまわないという意識が垣間見えていた。
(でも、隙があったらテイクダウンを狙ってくるだろう。こっちだって、油断するもんか)
瓜子は深く腰を落とし、頭を振りながら、ひたすらアウトサイドにステップを踏んだ。
そうしてリズムを作ってから、インサイドに左足を踏み込みつつ、追い突きの左ストレートを射出する。
ミンユー選手は、スウェーバックでそれを回避した。
まんまとかわされてしまったが、相手もカウンターは狙えなかったので上出来だ。瓜子は右のショートアッパーで相手の組みつきを牽制しつつ、さらに深く踏み込んだ。
その瞬間、また危険信号が明滅する。
ミンユー選手の目や手の微細な動きが、瓜子の警戒心をかきたてたのだ。
瓜子はその警戒心をねじ伏せて、右のボディアッパーを繰り出した。
相手が組みつきを狙って前進してきたならば、これがヒットする。
しかし相手は、踏み込んでこなかった。同じ位置のまま、カウンターの左フックを繰り出してきたのだ。
瓜子はダッキングでそれをかわして、今度は前手でショートアッパーを繰り出した。
相手が軽くスウェーするだけで、それはかわされてしまう。わずか三センチの身長差で、瓜子は間合いを外されてしまっていた。
(その三センチを踏み越えれば、強い攻撃を当てられる)
瓜子は頭を沈めたまま、相手の懐にもぐりこもうとした。
すると、相手の右膝が振り上げられる。どうやらあちらは、テイクダウンの仕掛けを警戒していないようであった。
(あたしが試合でテイクダウンを成功させことなんて、数えるほどしかないもんな)
そんな思いを熱情にかえて、瓜子はそのまま踏み込んだ。
膝蹴りは、瓜子の胸もとに激突する。その衝撃をこらえながら、瓜子は相手の右膝を抱え込んだ。
二ヶ月前のグヴェンドリン選手と同じように、相手は瓜子の首を抱え込もうとする。カウンターのチョーク狙いだ。
二ヶ月前の瓜子は、それで組みつきを断念した。
しかし今回は怯むことなく、相手に突進した。
相手の腕がこちらの首を巻き取るより早く、瓜子は相手の腹に肩をぶち当てる。
そして、抱え込んだ右膝を大きくすくいあげて、残る左足に右足を引っ掛けた。
ミンユー選手は、背中からマットに倒れ込んだ。
シンガポールのトップファイターで、《ビギニング》の初代王者で、名うてのオールラウンダーで、守りの固いミンユー選手が、瓜子にテイクダウンを取られたのである。それはひとえに、瓜子が本気でテイクダウンを狙ってくることはないだろうという油断の産物であるはずであった。
(あたしだって、もう何年もテイクダウンの稽古を積んできてるんだよ!)
瓜子は猛然と、ミンユー選手に覆いかぶさった。
そしてその勢いを利用して、ミンユー選手の顔面に右拳を叩きつけた。
骨が骨を打つ硬い感触が、瓜子の拳から肩にまで伝わっていく。
そうして瓜子は胴体に絡みついてこようとするミンユー選手の両足を薙ぎ払い、後ずさった。
瓜子に追撃の意思はないと見て、レフェリーはミンユー選手に「スタンド!」と呼びかける。
ミンユー選手は、ことさらゆっくりと身を起こした。
その左目の下が、青黒く腫れている。たった一発のパウンドで、なかなかのダメージを与えることができたようだ。
それこそが、瓜子の求めた結果であった。
瓜子は一発のパウンドのためだけに、テイクダウンを敢行したのである。瓜子がそのような真似に及んだのはこれが初めてのことであったので、ミンユー選手の虚を突けたのだろうと思われた。
ミンユー選手が立ち上がると、「ファイト!」という声がかけられる。
それと同時に、瓜子は突進した。
今の攻防でまたかなりのスタミナを使ってしまったが、瓜子の攻撃はここからが本番であったのだ。
瓜子がサウスポーにスイッチしてアウトサイドに回り込むと、ミンユー選手は変わらぬ挙動で逃げようとする。
たった一発のパウンドで、そこまで深刻なダメージを負うことはないだろう。なおかつベテランファイターであれば、心もしっかり鍛えられているはずだ。
そんなミンユー選手の足もとに、瓜子は手をのばした。
ミンユー選手は弾かれたような勢いで、バックステップを踏む。あちらの頭に、テイクダウンを警戒するという条項がつけ加えられたのだ。
それこそが、瓜子の真の狙いであった。
もちろん相手も組み技を防ぐ稽古を積んでいようが、今日の試合に関しては打撃技のディフェンスに重きを置いていたはずだ。その計算に狂いが生じれば、つけいる隙が広がるはずであった。
瓜子はぜいぜいと息をつきながら、懸命にステップを踏む。
これまで以上の勢いで相手に接近し、右ジャブとテイクダウンのフェイントで牽制し――そしてまた、相手の足もとに手をのばした。
ミンユー選手は、バックステップを踏む。
瓜子は頭を屈めたまま、それを追った。意地でも足を取ってやる――という、嘘っぱちの気迫をあらわにしたつもりであった。
ミンユー選手は、さらにバックステップを踏む。
その背中が、フェンスにぶつかった。
瓜子のプレッシャーに負けて、目測を誤ったのだ。
瓜子は身を起こしながら、左のボディアッパーを繰り出した。
ミンユー選手の土手っ腹に、瓜子の左拳がめりこむ。
しかしミンユー選手も、頑丈なシンガポールのトップファイターである。その一撃で悶絶することなく、右のフックを返してきた。
それをダッキングで回避して、瓜子は右でボディフックを打ち込む。
それは左腕でガードされてしまったので、左のフックを射出した。
相手のガードの外側を通過して、瓜子の左拳がこめかみに突き刺さる。
それでもミンユー選手は、変わらぬ勢いで左フックを返してきた。
これは、かわせないタイミングだ。
瓜子は頭を左に振りながら、右フックを繰り出した。
おたがいの拳が、おたがいの頬にクリーンヒットする。ただし頭を振って衝撃を逃がした分、瓜子のダメージは軽微であった。
しかしミンユー選手も不屈の闘志で、瓜子に組みつこうと腕をのばしてくる。
その腹に、瓜子は再びの左ボディアッパーを叩きつけた。
さらに、右フックも連動させる。
そのどちらもがクリーンヒットであったが、ミンユー選手は倒れなかった。
間近に迫ったミンユー選手の双眸は、狂おしいほどに燃えさかっている。
その闘志に呼応して、瓜子はさらなる攻撃を振るった。
瓜子の左フックは、右腕でブロックされる。
同時に飛ばされた相手の左フックは、ウィービングで回避した。
そして瓜子は、右のボディフックをヒットさせる。
ミンユー選手の沈着な顔が、ゆっくりと苦痛に歪んでいった。
ゆっくりと、ゆっくりと――まるで、スローモーションのようにだ。
瓜子はここで、集中力の限界突破を迎えたようであった。
(でも、このままだとあたしのスタミナが先に尽きるかもしれない)
ミンユー選手は、グヴェンドリン選手に負けないぐらい頑丈であった。おそらくはディフェンスに長けているために、長きのキャリアを積んでいてもダメージの蓄積が少ないのだ。
それにやっぱり、反応速度もずば抜けている。瓜子の攻撃はいくつかクリーンヒットしていたが、彼女はそのたびに攻撃をくらう箇所に力を込めて、衝撃に耐えているのだった。
(それなら、予測できない攻撃を――)
そんな風に思考するのと同時に、瓜子は半歩だけ退いた。
そして、やや遠い距離から右ストレートを射出する。
狙いは正中線ではなく、ミンユー選手の右頬だ。
ミンユー選手は、瓜子から見て右側に頭を振った。
瓜子の攻撃が左にそれているので、そちら方向のほうが逃げやすいのだ。
その逃げた方向に、瓜子は右足を振り上げた。
渾身の、右ハイキックである。
瓜子の右ストレートも、多少はブラインドの役に立ったことだろう。
結果――瓜子の右の中足は、ミンユー選手の左頬にクリーンヒットした。
その頭蓋に詰まった脳を揺らすべく、瓜子は全身全霊で蹴り足を振り抜く。
ミンユー選手は背中をフェンスに削られながら吹っ飛び、そしてマットに倒れ伏した。
瓜子は自分の蹴りの勢いに負けて、一回転したのちに尻もちをついてしまう。
レフェリーは、厳粛な面持ちで両腕を交差させた。
その姿が、じょじょに正常なスピードに戻っていき――そして、無音であった世界に歓声が爆発した。
勝利者コールも英語であったため、瓜子には詳細もわからない。
ただ、『ウィナー! ウリコ・イカリ!』という言葉だけは、何とか聞き取ることができた。




