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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
27th Bout ~Big up~
707/955

05 メインカード

 プレリミナルカードの最後の一戦、男子ミドル級の試合は、オランダ出身である《ビギニング》陣営のKO勝利であった。

 ここまでは、日本陣営とシンガポール陣営が三勝ずつ分け合った格好である。そして勝ち星をあげた内の二試合は、女子選手によるものであったわけであった。


「しかしまあ、対抗戦の結果まで気にかける必要はない。こっちは、目の前の試合に集中するだけだ」


 立松はそのように言っていたし、瓜子もそのつもりであった。ただ恥ずかしい試合だけは見せないようにと奮起するばかりである。

 そうしてここからはメインカードとなるため、生中継の放映時間に合わせて午後七時まではインターバルだ。メインカードの第二試合を預かる瓜子は、いよいよ本格的に熱を入れる時間であった。


 やがて午後七時が迫ってきたならば、スタッフの誘導で入場口の裏手に向かう。まずは、開会セレモニーである。

 すると――その手前で、二つの人影が待ち受けていた。

 巾木選手と横嶋選手の両名だ。誘導役のスタッフは、うろんげな面持ちで瓜子たちをかばうようなポジションを取った。


「どうされました? 試合を終えた方々は、控え室で待機をお願いします」


「まあまあ。同じ女子選手として激励したいだけだから、固いこと言わないでよぉ」


 虫も殺さない笑顔で応じたのは、横嶋選手だ。

 いっぽう巾木選手は、試合中と変わらない勇猛なる面持ちで瓜子たちの姿をにらみ据えている。


「……あんたたちは余所者じゃっどん、日本陣営ん代表としてみっともなか試合を見すっんじゃなかど?」


 瓜子は「押忍」とだけ答えておいた。

 すると、横嶋選手がにこにこと笑いながら言葉を重ねてくる。


「あと、できれば一ラウンドで仕留めてくれるかなぁ? 生中継の試合がさっさと終われば、わたしたちの試合も放映されるチャンスだからさぁ」


 放映時間が余った場合は、プレリミナルカードの録画映像が放映されるのだ。それは瓜子もわきまえていたが、こんな要求を持ち出されるのは想像の外であった。


「善処するよ。それじゃあこっちも、時間があるんでね」


 仏頂面をした立松がスタッフを急き立てて、進軍を再開させた。

 瓜子とユーリ、そしてジョンもそれを追いかける。横嶋選手たちもそれ以上は口を開こうとはせず、無言でこちらの姿を見送った。


「巾木選手はともかく、横嶋選手ってのはクセモノだな。あんなもんは、相手にするんじゃないぞ」


「あはは。巾木選手はいいんすか。やっぱり立松コーチは、不愛想なお人が嫌いじゃないみたいですね」


 瓜子が思わず笑ってしまうと、立松は「うるせえよ」と苦笑した。

 まあ、瓜子も巾木選手に悪い印象は持っていない。それに先刻の横嶋選手も、一色ルイほどの警戒心はかきたてられなかった。人を食った態度ではあるが、悪意は感じられないのだ。


(ライバル心だとか対抗心ぐらいは持ってるのかもしれないけど、それぐらいは普通の話だしな)


 そうして瓜子たちは、目的の場所に到着した。

 男子選手でメインカードに出場するのは、ヘビー級とフライ級とライト級の三名だ。ウズベキスタン出身であるという《パルテノン》のヘビー級王者は、やはりなかなかの巨体と迫力であった。


 そちらと並ぶと、フライ級の選手などは子供のように小さく見えてしまう。まあ、ウェイトでは倍ほどの差があるのだから、それが当然であろう。また、彼は《アクセル・ファイト》の元王者と対戦する役割であるため、とてつもなく緊迫の気配を撒き散らしていた。


「間もなく開会セレモニーが開始されます。試合の順番で整列をお願いします」


 スタッフの指示で、瓜子たちは整列した。

 トップバッターはヘビー級、二番手は瓜子、三番手はフライ級、四番手はユーリ、大トリはライト級だ。

 瓜子が目前の大きな背中を眺めていると、顔の下半分に茶色い髭をたくわえたその選手がにわかに視線を向けてきた。


「あの……あとでサイン、オッケーですか?」


 ずいぶんと流暢な日本語で、その人物はそのように語りかけてきた。

 彼の試合はもう目の前に迫っているというのに、なかなかの心臓である。瓜子はまた、つい笑ってしまった。


「押忍。ペンを握る余力があったら、承ります」


「ありがとうございます」と目もとで笑いながら、巨体のウズベキスタン人はお辞儀をした。

 そうして、いざ入場の時間である。

 盛大なBGMとともに、歓声が爆発する。やがてスタッフから入場の合図を受けたヘビー級の選手は、ひとつ巨体を揺すってから扉の向こうに消えていった。


 青コーナー陣営の入場を待って、次が瓜子の出番だ。

 スタッフの「どうぞ」という案内で足を踏み出すと――とたんに、大量のスモークが左右から押し寄せてきた。


 いちおう事前に段取りは聞いていたが、このような演出は初めてであったので思わず立ちすくんでしまう。

 それから瓜子があらためて足を踏み出すと、色とりどりのスポットと大歓声が五体を包み込んできた。


 このたびの興行では、花道が高い足場で組まれている。一階席のお客たちから見上げられる格好で、試合場に向かうのだ。

 さらに二階のアリーナ席にもお客が陣取っているため、もう上下左右から歓声と拍手をぶつけられる格好である。それで心を乱されることはなかったものの、なかなか普段とは異なる趣であった。


 本日も、「瓜子!」や「うりぼー!」と名前を呼んでくれる人々がいる。

 懇意にしている人々はみんなテレビで観戦しているので、それらはすべて見知らぬ人々だ。所定の位置まで歩を進めた瓜子は、精一杯の気持ちを込めて一礼してみせた。


 そして青コーナー陣営からは、《ビギニング》の男子フライ級王者が入場してくる。

 そちらは《アクセル・ファイト》の元王者であるため、知名度も高いのだろう。ただ、歓声の質量は瓜子と同程度であった。


(王者だったんなら、《アクセル・ファイト》でもメインを飾ってたりしてただろうにな)


 それが今回は、メインカードの三試合目である。

 しかしその選手はきわめてにこやかな表情で手を振っており、気分を害している様子もなかった。褐色の肌に坊主頭と髭面という風貌で、おそらくは南米の生まれであるのだろう。もとより陽気な人柄なのかもしれないが、いかにも自信にあふれているたたずまいであった。


 そして、日本陣営のフライ級の選手とエイミー選手に続いて、ユーリが入場すると――これまでで一番の歓声がわきたった。

 ユーリはいつもの調子で両手をひらひらと振りながら、花道を闊歩している。格闘技のみならず音楽活動でも経験を積んだユーリであるので、どれほどの熱狂を向けられても怯むことはないのだろう。その白い面は、ひたすら無邪気に喜びの思いをあらわにしていた。


 そうしてライト級の両選手も入場したならば、司会役の人物が挨拶の声をあげる。それは英語で語られた後、日本語で通訳されていた。

《ビギニング》は来年三月で七周年を迎えること、本日はその前哨戦であり、日本とシンガポールの精鋭たちが集結していること――そんな内容が、仰々しい言葉で綴られていく。それがまた、うまい具合に観客たちの期待と熱狂を煽っているようであった。


 選手の側にマイクが回されることもなく、それでセレモニーは終了する。

 瓜子たちは入場と逆の順番で退場し、入場口の裏手に舞い戻った。


 そちらには、第一試合のセコンド陣が手ぐすねを引いて待ちかまえている。

 ウズベキスタン出身の彼は日本のジムに所属しているらしく、セコンド陣はみんな日本人だ。その邪魔にならないように、瓜子たちはすみやかに控え室を目指した。


「お疲れさん。いよいよ、本番だな」


 控え室では、柳原が頬を火照らせていた。

 瓜子のセコンド陣は、立松、柳原、メイの三名となる。本日は前の試合が終わってからスタッフが誘導するまで動く必要はないと申しつけられていたので、最後のウォームアップも控え室で行う段取りであった。


 瓜子は立松の構えたキックミットに、パンチとキックを軽く打ち込んでいく。

 いっぽうユーリは、マットでのびのびとストレッチに励んでいた。


「今日も緊張とは無縁みたいだな。心強い限りだぜ」


「押忍。ここまできたら、慌てる理由もありませんしね」


 瓜子は本日も、沈着な心持ちであった。

 もちろんそれでも、試合に対する熱情はぐんぐん高まっている。あとは、それを解き放つ時間を待つばかりであった。


 そうしてウォームアップに励んでいると、モニターからひときわ大きな歓声が伝えられてくる。

 瓜子が手を止めてそちらを振り返ると、あのウズベキスタン生まれの選手が大の字にひっくり返っていた。残念ながら、彼はKO負けを喫してしまったようだ。


「あっちも《ビギニング》の王者だったからな。さすがに荷が重かったか」


 本日は王者かそれに匹敵するトップファイターが集められていたが、王者同士の対戦というのは男子ヘビー級のみであったのだ。勝利をあげたあちらの王者は、氷のような無表情で丸太のような右腕を振り上げていた。


「日本のヘビー級だと、対戦相手を見つくろうのもひと苦労だからな。潤沢な資金で選手を呼べる《ビギニング》のほうが、層が厚いってことだ」


「ふん。そんなもん、デカブツに限った話じゃねーだろ」


 サキの気安い返答に、立松は「そうだな」と雄々しく笑った。


「どんなに分厚い壁でも、お前さんだったら突き破れる。いつも通り、全力でぶち破ってこい」


「押忍。頑張ります」と瓜子が答えたとき、控え室のドアがノックされた。


「それでは、入場の準備をお願いします」


 瓜子は慌てて、マットのほうを振り返る。

 しかしユーリは、すでに瓜子の背後に忍び寄っていた。


「うり坊ちゃん、頑張ってね。ユーリはまばたきもせずに見守っているのです」


「はい。でも、ウォームアップを優先してくださいね」


 瓜子が拳を差し出すと、ユーリは両手でそれをつかんできた。

 おたがいに分厚いグローブをはめているが、ユーリの温もりが流れ込んでくるかのようだ。

 数秒ばかり笑顔で見つめ合ってから、瓜子は控え室の外に出た。


 ウズベキスタンの選手はもう自分の控え室に戻ったらしく、入場口の裏手にはスタッフの姿しかない。そのスタッフは真剣な面持ちでインカムの指示を受けながら、扉に手をかけていた。


 今ごろテレビでは、CMが流されているのだろう。昨年の《JUFリターンズ》でも、こういう場面は随所で見受けられた。

 しばらくして、扉の向こうから歓声が響きわたる。青コーナー陣営のミンユー選手が入場を始めたのだ。


 しばらくして、スタッフが「どうぞ」と扉を開けた。

 これまで以上の勢いで、歓声が通路になだれこんでくる。瓜子はひとつ息を整えてから、その中に足を踏み込んだ。


 開会セレモニーのときと同じように、左右からスモークが吹きつけられてくる。

 歓声とともに響きわたる入場曲は、もちろん『ワンド・ペイジ』の『Rush』だ。

 山寺博人のしゃがれた歌声に身をひたしながら、瓜子は花道に歩を進めた。


 ほんの十数分前と同じように、大歓声が四方八方から押し寄せてくる。

 最近はこれほど開会セレモニーから間を空けずに試合を行う機会がなかったため、なかなか新鮮な心地だ。

 そんな心地を楽しめるぐらい、瓜子は落ち着いていた。


 花道の最果てには下りのステップが設置されているので、足を踏み外さないように気をつけながら降りて、ボディチェック係のもとに向かう。

 その手前でウェアとシューズを脱ぎ、マウスピースをくわえて、セコンド陣と拳をタッチさせた。

 立松は気合の入った顔、柳原は昂揚した顔、メイは無表情で黒い瞳だけを強く輝かせている。それらのセコンド陣の眼差しが、瓜子の心を静かに鼓舞してくれた。


 顔に薄くワセリンを塗られて、手足の状態とマウスピースの有無を確認されて、いざ八角形へのケージへと足を踏み出す。

 そちらのステップを乗り越えてマットに足を踏み入れると、さらなる大歓声が渦を巻いた。


 アリーナ会場ならではの、わんわんと反響する大歓声だ。

 わずか一年でそれを三回も体験できることを、光栄に思うべきなのだろう。少なくとも、この一年で《JUFリターンズ》と《アクセル・ジャパン》と《ビギニング》にすべて出場した選手など、瓜子の他には存在しないはずであった。


 壮年のリングアナウンサーが、英語で試合前のアナウンスを開始する。

 やはり本日も、瓜子にはその内容がほとんど聞き取れなかった。

 ただ、自分の紹介の場面で、《アトミック・ガールズ》と《フィスト》という言葉が流暢な英語で語られた。おそらくは、瓜子がその両団体の王者であることが紹介されたのだ。《アクセル・ジャパン》では語られなかった言葉であったので、その瞬間だけ瓜子は胸を高鳴らせてしまった。


『フロム、トーキョー・ジャパン! シンジュク・プレスマン・ドージョー……ウリコ、イカリ!』


 最後にその一文を聞き届けて、瓜子は右腕を頭上に掲げた。

 また大歓声が、高い天井に反響する。そして、「瓜子!」の名前が連続でコールされた。


 自分の名を呼ぶ大合唱の中、瓜子はレフェリーのもとに歩を進める。

 その眼前に、ミンユー選手が立ちはだかった。


 二ヶ月前に相対したグヴェンドリン選手とは異なり、きわめて沈着な面持ちだ。周囲に吹き荒れる瓜子のコールにも動じる気配はない。

 身長は百五十五センチ、ウェイトはリミットいっぱい、年齢は三十歳となる。年を重ねるごとに減量後のリカバリーはきつくなるはずだが、グヴェンドリン選手に負けないぐらい逞しい体格をしていた。少なくとも、五キロ以上はリカバリーしているようだ。


 どちらかといえばレスラー体型で、首も腰も太い。頭はざっくりとしたショートヘアーで、角張った顔は無表情、ただ黒い目だけが炯々と光っている。

 赤を基調にしたハーフトップとファイトショーツで、胸もとには『addison』とプリントされている。彼女は巾木選手に敗れたユーシー選手と同じく、アディソンMMAファクトリーというジムに所属していた。


《ビギニング》の初代王者というだけあって、なかなかの風格である。

 ただ、静謐ながらもその身からは濃密な気迫がたちのぼっており――それが瓜子の心をこの上なく研ぎ澄ましてくれた。


 レフェリーにうながされて、瓜子は両方の拳をミンユー選手に差し出す。

 ミンユー選手は落ち着いた挙動で、グローブに包まれた拳を瓜子の拳にぎゅっと押しつけてきた。


 そんなミンユー選手の姿を見据えたまま、瓜子はフェンス際まで引き下がった。

 大歓声に負けじと、立松が声を張り上げてくる。


「いつも通り、慎重に距離を作っていけ! テイクダウンには気をつけろよ!」


 スタミナの確保のために大声はあげず、瓜子は右腕を上げることで立松に応える。

 そして、試合開始のブザーが鳴らされたのだった。

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