02 入場
十二月三十一日――瓜子とユーリが出会ってから、四度目の大晦日である。
最初の大晦日ではユーリが右腕を負傷していたため、サキや理央をマンションに招いてひっそりと鍋をつつくことになった。その夜に放映された《JUFリターンズ》で、瓜子たちは初めてメイの姿を見ることになったのだ。
二度目の大晦日では、そんなメイも含めて三人で過ごすことになった。その年にはさまざまな女子選手と懇意になり、ともに《カノン A.G》の騒乱を乗り越えることになったのだ。さらには『トライ・アングル』も結成に至り、大晦日の前日には年越しフェスに出場していた。瓜子とユーリにとっては、一気に世界が開けたような年であった。
三度目の大晦日は《JUFリターンズ》で赤星弥生子と対戦したのち、山科医院の病室でユーリと二人きりの時間を過ごすことになった。これほど鮮烈な思い出というのは、なかなか他に類を見ないことだろう。なおかつ、あれから一年も過ぎたというのが、なかなか信じ難いところであった。
そうして、本年である。
今回は、ユーリと二人で《ビギニング》に挑むのだ。
おそらくは、これも昨年に負けないぐらい鮮烈な思い出として、瓜子の心に刻みつけられるのだろうと思われた。
「大事な大事な大晦日にまでご面倒をおかけしてしまって、ユーリは恐縮の限りなのですぅ」
会場に向かう車中でユーリがそのように述べたてると、後列のシートに収まっていたサキが「うるせーよ」と後頭部を小突いた。
「だったら、感謝の気持ちを現物で示しやがれ。あー、ひさしぶりに焼き肉でも食いてー気分だなー」
「あうう……それでサキたんの無念が晴れるのでしたら、いくらでも……」
「あん? アタシの無念が、なんだって?」
「ですから、その……サキたんは理央ちゃんを筆頭とするみなさまと楽しい楽しい大晦日を過ごしたかったのでありましょうから……」
「だから、うるせーってんだよ。あんなガキどもに囲まれて、何が楽しいってんだ」
「暴力は禁止なのです! サキセンパイは、理不尽に過ぎるのです!」
「こんな大一番でも、騒がしさに変わりはねえな。まあ、《アクセル・ジャパン》でもそいつは知れてたけどよ」
毎度お馴染みハンドルを握るのは、立松の役割だ。
二名の選手と六名のセコンド陣では一台のワゴン車に収まらないので、ジョンとメイと柳原は別のワゴン車で追従している。メイが瓜子のそばを離れるというのはちょっと珍しい話であったが、最近はコーチ陣とも親密であるし、海外の生まれであるジョンとはとりわけ交流が深まっているようであった。
いっぽうこちらは瓜子とユーリ、サキと愛音、そして立松という顔ぶれであるので、気安さの極致である。
そんな騒がしい一行を乗せて、車はやがて会場に到着する。瓜子にとっては三度目となる、さいたま新都心の『ティップボール・アリーナ』だ。今回も、集客は一万二千名前後であるという話であった。
「日本ではマイナーな興行なのに、踏ん張ったよな。しかも地上波で生放送とは、大したもんだ」
「やっぱり、スチットさんの企画力なんすかね。世間的には、『アクセル・ジャパン』より話題になってるって話じゃないっすか」
「そもそも『アクセル・ジャパン』は、BSチャンネルでしか放映されてなかったしな。あとはやっぱり、日本vsシンガポールってお題目がウケたんだろう。しかも、日本きっての人気選手が二人も出場するからよ」
「へえ。誰と誰っすか?」
瓜子が何気なく問い返すと、立松は呆れた顔をして、サキが横から頭を小突いてきた。
「立松っつあぁんが全力で盛り上げようとしてんのに、スカしてんじゃねーよ。おめーら以上の客寄せパンダがこの世に存在するとでも思ってんのか?」
「え、あ、自分たちのことだったんすか? でもやっぱり、格闘技の興行は男子選手がメインなわけっすから……」
「そりゃあ男連中だって、もちろん充実してるさ。《パルテノン》の王者とそれに匹敵するトップファイターが駆り出されてるんだからな。……いいから、出発するぞ」
苦笑を浮かべた立松の号令で、セコンド陣が荷物を引っ張り出す。二ヶ月前と、同じような光景だ。わずか二ヶ月で再びこのような大舞台を迎えようとは、なかなか想像の及ぶものではなかった。
しかし今回は生活時間を調整する必要もなかったので、心持ちは《アトミック・ガールズ》に出場する際とさほど変わらない。入り時間も、普段より二時間早いていどであった。
一時間はシンガポールとの時差で、もう一時間はビッグイベントゆえのゆとりをもったスケジュールである。シンガポールでは午後の六時から、日本では午後の七時から、それぞれ主要の試合が生中継される予定になっていた。
「で、おめーらの試合にまたばんばか金が賭けられてるわけだなー。それがあるから、シンガポールでは格闘技が流行ったんじゃねーか?」
「ああ。確かに、本国で胴元を受け持てるってのは、恩恵がでかいんだろうな。賭博にうるさい日本じゃあ、真似のしようもないけどよ」
サキと立松は、そのように語らっていた。ギャンブルに疎い瓜子には縁遠い話であるが、格闘技に限らずスポーツの試合を賭けの対象とすることを許されている国は、ずいぶん少ないようであるのだ。北米においても、州ごとに違法か合法かが分けられているらしい。スポーツ賭博は八百長を増長しかねないという論調で、そのように取り決められているようであった。
まあ、どの国でどれほどの金額が賭けられようとも、瓜子は自分の試合に集中するのみである。にこにこと笑うユーリの姿に心を満たされながら、瓜子は会場を目指すことにした。
関係者専用の入り口では厳重に身分をチェックされ、中に通される。やはり《アトミック・ガールズ》などと比べると警備員の数も多めであったが、どこを見回してもアジア人ばかりであったので、《アクセル・ジャパン》よりは《JUFリターンズ》に近い雰囲気であった。
今回も控え室は瓜子とユーリの相部屋であったため、ユーリのご機嫌はいっそう麗しくなっていく。そちらに荷物と上着を片付けて、早々に試合場まで出向くことにした。
「今日の日本陣営は《パルテノン》が主体だから、誰も彼も馴染みが薄いんだよな。とにかく、おかしな騒ぎだけは起こすんじゃないぞ?」
試合場に向かう行き道で、立松はそんな風に言っていた。
《パルテノン》というのは、《フィスト》や《NEXT》と並んで国内の三大勢力と称されるMMA団体である。その中で《フィスト》は頭ひとつ飛びぬけた規模であり、残る二団体では格式の《パルテノン》と話題性の《NEXT》などと称されているようであった。
MMA団体の格式というのはよくわからないが、とりあえず《パルテノン》は長きの歴史を誇っている。《パルテノン》は、かつて赤星大吾が猛威を振るった格闘系プロレス団体たる《ネオ・ジェネシス》から派生した団体であったのだ。
《ネオ・ジェネシス》から離脱して設立されたのが《フィスト》、《ネオ・ジェネシス》の崩壊後に設立されたのが《レッド・キング》や《パルテノン》となる。つまり《パルテノン》は、《レッド・キング》と同程度の歴史を持っているのだ。ドッグ・ジムの名コーチたる大和源五郎も、当初は《パルテノン》を主戦場にしていたのだった。
「というか、大吾さんが《レッド・キング》を立ち上げたとき、日本人選手でついていったのはデビュー前の犬飼くんただひとりだったからな。《ネオ・ジェネシス》の主力選手は新しい格闘系プロレス団体を立ち上げて、有望な若手選手の一団が《パルテノン》を設立した。で、最初の頃は大和さんも若手選手を支えるために《パルテノン》で踏ん張ってたが、途中で離脱して《レッド・キング》に参戦したんだ」
「ああ……大和さんは犬飼さんと仲がよかったから、《レッド・キング》に移ってきたって話でしたね」
「ああ。それに、《パルテノン》は新進気鋭の気風が強くってな。当時からベテランの部類だった大和さんには、居心地の悪い面もあったんだろう。そのぶん、《パルテノン》は現代MMAに対する対処も早かった。だから、格闘技ブームが終わっても潰れることなく、新興団体の《NEXT》とも正面から渡り合うことができたんだろう」
格闘系プロレスをルーツにしているということは、現代MMAと異なるルールに慣れ親しんでいたという意味でもあるのだ。《レッド・キング》がその波に呑まれて衰退してしまったことを思えば、立松の言葉も理解しやすかった。
「だけどまあ、若い選手には関係ないこった。海外進出にこぎつけた選手の数も、《NEXT》より《パルテノン》のほうが上回ってるぐらいだろう。今日出場する連中も、男女問わず粒ぞろいのはずだぞ」
「押忍。アトミックとご縁のなかった女子選手には、興味をひかれちゃいますね」
本日は、日本とシンガポールの対抗戦という形式になっている。その中で、瓜子とユーリの他に二名の女子選手が出場するのだ。その両名は地方の住まいであることもあって、《アトミック・ガールズ》とはいっさい関わっていなかったのだった。
「その片方は、とっくに上京してるって話だがな。もうこうやって《ビギニング》に出場できる見込みが立ってたから、アトミックに参戦する甲斐もなかったんだろう。そいつなんかは、かなりの実力のはずだぞ」
だからこそ、瓜子もそれらの女子選手が気になっていたのである。
なおかつ、昨日の前日計量は大々的にネット配信されていたものの、主体となるのはスタジオの解説席のほうであり、計量の現場は粛々と事務的に作業が進行されて、他のジムの面々とは挨拶を交わす機会もなかった。他なる女子選手たちと顔をあわせるのも、今日が初めてのこととなるのだ。
そうして一行が試合場に到着すると――それを待ちかまえていたように、わらわらと近づいてくる一団があった。
「わあ、ほんとにユーリちゃんと瓜子ちゃんだぁ。今日はどうぞよろしくねぇ」
その中から、ちまちまとした女性が和やかな笑顔を届けてくる。
すると、それとは対照的に険しい顔をした女性も進み出てきた。
「ふん。近うで見っと、いっそう軟弱な面がまえやな。雑誌ん表紙で見るアレは、CG加工じゃなかってんわけか」
顔をあわせるのは初めてだが、その姿は《ビギニング》のウェブサイトやポスターなどで見知っている。その両名こそが《パルテノン》を代表する女子選手に他ならなかった。
「どうもどうも、お騒がせしちゃって。今日はよろしくお願いしますよ、プレスマンのみなさんがた」
と、壮年の男性がにこやかに笑いかけてくる。
物腰はやわらかいが、なかなか渋みがかった男前だ。その体躯も、現役選手さながらに引き締まっていた。
「ギガント鹿児島の、山岡です。こっちはうちの門下生で、巾木祥。そちらさんは本部道場の、横嶋菜緒さんです」
険しい顔つきをしたほうが、女子フライ級の巾木選手である。かなりがっしりとした体格で、身長は百六十センチぐらいであろうか。顔立ちもごつごつとしているが、鼻筋はすっと通っているので、思わず男前と称したくなる風貌だ。なんとなく、多賀崎選手に勇猛さを上乗せさせたような雰囲気であった。
いっぽう女子アトム級の横嶋選手というのは瓜子と同程度の背丈であり、なかなか可愛らしい顔立ちをしている。アップにまとめた髪も明るく染められており、実に華やかな雰囲気だ。ただ、きわめてにこやかに笑いながら、どこか裏のありそうな空気も感じられてならなかった。
「わたし、『トライ・アングル』のファンなんですよぉ。それに、瓜子ちゃんもすっごく可愛いなぁって前々から注目してたんですぅ。二人がそろうと、華やかさも倍増ですねぇ」
そんな言葉を並べたててから、横嶋選手はくりんとサキのほうに向きなおった。
「それでそっちは、アトミックのアトム級王者サキさんですよねぇ。アトム級に転向したんなら、こっちの興行でご一緒したかったですぅ」
「はん。いいトシこいて、ぶりっこキャラかよ」
サキがぶっきらぼうな言葉を返すと、立松が「やめろ馬鹿」と頭を引っぱたいた。
「いや、失礼な口を叩いちまって、申し訳なかったね。こいつはこういうやつなんで、どうか気を悪くしないでくれ」
「あははぁ。サキさんって、ワイルドなキャラなんですねぇ」
横嶋選手は気を悪くした様子もなく、にこにこと笑っている。
ただ、無邪気さや善良さではなく、ふてぶてしさでサキの暴言を受け流したように感じられる。笑顔で内心を隠すというのは、大江山すみれを連想させたが――その笑顔から垣間見える不敵さは、一色ルイを思い出させた。
(まあ、あの娘さんほどタチは悪くない……といいんだけど……)
ともあれ、本日は彼女たちがともに日本の女子選手の代表として出場するのである。
MMAは個人競技であるので、無理に仲良くする必要はないわけであるが――何にせよ、ともに最高の結果を目指したいところであった。




