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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
27th Bout ~Big up~
692/955

03 前半戦

 第三試合は、武中選手と山垣選手の一戦である。

 かたや若手のトップファイター、かたや黄金世代のトップファイターだ。武中選手は《NEXT》を主戦場にする外様の選手であったが、ここ最近は《アトミック・ガールズ》の常連であるし、誰が相手でも勢いのある試合を見せていたので、客席から多くの歓声を獲得できていた。


 こちらの両選手は戦績も悪くなかったが、どちらも波に乗り切れていないという印象になっている。格下の選手には負けていないものの、トップファイター同士の対戦では勝ち星をつかめずにいるのだ。直近では、武中選手は鞠山選手に、山垣選手は灰原選手に敗れていた。


 まあ瓜子の目から見ても、この階級において鞠山選手と灰原選手の力は際立っている。それに追いすがるのはどちらかという観点で見ると、これも立派なサバイバルマッチであった。


「二人ともイケイケだから、どっちが勝っても面白い試合になりそうだねー! キヨっぺに頑張ってもらいたいところだけど、どうなるかなー!」


 両選手に勝利した経験のある灰原選手は、出番の近い多賀崎選手とともに控え室を出ていこうとする道すがらで、そんな風に評していた。

 灰原選手の言う通り、試合は序盤から激しい打撃戦の展開となる。二人はどちらもストライカーであったし、山垣選手のほうはラフファイターでもあったのだ。彼女との試合でサキが大流血したことを、瓜子はいまだに忘れていなかった。


 武中選手は熱血の部類であるため、そんな山垣選手が相手でも怯むことなく殴り合っている。

 それに、組み技や寝技に関して分があるのは、武中選手のほうであるはずだ。ゴールデンウイークや夏の合宿でも、彼女は確かな成長を見せていた。


 だが――山垣選手は武中選手にテイクダウンを許さず、ひたすら得意な打撃戦のフィールドに留まらせた。

 そうして時間が進むごとに、戦況はじわじわと傾いていく。テイクダウンを切られた武中選手よりも、テイクダウンを防いだ山垣選手のほうがリズムをつかめたようであった。


 そうして、二ラウンド目――山垣選手の右フックが、ついにクリーンヒットした。

 上体を泳がせた武中選手は、ダウンをこらえるように組みつこうとする。それを首相撲でとらえた山垣選手は何発もの膝蹴りを叩き込んだのち、武中選手の身を突き放して、さらに右フックをクリーンヒットさせた。


 武中選手が力なく倒れ伏すと、その時点でレフェリーが試合終了を宣告する。

 武中選手はすぐさま起き上がって抗議をしたが、ただ真っ直ぐ立てていない。それに、一度くだされた裁定がくつがえることはありえなかった。


 山垣選手の、貫禄勝ちである。ひさびさに、ベテランファイターが意地を見せた試合であった。


「やっぱりこいつは、波に乗せると厄介だなー。負けるときはコロッと負けるくせに、誰に勝ってもおかしくないしぶとさを持ってやがるぜ」


 まだパイプ椅子に陣取っていたサキは、そんな風に評していた。

 やがて控え室に戻ってきた武中選手は、乱打戦によって大きく顔を腫らしてしまっている。ただその目には、試合前と変わらない熱情が渦巻いていた。


「やっぱりアトミックは、レベルが高いですね! わたしも見切りをつけられないように、頑張ります!」


 彼女は中堅の筆頭格である奥村選手に勝利したことでトップファイターの名を冠されたが、その後は中堅の選手にしか勝利できていないのだ。アマチュアの時代から堅実に戦績を重ねてきた彼女であるが、ストロー級の分厚い壁に進路を阻まれた感が否めなかった。


 しかし、そうであるからこそ、彼女もこうして意欲を燃やしているのだろう。灰原選手を追いかけて《アトミック・ガールズ》に乗り込んできた彼女は、逆境を乗り越えることに大きな意義を見出しているのだ。瓜子も心して、彼女の今後を見守らせていただく所存であった。


 そして次は、フライ級のトップファイター同士の対戦――多賀崎選手と時任選手の一戦である。

 少しずつウォームアップのギアを上げながら、瓜子はこちらの試合も見過ごすことができなかった。


 かつてはストロー級の黄金世代でありながら長期欠場の後には結果を残せず、フライ級に転向してからはゆっくりと調子の上がってきた時任選手と、二年ほど前から力をつけて《フィスト》の王者にまで成り上がり、ついには『アクセル・ロード』に招聘されるまでに至った多賀崎選手だ。試合内容には派手さのない両名であったが、いぶし銀対決とでも銘打ちたいようなマッチメイクであった。


 ここ最近の戦績で言うと、時任選手はオリビア選手に勝利しており、多賀崎選手はマリア選手に敗北している。順当にステップアップしている時任選手と、連勝記録にストップがかけられた多賀崎選手の一戦という見方もできるのだ。これは、次期の王座挑戦にも関わる重要な試合であるはずであった。


「さー、こいつはこいつで厄介だなー。カタブツ女があののらくら戦術をぶち破れるかどうかだ」


 サキは、そんな風につぶやいている。普段は素っ気ない態度であるが、もちろんサキも多賀崎選手の目線に立ってくれているのだろう。言うまでもなく、瓜子も長年の朋友である多賀崎選手を応援する立場であった。


 しかし時任選手というのは、厄介な選手である。名うてのオールラウンダーであるが、一番の得意技はのらくらと試合を進めて判定勝利をおさめることであるのだ。それでオリビア選手にも勝利できたのだから、決して侮ることはできなかった。


 そんな時任選手に対して、多賀崎選手はまずアウトスタイルで迎え撃つ。多賀崎選手ならではの、力強くてごつごつとしたステップワークだ。

 しかし時任選手は慌てず騒がず、的確に対処している。多賀崎選手にクリーンヒットを許さず、自分もクリーンヒットできていなかったが、より多くの手数を出してポイントを稼いでいた。


 多賀崎選手はすぐさま戦法を切り替えて、今度はインファイトに持ち込もうとする。

 すると今度は時任選手のほうが距離を取り、遠い距離から牽制の攻撃を当てた。時任選手は下から階級を上げた身であるが、身長は二センチしか変わらないのだ。そして手足は、時任選手のほうが長いように感じられた。


 多賀崎選手がテイクダウンを仕掛けても、時任選手は簡単には倒れない。オールラウンダーである彼女は、何よりディフェンスに長けていた。

 そのまま大きな山場もなく、第一ラウンドは終了する。どちらもダメージらしいダメージはないが、手数の差でポイントは時任選手のものであろう。これこそが、彼女の勝ちパターンであった。


「さて、ここから踏ん張れるかどうかだなー」


「でも、インファイトでもアウトファイトでもあんなひょいひょいかわされたら、リズムがつかめないッスよねー。あたしだったら我慢が切れて、頭から突っ込んじゃいそうッスよー」


「おめーはいつでも頭から突っ込んでるだろーがよ。あのカタブツ女は、そこまで短気じゃねーだろうなー」


 セコンドの蝉川日和を相手に、サキはそのように言いたてている。

 瓜子も、それは同感であった。多賀崎選手は熱い闘志を秘めているが、きわめて沈着で我慢強い人間でもあるのだ。


 そんな多賀崎選手が選んだのは――中間距離による打撃の交換であった。

 組み技のアタックはひとまず取りやめて、中間距離でひたすら打撃技を振るう。ディフェンスに長けた時任選手はすべて難なくブロックしていたが、明らかに手数は多賀崎選手のほうがまさっていた。


「ふふん。相手のスタイルを崩すんじゃなく、それに乗っかったわけか。こいつは、ちょいと見ものだなー」


 多賀崎選手が延々とその戦法を続けると、今度は時任選手のほうがテイクダウンを仕掛けてきた。

 しかし多賀崎選手も、レスリングは得手中の得手である。組み技になっても優位を譲らず、最後には相手を突き放して、また打撃戦に舞い戻る。多賀崎選手の側からテイクダウンを狙う気は、さらさらないようであった。


 そうして、第二ラウンドは終了する。

 やはりおたがいに大きなダメージはないが、今回は手数の差で多賀崎選手がポイントを取ったことだろう。ただしその分、スタミナを消耗したのも多賀崎選手のほうであった。


 そして、第三ラウンドであるが――ここでも多賀崎選手は、戦法を変えなかった。中間距離を保持しての、打撃戦だ。

 中間距離というのは、神経が削れるものである。一歩の踏み込みでおたがいの拳が当たる場所に留まり、ずっと気を張らなくてはならないのだ。そうして気力を使うことで、いっそうスタミナが削られるのだった。


 そういう戦いを得意にしている時任選手は、いまだに涼しい顔をしている。

 だが――激しく汗を散らしながら、より多くの攻撃を出しているのは、多賀崎選手のほうだ。時任選手は組み技のアクションを増やしたが、それにもつきあわず、多賀崎選手は愚直に中間距離の打撃戦を継続させた。


 いつしか会場には、間延びした喚声があげられている。あまりに展開が動かないため、観客も飽き始めているのだろう。ブーイング一歩手前の、気の抜けた喚声だ。


 我慢のきかない選手であれば、ここで展開を動かそうとするだろう。

 しかし、優位に立っている多賀崎選手はもちろん、時任選手も手を打つことができなかった。そもそも乱打戦であれば多賀崎選手のほうに分があるし、組み技はことごとく跳ね返されているのだ。玉砕覚悟のインファイトの他には、打つ手が存在しないのだろうと思われた。


 そしてついに、タイムアップである。

 試合終了のブザーが鳴り響くと、汗だくの多賀崎選手は精魂尽き果てた様子でマットにへたり込んだ。


 すると、ついに客席からブーイングがあがってしまう。

 しかし瓜子は、心から感服していた。多賀崎選手は相手の土俵に乗っかった上で、勝利をもぎ取ってみせたのだ。時任選手を相手に判定勝利を奪取するというのは、口で言うほど簡単な話ではないはずであった。


「お客さんには、多賀崎選手のすごさが伝わらないんだねぇ。これで寝技にまで展開してたら、ユーリは大満足だけどにゃあ」


 と、一緒にウォームアップに取り組んでいたユーリは、のんびりした笑顔でそんな風に言っていた。中間距離における絶え間ない打撃戦の攻防など、ユーリにとっては乱打戦と同じぐらい苦手な領分であるのだ。ユーリであれば、その規格外の破壊力で相手の防御をこじ開けるしか勝機は存在しないはずであった。


 判定は順当に、29対28が三名で多賀崎選手の勝利である。

 ふらつく足取りで控え室に戻ってきた多賀崎選手は、汗だくの顔で笑っていた。


「盛り上がりのない試合になっちまったけど、まあこれが今のあたしの実力だ。とりあえず連敗はまぬがれたし、ここからまた立て直すよ」


「そんなことないって! あんなブーイング、気にすることないよ!」


「そうっすよ。格闘技を見る目のある人間だったら、多賀崎選手のすごさも伝わったはずです」


 こちらがそんな言葉を交わしている間に、次の試合の選手たちが入場を始めていた。

 客席には、鬱憤を晴らそうとばかりに歓声があげられている。それをずんぐりとした身体で受け止めているのは、我らが魔法少女であった。


 第五試合は、鞠山選手と亜藤選手の一戦である。

 イリア選手を下したことでトップファイターとして認められた鞠山選手が、ついに黄金世代のトップファイターと相対することになったのだ。


 これは鞠山選手にとって、リベンジ戦である。かつて中堅の壁と称されていた鞠山選手は、当時のトップファイターにことごとく敗れていたのだ。

 黄金世代の四名、時任選手と亜藤選手、山垣選手と後藤田選手――そのすべてに、鞠山選手は敗れてしまっている。だからこそ、トップファイターとは認められずに中堅の壁という異名を授かることになったのだ。


 ただし鞠山選手は、そのいずれの相手からもKO負けや一本負けは喫していない。時任選手と後藤田選手は立ち技におけるディフェンスの固さ、亜藤選手は組み技の強さ、山垣選手は打撃技の勢いで、それぞれ寝技の展開になることを防ぎ、判定勝利をものにすることになったのである。


(鞠山選手は、たぶんこの階級で一番小さいんだろうからな。そりゃあテイクダウンを取るのは大変だろう)


 ひとたび寝技に持ち込めば圧倒的な優位に立てるのに、なかなかそのフィールドまで持ち込むことができない。それが鞠山選手にとって、長年のジレンマであったのだ。

 ただ――鞠山選手は、それでもファイトスタイルを変えようとしなかった。組み技の技術を磨くのではなく、カエルのごときステップで相手を翻弄し、乱戦の中でテイクダウンを狙うスタイルを貫き通したのだ。


 その偏執的なこだわりが、ついにこの二年ほどで実を結んだ。イリア選手に勝利した鞠山選手はすぐさま瓜子に敗れてしまったが、武中選手と灰原選手を撃破することでトップファイターの座を守ったのだ。

 ただし、武中選手に灰原選手というのは、どちらも若手の選手となる。

 そういう選手の勢いをいなすことはできても、歴戦のトップファイターの牙城をくつがえすことはできるのか――ついに、それを証明する日がやってきたのだった。


「こいつらどっちもキャリアが長いから、過去に何回かやりあってるんでしょー? で、魔法老女が連敗してるんだっけ?」


「たしか、二戦二敗じゃなかったかな。どっちも時間切れの判定勝負だったはずだけどね」


「あー、亜藤って頑丈だもんねー! 魔法老女の打撃じゃビクともしないだろうなー!」


 そんな風に言いながら、灰原選手はそわそわと身を揺すっている。灰原選手は亜藤選手に勝利して、鞠山選手に敗北した身であるのだ。ここで鞠山選手が亜藤選手に敗北すると、力関係が曖昧になってしまうし――そうでなくとも、ケンカ友達たる鞠山選手の勝利を願っているはずであった。


 そうしていくつもの目に見守られながら、試合が開始される。

 亜藤選手はどっしりとしたクラウチングのスタイル、鞠山選手はお馴染みのアウトスタイルだ。


 ぴょこぴょことケージを回りながら、鞠山選手は時おり豪快な右フックや右ローを繰り出す。

 亜藤選手は頑丈な身体でそれを受け止めて、カウンターの一撃を狙う。過去の二戦と大きく変わるところのない展開であった。


 だが、鞠山選手の攻撃はすべてヒットしているのに対して、亜藤選手の拳はことごとく空を切っている。腕でブロックされるのではなく、ダッキングやウィービングで回避されているのだ。リーチでまさるのは亜藤選手であったが、鞠山選手はいっさい接触を許さなかった。


(鞠山選手が手ごわくなったのは……やっぱり、出稽古のおかげなんじゃないのかな)


 鞠山選手は、おおよそ自分のジムで稽古を積んでいる。プレスマン道場まで出向いてきたのは、つい二ヶ月前が初めてのことであったのだ。

 しかし鞠山選手は二年ほど前から、小柴選手や灰原選手や多賀崎選手を出稽古で迎える立場となった。そうして寝技を指南する代わりに、立ち技のスキルアップが望めたはずであった。


 言うまでもなく、そちらの三名はきわめて高い打撃技のスキルを有している。小柴選手は基本に忠実なグローブ空手、灰原選手は天性の当て勘に支えられた豪快な打撃技、多賀崎選手は堅実かつ組み技を織り込んだMMA流の打撃技と、それぞれ毛色の異なるファイターであったのだ。なおかつ、背丈もウェイトも少しずつ異なる三名であったため、それを相手取るのがどれだけ有意義であるかは瓜子もプレスマン道場で思い知らされていた。


 亜藤選手は、おおよそ灰原選手と同程度の背丈となる。

 しかし生粋のレスラーであるため、灰原選手ほど鋭い打撃は持っていない。どちらかといえば、一階級上の多賀崎選手に似た、スピードではなく重さに秀でた打撃技の使い手であった。


(ただし、リーチだったら多賀崎選手のほうが上だ。灰原選手よりも鈍重で、多賀崎選手よりも手足が短いんだから……二人とスパーを積んできた鞠山選手は、やりやすいと感じるだろうな)


 同じような理屈で、瓜子もスキルアップできたのだ。しかもプレスマン道場にはさらに数多くの実力選手が群れ集っているのだから、その恩恵は計り知れなかった。


 第一ラウンドの半分が過ぎても、試合の様相に変化はない。

 亜藤選手は頑丈なので大きなダメージはないようであったが、ポイントは完全に鞠山選手のものであった。


 すると――亜藤選手が、強引に距離を詰め始めた。

 組み技ならば負けることはないという自信のもとに、接近戦を望んだのだ。鞠山選手が寝技巧者であっても、上さえ取れば塩漬けにできるという自信を備えているはずであった。


 鞠山選手はいっそうせわしなく動き回って、大振りの右フックで牽制する。

 その攻撃をかいくぐった亜藤選手が、ついに胴タックルを繰り出した。


 亜藤選手の力強い突進に、鞠山選手はあえなくテイクダウンを取られてしまう。

 が――倒れた瞬間、鞠山選手は腰を切って亜藤選手の重圧を受け流した。

 そして、相手の横合いに回り込みながら、曲げた右膝を背後から相手の左肩に押し当てる。その右膝に押される格好で亜藤選手が突っ伏すと、さらに身をひねって左肩の上を通過させた右足を首の下にねじこんだ。


 昨今のMMAではすっかり見る機会の減ってきた柔術の技、オモプラッタである。

 気づけば、亜藤選手の下から抜け出した鞠山選手が、両足でその左腕を拘束していた。

 現時点でも、亜藤選手の左肩には痛みが走っていることだろう。そのまま放置していれば肘まで極められかねないので、亜藤選手は前転するしかなかった。


 そうして亜藤選手が仰向けになると、鞠山選手は左腕を拘束したままその上にのしかかる。あっという間に、上下が入れ替わることになった。

 大歓声の中、鞠山選手は横合いから亜藤選手の胸に乗り、両手で右腕を拘束する。

 亜藤選手はレスリング仕込みのブリッジを見せたが、両手両足で相手の腕を捕獲した鞠山選手はべったりへばりついたまま揺るぎもしなかった。


 ならばと、亜藤選手は後方転回して再びうつ伏せの体勢を取る。

 しかしその頃には、鞠山選手が右腕を背中の側にねじりあげていた。

 亜藤選手は力ずくで身を揺すって拘束から逃れようとするが、鞠山選手はやはり剥がれない。その両足は二重がらみで亜藤選手の左腕を拘束し、身を揺するたびに右腕はむしろ危険な角度に折れ曲がっていった。


 鞠山選手ごとマットに突っ伏した亜藤選手は、両足でじたばたとマットを蹴る。

 両腕が拘束されているため、タップできないのだ。レフェリーが慌てて割って入ると、鞠山選手は悠然とした面持ちでアームロックを解除して、亜藤選手の下から抜け出した。


 亜藤選手は力なく突っ伏したまま、右手で左肩を押さえる。

 そのかたわらで、鞠山選手はくるりとターンを切ってから貴婦人のように一礼した。


「なーんだ! 終わってみれば、魔法老女の楽勝だったじゃん!」


「うん。どうして今まで勝てなかったのか不思議になるぐらいだけど……鞠山さんも、それだけ力をつけたってことなんだろうな」


 灰原選手と多賀崎選手のコメントを聞きながら、瓜子もひそかに感服の思いで息をついた。

 鞠山選手は、今でもファイトスタイルを変えていない。ただ、ひとつひとつの技術を磨き抜くことで練度を高めたのだ。それでついに、彼女のファイトスタイルは完成を迎えたのかもしれなかった。


 十年以上のキャリアを持つ選手が、三十代の半ばを超えてから全盛期を迎える。

 世の中には、きっとそんなこともあるのだろう。同時代を生きた選手たちが次々に引退していく中、鞠山選手は若手の選手に負けないぐらい眩く光り輝いていた。

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