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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
27th Bout ~Big up~
691/955

02 開戦

 本日も興行の下準備は着々と進行され、選手一同は無事に開会セレモニーの時間を迎えることになった。

《アトミック・ガールズ》の公式ウェアに着替えた十二名の選手が、入場口の裏手に控えている。プレマッチに出場する二名のアマチュア選手を除けば、いずれも瓜子にとって見知った相手であった。


 第一試合は、前園選手と金井選手。

 第二試合は、オリビア選手と香田選手。

 第三試合は、武中選手と山垣選手。

 第四試合は、多賀崎選手と時任選手。

 第五試合は、鞠山選手と亜藤選手。

 第六試合は、瓜子のエキシビションマッチ。

 第七試合は、ユーリのエキシビションマッチ。

 第八試合は、サキとベテランのトップファイター。

 第九試合は、鬼沢選手とジジ選手。

 第十試合は、魅々香選手とマリア選手のフライ級タイトルマッチ。


 それが、本選の内容であった。

 今回も、エキシビションマッチを除けばすべてトップファイター同士の対戦となる。本年最後の興行ということもあって、運営陣も気合を入れてマッチメイクに取り組んだのではないかと思われた。


 瓜子と多賀崎選手にはさまれたユーリは、無邪気な顔でにこにこと笑っている。たとえエキシビションでもグラップリング・マッチであるから、楽しみでならないのだろう。相手が柔術茶帯の腕前とあっては、なおさらであった。


 しかしもちろんプレスマン道場の関係者は、これまで以上に気を張っている面がある。ユーリが三たび意識を失ってしまわないか――そして今度こそ、何か大ごとに発展してしまったりはしないか――そんな不安を払拭することができないのだ。


 ただ今回は、万が一の事態に備えて特別な医療スタッフが参じていた。パラス=アテナではなく、《ビギニング》の代表であるスチット氏がそのように取り計らってくれたのだ。


「ユーリ選手が意識を失っている間に診察できれば、原因究明の足掛かりになるかもしれません。パラス=アテナの方々に許可をいただいたので、当日はこちらの手配した医療スタッフにスタンバイしてもらいます」


 つい先日、スチット氏からそのような連絡が入ったのだ。それでまた、瓜子は彼の熱情や心意気に感銘を受けることに相成ったのだった。


(もちろん、何事もないに越したことはないけど……原因がわかって、それを解決できたら、それが一番だからな)


 それらの医療スタッフは、ユーリの試合時にのみ、エプロンサイドにスタンバイするとのことである。このような措置が許されるのも、何事に関しても取り決めのゆるい《アトミック・ガールズ》ならではなのかもしれなかった。


 そうしてついに、開会セレモニーが開始される。

 前園選手にオリビア選手、武中選手に多賀崎選手、そして鞠山選手が入場したならば、瓜子の出番だ。瓜子が花道に足を踏み出すと、今日もものすごい歓声が出迎えてくれた。


 先月には《アクセル・ジャパン》に出場し、来月には《ビギニング》に出場する瓜子のことを、観客たちはどのように考えているのだろう。

 それはこちらで推測するしかなかったが――とりあえず、ブーイングを飛ばすような人間はいない。それだけで、瓜子はありがたい限りであった。


 次にユーリが入場したならば、さらなる歓声が吹き荒れる。

『トライ・アングル』が新曲をリリースしたことで、ユーリの人気にいっそうの拍車がかかったのだろう。これはもう、休養前の人気をも凌駕する勢いであるはずであった。


 それにユーリも、《アクセル・ジャパン》でパット選手という難敵を下してみせたのだ。瓜子やメイが下したのは自国のトップファイターに過ぎないが、ユーリは《アクセル・ファイト》のトップランカーを下して、世界級の実力を持っていると証明してみせたのである。であれば、ファイターとしてのユーリも瓜子以上の評価を受けていなければ釣り合いが取れないはずであった。


 やがてすべての選手が入場すると、魅々香選手が緊迫した面持ちと可愛らしい声音で選手代表の挨拶を受け持つ。

 そして本日は、ユーリにもマイクが回された。


『本日はユーリ選手のプロデビュー五周年記念大会ということで、ひとことご挨拶をいただきます! ユーリ選手、あらためましておめでとうございます!』


『はぁい。ありがとうございますぅ。ユーリは一年近くもおやすみをいただいてしまったので、五周年などと言われるのは心苦しいばかりなのですけれども……でも、今日も試合ができるので幸せいっぱいですぅ』


 ユーリはよそゆきの笑顔であったが、以前とは比べ物にならないほど無邪気な真情もにじんでいた。

 試合の後にまた意識を失ってしまうのではないか――などという不安を抱えている気配は、微塵もない。ユーリが恐れているのはただ一点、ファイターとして生きていけなくなることだけであったのだった。


『本日はエキシビションのグラップリング・マッチとなりますが、相手は柔術道場ジャグアルの新鋭、浅香選手です! 兵藤アケミさんの引退試合を受け持ち、前回の興行では香田選手を下したユーリ選手でありますから、何かと因縁の深いお相手なのではないでしょうか?』


『いえいえぇ。兵藤殿も香田選手も、みなさん素晴らしい選手ですので……ユーリは尊敬しかないですぅ。それに、柔術道場の御方とグラップリング・マッチで対戦できるなんて、嬉しい限りですぅ』


 すると、ケージをはさんだ反対側から肉声で「こちらこそです!」という言葉が飛ばされて、客席に歓声と笑い声をもたらした。


『浅香選手も、気合は十分のようですね! わたしも、熱い試合を期待しております! それでは、選手退場です!』


 魅々香選手から順番に、花道を辿って入場口を目指した。

 その間も、ユーリや瓜子の名を呼ぶ歓声が凄まじい。こちらはあくまでエキシビション・マッチであるのだから、心苦しさもなくはなかったが――ここは誇りある客寄せパンダとして毅然と振る舞うしかなかった。


 そうして控え室に戻ってみると、入り口の前に天覇館の面々が集結している。その目的は、第一試合に出場する前園選手を激励することであった。


「ふん。前回は三連敗だったから、天覇の連中も必死だなー」


 サキがこっそり、そんな言葉を瓜子の耳に囁きかけてきた。天覇館は来栖舞が引退して以降、沈滞気味と称されており、それが今年になって魅々香選手が戴冠したり高橋選手が頭角をあらわしたりで再浮上していたのだが――前回の興行では、前園選手と後藤田選手と高橋選手が敗北を喫することになってしまったのだ。


 もちろん天覇館と言っても支部は別々であるので、ひとくくりにはできない。しかし、そんな区分も関係なく一致団結して闘志をほとばしらせているさまが、瓜子の胸を熱くさせてやまなかった。


(前回は、対戦相手が大江山さんと灰原選手とジジ選手だったからな。負けて恥になることはないはずだ)


 とはいえ、瓜子だってプレスマン道場のチームメイトが三連敗したら無念でならないだろう。来栖舞たちの思いが最高の形で報われるようにと、心中でエールを送るしかなかった。


 そんな天覇館の面々を横目に控え室へと舞い戻ったならば、サキだけがパイプ椅子にふんぞり返り、瓜子とユーリは軽く身体を温めることになった。こちらは中盤の出番であるため、序盤の試合が早々に終わる事態も想定しておかなければならなかった。


 ちなみに本日は、サキのセコンドがジョンと柳原と蝉川日和、ユーリのセコンドが立松と愛音、瓜子のセコンドがサイトーとメイという布陣になる。エキシビションのセコンドは二人で十分であろうという判断で、掛け持ちなしで布陣を敷くことがかなった。


「とりあえず、無傷で終わることを一番に考えろよ? エキシビションのせいでウン万ドルのファイトマネーがパーなんて、アホらしさの極致だからな」


 サイトーは、不敵な笑顔でそんな風に言っていた。確かに普通は大一番のひと月前にエキシビションでも試合を行ったりはしないものなのだろう。瓜子とユーリは十月に大一番を終えたばかりであるのだから、なおさらだ。


 しかし瓜子たちは、可能な範囲で《アトミック・ガールズ》に出場したいと願っていたし――ユーリに限って言えば、エキシビションマッチで調子を見るというのは重要な手立てであろう。普段のユーリは元気そのものであるが、試合後の異常に関しては試合を行うことでしか確認できないのだ。今日の試合で何事もなければまたひとつ安心できるし、異常が生じた上で原因を究明できればそれが一番の結果であるはずであった。


 そうして瓜子たちがマットで軽くウォームアップしている間に、プレマッチは終了する。

 次に開始されるのは本選の第一試合、前園選手と金井選手の一戦だ。


「ふん。これこそ、サバイバルマッチだなー。これで負けたほうは、トップファイターの看板を下ろすしかねーだろ」


 パイプ椅子に陣取ったサキは、天覇館の関係者の耳をはばかる様子もなく、そんな言葉をこぼしていた。

 前回の興行において、前園選手は大江山すみれに、金井選手は愛音に敗れている。そしてその前から、そちらの両名はアトム級の新興勢力に連敗を喫しているのだ。ここで同じような立場である相手にも敗れれば、いっそう評価が下がってしまうのも致し方のない話であった。


 しかし逆に言えば、ここで勝ち残れば連敗の立場から脱することもできる。崖っぷちの選手同士をぶつけるというのは、片方を崖下に突き落とすことで、もう片方が救済されるという構図であるのだった。


 そうして今回、救済されたのは――天覇館の、前園選手であった。まずは得意の打撃戦でリズムをつかみ、相手の組み技も上手くかわし、最終ラウンドでは逆にテイクダウンを成功させて、パウンドでTKO勝利を奪取してみせたのだった。


 天覇館の面々はみんな質実であるので騒いだりはしないが、厳粛なる拍手でもって前園選手の勝利を祝福した。

 そして、天覇のアウトローという異名を持つ鬼沢選手だけは、陽気に声をあげていた。


「まずは一勝やね。この調子で、三連勝ば目指すばい」


 彼女の本日の相手は、前回の興行で高橋選手を下したジジ選手である。それは魅々香選手にとってのマリア選手にも劣らない難敵であるはずであったが――そんな彼女であるからこそ、その言葉は普段以上に力強く聞こえてならなかった。


 そして第二試合は、オリビア選手と香田選手である。

 ついにウェイトアップを完了させたオリビア選手が、初めてのバンタム級の試合で香田選手を相手取ることになったのだ。バンタム級にはトップファイターしか存在しないため、こちらもいきなりの試練であった。


 前回の興行ではユーリに一本負けを喫した香田選手であるが、その実力は本物である。彼女はプロデビュー二戦目で無差別級の古豪・大村選手を下し、三戦目で高橋選手をも下してみせたのだ。とりわけ、来栖舞や兵藤アケミが相手でも判定負けしか喫していなかった大村選手を怒涛のパウンドでTKOに追い込んだ姿は、今でも瓜子の脳裏に焼きつけられていた。


 そしてバンタム級に転向した後も、香田選手は高橋選手と名勝負を繰り広げている。その後に高橋選手が小笠原選手と五分に近い勝負を見せたのだから、香田選手も小笠原選手に大きく劣ることはないはずであった。


「ただ、こいつは背丈がなさすぎる。これで空手女に太刀打ちできるかどうかだなー」


 サキの言う通り、オリビア選手はフライ級でもっとも長身の百七十五センチであったのだ。階級を上げてもなお、長身の部類であるはずであった。

 そのオリビア選手が五キロばかりもウェイトを上げて、いっそう逞しい体格になっている。白人女性としてはひょろりとした体型であるものの、やはり骨格の頑健さは日本人以上であろう。香田選手は百五十六センチという低い背丈の代わりにひときわ逞しい体格をしているが、オリビア選手はそれに負けないぐらい堂々たる体躯であった。


 それにやっぱり、十九センチの身長差というのは大きい。香田選手が無差別級の時代に対戦した三名よりも、オリビア選手のほうが長身であるのだ。かつてオリビア選手と対戦した経験のある瓜子も、その卓越したリーチには大いに悩まされたものであった。


 そうして試合が開始されると、香田選手は左右に身を振りながら前進した。さすがにオリビア選手を相手に真っ直ぐ突進する愚は避けたようだ。

 オリビア選手は悠揚せまらず、すり足でゆったりと距離を測っている。そんなたたずまいも、以前より風格が増したようである。玄武館の世界王者である彼女は、立ち技の攻防に絶対の自信を持っていた。


 そんなオリビア選手を前にして、さしもの香田選手も間合いに踏み込めずにいる。

 すると、ふわりと前進したオリビア選手が右ローを放った。

 挙動はなめらかだが、攻撃は重い。香田選手はすかさずかかとを上げてチェックしたが、その足が大きく流されてしまった。


 オリビア選手はそのまま前進して、打ち下ろしの右ストレートとレバーブローを繰り出す。その両方がクリーンヒットして、頑丈さを誇る香田選手をたじろがせた。


 香田選手が後方に逃げると、オリビア選手はすり足で追いかける。

 香田選手の動きは俊敏だが、コンパスに大きな差があるため逃げきれない。オリビア選手が左ローを出すと、今度は逆側に足を流されてよろめいた。

 オリビア選手は、再び右の拳を打ち下ろす。

 香田選手は前進することでその攻撃をかいくぐり、オリビア選手の胴体に組みつこうとした。

 オリビア選手はその首筋をキャッチして、香田選手の突進を受け流す。プレスマン道場でジョンから指南された、首相撲のテクニックだ。


 香田選手は首を振って逃げようとするが、オリビア選手のロックは剝がれない。

 すると香田選手は意を決して、左右の拳をオリビア選手の腹に叩きつけた。

 大村選手や高橋選手を苦しめた、重い打撃技である。彼女のルーツは柔術だが、いつもこういう荒々しい乱打で試合の主導権を握っていたのだ。


 しかし、空手の選手は打たれ強い。とりわけ素手で殴り合うフルコン空手の選手は、胴体の頑丈さが際立っているのだ。

 よって、オリビア選手は顔色のひとつも変えずに香田選手の乱打を受け止めて――その攻撃の隙間に、強烈な膝蹴りを繰り出した。


 オリビア選手の右膝が、香田選手の腹に突き刺さる。

 香田選手は不屈の闘志で、その右膝を抱え込んだ。

 するとオリビア選手は、右肘を香田選手のこめかみに叩きつける。これもまた、ジョン直伝のムエタイの技術であった。


 オリビア選手の右膝を離した香田選手は、よろめきながら後方に逃げようとする。

 そこに、オリビア選手の長い左足が飛ばされた。

 中足が、香田選手の右こめかみに激突する。

 驚くべきことに、それでも香田選手は倒れない。短くて太い猪首が、ハイキックの衝撃をも耐えたのだ。


 しかし、逃げる足は止まっている。

 一歩で間合いを詰めたオリビア選手は、右フックをくらわせたのちに再び首相撲の体勢を取り、今度は横合いから旋回させた左膝を香田選手の右脇腹にめり込ませた。


 的確に、レバーを狙った攻撃である。

 どれだけ筋肉をつけていても、レバーの急所だけは守れない。しかも香田選手は、序盤にも強烈なレバーブローをクリーンヒットされているのだ。結果、香田選手はマウスピースを吐き出して、そのまま突っ伏すことになった。


 試合終了のブザーが鳴らされて、歓声が爆発した。

 オリビア選手の、完全勝利である。オリビア選手はボディにあびた乱打のダメージも感じさせずに、ゆったりと微笑んでおり――そして、その青い目から涙をこぼしていた。


 オリビア選手は下の階級である瓜子とメイに敗れ、フライ級ではマリア選手と時任選手に敗れ――そうして、プレスマン道場での出稽古を再開しつつ、バンタム級に転向したのである。その前には多賀崎選手にも惜敗していたので、MMAで勝利するのは二年以上ぶりであるのかもしれなかった。


 彼女は今でも玄武館こそが主戦場であり、MMAは武者修行のつもりで取り組んでいる。だからこそ、これほど負けが込んでいたら、MMAから身を引くことも視野に入っていたはずだ。

 しかし彼女は、勝利した。ユーリと同じように、トップファイターの一角であった香田選手をまったく寄せつけなかったのだ。その心中は、察するに余りあった。


 オリビア選手の涙に胸を温かくしながら、瓜子はメイのほうを振り返る。

 とても穏やかな眼差しでモニターを見つめていたメイは、眉をひそめつつ「なに?」と問いかけてきた。


「いや、メイさんもきっと嬉しいだろうなと思って」


 オリビア選手は、メイが心を閉ざしていた時代から何かと世話を焼いていた相手であったのだ。

 メイは黒い頬に血の気をのぼらせながら、「ウリコ、うるさい」と言い捨てた。そんなメイの愛くるしい挙動が、瓜子の胸をいっそう温かく満たしてくれたのだった。

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