ACT.1《アトミック・ガールズ》十一月大会 01 入場
ユーリの二十三回目の誕生日の、一週間後――十一月の第三日曜日である。
その日が、《アトミック・ガールズ》十一月大会の当日であった。
この日は瓜子とユーリがエキシビションマッチで出場する他に、サキと多賀崎選手が本選に出場する。それでこれまでと同じように、プレスマン軍団と四ッ谷ライオットの両名で仲良くワゴン車に揺られることに相成ったのだった。
「今回は、あたしがセコンドになっちゃったもんなー! 遠慮しないで、毎回試合を組んでくれてもいいのにさ!」
灰原選手がいくぶん不満げに声をあげると、立松が苦笑まじりにそれをなだめた。
「《NEXT》の代役出場も含めれば、灰原さんも四試合はこなしたってんだろ? 一年に四試合もこなしたら、十分に立派だよ。運営陣だって、人気選手の灰原さんを使い潰しちまわないように配慮するだろうさ」
「でもうり坊やピンク頭なんかは、ほとんど毎回出場してるじゃん! 別の興行に出た直後でも、こうやってエキシビションを組まれるぐらいだしさ!」
「そりゃー客寄せパンダとしての宿命だろーがよ。そんなもんをありがたがるなんざ、酔狂のきわみだなー」
と、サキがいつもの調子で口をはさんだ。左膝をいたわらなければならないサキは、これでようやく三戦目であるのだ。
「ま、こいつらが《ビギニング》に引っこ抜かれたら、今度はおめーに客寄せパンダの役目が回ってくるんじゃねーか? せいぜい楽しみにしとけよ、色ボケウサ公」
「だからあたしは色っぽいだけで、色ボケしてないってのに! あたしがどれだけキンヨクテキな生活に身を置いてるか、教えてあげようかー?」
「おいおい。そういう話は、野郎のいないところでお願いするよ」
そんな感じに、その日も車内は騒がしいばかりであった。
そこで「でもさ」と声をあげたのは、多賀崎選手である。
「猪狩たちがこうやってアトミックの試合に出られるのも、来年の六月までなんだろう? あたしたちも、いよいよ腹をくくってアトミックを支えてやらないとな」
《ビギニング》との契約に関しては、守秘義務に抵触しない範囲で周囲の面々に打ち明けていたのだ。瓜子は「いやあ」と頭をかきながら、後部シートの多賀崎選手に言葉を返した。
「でも、六月以降も《ビギニング》と契約できるかどうかは、まだ不明ですし……」
「どんなプロモーターでも、猪狩や桃園を手放そうとするわけないだろ。どうせ二人は、《ビギニング》でも化け物みたいな強さを見せつけてくれるんだろうしさ」
すると、灰原選手が「むーん!」とおかしな声をあげた。
「それじゃあ、うり坊が無敗のまんま王座返上ってこともありえるのかー! その前に、あたしが実力でぶんどってやりたいところだけど! しばらく出番は回ってこなそうだしなー!」
「最有力候補は、やっぱ鞠山さんってことになるのかな。それも、今日の試合の結果次第なんだろうけどさ」
「魔法老女だって、あたしがリベンジするまで負けてほしくないけどねー! そっちとも、早く試合を組んでもらいたいなー!」
そんな風に言ってから、灰原選手は後列のシートから中列の瓜子を覗き込んできた。
「まあけっきょく、あたしらはオファーを受けた試合を頑張るしかないしね! うり坊もあれこれ悩まないで、決まってる試合を頑張りなよ! 相手があたし以外だったら、全力で応援してあげるからさ!」
「押忍。ありがとうございます」
灰原選手や多賀崎選手――それに他なる女子選手の面々も、本当に同門のチームメイトと変わらない熱心さで瓜子やユーリを応援してくれている。十月以降は自分とユーリの身に降りかかる変転に引きずり回されていた瓜子であったが、彼女たちへの感謝を忘れたことはなかった。
(自分たちが頑張れば、灰原選手たちにもチャンスが巡ってくるかもしれないんだ。それを信じて、どの舞台でも頑張ろう)
瓜子がそんな思いを噛みしめたとき、ワゴン車は会場に到着した。
今回も、会場は『ミュゼ有明』となる。風の噂では、瓜子とユーリの出場が決まってから、売れ残っていたチケットも完売の運びとなったようであった。
今回、パラス=アテナの面々がとりわけ出場を熱望していたのは、瓜子ではなくユーリとなる。それは何故かと問うならば――これがユーリのプロデビュー五周年となる大会であるためであった。
ユーリがプロデビュー一周年を迎えた頃、瓜子はまだ出会ってすらいなかった。
二周年は、瓜子とユーリの関係が破局を迎えかけた日――無差別級王座決定トーナメントで、ユーリがベリーニャ選手や小笠原選手と対戦した日となる。
三周年は《カノン A.G》に乗っ取られていた時代であったため、ユーリの記念日が取り沙汰されることもなかった。
そして昨年の四周年は、遠きラスベガスの空の下だ。よって、ユーリの周年イベントが祝われるのは、二周年以来の三年ぶりであったのだった。
なおかつ五周年というのは、数字的にも区切りのいい年であるのだろう。それでパラス=アテナの面々は《アクセル・ジャパン》の結果を待ち、ユーリがエキシビションマッチでも出場できると確約されるや、突貫工事で五周年記念グッズを作製しまくったわけであった。
「ついでにあたしとうり坊も、写真を撮られまくったもんねー! どんな仕上がりなのか、楽しみだねー!」
「いえ、まったく」と、瓜子は脳内に蘇りそうになった撮影地獄の記憶を慌てて頭の外に追い出した。
そうして会場の入り口に到着すると、灰原選手がいの一番に控え室の割り振り表をチェックする。そして前回と同じように、「ひゃっほー!」と快哉の叫びをあげることになった。
「今日もみんな一緒だねー! でも赤星だけは青コーナーだから、うり坊は残念でしたー!」
「残念なのは確かですけど、そんなことで一喜一憂しないっすよ。……ユーリさんも、すねないでくださいってば」
「すねてないですぅ」
「いいから、さっさと入場するぞ。毎回毎回、遠足のお守りでもしてる気分だぜ」
立松はそんな風に言っていたが、瓜子は別の感慨にとらわれていた。確かに《アトミック・ガールズ》では毎回このような騒ぎであったが、先月の《アクセル・ジャパン》ではまったく無縁の話であったのだ。
(やっぱりアトミックは、楽しいな。……もちろん、それだけの理由でしがみついてはいられないけどさ)
そして実際、瓜子やユーリは《ビギニング》のオファーを優先している。さきほど話題にあがっていた通り、いずれ《ビギニング》と専属契約を結ぶ段に至ったならば、《アトミック・ガールズ》から離脱せざるを得ないのだ。瓜子の頭にちらつくのは、「卒業」の二文字であった。
学校にさしたる思い入れのなかった瓜子は、卒業で感傷的な気分になったことがない。学校生活を謳歌していた人々は、卒業の際にこういった気持ちを噛みしめているのだろうか。
(だけどまだ、《アトミック・ガールズ》から離脱することが決定したわけじゃないからな)
《アクセル・ファイト》ではなく《ビギニング》からのオファーを承諾したことで、瓜子とユーリには若干の猶予期間が生じた。少なくとも、来年の六月までは自由の身であるのだ。何より今は、本日の試合に集中しなければならなかった。
そうして赤コーナー陣営の控え室に向かうと、懇意にしている人々がたくさん待ちかまえている。
ただ前回と異なるのは、天覇館の陣営がメインであることだろう。本日は、魅々香選手、鬼沢選手、前園選手、そして鞠山選手が同じ陣営であり、セコンドとして来栖舞と高橋選手も控えていたのだった。
「やー! ミミーはひさびさにおんなじ控え室だねー! 今日はタイトルマッチ、頑張ってねー!」
灰原選手が元気いっぱいに呼びかけると、魅々香選手は目を泳がせながら「ど、どうも」とスキンヘッドを下げた。彼女は本日メインイベントで、マリア選手を相手に防衛戦を執り行うのだった。
あとはオリビア選手と武中選手も同じ陣営であり、オリビア選手のセコンドとして小柴選手も参上している。質実剛健な天覇館のメンバーが主体を占めているので前回ほどの賑わいではなかったものの、心強さに変わりはなかった。
「猪狩くん、桃園くん。あらためて、《ビギニング》への出場、おめでとう。《アクセル・ジャパン》に引き続き、君たちの活躍を祈っている」
と、来栖舞は厳粛なる面持ちでそのように言ってくれた。
彼女も新宿グランドホテルで開かれた祝勝会および送別会にお招きしていたが、瓜子たちが《ビギニング》に出場する旨が告知されたのは十一月になってからであったのだ。出稽古で顔をあわせる機会のない面々は、それから初めて瓜子たちと対面したわけであった。
「《アクセル・ファイト》じゃなくて《ビギニング》に出場するっていうのは、わたしも驚きでした! でも、《ビギニング》だって選手の質はものすごく高いですもんね! わたしもいつか追いつけるように、頑張ります!」
と、やはり祝勝会以来の対面となる武中選手も、昂揚に頬を火照らせながらそんな風に言ってくれた。
そうしてしばらく親睦を深めてから、試合場に移動すると――そちらでは、柔術道場ジャグアルの面々が待ち受けていた。
「今日も敵味方でやりあうことになったね。たとえエキシビションでも、全力で臨ませていただくよ」
まずは兵藤アケミが、しゃがれた声でそのように告げてくる。その勇猛な面がまえに変わりはなかったが、しかし前回ほど鋭い眼差しはしていなかった。前回は同門の香田選手がユーリと対戦することになったが、本日は別なる後輩門下生がユーリとグラップリングのエキシビションマッチを行うことになったのだ。
その人物は、妙に昂揚した面持ちでユーリのことを見つめていた。これが初対面となる、浅香めぐみという選手だ。身長百七十五センチ、体重六十八キロという堂々たる体躯の持ち主で、年齢は香田選手と同じく二十一歳。ごつごつとした厳つい面立ちであるが、どこか幼さの感じられる印象であった。
「あの! わたし! 『トライ・アングル』のファンなんです! ユーリさんと試合をすることができて、どえりゃー光栄です!」
浅香選手が弾んだ声でそのように宣言すると、兵藤アケミは苦笑を浮かべた。
「まあ、こんな感じでちょっと浮ついた部分もあるけど、試合で手を抜くことはないからさ。あんたもしっかり気を引き締めて、相手をしてやっておくれよ」
「もちろんですぅ。どうぞよろしくお願いいたしますぅ」
ユーリもジャグアルの面々にはまだ遠慮がぬけないので、よそゆきの笑顔で頭を下げる。
すると、瓜子の肩に白い腕がしゅるりと巻かれてきた。
「あの物体のファンやて。世の中には、酔狂な人間もおるもんやねぇ」
それは、前回も香田選手のセコンドとして来場していた雅であった。相変わらず、毒蛇のような妖艶さである。
「自分も『トライ・アングル』の関係者なんで、ちょっとコメントに困っちゃいますね。まあ、浅香選手も試合と切り離して考えてもらえたら幸いです」
「そないな心配はあらへんわ。最近は、ウチもあの嬢ちゃんを鍛えてやってるさかいなぁ」
雅は咽喉で笑いながら、瓜子の耳にそんな言葉を囁きかけてきた。
「せやさかい、あの嬢ちゃんは物体に憧れてMMAの選手を志したんやて。十分に酔狂な部類やろぉ?」
「え? でも、浅香選手も柔術は茶帯っすよね? もともと柔術をやっていた上で、後からユーリさんのファンになったってことっすか?」
「そういうこっちゃねぇ。あの物体の『アクセル・ロード』での醜態に感銘を受けたらしいわ。今回はグラップリング・マッチやけど、おいおいMMAにもチャレンジするつもりらしいで」
ユーリの活躍する姿を見て、また新たなMMAファイターが誕生しようとしているのだ。しかも、ユーリが長期欠場を余儀なくされた、北米の活躍を見て――である。それだけで、瓜子は何だか胸がいっぱいになってしまった。
(そりゃあユーリさんは、これだけ頑張ってるんだ。これからだって、ユーリさんに憧れる人は後を絶たないだろうさ)
そんな思いを噛みしめながら、瓜子はユーリの姿を見守った。
『トライ・アングル』を絶賛する浅香選手と相対して、ユーリはずっと困ったような面持ちで微笑んでいた。
 




