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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
インターバル
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十一月十一日

 十一月に入ってからも、瓜子とユーリの生活は多忙をきわめた。

《アクセル・ジャパン》の試合を終えて、《ビギニング》と新たな契約を結んだ両名は、生活時間をもとに戻すとともに、また稽古と副業に追われる日々を送ることになったのである。


 ただし、モデルの活動に関しては、ずいぶん加減をしてもらうことができた。ユーリの復帰プロジェクトは無事に山場を越えたと見なされて、今度はユーリの体調を気遣うターンに入ったのだ。どうやら千駄ヶ谷の中でも、副業に関して最優先に扱うべきは音楽活動であり、モデル活動は可能な範囲で継続できればよしというスタンスであるようであった。


 よって、副業で忙殺されたのは、おもに音楽関係の業務となる。『トライ・アングル』は三ヶ月連続で新曲のリリースおよびワンマンライブというプロジェクトのさなかであったし――そしてその裏では、さらなる企画も進行されていたのだ。


 それは、『トライ・アングル』の初アルバムのリリースという一大プロジェクトであった。

『トライ・アングル』の結成から二年近くを経て、ついにアルバムがリリースされるのである。ユーリばかりでなく『ワンド・ペイジ』や『ベイビー・アピール』にとっても『トライ・アングル』というのは掛け持ちのユニットであったため、アルバムのリリースにこれだけの時間がかかってしまったわけであった。


 そちらのアルバムは、来年一月にリリースが予定されている。

 よって、十一月の初めからその準備が開始されたのだ。十一月にもシングルが発売されるのだから、それと同時進行で進めるだけで十分に多忙なスケジュールであったのだった。


 しかしユーリは持ち前の活力で、それらの業務をこなしていた。健康状態を危ぶまれて《アクセル・ファイト》との契約が破談になってしまったユーリであるが、日常的には本当に元気いっぱいであるのだ。七月以降、極度の飢餓感に見舞われることもなかったし、試合の直後を除けば意識を失うこともなかったし、レコーディングでも撮影でも道場での稽古でも、ユーリは常に気力と活力をみなぎらせていたのだった。


 それで世間には、もう何度目になるかもわからないユーリ旋風が吹き荒れている。ユーリは《アトミック・ガールズ》でも《アクセル・ジャパン》でも見事に勝利を飾ってみせたし、九月と十月にリリースされた『トライ・アングル』の新曲も、東京と大阪の公演も、のきなみ大好評であったのだ。一年間の休養がむしろ大きな反動となって、これまで以上の反響を生み出しているように思えてならなかった。


 そうして十一月になると、ユーリと瓜子が大晦日の《ビギニング》の日本大会に出場する旨が告知されて、いっそうの反響を呼び込むことになった。風の噂では、それでチケットの売り上げがぐんと上昇したとのことである。《ビギニング》は日本において知名度が高くないため、当初は《アクセル・ジャパン》や《JUFリターンズ》ほどの集客を見込めなかったようであるのだが、今回の告知で一気に盛り返したというもっぱらの評判であったのだった。


「あのスチットさんってのは情熱にあふれかえってるだけじゃなく、プロモーターとしてもやり手だからな。この盛り上がりを見越して、お前さんがたにオファーをかけたんだろうさ」


 立松はまんざらでもない面持ちで、そんな風に言いたてていた。

 まあ、瓜子としても喜ばしい話である。何せこちらは三万ドルものファイトマネーをいただいてしまうのだから、少しは集客にも寄与しないと居たたまれないところであった。


「入院費をカバーするために節約しようって意気込んでたのに、すっかり状況が一変しちゃいましたね。でも、来年の税金がおっかないから、これまで通り清貧をつらぬきましょう」


 瓜子がこっそりそのように告げると、ユーリは肉感的な肢体をもじもじとさせた。


「もちろんユーリも無駄遣いする気はないのですけれども……でも、ちょびっとお洋服を買い足してもいいかにゃあ? ユーリはちょっぴりウェイトアップしてしまったもので、これまでのお洋服の七割ぐらいは着られなくなってしまったのでぃす」


「ああ、六キロや七キロも太っちゃったら、そりゃあサイズは合わなくなりますよね」


「むにゃー! いちいち数値をあらわにする必要はないのです!」


 ユーリはそのように騒いでいたが、ウェイトが六十五キロ前後で安定しているのも、ひとつの安心材料であった。何せ入院中のユーリというのはウェイトがなかなか安定しなかったし、それに体調の不良がともなっていたのだ。本当に、試合の直後に意識を失ってしまうことを除けば、ユーリは今こそが絶頂期なのではないかと思えるほどであった。


 そんなさなか、十一月の十一日がやってきた。

 ユーリにとって、二十三回目のバースデーである。出会った当初は十九歳であったユーリが、ついに二十三歳になってしまうのだった。


「ユーリさんが二十三歳って、なんか信じられないっすよね。まあ、自分だってもうすぐ二十二歳ですし、そっちのほうが信じられないぐらいなんすけど」


「うみゅうみゅ。うり坊ちゃんは永遠の少女といった趣だものねぇ。永遠の十五歳たるまりりん殿に太刀打ちできるのは、きっとこの世でうり坊ちゃんだけなのでぃす」


「いや、あんな妖怪みたいなお人に太刀打ちできるとは思えないっすけど……あっ、今の発言は絶対に秘密でお願いしますよ?」


 と、その日も瓜子とユーリは普段通りの生活に埋没していた。ユーリは誕生日を世間に秘匿していたので、大がかりなパーティーが開かれる事態にも至らなかったのである。


 しかしもちろん、瓜子はプレゼントとケーキの準備をしていた。昨年は『アクセル・ロード』のおかげでユーリの誕生日を祝うこともできなかったので、今年こそはと奮起していたのだ。


 その日はたまたま日曜日であったため、道場の稽古は休みとなる。が、『トライ・アングル』関連の業務が入っていたので、昼から夕刻まではそちらに取り組み、帰り道で予約していたオードブルとバースデーケーキを受け取り、二人きりでささやかなパーティーを開いた次第であった。


「でも、今日がユーリさんの誕生日だってお披露目してたら、『トライ・アングル』のみなさんだってお祝いしてくれたでしょうにね」


「いいんだよぉ。前々からお伝えしている通り、ユーリは誕生日になるとパパやママのことを思い出しちゃうから……あんまり大人数なのは、刺激が強すぎるのでぃす」


 そう言って、ユーリは澄みわたった微笑みをたたえた。


「そんな切ない記憶を幸福な思い出で塗り替えてくれたのは、うり坊ちゃんだからねぇ。誕生日は、うり坊ちゃんと二人きりで静かに過ごしたいユーリなのでぃす」


「ええ。最近は打ち上げとかの機会も増えたから、こういう時間のほうが貴重だったりしますもんね」


 瓜子もまた、ユーリと二人きりで誕生日を祝うというのは、得も言われぬほど幸福な心地であった。


「それじゃあ、こちらを進呈いたします」


 オードブルとケーキをあらかた片付けたタイミングで、瓜子はポケットに忍ばせていたものをユーリに差し出した。

 大人びた顔で微笑んでいたユーリは、たちまち「うにゃあ」と自分の頭を引っかき回す。


「よもやよもやと思っていたけれど、やっぱり今年もそのようなものを準備してくれていたのだねぇ。ユーリは、動揺を禁じ得ないのでぃす」


「そりゃあ今年になってプレゼントを取りやめる理由はないでしょう。でも、自分のセンスには期待しないでくださいね」


「何をおっしゃる、うり坊ちゃん。うり坊ちゃんはこれまでにも、数々の素敵なプレゼントを準備してくれたではありませぬか」


 ユーリはふにゃふにゃと笑いながら、ブレスレットとリストバンドを重ねづけした左手で耳もとをまさぐった。一昨年のバースデープレゼントがピンクトパーズのイヤリングで、昨年のバースデープレゼントがラバー素材のリストバンド、そして出会って三周年記念のプレゼントがウッドのブレスレットであったのだ。さらにユーリの白い咽喉もとには、自分で購入した一周年記念のペンダントも輝いていた。


 ちなみに出会って二周年記念日には、おたがい何もプレゼントしていない。赤星弥生子との対戦でくちゃくちゃになったユーリが、自力で立ち上がることすらかなわない状況であったためである。しかしまあ、あの日もユーリに甘えられて半日ばかりも添い寝することになったので、甘い思い出にあふれかえっていることに変わりはなかった。


「でももうアクセサリーのネタは尽きちゃったんで。どうぞそのおつもりで」


「うん。うり坊ちゃんのプレゼントだったら、道端の石ころでもエツラクのキョーチなのです」


 そうしてようやく、ユーリはプレゼントの包装を解いた。

 そして、そこから現れたきらめきに「わあ」と目を細める。


「かわゆいねぇ。これは……チャームというやつかしらん?」


「正直、自分も正式な名前はよくわかりません。とにかくまあ、財布とかケータイとかにつける飾りっすよね」


 それは本体がホワイトシルバーで、小さなピンクの石がちょこんとはめ込まれている。その白とピンクのきらめきが、今のユーリにぴったりであるように思ったのだ。


「よくよく考えると、普通のアクセって稽古や試合にはつけていけないじゃないっすか? でも、財布やケータイなら手放すこともそうそうないから、一番身近に置いてもらえるんじゃないかって思ったんすよね」


 ユーリは「むにゃあ」とおかしな声をあげてから、小さなチャームを両手で胸もとに押し抱いた。


「毎年毎年、ユーリのハートは思うさま揺さぶられてしまうのでぃす。ユーリはこんな幸福で……バチがあたったりしないかにゃあ?」


「それはあまりに大げさっすよ。でも、ユーリさんに喜んでもらえて、自分も嬉しいです」


「うん……ありがとう、うり坊ちゃん」


 ユーリは赤ん坊のように満ち足りた面持ちで、うっとりとまぶたを閉ざした。

 が、すぐにぱちりと目を開くと、慌てた素振りでぶんぶんと頭を振る。


「いかんいかん。夢のように幸せで、思わず幽体離脱してしまいそうだったわん。もしかしたら試合の後も、こういう原理でおねんねしちゃうのかしらん」


「こういう原理って、どういう原理っすか。でも、ユーリさんが失神しなくて何よりでした」


「うん……ただやっぱり、ユーリはいつでも夢見心地だにゃあ」


 そう言って、ユーリは雪の精霊のように微笑んだ。


「それもこれも、うり坊ちゃんがユーリを現世に引きずり戻してくれたおかげだよねぇ。ユーリはもともとうり坊ちゃんが大好きだし、毎日が夢のように幸福でありましたけれども……うり坊ちゃんのおかげで退院できてからは、本当に夢の中で生きているような心地であるのです」


「これは、まぎれもない現実ですよ。だから……これからも、ずっと自分と一緒にいてくださいね」


「うにゃあ。そんなお言葉が、ユーリをいっそう夢見心地へといざなってしまうのです」


 右手でチャームを握りしめたユーリは、そっと左手を瓜子のほうに差し伸べてきた。

 瓜子は右手で、その指先をつかんでみせる。ユーリの指先は雪のように白かったが、そこには確かに現実世界の住人としての温もりが宿されていた。

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