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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
26th Bout ~Turbulent autumn~
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08 嵐の後

 ユーリの見事な一本勝ちによって、会場には凄まじいばかりの歓声が吹き荒れていた。

 ただ――その歓声が、じょじょに不審げなどよめきに変じていく。マットに大の字で寝転んだユーリが、いつまでも起き上がらないためである。


 先月の試合と同じように、うろんげな顔をしたレフェリーがユーリの肩を揺さぶる。それでもユーリが目覚めないため、レフェリーはその口もとに手の平をかざし、ついには咽喉もとに指先をあてて脈を取り――それで瓜子は背筋に悪寒を覚えて、立松は「おいおい」と身を乗り出すことになった。


「なんだよ、冗談じゃねえぞ。桃園さんは、いったいどう――」


 立松がそのようにつぶやくと同時に、ユーリのまぶたがぱちりと開かれた。

 先月とまったく同じように、ユーリはとろんとした顔で身を起こし、きょろきょろと周囲を見回す。その姿に、瓜子と立松はおもいきり安堵の息をつくことになった。


「おどかすなよ。こっちの心臓がどうにかなっちまいそうだ。……おい、猪狩。桃園さんは本当に、定期健診でオールグリーンなんだろうな?」


「お、押忍。それは、絶対に確かです」


「だったら何で、試合に勝つたびに寝入っちまうんだよ。こんなの、普通じゃねえだろ」


 すると、柳原が額の汗をぬぐいながら「でも」と声をあげた。


「それを言うなら、桃園さんは最初から普通じゃないでしょう。喜びのあまりに腹が減ってぶっ倒れちまうなんてのも、非常識の極みなんですから」


「……そんな軽口で済む話だといいんだがな」と、ずっと静かにしていた篠江会長も口を開いた。


「話には聞いてたが、自分の目で見ると笑えねえよ。こいつはただの病院だけじゃなく、心因性のほうも診察してもらうべきじゃねえか?」


「心因性? 心療内科ってことですかい? そいつはちょっと……大がかりなんじゃないですかね」


 立松が眉をひそめると、篠江会長はいっそう怖い顔をした。


「それだけ大がかりな事態だろうよ。試合なんざ生命の削り合いなんだから、そんな不安を抱えたまま続けさせるべきじゃねえ。身体のほうが元気だってんなら、なおさら心のほうも十分にケアするべきだ」


「ええまあ、そうですね。かかりつけの医者と山科院長の両方に、相談させてもらいましょう」


「そうっすね。二回も続くと、さすがに自分も心配になってきました」


 瓜子たちがそのように語らっている間に、モニターでは勝利者インタビューが始められていた。

 ユーリはすっかり復調した様子で、にこにことインタビューに応じている。そのふくよかな唇が呑気な言葉を発するたびに、客席からは歓声が巻き起こった。


(本当に……ユーリさんは、こっちの心をかき乱してくれるなぁ)


 ユーリの実力が証明された喜びとユーリの身を案ずる不安感で、瓜子の心は千々に乱れてしまっている。すると、まだ瓜子の背中を支えてくれていたメイがこっそり囁きかけてきた。


「僕も、ユーリ、心配だけど……でも、試合内容は完璧だった。もう誰も、ユーリの強さを疑えないと思う」


「ええ、そうっすね。自分もそれは、心から嬉しく思っています」


 瓜子が何とか笑顔を作って後方に向きなおると、メイも澄みわたった表情で「うん」とうなずいてくれた。


 そうしてユーリとパット選手は退場し、メインイベントの開始が告げられる。その頃に、ユーリの陣営が控え室に凱旋してきた。


「みなさん、どうもご心配おかけしましたぁ。どうぞ平に、平にご容赦くださぁい」


 と、控え室のドアを開くなり、ユーリは土下座でもしそうな勢いであった。

 その姿に、立松と篠江会長は苦笑を浮かべる。


「そりゃあ心配はしたが、桃園さんが謝るような話じゃないだろう。それともまさか、何かの不調を俺たちに隠してるんじゃないだろうな?」


「とんでもないですぅ。ただ、サキたんにしこたま罵倒されてしまったもので……」


「ふん。セコンドの代表として、調教してやっただけのこった」


 傲然と腕を組んだサキは、ぷいっとそっぽを向いてしまう。きっとサキも大きな不安を抱いた分、ユーリに荒っぽく接してしまったのだろう。ジョンは普段通りの柔和な笑顔であったが、愛音も喜びと不安の思いが入り混じった面持ちになってしまっていた。

 そうしておずおずと入室してきたユーリは、ご主人のご機嫌をうかがうゴールデンリトリバーのように瓜子を見つめてきた。


「それで、あのぅ……うり坊ちゃんも、怒ってりゅ?」


「怒ってる人間なんて、この部屋にひとりもいませんよ。みんな、ユーリさんを心配してるだけです」


 そのように答えながら、瓜子は心からの笑顔を届けてみせた。


「あと、それと同じぐらい、ユーリさんの勝利を喜んでいますよ。ユーリさん、おめでとうございます」


「うん……試合そのものは、夢のように楽しかったよぉ。前半は、ぽかぽか殴られるだけだったけどねぇ」


 と、ユーリはもじもじしながらも、ようやく笑顔を取り戻した。

 そうしてあらためて、ユーリを祝福する声があちこちからあがり始めると――そのタイミングで、控え室のドアがノックされた。


「シツレイします。ショウショウ、ヨロしいでしょうか?」


 そこから姿を現したのは、《アクセル・ファイト》のアジア地区担当のブッキングマネージャー、ハリス氏であった。


「ユーリ、ミゴトなショウリ、おめでとうございます。アナタ、ウまれカわりました。ツヨさもウツクシさも、グレードアップです」


「うにゃあ。それはそれは、光栄の至りでありまするぅ」


 ユーリが純白の頭を深々と下げると、ハリス氏は「ハイ」とうなずいてから、いくぶん眉を下げた。


「ただ、シンパイ、ノコります。このアト、セイミツケンサ、オーケーですか?」


「ええ? 明日ではなく、今日ですかぁ?」


「ハイ。キュウキュウビョウイン、ツウタツズみです。こちら、スタッフ、ドウコウします」


「ふん。そちらさんとしても、やっぱりこれは笑ってられない状況ってこったな」


 篠江会長が口をはさむと、ハリス氏はいっそう眉を下げながら「ハイ」とうなずいた。


「ユーリ、コキュウ、していなかった、レフェリー、シンコクしています。ジジツであれば、イチダイジです。セイミツケンサ、ヒツヨウです」


「呼吸をしてなかった? ……あのレフェリーは、脈の確認もしてたよな?」


「ハイ。ですが、あのジョウキョウ、ミャクのカクニン、コンナンです。リングドクター、トウチャクのマエ、ユーリ、メザめてしまったので、カクニン、ヒツヨウです。セイミツケンサ、ヒツヨウです」


「ああ。こっちも異存はねえよ。病院にまで連絡してくれたとは、ありがたい限りだ。でも、こんな日曜日に精密検査をお願いできるもんなのかい?」


「ハイ。ジジョウ、ツタえましたので。コキュウ、トまったニンゲン、セイミツケンサ、ヒツヨウです」


「了解したよ」と、篠江会長は立松に向きなおる。すると、立松のほうが先に口を開いた。


「女子部門は、俺の担当だ。俺が付き添うから、会長は卯月の試合を見届けてくださいよ」


「だが、道場のトップは俺だぞ?」


「病院の付き添いぐらい、俺に任せてくださいよ。あと、チーフセコンドだったジョンにも同行してもらわんとな」


「ウン、モチロン」と、ジョンは笑顔でうなずいた。

 そうして瓜子や愛音が身を乗り出すと、立松は苦笑しながら手を振る。


「どうせお前さんがたは、大人しくしてろって言っても聞かねえだろ。試合に出たやつは、せめてシャワーでも浴びておけ。その間に、帰り支度をしておくからよ」


                ◇


 そうしてプレスマン道場の一行は、卯月選手の試合を見届けることもできないまま、救急病院に向かうことになった。立松にジョン、瓜子に愛音ばかりでなく、サキもメイも柳原も同行することになったのだ。卯月選手に心酔する柳原までもが悩む素振りも見せずに同行してくれて、瓜子はひそかに感じ入ることになった。


 ただし、そちらの精密検査で得られた結果は――これまで通りの、オールグリーンである。ユーリはそれなりにダメージを負っていたが、中度の打撲と擦過傷のみで、頭へのダメージも見られないとのことであった。


「睡眠時に無呼吸の症状が出るというのは、平時でもありえる話ですからね。脈を取れなかったというのも、試合の直後という慌ただしい現場では致し方ないことでしょう」


 日曜日の当直であった担当の医師は、のほほんとした笑顔でそのように言っていた。

 それで瓜子たちは、ひとまず胸を撫でおろしたわけであるが――こちらに同行した《アクセル・ファイト》のスタッフは、難しい顔をしたままであった。


「では明日は、こちらの指定する大学病院で精密検査を受けていただけますか?」


 ハリス氏よりも日本語が堪能であるその人物は、そのように告げてきた。

 立松は、真剣そのものの面持ちで「ほう」と応じる。


「さすがに、ずいぶんと慎重だな。もちろん、検査を受けろってんならそれに従うが……あんたがたは、いつでもこんなに親切なのかい?」


「試合の直後に選手の呼吸が止まるというのは前例がありませんので、なんともお答えしかねます。ただこちらとしては、選手の安全を最優先に考えています」


「ああ。何かの悪だくみで精密検査をすすめることはねえだろうからな。俺たちだって心配だから、不安の種は徹底的に潰させていただくよ」


「はい。明日もわたしが同行いたしますので、連絡先の交換をお願いいたします」


 そうして携帯端末を取り出したその人物は、「失礼」と言ってこちらに背を向けた。タイミングよく、どこかから電話が入ったようである。

 その人物は小声で応答し、しかも英語であったため、瓜子にはさっぱり内容がわからない。そして、通話には一分もかからなかった。


「会場のスタッフからでした。本日のファイト・オブ・ザ・ナイトはユーリ・モモゾノとパット・アップルビーの両選手、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトはウリコ・イカリとグヴェンドリン・タンの両選手に認定されたそうです」


 瓜子とユーリは、同時に小首を傾げることになった。

 いっぽう、立松と柳原は驚愕の面持ちになっている。


「お、おい。そいつは、確かな話なのか? ぬか喜びは、勘弁だぜ?」


「はい。これは正式な決定ですので、のちのちドーピングなどの不正行為でも発覚しない限りは覆ることもありません」


「マジかよ……」と、柳原は絶句した。

 そのかたわらで、サキは仏頂面、愛音はきょとんとした顔である。瓜子は思案の末、頼もしき先輩選手を頼らせていただくことにした。


「あの、サキさん。そのパフォーマンスなんちゃらって、なんでしたっけ? 契約書にそんなような言葉が書かれてたような気はするんすけど……」


「おめー、正気か? 金勘定も二の次にして、アホみてーに暴れてんじゃねーよ」


 と、サキがわしゃわしゃと瓜子の頭をかき回してきた。

 これはサキがひそかに親愛の念を示す際に見せる仕草であると、瓜子はそのように信じている。


「アトミックにも、ベスト・バウト賞だの何だのってもんがあったろ。アレだって、《アクセル・ファイト》のパクリなんだよ」


「ああ。それじゃあ、金一封でもいただけるんすか? それなら、ありがたい限りっすね」


「とうてい封筒なんざに収まる束じゃねーけどな。どっちの賞も、金額は二万五千ドルだよ」


「はい。二万五千……ドル? に、二万五千ドルっすか? 自分ら、ファイトマネーだって一万ドルっすよ?」


「おう。メインの大会なら五万ドルだが、今回は半額の二万五千ドルって話だったな。どんだけ立派な晩飯を奢ってもらえるのか、楽しみなところだぜ」


 サキは瓜子の頭を小突き回したあげく、肩を抱いてきた。

 するとユーリが「ずるーい!」と口をとがらせながら、瓜子の腕を抱いてくる。

 そのさまに、立松は何とも複雑な面持ちで苦笑した。


「まったく、こっちの心をかき乱してくれる娘っ子どもだな。心配をかけるか喜ばせるか、どっちか片方に絞ってもらいたいもんだぜ」


 どうやらこのたびは、瓜子も周囲の人々の心をかき乱してしまっているようであった。

 ただ――どれだけのファイトマネーをいただいても、もっとも気になるのはユーリの体調である。明日の精密検査を終えるまで、瓜子は心置きなく今日の喜びを噛みしめることはできないはずであった。


 かくして、多くの人間にとっての大一番であった《アクセル・ジャパン》は波乱の中で終わりを告げ――瓜子とユーリは日常に回帰する前に、また大きな変転を迎えることに相成ったのだった。

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