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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
26th Bout ~Turbulent autumn~
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04 出陣

「よし。それじゃあ、出陣だな」


 ようやくフェンスを下りたメイが勝利者インタビューを開始したところで、立松がそのように宣言した。

 少し離れた場所でウォームアップに取り組んでいたユーリの陣営が、すぐさま瓜子を取り囲んでくる。


「うり坊ちゃん、頑張ってね! またド迫力でかわゆらしいフィニッシュブローを期待してるから!」

「うんうん。ウリコだったら、ゼッタイにカてるからねー」

「ま、死なねーていどに踏ん張ってこいや」

「本日は、プレスマン陣営の全勝で終わると信じているのです」


 瓜子は「押忍」と応じながら、ひとりずつ拳をタッチさせていった。

 最後の順番であったユーリは、ぐりぐりと拳を押しつけてくる。同じだけの力でその圧迫を押し返し、瓜子は笑ってみせた。


「それじゃあ、行ってきます」


 瓜子は三名のセコンドとともに、控え室を出た。

 立松も柳原も早見選手も、メイの勝利でいっそう昂揚したようである。もちろんそれは、瓜子も同じことであった。


 そうして通路を歩いていくと、その最果てからメイたちがやってくる。

 一発の右フックしかクリーンヒットされていないメイは、試合前と変わらない力強い足取りだ。ただ、赤みがかった金色のドレッドヘアーがその表情を隠してしまっていた。


「メイさん、おめでとうございます。最後はウォームアップの手を止めて、目を奪われちゃいました」


 声の届く距離に達したところで、瓜子はそのように呼びかけてみせた。

 すると――びくんと肩を震わせたメイが、覚束ない足取りになってこちらに駆け寄ってくる。何かしらの気配を感じ取った瓜子は、両腕を広げてその突進を受け止めてみせた。


 メイのしなやかな腕が、瓜子の身をぎゅっと抱きすくめてくる。

 普段のユーリに比べれば、実に優しい力加減であったが――それは何だか、ようやく母親と巡りあえた幼子のような頑是なさであった。


「ウリコ、ありがとう。……ウリコのおかげで、勝てた」


「はい。自分だけじゃなく、みなさんのおかげですけどね」


「うん。みんなのおかげ。……でも、ウリコのおかげ」


 瓜子とメイは背丈もぴったり一緒であるので、そんな言葉が耳のすぐそばで響きわたった。

 メイの身体は、汗でぐっしょり濡れそぼっている。たとえダメージは小さくとも、それだけの激闘であったのだ。瓜子はグローブに包まれた手の平で、そんなメイの背中を叩いてみせた。


「本当に、素晴らしい試合でした。《アクセル・ファイト》との正式契約も、もう目前っすね」


「うん。……次、ウリコの番」


 メイは最後にぎゅっと力を込めてから、名残惜しそうに身を離した。

 そして、長い前髪で表情を隠しつつ、上目遣いに瓜子を見つめてくる。


「ウリコの勝利、信じてる。一緒に《アクセル・ファイト》のステージに立つこと、信じてる」


「はい。自分も頑張ってきます」


 瓜子が拳を差し出すと、メイもバンテージに包まれた拳でタッチしてくれた。

 そこで、遠巻きに見守っていた篠江会長たちも近づいてくる。


「メイさんは、稽古の成果をしっかり見せることができた。お前さんも、それに続け」


「相手選手のプロフィールは不明な点も多いですけど、きっと地力では瓜子さんのほうが上です。平常心で、頑張ってください」


 篠江会長とリューク氏がそのように声をあげると、ビビアナは英語で何かを告げてきた。


「決して油断しないように、だそうです。瓜子さんには、無用の心配でしょうね」


「押忍。必ず稽古の成果をお見せします」


 そうしてメイの陣営は、控え室に戻っていった。

 歩を再開させながら、立松はふっと息をつく。


「メイさんが最高の結果を出してくれて、よかったよ。馴染みの薄い会長にチーフセコンドをお任せしちまったのが、最後まで気がかりだったからな」


「かといって、アトミックみたいに掛け持ちすることはできないですからね。俺たちは、猪狩をめいっぱいサポートしてやりましょう」


 柳原は、いよいよ闘志が高まってきたようである。

 いっぽう早見選手も気合をみなぎらせつつ、その表情は沈着であった。


「でも、本当にうちの女連中はメンタルが頑丈だよな。そいつは、でっかい強みだよ。今日はホームだし、思うぞんぶん暴れてこい」


「押忍。自分の全部をぶつけるつもりです」


 そうして入場口の裏手に到着すると、第二試合に出場するフィスト・ジムの男子選手はもう出立した後であった。

 それで瓜子は身体を冷やさないように、また立松を相手にミットを蹴り始めたが――五分と待つことなく、盛大な歓声が鳴り響いた。


「なんだ、もう終わったのか? ずいぶん呆気ないな」


 こちらの会場では覗き見も許されないので、瓜子たちは耳をそばだてる。

 しかし英語のアナウンスであるため、瓜子には聞き取れず――北米暮らしの長い早見選手が、「へえ」と感心したような声をあげた。


「一ラウンド、二分三十六秒、膝蹴りで赤コーナー陣営のKO勝利だとよ。こいつは、勢いをつけてくれたな」


 メイに続いて、日本人選手が一ラウンド目でKO勝利を収めたのだ。これは、喜ばしい限りであった。

 しばらくすると、勝利者インタビューを終えた男子選手が凱旋してくる。早い決着でも決して楽勝ではなかったと示すように、左目の下が青紫色に腫れていた。


「よう! 秒殺はできなかったけど、きっちり仕留めてきたぜ!」


 昨日の公開計量で初めて対面し、これまで挨拶ていどの言葉しか交わすことのなかった男子選手が、満面の笑みでそのように語りかけてきた。


「プレリミのほうは、日本陣営が全敗っていう情けない結果に終わっちまったからな! メインカードは全勝しねえと、釣り合いが取れねえや! 瓜子ちゃんも、頑張ってな!」


「う、瓜子ちゃん?」


「あ、俺、瓜子ちゃんとユーリちゃんのファンなんだよ! 試合前に近づくと集中できねえから、自粛してたんだ! あとで、ウェアにサインしてくれよな!」


 そちらの男子選手は本当に人が変わったような陽気さで、通路の向こうに消えていった。

 早見選手はすました顔で、「な?」と肩をすくめる。


「試合前には、ナーバスになるやつが多いんだよ。お前らみたいにのほほんとしてるのは、貴重だぜ」


「あはは。返すお言葉もないっすね」


「ったく。早見が加わっても、呑気さに変わりはねえな。いいから、集中を乱すなよ?」


 苦笑を浮かべる立松に「押忍」と応じてから、瓜子は扉の前に立った。

 扉の向こうからは、すでに派手な入場曲が聞こえている。《アクセル・ファイト》もここ最近で、入場曲の使用が認められたのだ。今頃は、グヴェンドリン選手が花道を闊歩しているはずであった。


 インカムを装着したスタッフは、張り詰めた面持ちで扉に手をかけている。

 しばらくして、瓜子の入場曲である『Rush』のサウンドが響きわたり――スタッフが、「どうぞ」と扉を解放した。


 そこにスタンバイしていたセキュリティスタッフに前後をはさまれて、瓜子は花道に足を踏み出す。

『ワンド・ペイジ』の演奏が聞こえなくなるぐらい、そこには歓声が渦巻いていた。


 一万二千名弱の人間がもたらす、津波のような大歓声である。瓜子がこれほどの歓声をあびるのは、それこそ昨年末の《JUFリターンズ》以来のことだ。大歓声が物理的な圧力をともなって、瓜子の身をびりびりと震わせた。


 しかし震えているのは、皮膚のみである。

 瓜子の心は、いつも通りに落ち着いていた。昂揚し、集中もしているが、緊張はしていない。身体に満ちたいつも通りの力が、いつも通りの心地を瓜子にもたらしてくれた。


 人生のかかった大一番――しかしそれは、普段の試合も同じことである。どれだけ舞台が大きくなろうとも、瓜子の為すことに変わりはなかった。


 花道を踏破した瓜子は、Tシャツタイプのウェアとボトムを脱いで、柳原に手渡す。立松の手からマウスピースを受け取り、セコンドの三名と拳をタッチさせ、ボディチェック係と向き合った。


 まずは顔に薄くワセリンを塗られて、それが終了すると別のスタッフがグローブと手足の状態を確認してくる。そのどちらもが、大柄な白人男性であった。レフェリーもジャッジもボディチェック係も、すべて北米の人員であるのだ。


 ボディチェックを終えた男性は「GO」と言ったようだが、歓声のおかげで聞き取れない。瓜子はひとつうなずいてから、ケージに至るステップをゆっくりのぼった。


 ケージにも、熱気がたちこめている。

 メイを始めとするさまざまな選手たちが残していった熱気だ。瓜子は大きく深呼吸をして、その熱気を体内に取り入れた。


 グヴェンドリン選手は瓜子のほうをにらみつけながら、屈伸の運動をしている。

 瓜子は肩を回しながら、落ち着いた心地でそれを見返した。


 そんな中、リングアナウンスが開始される。

 しかしやっぱり、内容を聞き取ることはできない。瓜子のヒアリング能力というのも、大概であるようであった。


 長々としたアナウンスの後、まずは『アイアン! グヴェンドリン・タン!』という言葉でグヴェンドリン選手の紹介が締めくくられる。


 グヴェンドリン選手の異名は、『アイアン』であったのだ。亜藤選手などはその頑丈さから『アイアン・レスラー』と称されているわけだが――グヴェンドリン選手は攻撃力と防御力のどちらからそのような異名を授かったのか、まったく計り知れなかった。


 そしてお次は、瓜子の番である。

 やはり前半は、まったく聞き取れない。おそらくは、身長や昨日の計量の数値、それに戦績などが紹介されているのだろう。

 その最後に、『トウキョウ・ジャパン! シンジュク・プレスマン・ドージョー! ガトリング・ガン! ウリコ・イカリ!』という言葉だけが聞き取れた。


 恥ずかしながら、瓜子が日本で得た異名は『ガトリング・ラッシュ』である。ユーリと同じように、その一部が流用されたようであった。


(メイさんの試合を観ちゃうと、自分がガトリングとか評されるのは恐縮しちゃうけどね)


 そんな呑気なことを考えながら、瓜子は右腕を上げて、一礼した。

 何だか今日は、いつも以上に軽妙な心持ちである。それが気のゆるみに結びついたりはしないかと、いささか心配になるほどであったが――レフェリーのもとでグヴェンドリン選手と向き合うと、そんな気持ちは綺麗に吹き飛んだ。


 グヴェンドリン選手は瓜子よりも十センチ長身で、身体はひと回りも大きい。昨日の計量時よりも遥かに大きく感じられるので、おそらく五キロ以上はリカバリーしているのだろう。アン・ヒョリ選手ほどどっしりとはしておらず、きわめて均整の取れた逞しさだ。

 ただその逞しい身体から、恐ろしいほどの気迫がみなぎっている。

 鋭く細められたその目からは、焼けつくような眼光が飛ばされていた。


 これは瓜子がこれまで対戦してきた相手の中でも、屈指の気迫である。

 もちろん、気迫をこぼせばいいという話ではないが――しかしそれは、瓜子の心を鋭く研ぎ澄ませる大きな要因になり得るのだった。


 目の前に立った相手の姿が、いっそうくっきりと鮮明になっていく。

 瓜子の集中が増していっている証拠である。

 瓜子にとっては、ありがたいぐらいの話であった。


 英語でルール確認をしたレフェリーが、身振りでグローブタッチをうながしてくる。

 瓜子が両手を差し出すと、グヴェンドリン選手は右の拳で荒っぽく小突いてきた。ポーズでなく、かなり好戦的な気性をしているようだ。


 そうしてフェンス際まで下がった瓜子は、グヴェンドリン選手の背後に見知った顔を見出した。

 彫りの深い顔立ちをした、勇ましい顔つきの女子選手――かつてユーリと『アクセル・ロード』の一回戦目で対戦した、エイミー・アマド選手である。グヴェンドリン選手は、彼女と同じくシンガポールのユニオンMMAというジムの所属であったのだった。


(エイミー選手もセコンドとして同行してたのか。今まで、まったく気づかなかったな)


 しかしまあ、瓜子にとっては些末な話である。ユーリとて、北米の合宿所では別々に過ごしていたのだから、エイミー選手とはただ試合をしただけの間柄であるのだ。それでユーリに挨拶を求めるかどうかは、個人の勝手というものであろう。


 ただ――エイミー選手はグヴェンドリン選手に負けないぐらい、気迫をあらわにしていた。

 まあそれも、こちらの柳原と同様であるのだが。その刺すような眼光が、少しばかり気にかかった。


(もしかして、ユーリさんの所属するプレスマン道場に対抗心でも持ってるのかな)


 しかしそれも、瓜子にとっては些末な話である。

 相手がどのような思惑であろうと、瓜子は自分の試合に尽力するのみであった。


 そうして、甲高いホーンの音色が響きわたり――ついに、試合が開始されたのだった。

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