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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
26th Bout ~Turbulent autumn~
679/955

03 Nightmare

新年あけましておめでとうございます。

引き続き当作をお楽しみいただけたら幸いでございます。

 プレリミナルカードの第四試合が終了すると、間に三十分ものインターバルが入れられた。メインカードの試合は日本でも北米でも生中継されるため、放映時間に合わせて時間調整されるのだ。


 しかし、メイの陣営は控え室に戻ってこない。きっと入場口の裏手で、ひたすらウォームアップしているのだろう。メイはプレスマン道場に入門したことで初めてチームメイトの大切さを知った身であるが、試合前にはなるべく静かに過ごしたいと考えるタイプであったのだ。


 瓜子とユーリもウォームアップが過剰にならないように、ペースダウンする。

 そうしてようやく三十分の時間が過ぎ去って――スポットの当てられたケージの中央に、リングアナウンサーが進み出た。


 リングアナウンサーが朗々たる声を響かせると、客席からあらためて歓声がわきおこる。やはり瓜子には聞き取れなかったが、メインカードの開始が宣言されたのだろう。今頃は、BSチャンネルでも同じ映像が放映されているのかもしれなかった。


 そうしてついに、選手入場である。

 まずは青コーナー、対戦相手のアン・ヒョリ選手だ。


 母国の韓国で実績を積んだアン・ヒョリ選手は、身長百五十四センチで、きわめて逞しい体格をしている。とりわけ下半身がどっしりしており、いかにも馬力のありそうな体型であった。

 けっきょくプレスマン道場の陣営は、アン・ヒョリ選手の試合映像を入手することができなかった。なんとか入手できたのは、彼女がオールラウンダーであるということと、六勝一敗という戦績と――そして、かつて瓜子が対戦したカン・ハウン選手にも勝利したことがある、というていどのデータのみであった。


「それにしても、たった七戦のキャリアで《アクセル・ジャパン》に出場できるんすね。アトミックだったら、ようやく若手選手ってぐらいの扱いじゃないっすか?」


「日本と海外じゃ、色々と段取りが違ってるんだよ。日本みたいに国内で潰し合いをする国は、そうそう存在しないって話だからな。言い方は悪いが、見込みのある選手には格下の選手をどんどんぶつけて育てあげるって面があるんじゃねえのかな」


「あー。国内の試合でバテてたら、世界に出る余力もねーからなー。来栖のババアも、それで断念したクチだろ」


 そんな来栖選手たちの思いをも背負って、瓜子たちは《アクセル・ジャパン》の舞台に立つのだ。

 ウォームアップに取り組みながら、瓜子はまた胸に熱いものが宿されるのを感じた。


 そうしてアン・ヒョリ選手がケージインすると、メイの姿が入場口に現れた。

 心なし、歓声の度合いが強まった気がする。メイはオーストラリアの出身だが、もう二年以上も日本で活動しているのだ。この会場にも、《アトミック・ガールズ》におけるメイの勇姿を知る人間が一定数は存在するはずであった。


 メイは控え室で見せていたのと同じ気迫をみなぎらせながら、ひたひたと花道を踏み越えた。

 後ろに続く篠江会長も気合の入った面持ちであり、リューク氏は相変わらずの穏やかな表情、ビビアナは鋭い無表情だ。


 メイはボディチェック係の前で、公式のウェアを脱ぎ捨てる。

 メイが選んだ試合衣装は、瓜子と同じくハーフトップとファイトショーツだ。白黒モノトーンのカラーリングやXSのサイズも含めて、瓜子とまったく同一の仕様であった。


 ボディチェックを完了させたメイがケージに上がっていくと、リングアナウンサーが再び美声を張り上げる。

 大仰な身振り手振りをまじえた、なかなか芝居がかったアナウンスだ。ただやっぱり、瓜子にはほとんど内容が聞き取れなかった。


 ただ、意識している言葉は聞き取れるものである。アン・ヒョリ選手の選手紹介では名前しか判然としなかったが、メイの順番では『シドニー』『シンジュク・プレスマン・ドージョー』『メイ・キャドバリー』、そして『ナイトメア』という言葉が聞き取れた。


《アクセル・ファイト》では原則としてリングネームを禁止されているが、その代わりにニックネームを添えられることが多いのだ。かつてはユーリも『アクセル・ロード』の決勝戦で『ストーム』と呼ばれていたものであった。


 そうして選手紹介が終了すると、両選手はレフェリーのもとに進み出る。

 レフェリーのルール確認はリングアナウンサーの差し出すマイクによって拾われていたが、やはり瓜子には聞き取れなかった。


 しかしそれよりも気になるのは、二人の体格差だ。

 身長差はわずか二センチだが、そのぶん身体の厚みが違っている。瓜子と同じ骨密度と骨の細さを持つメイは、たいていの選手よりひと回り小さく見えてしまうものであるのだ。


 今回も、やはり例外ではない。韓国出身のアン・ヒョリ選手は日本人選手より頑健そうな骨格をしており、肩幅も腰の太さも胴体の厚みも、何もかもが違っていた。


「外見は、いかにもブルファイターって感じだが……さてさて、どうだろうな」


 瓜子のウォームアップのサポートをしながら、立松もしっかりモニターの様子をうかがっている。柳原や早見選手も、ユーリとそのセコンド陣も、それは同じことだ。個人主義で知られるプレスマン道場であるが、チームメイトの試合に無関心な人間はこの場に存在しなかった。


 やがて両名はフェンス際に下がっていき、リングアナウンサーとカメラクルーはケージの外に出ていく。その扉が閉められて、きちんと掛け金がかけられるのを見届けてから、レフェリーは『ファイト!』と手を振りおろした。


 甲高いホーンの音色とともに、試合が開始される。

 メイはアップライト、相手はクラウチングのスタイルで、それぞれ中央に進み出た。


 メイは、ストライカーとして知られているはずだ。それで相手がオールラウンダーなら、組み技や寝技で勝負をかけてくるのではないかと思われた。

 しかしメイはいっさい怯む様子もなく、鋭く前後にステップを踏んでいる。メイらしい、力強い所作だ。身体が固くなっていたら、これほど鋭いステップは踏めないはずであった。


 相手は慎重に、じりじりと間合いを詰めようとしている。

 姿勢も、ずいぶん前屈みだ。メイがパンチャーであるという情報をつかみ、序盤からテイクダウンを狙っている気配が濃厚であった。


 相手の力量が知れない内は、うかうかと近づくのは危険である。

 それでもメイは、果敢に踏み込んだ。

 ただし真正面からではなく、最後はアウトサイドに踏み出している。二年前からプレスマン道場で指南された、サイドへの足運びだ。


 そこから、左ジャブが射出される。

 これも、ジョン直伝の技である。それまでのメイは、フック一辺倒であったのだ。


 想定以上のスピードであったのか、メイの左拳は相手の左頬に深く当たった。

 左拳が左頬にヒットするということは、まったく正対できていないということだ。アン・ヒョリ選手はアウトサイドを取られたまま、左ジャブをくらっていた。


 アン・ヒョリ選手は角度を修正しつつ、下がろうとする。

 メイは逃がさず、追撃した。外へ外へと踏み込みながら、左ジャブでたたみかけていく。それらの攻撃はブロックされたが、やはり正対を許していないのでテイクダウンを取られる危険はなかった。


 すると、アン・ヒョリ選手は足を止めて、いきなり左のショートフックを繰り出した。

 非常にコンパクトで、鋭い攻撃だ。彼女が打撃技にも長けていることは、その一発だけで見て取れた。


 しかし、メイの反応速度は並ではない。頭を沈めてその攻撃を回避したメイは、右のボディフックをお返しした。

 アン・ヒョリ選手の左脇腹に、メイの右拳がめりこむ。

 尋常ならぬ骨密度を持つ、メイの拳である。その痛さは、瓜子も存分にわきまえていた。


 しかし相手は臆することなく、メイにつかみかかろうとした。

 メイは頭を振ってアウトサイドに逃げ、牽制のショートアッパーを放つ。足を踏み出しかけていたアン・ヒョリ選手はすぐさまステップを踏んで、距離を取った。


 やはり、まったく簡単な相手ではない。細かい動きのひとつひとつが力強くて洗練されているし、それにやっぱり打たれ強かった。日本の並の選手であったなら、ボディフックの一発でペースを握られていたはずだ。


 メイとアン・ヒョリ選手は、あらためてケージの中央で向かい合う。

 小手調べは終了して、いよいよおたがいにギアが上げられるのではないかと思われた。


 そこで最初に動いたのは――やはり、メイである。

 序盤と同じように、前後にステップを踏んで勢いをつけてから、相手のアウトサイドに踏み込んで左ジャブを打つ。

 ただ、その鋭さがいっそう増していた。

 それでメイの左ジャブは、序盤よりもさらに深くヒットすることになった。


 アン・ヒョリ選手は、メイと正対しようとする。

 するとメイは反対のインサイドに踏み込み、さらなる左ジャブをヒットさせた。角度的に、今度は右頬だ。


 メイがインサイドの位置となったため、相手は組みつきのモーションを見せる。

 しかしメイは再びアウトサイドに踏み込んで、初めての右フックを繰り出した。

 踏み込みの力も加算された強烈な右フックが、相手の顔面に突き刺さる。


 だが、アン・ヒョリ選手は上体を揺らすことなく、またメイに正対しようとした。恐ろしいばかりの打たれ強さである。

 そこに、メイの左ボディアッパーが飛ばされる。

 顔と腹の打ち分けも、完璧だ。完全に頭の防御に気が向いていたアン・ヒョリ選手は、その攻撃もクリーンヒットされていた。


 しかし、アン・ヒョリ選手は不屈の闘志でメイにつかみかかろうとする。

 その腕をかいくぐったメイはアウトサイドに踏み込んで、カウンターの右フックを繰り出した。


 その攻撃もまた、クリーンヒットする。

 さしものアン・ヒョリ選手も一瞬動きを止めたが、下がるのではなく前に出た。

 選択したのは、大振りの右フックだ。

 メイはダッキングで回避して、またがら空きのボディにレバーブローを撃ち込んだ。


 アン・ヒョリ選手は咆哮をあげながら、右膝を振り上げる。

 メイは鋭いバックステップで、それを回避した。


 アン・ヒョリ選手は、猛然と距離を詰めようとする。

 だが――それよりも早く、メイのほうも前進していた。


 バックステップで遠ざかった間合いが一瞬で詰められて、メイの右ストレートが相手の鼻先に突き刺さる。

 たちまち鼻血が散ったが、アン・ヒョリ選手はかまわずメイにつかみかかろうとした。

 そのテンプルに、メイの左フックがヒットする。

 さらに、右のボディブローがアン・ヒョリ選手の左脇腹をえぐった。


 メイの本領である、速射砲のごときコンビネーションだ。

 日本のトップファイターたち――山垣選手や亜藤選手であれば、もう倒れていたところである。


 しかしアン・ヒョリ選手は恐るべき頑丈さでメイの攻撃に耐えて、右フックを繰り出した。

 バックステップの間に合わなかったメイは、左腕でそれをブロックする。

 そこに、左膝まで振り上げられた。

 メイはやはり、右腕で膝蹴りをブロックする。

 すると――その足が下ろされるかどうかというタイミングで、左フックまで繰り出された。


 腹を守っていたメイは、その攻撃を顔面にもらってしまう。

 瓜子は思わずウォームアップの手を止めてしまったが――次の瞬間、メイの左フックが相手の顔面を撃ち抜いた。


 さらに、返しの右ボディフックと、再びの左フックがクリーンヒットする。

 相手が右フックで応戦してきたならば、ダッキングでかわして右アッパーだ。


 相手はとっさに顎を引いたらしく、それでも倒れない。

 そして、左フックまで繰り出してきた。


 メイはウィービングでその攻撃を回避して、逆に左フックを当ててみせる。

 相手が右フックを出してきたならば、それをかわして右ボディだ。

 そして、相手がなおも拳を振り上げようとすると、メイは思わぬタイミングで左ローを繰り出した。


 カーフキックよりも軌道の低い、足払いのようなローである。

 左フックを出そうとしていたアン・ヒョリ選手は、バランスを崩して上体を泳がせた。

 その顔面に、メイは右フックを叩きつける。

 さらに、左フック、右ボディ、左フック、右アッパーと、怒涛のコンビネーションを炸裂された。


 それらのすべてをクリーンヒットされたアン・ヒョリ選手は、ほとんど倒れかかるようにして右フックのモーションを見せる。

 その拳が半分も進まない内に、同じだけの距離を一気に駆け抜けたメイの右フックがアン・ヒョリ選手の下顎を真横から薙いだ。


 アン・ヒョリ選手は、膝から崩れ落ちる。

 横からその身を支えたレフェリーが、厳粛なる面持ちで左腕だけを頭上で振った。


 試合終了のホーンが鳴らされて、歓声が爆発する。

 すっかり動きを止めてしまっていた瓜子は、思わず「よし」とつぶやいた。


 その眼前で――メイが、いきなり駆け出した。

 野獣のような挙動でマットを蹴り、フェンスをよじのぼり、その上にまたがる。そしてメイは天空を仰ぎ、狼の遠吠えを思わせる咆哮をほとばしらせた。


 その咆哮を耳にした瞬間、瓜子の目からどうしようもなく涙があふれかえった。

 メイが試合の後にこのような姿を見せるのは、初めてのことである。メイは、それだけの思いを抱えて今日の試合に臨んでいたのだ。


 いっそうの歓声が、客席にも渦を巻いている。

 スタッフがフェンスから下りるように指示を出しているようだが、メイはそれに気づいた様子もなく、まだ痛切なる声をほとばしらせていた。


(おめでとうございます、メイさん)


 今日の試合だけで《アクセル・ファイト》と正式契約を結べる可能性は、ごく低い。

 しかしそれでも、メイは大きな一歩を踏み出したのだ。

 瓜子は涙に濡れた目で、メイの姿を見つめ続けた。

 メイはまるで離ればなれになった家族たちを呼び寄せようとする狼のように、いつまでもいつまでも遠吠えめいた声を響かせていたのだった。

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