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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
26th Bout ~Turbulent autumn~
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02 進捗

 そうして瓜子とユーリとメイの新生活は、着々と進められることになった。

 とりあえず最初の週は午前の六時に起床して、午前の七時から稽古の開始、正午から午後の四時までは昼食と副業の業務で、夕方からの稽古は午後の九時に切り上げる。それから夜食をとったのち、午後の十一時には就寝だ。週末には『トライ・アングル』のライブも控えているため、まずまず穏便な内容に留めていた。


 その期間、出稽古の女子選手たちも可能な範囲で午前中の稽古につきあってくれた。さすがに早朝からの参加は厳しかったが、午前の九時や十時ぐらいに参じて、ともに汗を流してくれたのだ。瓜子たちとしては、ひたすら感謝するばかりであった。


「これだけプレスマンのお世話になってるのに、大ボスさんには挨拶したこともなかったしねー! ひさびさに、卯月大明神のぼへーっとした顔も拝んでおきたいしさ!」


 そのように語る灰原選手も、バニー喫茶の仕事を午後のシフトに移して、午前の稽古に参じてくれた。

 多賀崎選手や小柴選手、高橋選手やオリビア選手もそれは同様であり――そしてさらには、鞠山選手までやってきてしまった。常に選手を迎える側であった鞠山選手がプレスマン道場まで足を運んだのは、これが初めてのことである。


「本家チーム・プレスマンが総出で参上してるなら、わたいだって黙っていられないんだわよ」


 鞠山選手はそのように語っていたが、やはり主たる目的は卯月選手であったのだろう。くどいようだが、鞠山選手は卯月選手の熱心なファンであったのだ。

 ただし、鞠山選手が卯月選手の前で浮かれた姿を見せないことは、去年のゴールデンウィークにも立証されている。鞠山選手は普段以上の気迫と厳格さでもって、瓜子たちを指導してくれたのだった。


 トレーナー陣には何の不足もないものの、やはり瓜子たちにとって重要であるのは体格の近いスパーリングパートナーであったのだ。よって、女子選手一行の助力は心からありがたい限りであった。


 午前の十時には立松やジョンや柳原、それにプレスマン道場所属のプロ選手や熱心なアマ選手もやってくるので、大層な賑わいである。

 ただし、瓜子とユーリは正午でひとまず離脱だ。そこで疑念を呈したのは、卯月選手であった。


「お二人は、この期間も副業というものを継続されているのですね。《アクセル・ジャパン》までの一ヶ月間ぐらいは、稽古に集中できないのでしょうか?」


「自分たちは、副業で生計を立てている身ですからね。ちょうどユーリさんの復帰プロジェクトも進行中ですし、ばっさり仕事を休むのは難しかったんすよ」


「なるほど……地方大会の《アクセル・ジャパン》に初出場という立場ではファイトマネーもたかが知れていますし、致し方ない面もあるのかもしれませんね」


 そんな風に返されると、瓜子は思わず口ごもってしまう。実のところ、このたび瓜子に提示されたファイトマネーというのは――スターゲイトからいただく給金の五ヶ月分に相当したのだった。


 ただしそれでも、天下の《アクセル・ファイト》にとっては最低値の金額であるらしい。卯月選手のようなトップファイターがどれだけのファイトマネーをいただいているかは以前に拝聴していたが、底辺の選手でも一万ドルを切ることはそうそうありえないという話であったのだった。


《アトミック・ガールズ》などは小遣いていどのファイトマネーしか払われないし、チケットのバックマージンも微々たる額である。これが、日本と世界の差であるのだろう。だからこそ、多くの選手が世界進出を目指して頑張っているわけであった。


(でも……あたしはお金のために格闘技を頑張ってるわけじゃないからな)


 もちろん格闘技一本で食べていけるなら、そんなに幸せな話はない。また、それでこそ正しいプロ意識というものが育まれるのだろうと思う。

 ただ――それでも瓜子は、《アトミック・ガールズ》で育った身であるのだ。

《アトミック・ガールズ》では、誰もが副業で生計を立てつつ頑張っている。それが《アクセル・ファイト》よりも価値のない行いであるなどという話には、決して肯ずることができなかった。


 瓜子はしょせん、青臭いのだ。

 だから、その青臭さを力にかえて、《アクセル・ジャパン》に挑もうと考えている。多くの人々に支えられながらここまで来た瓜子は、道場と《アトミック・ガールズ》の看板を双肩に背負って《アクセル・ジャパン》に殴り込もうという所存であった。


                ◇


 そんな中、『トライ・アングル』の新曲たる『Re:boot』の告知映像が配信されることになった。

 新曲の発売日はワンマンライブの前日、九月の第四土曜日であったのだ。そちらの告知映像は公開されると同時に、過去最高の勢いで再生回数を急上昇させているとのことであった。


「うり坊も、ピンク頭に負けないぐらい色っぽかったねー! イネ公は、まだまだこれからって感じだけどさー!」


「やかましいのです! 『トライ・アングル』の活動において愛音たちはお刺身のツマなのですから、猪狩センパイはむしろ出しゃばりすぎなのです!」


 そのようにわめく愛音も、大学の講義がない曜日は午前中から稽古に参加してくれた。

 そしてその日ばかりは、厳粛なる稽古場も『トライ・アングル』の話題一色に染まってしまったのだった。


「ユーリ・サン、ウリコ・サン、セクシーです。ベリ-ベリー、ミリョクテキです。シンゾー、ハナがタカいです?」


「よしてくださいよ。俺は自分の娘が裸をさらしてるような心地なんですから」


「は、裸なんてさらしてないっすよ! 水着! あくまで水着です!」


「あはは! でも、色っぽいことに変わりはないしねー!」


 そちらの告知映像にはミュージックビデオの映像が流用されており、瓜子と愛音はそちらでまた水着姿をさらすことになったのだ。際どいビキニ姿でユーリと打撃技のスパーに取り組むという、以前のミュージックビデオと同じ演出である。それは復活をテーマにした『Re:boot』に相応しい勇壮なる演出であったのかもしれないが、瓜子としては羞恥にもだえるばかりであった。


 しかも『トライ・アングル』の人気というものは、ユーリの『アクセル・ロード』参戦を機に、世界規模にふくれあがってしまったのだ。デジタル音源の売り上げが急上昇すると同時に、ミュージックビデオの再生回数も同じだけ跳ね上がる事態に至ったのだった。


「そして北米においては、こちらの映像に出演している猪狩さんが《アクセル・ジャパン》に出場するということで、小さからぬ騒ぎになっているようです。これは当日のオッズも、かなり猪狩さんに傾くかもしれませんね」


 卯月選手は、そんなありがたくない情報まで報告してくれた。


「あとさー! このジャケット、めっちゃかっちょいいよねー! こんなの、通常盤まで欲しくなっちゃうなー!」


「そ、そうですよね。わたしはもう特装盤を予約しているんですけど……通常盤も予約するべきか迷っているんです」


 灰原選手や小柴選手にそのような声をあげさせたのは、円城リマの手によるCDジャケットのイラストであった。告知映像では、その素晴らしいジャケットもお披露目されていたのだ。


 それはかつて、円城リマとトシ先生の結託によって生み落とされた一枚であった。通常盤では円城リマのイラストが、特装盤ではトシ先生の写真が、それぞれ使用されることになったのだ。


 裸身のユーリが正面を向いて、自分の頬を両手で包み込んでいる。胸もとの大事な部分は腕で隠されているし、ローライズのビキニを着用した下半身はぎりぎりカットされているため、一糸まとわぬ裸身に見える姿だ。

 ただ――それは決して、色香だけを強調した構図ではなかった。裸身のユーリが色香を隠すことは不可能であるが、それ以上にユーリの神秘的な雰囲気が強調されていたのである。


 ユーリの髪と肌は漂白したように純白で、ただ前髪のひとふさと唇だけが明るいピンク色をしている。ユーリはいくぶん首をのけぞらして、こちらを見下すように見つめており、肉感的な唇は半開きで――これ以上もなく妖艶であるが、どこか人を超越しているような美しさであったのだった。


 トシ先生の写真は、そんなユーリの美しさを余すところなく切り取っている。

 そして円城リマは、その姿をイラストで再現していた。真っ白なキャンバスに、グレーの濃淡で陰影だけを描き、前髪と唇のピンクで強烈なアクセントをつけている。それでユーリのありうべからざる美しさを写真と同じぐらいまざまざと体現させていたのだった。


 これはもともとカップリング曲である『アルファロメオ』のイメージから生まれた構図であったが、運営陣の合議によってジャケットの表側に採用されることになった。まあ、生まれ変わったユーリを象徴するには、またとないデザインであったのであろうが――とにかく写真もイラストも素晴らしすぎる出来であるため、灰原選手たちを悩ませる結果になったわけであった。


「ここだけの話ですが、そちらのイラストはTシャツやポスターなどでも使われる予定であるそうなのです。であれば、無理をして通常盤を購入する必要はないのではないでしょうか?」


 昂揚に頬を火照らせた愛音が、こっそりとそんな情報を開示していた。まあ、千駄ヶ谷の耳にさえ入らなければ、大した漏洩ではないだろう。それらのグッズは、今週末からライブの会場および公式ウェブサイトで販売される予定になっていた。


 そんな感じに、日々は賑やかに過ぎ去って――あっという間に、ライブの当日である。《アトミック・ガールズ》九月大会からわずか一週間後という日取りであったので、慌ただしいのが当然であった。


 都内の某イベント会場に集合した一行は、リハーサルを無事に終えたのち、楽屋で身を休める。そうして開場の時間が近づくと、ステージ衣装に着替えることになり――ユーリともども、瓜子の胸を高鳴らせてくれた。


 この日のために新調した、ステージ衣装である。ただし、『Re:boot』のミュージックビデオでもお披露目されていたので、瓜子が目にするのは二度目のことだ。

 今回も八人おそろいのモッズスーツで、カラーリングはスーツが白でドレスシャツが黒となる。言うまでもなく、ユーリのイメージから白いカラーリングが採用されたのだ。相変わらず『ベイビー・アピール』の面々はギャングさながらの風体であったが、八人でそろえると壮観のひと言に尽きた。


 何より鮮烈であるのは、やはりユーリだ。

 スーツの生地に負けないぐらい、ユーリの髪と肌は白い。それでドレスシャツやブーツは黒いものだから、本当に白黒のモノトーンだけでユーリの存在が構成されているかのようだ。そんな中、アクセントとなるのはやはり前髪と唇のピンクであった。


「にゅふふ。やっぱりみんなでおそろいの衣装というのは、ユーリをウキウキさせてなりませんわん」


 ユーリは至福の面持ちで、瓜子に囁きかけてきた。


「そういう台詞は、みなさんにお聞かせしたほうがいいんじゃないですか? きっと喜んでいただけますよ」


「いやーん。それはユーリの羞恥心を刺激してならないのです」


 瓜子たちがそんな風に戯れていると、リュウが笑顔で声をかけてきた。


「二人は、相変わらずみたいだな。睡魔のほうは大丈夫かい?」


「はぁい。今でもおねんねするのは夜の十一時ぐらいですので、まったく問題はありませんですぅ」


「《アクセル・ジャパン》に出場するのは瓜子ちゃんなのに、ユーリちゃんもきっちりつきあってるんだもんな。愛の深さを感じるよ」


「えへへ。うり坊ちゃんと寝起きをご一緒させてもらわないと、ユーリのほうが孤独死してしまいますのでぇ」


 ユーリは、もじもじと身をくねらせる。こちらのスーツはきわめて伸縮性の高い生地で縫製されているので、これだけタイトなサイズでも自由に動くことができるのだ。


「でも、自分のせいでみなさんにまでご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません。今日も打ち上げを辞退させていただきますし……」


「そんなの、大した話じゃねえさ。瓜子ちゃんにとっては、人生の大一番なんだしさ」


 すると、タツヤも「そうそう!」と割り込んできた。


「それより、試合を頑張ってくれよ! 俺らも、応援してるからさ!」


「ありがとうございます。みなさんを失望させないように、頑張ります」


《アクセル・ジャパン》の開催まで、残り三週間だ。

 しかし今は、目の前の業務に集中しなければならない。明日からはさらに就寝の時間を早める予定であったので、瓜子にとっても今日は区切りの日であった。


 やがて開演の時間に至ったならば、本日も素晴らしい演奏が披露される。

 新曲の『Re:boot』から開始されたその日のステージは、瓜子と千名の観客たちを感動と熱狂の坩堝に叩き込んでくれた。


 客席では、懇意にしている女子選手の一行や、『モンキーワンダー』の面々や、早見選手とその恋人なども参じてくれている。早見選手の突然の申し出も、千駄ヶ谷は快く了承してくれたのだ。

 開演前に楽屋まで挨拶に来た早見選手の恋人というのは南米生まれの可愛らしい娘さんで、憧れの『トライ・アングル』を前にすると子供のようにはしゃいでいた。そうして事前に準備していたサイン入りのTシャツをプレゼントすると、喜びの涙を流すほどであった。


 彼女は親の仕事の関係で南米から北米に移り住み、そこで早見選手に出会ったのだという。もともと格闘技のファンであり、それで早見選手と結ばれることになったわけだが――そんな彼女も『アクセル・ロード』の放映は欠かさず視聴しており、そこでユーリや『トライ・アングル』の存在を知ったのだという話であった。


「SNS、おかしなカきコみ、オオいけど、ただのアンチです! ステイツ、ユーリのファン、たくさんです! ユーリのフッカツ、みんなヨロコんでます! オンガク、カクトウギ、どっちもガンバってください!」


 そんな言葉を聞かされた折には、瓜子のほうが涙をこぼしてしまいそうだった。

 そんな彼女も、客席でユーリのステージを楽しんでくれているだろうか。ユーリは彼女の期待に応えられるだけの輝きを見せているはずであった。


 そうして『トライ・アングル』のワンマンライブも、無事に終了し――

 その翌日、瓜子たちはまた思わぬ事態に見舞われることに相成ったのだった。

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