09 帰還の祝い(上)
《アトミック・ガールズ》七月大会は、無事に終了した。
閉会式ではまたユーリもケージに上げられて、大歓声をあびることになったのだ。納得のいく試合をできた瓜子は、それでさらなる喜びを授かることができた。
そうして興行を終えたならば、合同の打ち上げであるが――このたびは、普段よりも慌ただしかった。幹事であった灰原選手が、救急病院に搬送された多賀崎選手のもとに向かうことになったのだ。
「悪いけど、あたしはマコっちゃんと一緒に向かうから! 店の場所は、わかるでしょ? 予約の名前は、灰原ね! あと、タツヤくんたちとの連絡は、トッキーがよろしくー!」
そんな言葉を残して、灰原選手は四ッ谷ライオットのコーチ陣ともども立ち去っていった。
幹事代行は小笠原選手が受け持ち、あらためて出発の準備が整えられる。本日はユーリの快気祝いも兼ねているため、見知った相手はのきなみ合流し、普段以上の人数であった。
「みんな自前の車で、移動は問題なさそうだね。じゃあ、あとは現地集合ってことで。何かあったら、アタシに連絡をお願いします」
そうして瓜子とユーリは、行き道と同じくプレスマン号で出発することになった。
ただし、灰原選手と多賀崎選手の姿がないため、いささかならず物寂しい。ワゴン車を運転する立松も、しみじみと息をついていた。
「今日は知ってるもん同士の対戦も多かったから、文字通り悲喜こもごもだな。まあ、試合の後はノーサイドだ」
本日は、多賀崎選手と灰原選手とオリビア選手が敗れてしまった。しかし、それに勝利したのはマリア選手や鞠山選手や時任選手であったのだ。それは全員、本日の打ち上げの参加メンバーであった。
それに、メイに敗北したマキ・フレッシャー選手の陣営も、打ち上げに参加することになっている。遺恨を引きずっていないからこそ、敗北した陣営も参席を願い出てくれたのだった。
「まあ構図としては、ちっとばっかり落ち目だった天覇や赤星が返り咲いたって形だからな。ライオットのお二人には気の毒だったが……こういう日もあるってこったろう」
「へん。どこかのイノシシ娘が暴れ回ってる限り、こっちの道場は安泰ってことか」
「何を言ってやがる。お前さんだって復帰以来、負けなしのチャンピオン様じゃねえか。メイさんも勝ったし、邑崎も調子を落としちゃいねえし……あとは桃園さんの復帰を待つばかりだよ」
いきなり引き合いに出されたユーリは、「むにゃあ」と自分の頭をひっかき回す。ただその顔は、瓜子の試合を見届けてからずっと幸せそうであった。
「ユーリさん、大丈夫ですか? プロテインも非常食も、まだまだ残されてますからね」
「うみゅ。しかし今は、普通にしててもおなかがぺこぺこになる時間帯だからねぇ。打ち上げのお料理を美味しくいただくために、じっとガマンのココロなのです」
そのように答えるユーリは輝くような笑顔であり、それで瓜子も同じ心地を抱くことができた。
そうして打ち上げの会場に到着したならば、順次入店していく。いつも融通をきかせてくれる、お馴染みの居酒屋だ。本日も、その二階席が灰原選手の名義で貸し切りにされていた。
「お、灰原さんからだ。あと三十分ぐらいで合流できるから、先に始めてくれってさ」
「多賀崎選手の左肩は大丈夫そうっすか?」
「うん。靭帯損傷まではいってないってさ。全治二週間だそうだから、合宿の頃には復活してるね」
本年も、お盆の前に赤星道場の合宿稽古が予定されているのだ。
「でもでも、二週間もお稽古できないのは無念でありましょうねぇ。ご本人はもちろん、灰原選手もどっぷり落ち込んじゃってそうですぅ」
ユーリがしょぼんとした顔でそのように言いたてると、小笠原選手はやわらかく微笑んだ。
「アンタなんて、数ヶ月も絶対安静だったじゃん。多賀崎さんだって、しっかり乗り越えてくれるさ。……それにしても、アンタも人並みの台詞を吐けるようになったもんだねぇ」
「うにゃあ。恐縮のイタリでございますぅ」
そうしてユーリが恐縮している間にも、どやどやと新たなメンバーが二階の座敷に上がってくる。
プレスマン道場、赤星道場、武魂会、天覇館、ドッグ・ジム――個人としては、オリビア選手、武中選手、時任選手――さらに、千駄ヶ谷と『ベイビー・アピール』の面々も加わって、尋常ならざる人数だ。ただ残念ながら、『ワンド・ペイジ』は関西のライブイベントに出向いているため、本日は不参加であった。
「よう! やっと会えたな、瓜子ちゃん! ユーリちゃん!」
「今日の試合も、すごかったよ! 一ラウンドKO勝利の記録を更新だな!」
タツヤとダイが、さっそく笑顔で押し寄せてくる。今日は車移動の手配もスムーズであったため、駐車場で顔をあわせることもなかったのだ。
そうして子供のようにはしゃぐ両名の脇をすりぬけたリュウが、ユーリの正面に膝をついた。
「ユーリちゃんも、お疲れ様。わかっちゃいたけど、みんな大歓声でユーリちゃんを迎えてくれたな。思わず俺までもらい泣きしちまいそうだったよ」
「ありがとうございますぅ。リュウさんが泣いちゃったら、ユーリももらい泣きしちゃいますよぉ」
「あはは。こいつらの前じゃ、泣かねえよ」
やっぱりリュウは、ユーリに対してひときわ情愛が深いのだ。しかもそれは、恋愛感情を封殺した結果なのである。瓜子はその誠実さに胸が熱くなってやまなかった。
そんな中、タツヤとダイは笑顔で瓜子をはさみこみ、漆原は千駄ヶ谷の隣でのほほんと笑っている。漆原は格闘技にさして興味を抱いていないはずだが、おそらくはユーリのために――あとは恋する千駄ヶ谷のために、来場したのだ。半分がたは下心なのやもしれないが、ユーリに対しては混じり気のない厚意を抱いてくれているはずなので、瓜子も素直な気持ちで感謝することができた。
そして、瓜子に向かってねぎらいの言葉をまくしたてていたタツヤが、いきなり「うわ」と身をのけぞらせる。その視線を追った瓜子も、思わぬ人物の来場に目を丸くしてしまった。それは、二メートルを超す巨体の外国人選手――エドゥアルド・パチュリア選手であったのだ。
「ああ、猪狩たちには伝えてなかったっけ。あのお人も、お客さんとして来場してたんだってよ」
少し離れた場所から、小笠原選手がそのように呼びかけてくる。その間に、赤星道場の陣営とオリビア選手がエドゥアルド選手を出迎えた。
(そっか。エドゥアルド選手が《レッド・キング》に出場したとき、オリビア選手がセコンドについてったっけ。それで今日は、オリビア選手やマリア選手の試合を観にきたのかな)
オリビア選手とエドゥアルド選手は、同じ玄武館の所属であるのだ。かたやシドニー、かたやジョージアであるのだから、玄武館の規模の大きさには舌を巻くばかりであった。
「さて。それじゃあライオット以外の面々はそろったかな? 開会の挨拶は……やっぱり、猪狩だろうね」
「ええ? じ、自分なんかには荷が重いっすよ」
「試合場の外では、相変わらずだね。とりあえず、猪狩と桃園にもひと言ずつはいただくよ」
小笠原選手は朗らかに笑いながら立ち上がり、瓜子とユーリを手招きしてくる。瓜子はユーリと一緒に恐縮しながら、小笠原選手の隣に立ち並ぶことになった。
「今日の主役が頼りないんで、僭越ながらアタシが出しゃばらせてもらいます。みなさん、今日はお疲れ様でした」
座敷に詰めかけた面々が、拍手や指笛で小笠原選手の言葉に応える。それがおさまってから、小笠原選手はさらに言いつのった。
「今日はセコンドの立場で見守らせていただきましたけど、最初から最後まで文句のつけようのない盛り上がりでしたね。勝った選手も勝ちを逃した選手も、本当にお疲れ様でした。どうか遺恨は残さずに打ち上げを楽しんで、明日からも稽古を頑張ってください。……それじゃあ、メインイベントでタイトル防衛を果たした猪狩にも、ひと言いただきます」
「あ、はい……みなさん、お疲れ様でした。小笠原選手の仰る通り、今日は素晴らしい試合の連続だったと思います。自分も仲良くさせていただいてる選手同士の試合が多くて、あれこれ気持ちを揺さぶられちゃいましたけど……それでもやっぱり、すごい試合ばかりでした。これからも、出稽古や合宿稽古でご一緒する機会があったら、どうぞよろしくお願いします」
瓜子のつたない挨拶にも、惜しみない歓声や拍手が届けられる。
続いて挨拶をうながされたユーリは、困り果てた面持ちで「あうう」と身をよじった。
「ユ、ユーリなんかは何も偉そうなことを語れる立場ではないのですけれど……今日はみなさんのおかげで、すごく幸せな気持ちになれましたぁ。もしもユーリが復帰したら、みなさんのお邪魔にならないようにすみっこで頑張らせていただきますぅ」
「アンタも、相変わらずだねぇ。会場での挨拶なんかは、なかなか堂々としてたのにさ。……今日はアンタの快気祝いでもあるんだから、この場に駆けつけてくれた人たちに感謝の気持ちでも伝えたら?」
「うにゃあ。ユーリの快気祝いだなんて、恐れ多いばかりなのですぅ。どうかユーリのことはお気になさらず、今日のヨロコビを噛みしめていただきたいのですぅ」
「だめだこりゃ。……まあ、桃園はこういうやつなんで、あとは各人、思うぞんぶん可愛がってやってください」
小笠原選手はにこやかに笑いながら、ビールのグラスを高く掲げた。
「それじゃあ、イベントの成功と桃園の復活を祝して、乾杯!」
「かんぱーい!」と、元気な声で唱和される。
そして、瓜子とユーリのもとには怒涛の勢いでさまざまな人々が押しかけてきた。青コーナー陣営であまり言葉を交わす機会もなかった人々や、観客としてやってきた人々などだ。
「猪狩さん! あらためて、お疲れ様でした! あの亜藤選手を相手にノーダメージの秒殺だなんて、本当にすごかったです!」
「ユーリさんも、お疲れ様でーす! 九月の試合には出られそうなんですかー? 合宿稽古も、ぜひ参加してくださいねー!」
次から次へと新しい人がやってきては、グラスにグラスをぶつけて立ち去っていく。あまりの勢いであるために、ひとりひとりに言葉を返すこともできないほどだ。瓜子自身もありがたい限りであったが、ユーリに対しても同じ質量で温かい言葉を投げかけられるのが嬉しくてならなかった。
その勢いがようよう収まってから、瓜子とユーリはもとの席に帰還する。
するとそこには『ベイビー・アピール』のメンバーの他に、武中選手とその兄君、大江山すみれと二階堂ルミが加えられていた。武中選手の兄君や二階堂ルミなどは、お客として来場していたのだ。
「ユーリちゃん、お疲れさん。いちおう紹介しておくけど、こいつがキヨっぺの兄貴で、俺のツレだよ」
「ああ、武中選手の兄上様であられますかぁ。いつもリュウさんにはお世話になっておりますぅ」
ユーリはよそゆきモードでもって、深々と頭を垂れる。初めてユーリと間近から対面した兄君は、存分に目を泳がせることになった。
「い、いや。こいつのことで、俺が頭を下げられるいわれはねえけど……あ、あんた、ずいぶん雰囲気が変わったな」
「ほえ? 兄上様も、ユーリなんぞのことをご存じだったのでありましょうかぁ?」
「そりゃあ、『アクセル・ロード』はきっちりチェックさせてもらってたよ。まあその前から、音楽活動のほうもちらちら目にしてたけど……」
「ちらちらどころの話じゃないですよー! ライブ映像だけじゃなく、特典映像もヘビロテだったんですから! 兄貴が変な気を起こさないように、リュウさんたちがしっかり見張ってくださいねー!」
武中選手が笑顔でそのように言いたてると、「やめろ馬鹿」と兄君は顔を赤くした。彼は『ベイビー・アピール』のご友人に相応しい強面の持ち主であるのだが、元気な妹には振り回されがちであるのだ。
「やっぱユーリちゃんとうり坊ちゃんは大人気ですねー! うちも『トライ・アングル』の活動再開を楽しみにしてますから! あと、メンバーのみなさんは今年も夏の合宿に来てくれたりするんですかー?」
「ルミさん。もしこちらの方々がご参加する場合でも、それはお忍びという形になります。だから、こんな場では話せないんですよ」
大江山すみれと二階堂ルミも、相変わらずなようであった。
武中選手の兄君も二階堂ルミも、ユーリが渡米してから面識を得た相手となる。二階堂ルミはお見舞いに参加してくれたが、打ち上げでご一緒するのは初めての経験だ。ユーリはどのようにお相手をするか迷うように、ずっとふにゃふにゃ笑っていた。
「……やっぱ、打ち上げの場にはユーリちゃんもいてくれないとな」
と、リュウは胸のポケットに引っ掛けていたサングラスを鼻にのせた。
タツヤは笑いながら、タトゥーの刻まれた腕でメンバーの肩を抱く。
「涙ぐみながらカッコつけてんじゃねーよ! ユーリちゃんの前じゃ、すっかり純情野郎に戻っちまうよなー!」
「うるせえな。お前らに言われたくねえってんだよ」
「俺たちは、瓜子ちゃんの下僕だからな! ユーリちゃんは、大事なメンバーだけどよ!」
リュウの肩を抱いたまま、タツヤはにっと白い歯をこぼす。
ユーリは「にゃはは」と笑っていたが、その目には光るものが浮かんでいた。
「……ユーリさん。おしゃべりを楽しみながら、しっかり栄養補給もしましょうね。もう胃袋も限界でしょう?」
「うん。こんなに幸せいっぱいだと、おなかは減るいっぽうだねぇ」
そんな風に語りながら、ユーリはあらためて瓜子に笑いかけてきた。
大人数の場を苦手にするユーリであるので、心からくつろぐことは難しいだろう。しかしそれでも、ユーリは幸せそうに笑っており――そんなユーリを見ているだけで、瓜子も涙ぐんでしまいそうだった。
ユーリが最後にこういった酒宴に参加したのは、去年の八月の終わり頃――新潟にて行われたロックフェス、『ジャパンロックフェスティバル』の打ち上げ以来となる。北米出立の数日前に行われたその打ち上げは、ユーリと多賀崎選手を見送る壮行会も兼ねていたのだ。
あれから十一ヶ月もの期間を経て、ついにユーリの帰還を祝う場が設けられることになった。『アクセル・ロード』は十一月中に終わる予定であったので、八ヶ月ばかりも遅延することになったのだ。
まさかユーリがあれほどの深いダメージを負って、生命の危険にまで追い込まれることになろうなどとは、誰にも予想できていなかったに違いない。
しかしユーリは、見事に復活してくれた。長きにわたる苦難の日々を乗り越えて、以前よりも力強く、そして美しい姿で戻ってきてくれたのだ。
この場に集まった面々は、誰もがその事実を喜んでくれている。
そんな思いが熱気と化して、この空間にごうごうと渦巻いており――きっとそれが、ユーリに涙を流させているのだった。




